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15 卒業の春Ⅱ②

「ずいぶん……さっぱり、したんですね」

 かなり驚いた様子で林は、部屋に入って開口一番、そう言った。

「……ああ。俺はもうすぐ引っ越すからな。俺がおらんようになった後、オカンがこの部屋どうするのんか知らんけど。あの人の私物、元々ここにあんまりないからなァ、俺の荷物退けたら、がらんとしてしまうねん」

 尊としてはもはや目が慣れているのでさほどとは思っていなかったが、あの事件の前日以来、この部屋へ来ることのなかった林には、ものすごく部屋が寂しくなったように見えるだろう。

「四国に……行かれるんですよね?」

 小さな声で確認する林へ、尊はうべなう。

「ああ。ソッチで工房持ってる宮大工の棟梁のトコへ、弟子入りするからな」

 ふっと林の顔の上に泣きそうな感じの陰がかすめたが、尊は、見なかったことにした。


 がらんとした食器棚からマグカップを出す。

 自分の分と、林が持ち込んでいたマグカップだ。

 何度か捨てようとしたのだが結局捨てられなかった、胸にわだかまりをもたらすブツだ。

 ちょうどいいから持って帰ってもらおう、そう思いながら尊は、適当にインスタントコーヒーの粉とパウダーミルク、砂糖をカップへぶち込んでミルクコーヒーを作り、出す。

「コーヒーだけでアイソなしやけど。まあ飲めや」

 コタツの前でしゃちこばったように正座していた林は、いただきますと言って軽く頭を下げ、コーヒーをこくりと一口飲み込んだ後……急に、フフフと笑い出した。

「な、ナンやねんどないしてん?」

 驚いて尊が訊くと、目許に笑いの名残りを残したまま林は言った。

「いえ。ハヤカワさんの作るコーヒーやなあと。この、砂糖とミルクの多い、味の濃いぃ甘いコーヒーが、懐かしぃなァと……」

「は?そう…か?」

 尊は自分の分を飲んでみた。言われてみればミルクの味の濃い、かなり甘いコーヒーかもしれないが……これがスタンダードだと、尊は漠然と思ってきた。

「そりゃまあ、甘ァないとは間違っても言えんコーヒーやけど。こんなもんやないのんか?お前が淹れてくれたコーヒーも、これに近い味やったやんけ」

 林は声を上げて笑う。

「それは、ハヤカワさんの好みに合わせて作ってたんですよ。カワノさんはミルクはこれくらいでしたけど砂糖は半分弱くらいで、タナカさんは砂糖抜きでミルクはこれの半分強……、くらいが好みでしたし」

「お前……お茶くみやらしたら天才級やったんやなァ」

 思いがけないところにあった林の才能に、尊は真面目に感心した。

 この男はまったく、良くも悪くも尊の度肝を抜く、想像の斜め上をいく奴だと改めて思った。


 林はふと表情を改めた。

「お茶くみにはソコソコ、才能あったんかもしれませんけど。俺に、ヤンキーの才能は皆無でした」

 尊も居住まいを正し、テーブルにあった煙草の箱に手を伸ばした。

 林が、単なる雑談やコーヒー談義をしに来た訳でないことくらい、尊も承知している。

「俺。ヤンキーやってたら、いつかはハヤカワさんみたいなカッコイイ男になれるんやと、勝手に思い込んでたんです。せやけど、ヤンキーやろがパンピーやろがカッコイイ人はカッコイイし、逆にカッコ悪い人は、ヤンキーやってようがどうしようがカッコ悪いんですよね。当たり前っちゃ当たり前の話なんですけど、最近になってやっと俺、そこんトコロに気ィ付きました。だから……」

 林はごそごそとパーカーのポケットを探った。

 封を切ってかなり経った様子の、つぶれた煙草の箱と100円ライターが出てきた。

「ハヤカワさんに、ヤンキーやめろって言われてから、俺、コレに手ェ出してません。でもほかすことも出来ませんでした。俺はいろいろアホでしたけど、ハヤカワさんの舎弟になるって決めて、的外れでも自分なりに頑張ってたこと全部が全部、アホなことやなかったと信じてます」

 林はそこで言葉を切り、だだ甘いコーヒーを一口飲んだ。

「……小学生の頃から俺は。親とか兄貴とかに言われたことだけをやってきました。息抜きはゲームだけ、でもそのゲームもごちゃごちゃ言われてやめさせられようとしてた時にハヤカワさんに()うたのは、俺にとって神様に()うたような感じやったんです。神様に近付こうと頑張ったこと自体は、悪いことやなかったと思います」

「林……」

 思わず尊は林に呼びかけたが、その後どう続けるべきかあるいは続けたいのか、よくわからなかった。

「ハヤカワさん」

 さわやかな笑顔で林は言った。

「これ、ハヤカワさんが預かっててくれませんか?舎弟なりそこねのアホの、最後のわがままやとでも思って。俺にはもう必要ないでしょうけど、自分でほかすことはどうしても出来ませんでした。もちろん後で、こそっとほかしてくれはっていいです。俺の気分として、ヤンキーの自分は神様に預けた、そう思いたいだけですから」

 お世話かけてすみません。

 そう言って林は、土下座に近いくらい頭を下げた。


 尊は肺の底までタバコの煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 居住まいを正し、灰皿に吸いかけの紙巻を押し付けて消すと、林がテーブルの上に置いたタバコの箱とライターを取り上げた。

「……わかった。俺は神様なんかやないけど、お前の『兄貴』として。これを、永遠に預かる」

 約束する。

 尊がそう言うと林は頭を上げ、泣き笑いのような笑顔を見せた。

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