千翔・知りたいこと
翌週、加藤優樹はクラスで、転校することを自分の口から言ったそうだ。千翔の目の前にいる本人がそう言ったのだから間違いない。
ショックを受けた人は少なくないだろう。
結局多くの生徒の間では、謎のバースデーカードはよく分からないものとして自然と忘れられつつある。生徒会執行部の一部とたるとには、優樹が千翔に送ったラブレターとして認識されている。
真実を知るのは千翔とアリスと優樹本人だけだ。
本当は、アリス以外には優樹が送り主だと明かす必要はなかった。そもそも皆の前で説明するなど、千翔にとっては正直面倒くさいことだ。だが、優樹が無関係な人に真実を明かすことを拒んだ。
執行部の人たちは学校のリーダーとなっているだけあって、頭が良い。特に話をすぐそばで聞いていた京介と満は、千翔が答えを言わなくても、もう少し時間があれば送り主を特定できただろう。アリス宛だという真実と共に。
だから、その前に千翔が真実を上手く隠しながら答えを言うことで、これ以上手紙のことについて考えるのを止めさせたのだ。
「ひとつ聞きたいことがある」
「なに?」
優樹は揺るがない眼差しのまま首をかしげた。雨の音がうるさい。このあいだ晴れたと思ったら、また梅雨のじめじめした天気に戻っている。早く涼しい生徒会室に避難したい、と千翔は思う。
「なんで俺にもバースデーカードを送ったんだ?あんたとは別に知り合いじゃなかっただろ」
生徒会室でひとつだけついた嘘だ。いや、正確には京介が言っただけで、千翔は自分のカードについて何も言わなかった。
優樹はきょとんとした後、ふっと笑う。
「なんだ、そんなこと?井上さんと同じだよ。里見くんは目立つでしょ」
「目立つ?」
心外だった。井上晴香と同じにされたと思うと、不愉快でもある。
優樹はますます可笑しそうに笑った。
「気づいてないんだ。いい意味でも悪い意味でも目立ってるのに」
「どういうことだよ」
「教えないよ。鏡と自分の言動振り返ってみれば」
千翔は面倒ごとは嫌いだから、目立つことも避けたいタイプなのに。
「それより」
千翔が不満を言う前に、優樹が遮るように言った。
「朱音ちゃんにも言っちゃうなんて酷い」
優樹は大して不快な様子もなく、そう言った。千翔は誤魔化されて気分は良くなかったが、今話すべき問題はこのことではない、と思いなおす。
「別に、俺が言うか本人が気づくかの問題だったから」
「意外。里見くんは私に成功して欲しくないのかと思ってた。⋯⋯ああ、それとも私が振られることは想定内?」
笑顔のままの優樹が言う。皮肉が皮肉に聞こえないから不思議だ。彼女は何にも執着していないように見える。
千翔が思っている以上に彼女はアリスのことが好きなのだろうが、傷を負っているようには見えない。さようならと言われた、悲しかった、と本人がついさっき報告してきたのに。むしろ背中の荷物を下ろしたように、この間会ったときよりさっぱりとした表情をしている。
「まさか。正直あんたのことはどうでもいい。俺はアリスが躊躇ってる理由を知りたかっただけだ」
飄々《ひょうひょう》とした態度の優樹が少々癪に障るので、突き放したような言い方をしてしまう。
しかし、これは本当だ。元々、アリス宛のラブレターだと分かった時点で、相手が女だろうがなんだろうが送り主探しに乗り気はしなかったのだ。アリスが望んでいないことは目に見えていたから。ただ、その理由を知りたいと思ってしまった。
だが、最後まで言うつもりは無かったのだ。さすがの千翔でも、この大掛かりな計画が強い気持ちのもとで行われていると分かっていたから。第3者が教えるのは違う気がしていた。
高校の入学式の時に会って以来、アリスが時々千翔のことを真剣に見つめることには気づいていた。そこには、アリスの言葉を借りて言えば、薄紅色の感情などなかった。千翔が一番よく知っている、単なる興味の眼差し。ただ、そこらへんの人間の、じろじろ見るような不快な視線ではない。澄んだ瞳で千翔の心の奥まで見透かしてしまうような眼差し。
しかし千翔はその視線に気づいたとき、目を逸らしたくなるのだ。その綺麗な瞳には自分が写っているから。”あの時”は違うものを写していたその瞳に。
千翔はどうしても、それに違和感を感じてしまう。
一昨日、千翔はアリスにも真実を言うつもりはなかった。優樹の気持ちは彼女自身で気づくべきことだったから。しかし、答え合わせの後、あの目に自分が写っているのを見てしまった。”あの時”とは違うのもが写っていたとしても、その時は優樹の思いを見るべきだったのだ。
気づいたら彼女の手を引いていた。
「へぇ。それで、何か分かったの?」
「さあ、どうだろう。⋯⋯少なくとも、昔と同じではないことは分かった」
答える義理はなかったが、思わず声に出して呟いてしまう。何がおかしいのか、優樹はくすりと笑う。千翔は眉を潜めた。
「ていうか、そんな文句言うためにわざわざ俺を呼び出したわけ?」
雨の日はただでさえだるいのに、昼休みに呼び出しをくらったのだから、気分はいいとは言えなかった。
「いやいや、ごめん、里見くんは本当に朱音ちゃんが大切なんだなって思って」
初めて優樹の笑顔に変化が表れる。口角は上がったままだが、目が笑っていない。
「はぁ?」
「里見くんが本当に知りたいのは、会ってなかった間の朱音ちゃんでしょう。今日は忠告しようと思ったんだよ」
半ばこちらを睨むような真剣な眼差しにたじろぐ。
「里見くんが自覚もなく、朱音ちゃんに近づいてるようだったから。昔の朱音ちゃんを知ってるようだけど。私は初めて会った時朱音ちゃんの笑顔に救われたけど、ずっと見てたら朱音ちゃんの方こそ救いを必要としてるんじゃないかって思ったの。何かが欠落してるように見えて⋯⋯」
不思議だった。優樹とはこの間初めて会って、今話すのは2度目という間柄なのに、感じることは同じのようだ。ただ、救うとか救われるとかは、考えたことがなかった。
優樹は一瞬目を伏せる。次にこちらを見た瞬間、はっとさせられる。女子のファンがいるほど普段はボーイッシュでクールな少女の顔に、傷ついた乙女心が浮かんでいた。
「朱音ちゃんを守ってよ。傷つけたら、ここに戻ってきてムカつくくらい綺麗なあんたの顔殴ってやる」
千翔は目を見張った。
彼女が、アリスと話をしてすっきりしたようなのは本当。別れを告げられてとても傷つき、どうしようもなく悲しいことも本当なのだ。優樹はそれを隠して、揺るがない笑顔を浮かべていたのだ。
千翔はさっきよりもイラつくのを感じて拳を握る。彼女のようにアリスが好きなわけではない。千翔がアリスの眼差しに薄紅色を感じないように、きっと彼女も千翔に薄紅色は感じないだろう。
しかし、アリスの中に”あの時”の光景を感じる限り、千翔はそれに惹かれ続ける。
「言われなくてもわかってる。あんたは戻ってくる必要ないね」
はっと一笑してやった。優樹は驚いたようにこちらを見た。千翔も、思ったより強気な自分の言葉に驚く。
そのあと、優樹はおかしそうに笑った。その目に薄らと涙が浮かんでいるのは、見ないふりをした。




