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運命の鎖  作者: 桔梗
浅葱色の新月
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梓馬・不思議な光景

 3日前の夜、梓馬は忘れ物を取りに学校へ来ていた。その日の課題に必要だったため、面倒だが取りに来ざるを得なかったのだ。


 目の前には、ホラー映画に出てきそうな景色が広がっていた。正直不気味だった。まだ教員が残っているようで、A棟は一部電気が点いていたが、それ以外は真っ暗だ。


 お化け屋敷やそのたぐいの怖い話は、苦手ではなかった。所詮作り物だと分かっているからだ。しかし、何も仕掛けのないところで奇妙なものに出会ったら、人間の理解を超えた何かだと思ってしまうかもしれない。


 そう考えると、少し怖い。神社の子である梓馬とて、そのような非現実的存在を信じているわけではないけれど。


 それでも、梓馬はさり気なく鞄についたお守りを確認しながら、足を踏み出す。明るい職員室を過ぎて、A棟沿いにその先へ向かう。


 梓馬の微かな足音だけが聞こえる。


 B棟が近づいてきた時、ふと横を向いた。A棟の一番東側の、ちょうど生徒会室のところだった。他意はなかった。登校中たまたま路肩に目をやる時のように何気なく、梓馬はそちらに目を向けた。


 思わず立ち止まる。正確には、美しく不気味な光景に目を奪われたのだ。


 人がいた。


 窓越しに見える、生徒会室の中に。


 何故だか、それは生身の人間だとすぐに分かった。少し長めの髪の、どこかで見たことのある横顔。中性的で美しく、絵画から抜け出して来たような男の人。


 しかし、彼が手にしているものはなんだろう。


 彼の顔の大きさと同じくらいのもの。とても大事そうに両手で顔の前に掲げている。さらりとなびく髪、そして、滴り落ちる液体。


 月明かりに照らされて、彼は微笑んでいるように見えた。その光景はまるで、ヨナカーンの首に口づけをするサロメのような⋯⋯。


 気づいたら、梓馬は校門のところに戻っていた。


 不思議な光景を見てからの記憶があまりない。そのくらい、あの非現実的な怪しくも美しい彼らの姿に、心を奪われてしまったのだ。あの光景が、目の裏に張り付いて離れない。


 頭と感情の整理をするために、しばらくそこで立ち止まっていた。


 忘れ物を取ってくるのを忘れたと気づき校舎の方に目をやると、いつの間にか職員室の光も消えていた。


 完全な闇だった。


 もう一度あの光景を思い出すと、一気に背筋に悪寒が走った。冷や汗が顎をつたう。


 今は曇っているのか、月が見えない。月が隠れてしまっている夜は危険だ。


(課題は朝早く来てやろう⋯⋯)


 梓馬はようやく異常に速くなってきた心臓の音を感じながら、夜の学校に背を向けた。


   ***


 皆思った以上に、梓馬の話を真面目に聞いていた。たるとだけは怯えたように顔を歪ませていたが、千翔と京介と朱音は真剣な表情をしている。しかし、それぞれが何か別のことを考えているように見える。


 話を聞き終え、一番最初に口を開いたのは京介だ。


「その人は結局誰なの?」


 梓馬は京介とは初対面だった。正確には、梓馬の方は生徒会の京介を一方的に知っていた。千翔やたるとの話にも時々出てくる。千翔の友人というので変わり者だろうと勝手に思っていたが、爽やかな笑顔は好感が持てた。


「名前が分からないんだけど、さっきいた先輩」


「朔先輩か」


「朔先輩っていうんだ。綺麗な人だよね。あの人はなんで今日ここにいたの?」


 当然の疑問を尋ねただけだった。しかし、一瞬空気がざわめいた。いや、たるとがぼろを出さなければ気づかなかっただろう。彼女だけが他の人の顔をうかがうように見たのだ。千翔と京介は流石に無表情のままだ。朱音も、眉ひとつ動かさない。彼女も嘘がつける人間だ。


 しかし、京介が答えるまでにほんの少し間があった。


「生徒会の真田先輩に用があったみたい。日を間違えたらしいけど」


「へぇ⋯⋯」


「それで、朔先輩は夜の学校で何してたんだろうね」


 たとえ嘘をついていたとしても、梓馬には関係ないことと思えた。だから、話を逸らされても詮索はしない。むしろ、梓馬も自分が見た事の方がよほど気になっている。


「さっくーも忘れ物取りに来てたとか?」


「さっくー?」


「あ、私たち、幼馴染みなの」


 意外なところに繋がりがあるものだ。そういえば、たるとと朱音も幼馴染みと言っていた。もしかして、と思い朱音をちらりと見るが、彼女は宙を見ており、話を聞いているのかいないのかも分からない。


