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4 王国の鍵

更新の間があきましたが、少しずつでも進めようと思います。

こちらで初めて連載を始めた作品でしたので加減がわからず、一回の分量が多めのようでした。

今回くらいの文字数を目安に、進めてゆきたいと思っています。


4 王国の鍵


 次の土曜日の午後。

 尊は、泰夫と一緒に実に久しぶりに野崎(のさき)の屋敷を訪ねた。

 寒さは残るが陽射しは明るい。空だけ見ているともう春のようだ。

 常になくまともに制服を着、かなり緊張しながら尊は屋敷のくぐり戸をくぐった。

 制服をまともに着たのなぞ、入学式を含め数回だ。カッターシャツの襟が首に当たり、痛い。

 話のあった次の日、尊は、使わずにしまい込んでいた予備のカッターシャツを引き出しの底から引っ張り出した。

 同じく底につっこんだまま忘れていたよれよれのネクタイも引っ張り出し、泰夫に借りたアイロンを当てて何とか格好をつけた。

 全体を短く刈り込み、額にそり込みを入れた頭はややいかついだろうが、茶髪でない分、チャラチャラした雰囲気ではなかろう……多分。

「エラいこと緊張しとるな」

 横目で尊を見、泰夫はニヤニヤする。ほっとけ、と思うが、ため息まじりの苦笑だけを泰夫へ返す。

 くぐり戸の先には例のドでかいケージがあった。そしてクジャクも。緑の羽のクジャクだけでなく、真っ白なクジャクもいたのが少し違うが、浮き世離れたペットのいる魔法の国の庭は、昔とあまり変わっていない。

 屋敷の引き戸を開ける。

 ひんやりとした湿った感じのにおい。懐かしいにおいだ。

「こんにちは。失礼します、早川ですが……」

 泰夫が呼ばわると、かすかな足音が聞こえてきた。割烹着ではなかったが、ぼんやりと見覚えのある気がするおばさんが現れた。普段着だろうが、薄手の上等そうなベージュのセーターにウールらしい濃いグレーのスラックス。たとえるなら、PTAの集会に出席するお母さんが着ていそうな服、だ。さすがというか野崎のヨメともなると、普段でもトレーナーにジーンズ的なラフな服装はしないらしい。

 彼女はほほ笑む。懐かしそうな軽く驚いたような、そんな顔で。

「いらっしゃい。いやあ……タケルくん?当たり前やけど、まあ、大きィなって。すっかりエエお兄ちゃんやねえ」

 さすがに頭は押さえられなかったが、泰夫に軽く背中を叩かれ、尊は慌てて頭を下げる。

「こ、こんにちは。ご無沙汰しています」

 どうぞ、と彼女は言い、スリッパを用意してくれる。相変わらずしっかりしてはるねえ、と感心したように言葉を続ける彼女へ、尊は曖昧に笑んでごまかす。

(しっかり……してるんか?俺)

 バリバリのヤンキーとして必要以上に恐れられてはいます、ケド?

 大人にしっかりしてるなんて褒められるような男やナイ気ィ、します、ケド?

(調子狂うなあ)

 何度目かのため息をつく。いつもの自分ではないような気がして仕方がない。六歳児に戻ったような頼りない気すらする。

(魔法の国はクセモノや)

 そんなことを心でつぶやく。


 通された部屋で尊は、泰夫と一緒にしゃちこばって待つ。

 口の中がカラカラだ。おばさんがお茶とお菓子を出してくれたのだが、安易に口にするのもはばかられた。

「お茶くらい飲めや。口も付けへんのはかえって失礼やろ」

 泰夫に促され、ようやくゆのみに唇をつける。

 香りのいい、ほのかな甘みのあるお茶だった。いいお茶なんだろうなと思う。ホッとする反面、飲み慣れない上等の緑茶の味にかえって心の何処かがこわばるような気がした。

 しばらくして、前に見たのと同じような渋い色の着物をすっきりと着た野崎翁と、作業着姿の小柄な老人が現れた。六十過ぎかと思われるほどの、物静かな感じの人だ。野崎翁より若干下くらいだろう。この人が『宮大工の棟梁』かと尊は思う。漠然と尊は、こういう特殊な技術を持った職人はもっとこう、ピリピリした神経質そうな偏屈ではないかと思って構えていたので、やや拍子抜けした。

「ま、そない気ィ張らんと。楽にしてや」

 美しい所作で床の間の前に座り、野崎翁は言う。そばに棟梁が座る。

「大きなったな、ボク。いやボクは失礼か、タケルくん。もう十年近くになるんやろうか?」

 野崎翁の鋭い目が一瞬ゆるむ。泰夫に軽く尻をたたかれ、尊は飛びあがりかける。あ、はい、とか何とかもごもご言って愛想笑いをする。

 野崎翁は棟梁を見た。

「酒井さん。こちらが話してた子ォや、早川尊君。今年中学三年生。(たける)の字は尊敬の(そん)、ヤマトタケルノミコトのあの字ィや」

 まあ……そうなのだが。随分大層な紹介のされ方に、尊は思わず息が止まる。野崎翁は続ける。

「彼の隣にいてはるのが叔父にあたる、保護者の早川泰夫君。会社(ウチ)の若手の期待の星や、彼にはよう助けてもろてる」

 泰夫がやや気恥ずかしげに頭を小さく振り、いえとんでもないと翁へ言った後、酒井へほほ笑みかけた。

「はじめまして。よろしくお願いします」

 酒井と呼ばれた老人も軽く笑んで頭を下げる。

「こちらは酒井さん。腕のエエ宮大工の棟梁や。普段はお寺さんとか神社とかのメンテナンスや改修を主にやってはるけど、昔からウチのボロ家の面倒も見てもろてるんや。古い分、気難しい家やからな」

