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運命の鎖  作者: 桔梗
浅葱色の新月
13/63

眠り姫

挿絵(By みてみん)

 弓道部は月に何度か、部長の気まぐれで部活が休みになる時がある。今日もそうだった。もとより顧問の先生は関与していない。授業が終わり、いつも通り弓道場へ行くと、伝言係を任されたらしい副部長が、暇そうに携帯を見ていた。そして私は、部長が気まぐれを起こしたことを伝えられた。


 突然暇をもらっても特にすることもなく、真っ直ぐ家へ帰ろうと思い、昇降口へ向かう。


 自分の下駄箱の前に来た時、私は一瞬動きを止める。


 下駄箱から靴を取る時、あるいは下駄箱へ靴を入れる時、まだ時々あの手紙について思い出す。2週間ほど前に受け取った、謎のバースデーカードのことだ。一時期は噂になっていたが、今は全く話を聞かない。ほとんどの人は、自然と忘れてしまっているのだろう。


 しかし、私は未だに思い出しては、苦さと甘さが混じったような複雑な気分になる。千翔ちかくんに無理やり揺さぶられたような自分の中の何かが、意識と無意識の狭間に出てこようとする。思い出してしまった時は、ため息をつきたくなるような疲労感を覚える。だから、早くいなくなれ、と思いながら、下駄箱をいつもより強めに閉じた。


 昇降口を出ると、校庭で部活を始めようとしている生徒がちらほらと見えた。その中に陸上部もいるはずだが、知っている人の姿は見つけられなかった。


 朝霧高校は、緩い弧を描いて西からA、B、Cと並ぶ3つの棟と、その南側に広がる校庭からなる。生徒が出入りする校門は、校庭の向こう側、南西に位置していた。よって、教室のあるB棟から校門へ向かうには、校庭の外側に沿って少し歩かなくてはならない。


 容赦無く降り注ぐ太陽に、早く沈めと念じながら、校舎に沿って歩いていく。


 A棟とB棟の間に差し掛かった時、前方に、生徒会室の少しだけ開いた窓に気づく。中の電気はついておらず、人の気配もしない。いつも窓際に座っている会長の背中も見えない⋯⋯。


「え⋯⋯?」


 思わず声が出ていた。私は立ち止まり、目を見開く。窓ガラス越しに見える生徒会室を凝視する。鼓動が速くなっている。


 そのまま見なかったフリをして、通り過ぎることもできた。しかし、なぜという疑問とともに、後から思い出してしまうのは目に見えていた。


 私は躊躇う自分にそう言い訳をつくって、後ずさるように足を引く。少しだけ、少しだけだと言い聞かせながら、方向転換すると、今来た道を早足で戻る。下駄箱を開けても、あの手紙を思い出すことはなかった。そのまま渡り廊下を通ってA棟へ向かう。


 幸い、まだ誰も来ていないようだった。いつも外まで響いているみちる先輩の声もしない。


 一応ドアをノックしてみる。数秒待ったが、何も返事はない。そっとドアに手をかける。鍵が掛かっているかもしれないと思ったが、その扉はあっさりと動いた。


 私は中に入り、後ろ手でゆっくり扉を閉める。"彼"を起こさないように、そっと。


 そこにいたのは、いつも見る生徒会の人ではなかった。朝霧高校の制服を着ているが、この学校では見たことがない顔だ。彼は扉の正面の窓際、つまり、コの字型になっている長机の縦線のところに、堂々と横たわっていた。


 ゆっくりと近づいてみる。


 細く白い手は胸の前で組まれ、目は固く閉じている。わずかに開いた窓から入ってくる風が、彼の細く綺麗な髪を揺らす。まるで御伽噺おとぎばなしに出てくる眠り姫のようだ。


 すぐ近くに行くと、彼の線の細さとそれによる繊細な美しさが際立って見え、思わずまじまじと見てしまう。だが、人間離れしたその美しさ故に、彼は永遠の眠りについてしまったかのように見えた。


 微風が私の髪も揺らし、背中に流していた長いポニーテールが彼の顔の前に垂れる。自分が彼に顔を近づけていたことに、初めて気づく。と同時に、睫毛の長い澄んだ瞳と目が合った。


