10 十五歳の厳冬⑤
新学期が始まった。
最初の一週間ほどは真面目に通ったが、馬鹿らしくなってきたので気の乗らない日は登校しないことにした。
卒業後は宮大工の修行をする身だ。
数学なら、図形はともかく平方根がどうだの関数がこうだのを、英語なら、関係代名詞whoがどうだのこうだのを、真面目くさって習う気になれなかった。
それに、学校へ行くと昼休みが地味につらい。
普段はコーヒー牛乳に菓子パンや惣菜パンを2つ3つ買って昼飯にしていたが、それだけで大体500円近い出費になる。買えなくはないが、今の尊にはもったいない気がしてならない。
かと言って弁当を用意するのもきつい。
まず、今まで弁当など作ったことがないので敷居が高い。
それに、たとえつまらないおかずであっても、用意するとなるとそれなりに金もかかる。
大きめの握り飯をひとつ作り、ラップに包んで持って行ったりもしたが、から揚げだの玉子焼きだのを美味そうに頬張っているクラスメートの顔を見ながら、塩味しかしない握り飯をもそもそ食べていると、腹も心も冷えて泣きたくなってくる。
ならばいっそ行かない方がマシだ。
昼頃まで家でグダグダしていれば、一食くらい抜いても苦にならないし。
午後を過ぎると泰夫の見舞いに行く。
泰夫は最近、本格的なリハビリを始めたという話で、尊の気持ちも少し軽い。
病室へと向かう廊下で尊は、半白の髪をした顔色の悪い中年の男が、向こうから来るのと行き会った。
男は目を上げ、尊を認めると足を止めた。
彼は少し頬を歪ませ、あのう、と声をかけてきた。尊も仕方なく足を止める。
「ひょっとして、早川尊くん?」
「……はあ」
ナンやねんオッサン、という気分をにじませ、尊はやや上目遣いに男を見て曖昧な返事をする。男は苦笑じみたような目をした後、軽く頭を下げた。
「井関、いう者やけど。君の叔父さんに迷惑かけた、井関和徳の父です」
(井関の親父?)
思わず身構える。
井関はこことは違う病院へ運ばれたが、あまり経過が良くないとは聞いていた。
事故で強く頭を打ったせいだろう。
病院へ運ばれる前から意識は混濁していて、結局そのまま昏睡状態でズルズル寝付いている、と。
事故の処理そのものは、野崎と井関の間でそれなりに決着がついていると聞いた。
井関の親父が事故後まもなく、泰夫へ詫びに来たらしいことも。
ただ、井関本人はずっと夢の中らしいという話も、その時にチラッと聞かされた。
ばちが当たったんやざまあみろと思う反面、さっさと正気に返って詫びに来んかい、とも思っていた。
意識不明の男が相手では、喧嘩も出来ないではないか。
井関の親父は感情の無いような声で、淡々と話し続ける。
「本来なら和徳本人が詫びに来るのが筋やねんけど。それも叶わんようになってしもてな。和徳は……死んだんや」
尊は一瞬、『シンダンヤ』という言葉の意味が分からなかった。
「初七日も済んだんで一応区切りということで、早川さん……君の叔父さんへ、改めてお詫びと挨拶に来させてもろたんや。君にもエライ迷惑をかけてしもたと思ってたんやけど、なかなか会う機会が無くてナ。……ホンマにすまんかった。許してもらえるとは思てへんけど、詫びだけはさせておくれ。…迷惑かけて、すみませんでした」
深々と頭を下げる。
尊は茫然と、少し頂が薄くなった半白の頭を見つめた。
泰夫の部屋へ入る。
泰夫は尊をチラッと見た後、おう、と、挨拶のようなそうでないような声を出し、窓の方へ目を向けた。
なんとなくつらそうにしかめた顔で、泰夫は、窓の外を眺めているふりをしているようだった。
「……今そこで、井関の親父に会うたで」
ベッドのそばの椅子に座り、ややあって尊が言うと、泰夫は苦く笑ってこちらへ向き直った。
「そうか…」
何か続けようとして、結局泰夫はため息をついてうつむいた。
「死ぬことないやんか」
自分でもよくわからないうちに、尊はそう言っていた。
「あいつはどうしようもないアホやったけど。死ぬことないやん、ナンデ死ぬねん。そんなん……ずっこいやんか」
「尊」
「ナンデちゃんと治って、ヤッちゃんに、スンマセンでしたって言いやがれへんねん、あのアホは。ホンマにもう……最後の最後まで……中途半端な、ドアホや!」
息が切れる。
顔が熱い。
泰夫は枕元に置いている薄手のタオルを取り上げ、尊に差し出した。
「泣くなや」
「泣いてへんワ!」
「ほんなら汗拭け。顔中、グシャグシャやど」
尊は渋々タオルを受け取り、顔中をぬぐった。
タオルにしみついた湿布薬のにおいが、何故かひどく物悲しかった。