「忘れ物でもここには来ないでしょ」


「そっか」


「月明かり⋯⋯」


 千翔が唐突に呟く。彼は常に人の話を聞いていないように見えるが、実際聞いている時と聞いていない時は半々だった。今回は、何か別のことを考えていたようだ。


 千翔はその時の状況を思い浮かべるように、ゆっくりと生徒会室を見渡す。


「月明かりがドア側からさすことはないだろ。あっちは北西だぞ?」


「あ⋯⋯」


 梓馬が学校に行ったのは、20時頃、まだそこまで遅い時間ではない。この時期その時間帯に西に見える月は、三日月などの細い月だ。影が出来るほどの月明かりの強さはない。それに、正確な方角は分からないが、ドアはほとんど北だろう。


 千翔の言う通り、あの時窓側から月明かりが見えるのは有り得ない。


 さらに、梓馬ははっとする。なぜすぐに気付かなかったのだろう。


「まって、そもそも3日前は⋯⋯満月どころか、ちょうど新月だ」


「ああ、新月⋯⋯」


 隣で朱音が小さく呟く。話は聞いていたようだ。しかし、目はぼんやりと斜め上を向いたままだ。その顔は、わずかに笑っているように見える。太陽の光で照らされたその顔が、一瞬あの時の朔の顔と重なって、どきりとする。


「流石梓馬くん、新月がいつとか覚えてるんだね」


「まあね。この間はすぐ気付かなかったけど」


 それは少々悔しい気もする。


「流石っていうのは?」


 京介が首を傾げる。梓馬が言う前にたるとが説明してくれた。


「梓馬くんの家、すぐそこの月城つきしろ神社なんだよ。月の神様祀ってるんだよね。ツキ⋯⋯ツク⋯⋯なんとか」


月読命ツクヨミノミコトね」


 苦笑いして言う。


「え、そうなの?」


 朱音が初めてこちらを見た。そういえば、彼女も知らなかった。


「あそこにはよくお参り行くよ」


 いつもの笑顔だ。そう、いつも教室で見ている彼女は、こんな感じで落ち着いた、しかし柔らかい雰囲気を持った子だった。


「お前も大変だな。将来が決められちゃってるなんて」


 将来梓馬が家を継ぐことは、千翔に少しだけ話したことがあった。


「望んで継ぐんだよ。別に大変じゃない。むしろ光栄だよ」


 千翔は首をすくめただけだった。梓馬は心からそう思っているのだが、千翔は人に決められた道を歩くことが嫌いなタイプなのだ。


「凄いなぁ梓馬くん。またお参り行くからね」


 朱音の言葉にたるとが頷く。女子2人は分かってくれるようだ。


「ていうか、話それちゃったね。なんだっけ⋯⋯」


「水戸くんが見たのは月明かりじゃなかったって話」


 京介に苗字で呼ばれたことに驚いた。名前を知られていたのだ。


「そうそう、月じゃないなら何だったんだろう⋯⋯」


「今の時代、明かりはどこにでもある。問題はそこじゃないだろ」


 千翔がそう言いながら立ち上がり、赤黒い染みに近づいた。少し触れた後、顔を近づける。


「なんだ、この匂い」


 そう言う千翔に誘われるように、他の4人も染みを取り囲むように集まる。千翔と同じように、しゃがんで顔を近づけた。しかし、そこまで近づかなくても匂ってくる。ミントのような、つんと鼻を突き抜ける爽やかな匂い。見た感じの赤黒さとはどうにも合わない。


「これ⋯⋯」


 朱音が何か驚いたように言いかける。


「ジュースの匂いじゃないね」


 たるとの言葉に皆頷く。どちらかと言えば、香水をこぼしてしまったような匂いだ。


「あの⋯⋯」


 また朱音が躊躇うように口を開いた。


「たぶんこれ、最近⋯⋯いや、この間の先輩の匂いと同じじゃないかな」


「朔先輩の?」


「うん、この前初めて会ったとき、微かにミントの匂いがしたから」


 よく覚えているものだ。それとも、前から朔の匂いを知っていたのか。


「ええっやっぱりさっくーがこぼしたのかな?」


 疑問が増えるばかりでなかなか答えは出ない。しかし、全ての疑問は朔に向いている気がする。


「本人に聞けばいいんじゃないかな」


「本人⋯⋯柳先輩に?」


「うん」


「確かに、それが一番早いよね」


 ということで、この奇妙な話はあっさりと終わりになった。しかし、いつどこで誰が聞くかは決めなかった。梓馬以外皆、彼と自然と会えるとでも思っているようだった。

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