「ちぃーっす!」


 驚いてばっと一気に頭を上げ身体を引く。背後で、ガラリと扉が勢いよく開いた。


 振り向くと、声の主の満先輩と、その後ろに千翔ちかくんと真田さなだ先輩が立っていた。私の心臓はまだ驚きでバクバクと鳴っていた。


「アリスちゃんじゃん!久しぶり!⋯⋯ん?どうしたの?」


 満先輩が、何も言えずに口と目が開いたままの私に首を傾げる。が、私が答える必要はなかった。


「ああ、今日は目覚めがいいなぁ」


 背後で彼が起き上がる気配がした。のんびりとした少し癖のある声に、びくっとする。そして、その声を聞いて急に眉間にシワを寄せてずんずんと大股で近づいてくる真田先輩に、ぎょっとする。


「久しぶりだなあ、ばかいちょう」


 いつも以上に低く冷たい真田先輩の声に震え、彼が私のわきを通り過ぎると同時に、扉の方へ逃げる。満先輩と千翔くんも驚いている様子で、3人で扉の前で固まって息をのむ。


 しかし、今何と言っただろうか。


さく!今まで姿を見せずにどこで何をしていた?いや、いい言わなくて。どうせどこかで昼寝でもしていたんだろう。いや違うな、お前の場合は昼じゃなくてもいつでもどこでも寝るからな。とにかく、文化祭の準備で忙しくなってくるこの時期に、生徒会長であるお前が不在とはどういうことだ。無駄にいい頭脳を活かせずに何が会長だ。表舞台での挨拶も俺に任せきりで⋯⋯」


 真田先輩は彼に向かって一気にお小言を並べる。息継ぎもままならなそうな早口に、私たちは唖然とする。


 説教は、約10分は続いたと思う。その間、扉の前の私たちは、その場で身を縮めて彼らを見守っていた。いつも生意気な態度の千翔ちかくんも、呆れた目で見ていたが、肩をすくめて黙っていた。


 例の彼は⋯⋯苦笑いを浮かべて真田先輩をなだめつつ、説教を聞いていた。まじめに聞いていたのかは分からない。


 私はずっと、真田先輩が最初に言った言葉が気になっていた。机の上で寝ていたあの人を、会長と呼んだ気がした。


しゅう。ごめんてば、秀。後輩たちが困ってるから、今はこの辺で⋯⋯」


 彼の言葉にやっと説教が止み、真田先輩はこちらを一瞥する。そして、彼に向かってあからさまにため息をつき、私たちに座るよう促す。


「すまないな。里見と有里ありさとは、こいつのこと知っているか?」


「俺は知ってます。何度かここで会ったので」


 千翔くんは即答するが、私は真田先輩の苛立った雰囲気に戸惑ってしまう。しかし私の名前を覚えていたのか、と頭の隅で思う。


「彼女は、学校では初めて見る顔だな」


 説教されていた彼が代わりに答えてくれたので、私も頷いて肯定を示す。先ほどのことが気まずくて、彼とは目を合わせないようにしていた。


「そうか。有里、君には言っておこう」


 私は、何が告げられるのかと、思わず身構える。


「こいつが一応正式な生徒会長だ」


「一応は余計だよ、秀」


 やはり、聞き間違えなどではなかった。


「でも、会長は真田先輩では⋯⋯」


「役割は一般生徒には発表されていないからな。皆、勝手に俺が生徒会長だと思っているだけだ。俺は副会長だ」


 真田先輩の言葉は、にわかには信じられない。1ヶ月ほど前に発表された生徒会役員は5人。京介くん、亜紗美、真田先輩、満先輩と、あともう1人2年の女子。会長だという彼は、役員であることすら発表されていない。


 真田先輩は納得していないような私を見て、言葉を続ける。


「感じてはいるだろうが、こいつの存在は意図的に知らせていない。君もなるべく協力してほしい」


「協力⋯⋯」


「僕が表舞台に姿を見せないのはね、知られてない方が生徒会の仕事をする上で動きやすいからなんだ。だから、君にも秘密を守ってもらいたい」


 なんだか生徒会が怪しい組織のように聞こえる。


 けれど、彼が生徒会長だと知られていない方が動きやすい、というのはなんとなく分かる気がした。何故かというのは、一目見れば分かる。


 男女ともに惹かれてしまうようなその容姿は、普通にしていても生きづらそうだ。そこに生徒会長というラベルが加われば、更に人が寄ってくるのは目に見えていた。


 私は笑顔をつくって頷く。


「それならば、先に名乗るのが常識かと」


 この場の誰もが、ぎょっとしたように私を見た。まさか強気で言い返すとは、思っていなかったのだろう。私もおそらく、普段ならこんな態度は取らない。何かが、私を突き動かしている。