 時代の付いた屋敷のことを、素っ気ない調子であばら家のように翁は言う。酒井はやや苦笑めいた感じで頬をゆがめた後、酒井です、よろしくと言った。こちらこそよろしくお願いします、と、尊はあわてて頭を下げた。

 その時、失礼しますとふすまが開いた。さっきのおばさんが酒井へお茶を持ってきたのだ。

 お茶を飲み、酒井は改めて尊と泰夫を見る。

「さっそくでナンやけど、君……尊君」

 酒井の静かな瞳は凪いだ海を思わせた。

「ちょっと訊きたいんやけど。君、身体は丈夫か?」

「じょ、丈夫です」

 緊張で思わずどもってしまった。

「木は好きか?」

「好き、かどうか意識したことはないですけど、木の手触りそのものは、金属やプラスチックよりずっと好きです」

「根気はある方か?」

「ある方……と思います。好きなことは時間忘れて続けてしまいますし」

「手仕事は好きか?」

「嫌いやないです。工作だけはよう褒められましたから、不器用ではないと思います」

 ふん、酒井はうなずくと、一瞬目を落とした後、再び尊を見た。

「勉強は好きか?」

「べ、勉強ですか?」

 それは思いもかけない質問だったので声が裏返る。少し考えたが、思っていることを正直に言うべきだと腹をくくる。

「学校の勉強は、正直に言うと好きやないです。何と言うか……勉強の為の勉強、みたいな感じで。でも、勉強と言えるんかは自信ありませんけど、自分の興味のある事や調べたい事なんかは、どんどん調べます。そう言うのは苦になりません」

 酒井は不意ににやっとする。

「なるほど。わからん事ないな、君の言うのも」

(良かったのか?まずかったのか?)

 何だか背筋がぞわぞわする。

 一見大人しそうだが、さすがと言うべきか一筋縄にはいかない爺さんだ。凪いだような彼の瞳から、尊ごときには真意が読めない。

 思い出したように酒井は、もう一度お茶をすする。

「そういうことやったら、尊君は宮大工が渡り大工と呼ばれてるのも知ってるやろうか?」

 尊がうなずくのを、酒井は真顔で軽く了解する。

「宮大工の仕事はどうしても、お寺や神社の修繕や改修の為に全国津々浦々、北やろうが南やろうが出向いて行かなどうもならん。まあ、現場に行かな仕事にならんのは、別に宮大工だけやなく在来工法の普通の大工もそうやけど。移動する距離や現場に滞在する期間は、普通の大工の比やないやろうな。やってみたらわかるやろうけど、慣れん土地で暮らしながら一定以上の仕事をこなし続けるのは、かなり身体にも精神にもこたえるモンでな。丈夫やないと勤まれへん」

 尊は酒井の目を見てうなずく。

「木は好きか、根気はあるか、手仕事は好きかと訊いたんも、そうやなかったらとてもやないけど、宮大工なんかやってられへんからや。宮大工ゆうのんは木組み工法っちゅう技術を会得した大工やねんけど、これはそう簡単に身につくようなモンやない。まあ個人差もあるけど、最低でも十年は修行せなどうもならんわな。今後ずっと木材の加工ばっかりやらんならんのに、そもそも木が好かん、根気のない手先の不器用なお人には向いてない仕事や」

 酒井は残りのお茶を飲み干す。

「勉強は好きかと訊いたんは、まあ根気と関わってくるけど、長い長い修業時代からして、貪欲に学ぼうという気概なしには萎えてしまうからな。知らんこと学ぼう、今日より明日ちょっとでも伸びようと思うような、前向きっちゅうんか努力を惜しまん勉強家っちゅうか、そういうお人やないとエエ職人にはなれん。手っ取り早く効率よく、の逆みたいな仕事やな。手っ取り早く金を稼ぎたいお人には、ホンマに向いてへん仕事や。でもな」

 そこで酒井はほほ笑む。寒い日のはらわたに沁みる、白湯を思わせる笑みだ。

「こういうことが好きなモンにとっては。エエ仕事やで。ワシもこの仕事始めてソコソコ長いけど、未だに修行してるような気があるな。職人の仕事に、これだけやったらそれで良し、みたいなんはない。もっとエエもんに出来るんやないか、常にチャレンジしてゆく気構えでやってんと職人として腐ってゆくからな。考えようによったら、常に新鮮でエキサイティングな仕事やで」

 尊君、と、酒井は真っ直ぐ尊の目を見る。

「もし君が、そんな地味で難儀な仕事でも構わん、おもしろそうや、そう思うんやったら。中学卒業したらウチへおいで。薄給やし、修行中は住み込みになるけど、それでも良かったらウチへおいで。まあ後一年あるんやし、よう考えてみ」

「は……い」

 茫然と答えてはっとする。居住まいを正し、尊は深く頭を下げた。

「いえ。お世話になりたいと思います。よろしくお願いします」

(魔法の国の扉が開く……)

 尊は思った。

 何かの偶然でまぎれ込めた、あの六歳の頃とは違う。

 気分いい自分でいられる、魔法の国へ至る鍵は今おそらく、手の中へ落ちてきた。

 しっかりとそれを握りしめ、自分の足で門まで歩いて鍵を開け、そこへ行こう。


 本当の、輝く星になる為に。

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