 会長という彼も、驚いたようにぽかっと口を開けていた。初めてまともに目が合う。彼はすぐに目を細めて笑みを浮かべる。


「それは申し訳なかった。僕は朝霧高校生徒会長、2年1組のやなぎ(さく)。よろしくね」


 差し出された細い手を、ぺしりと叩きたくなる。本人は無自覚だとしても、媚を売るようなキラキラとした笑顔は気に触る。黙って寝ていた眠り姫の方が、よほど美しかった。


 私は今、不機嫌で、動揺していた。


 何かが、私を突き動かしている。意識と無意識の狭間にある何かが。


 彼は無視された手を苦笑いで誤魔化して引っ込め、それでもなお、私に笑顔を向ける。


「ところで、君は生徒会じゃないよね?どうしてここにいるの?」


 彼の笑顔に微妙な変化があったことに気づいたのは、きっと私だけだろう。私も負けじと、満面の笑みを浮かべる。


「生徒会長はとても心の広いお方で、ここはいつでもオープンだと聞きましたので」


 ふふふと笑うと、彼もあははと笑った。


「誰かなそんなことを言ったのは」


 彼の雰囲気が変わったことに、今度は他の人も気づいたようだ。


「俺は、はなからダメだと言ってあった。里見に関してもな。勝手に許可を出したのはお前だろう、満」


「ええっ押しつけはよくないよ、秀くん。最終的には黙認してたじゃん!ていうか朔ちゃんも、千翔ちゃんの時はオッケーって言ってたじゃん!」


 慌てて言い訳をする満先輩。結局全員緩い気がするが。


「千翔ちゃんは許可を出したよ。でも⋯⋯」


 光を映さない瞳が、私をとらえる。一瞬の真剣な表情にどきりとする。千翔くんに見られたときの感じとは違う。もっと、冷や汗をかくような⋯⋯。


「アリスはダメだろう。不思議の国に迷い込んだらロクなことにならないって、絵本で読まなかった?」


 千翔くんがつけたと思われているあだ名。


「アリスを不思議の国に連れてきちゃった白ウサギくんは⋯⋯君かなと思うんだけど、違う?」


 彼は音もなく一歩踏み出して、千翔くんの心臓のあたりをトンと軽く叩いた。


「え⋯⋯」


「ちょっと⋯⋯」


 咄嗟に千翔くんを庇おうとして、2人の近くに寄る。自分でもよく分からなかった。彼の言葉に怖さを覚えて、勝手に体が動いていた。


 千翔くんは分かりづらいが、驚いたように会長を見つめている。身体が緊張で強ばっているのを、そばで感じた。彼が何を言っているのかも分からなかったが、千翔くんも私も、彼がつくりだす空気に囚われて、動けなかった。


「へぇ」


 私たちを交互に見る彼の目が、ますます据わる。綺麗な瞳にこんな視線を向けられたら、誰だって動けなくなる。


 だが、千翔くんに向けた手を下ろすと共に、不機嫌そうな表情はすぐに消えた。代わりに笑みを浮かべる。 その笑みは、なんだか悲しそうだった。澄んだ瞳の中には、憂いを帯びた浅葱あさぎ色が見えた。


「別に、怒ってないよ」


 私と千翔くんにだけ聞こえるくらいの小さな優しい声で呟いて、くるりと背を向ける。


 その背中がとても悲しそうに見えるから。私はその細い腕を掴んで、引き留めたくなる。


 彼が怒る理由も私が不機嫌になる理由も、一緒なのだ。それを私たちは知っている。


さく


 小さな声でその名を呼ぶ。


 千翔くんが横目でこちらを見るのが分かる。もしかしたら聞こえてしまったのかもしれない。けれども、そんなことはどうでもいいのだ。


 私はもう一度呼ぶ。


 朔。


 泣かないで。私の大切な大切な⋯⋯。


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