10 十五歳の厳冬
泰夫の怪我は、当初思っていたより重かった。
事故があったのは十一月下旬、今は十二月も下旬で、そろそろ年が明けようかという頃だが、泰夫は立ち歩くのにも不自由している。
「バストイレ付きの個室で、ホンマ助かったワ。ナンも苦労せんとすたすた歩けるって、幸せなことなんやなあ」
しみじみとそんなことを言う泰夫へ、尊は苦笑いを返す。
胸にとぐろを巻くように居座っている不安や苛立ちを極力抑え、出来るだけのんびりと彼は
「ゆっくり治していったらエエやん。病院代は会社持ちって言うのんか野崎さん持ちって言うのんかで、ヤッちゃんの懐は痛まへんねんし」
などと言ってやる。
せやから気ィ遣うんや、はよ治りたいとブツブツ言う泰夫の肩をそっと叩く。
さすがに入院当初の頃ほどは、泰夫の身体の節々も痛まなくなってきている。それだけでも尊にとっては嬉しいが、泰夫にはもどかしいのだろう。
わからなくはない。思う通りに身体を動かせない状況など、想像するだけでも鬱陶しい話だ。
病院から外へ出る。
明日から冬休みになるので泰夫を見舞うのは午前中にしようかと思いながら、宵の空を尊は見上げる。
見舞いに来る時はタクシーかバスで来るよう、くり返し泰夫から言われているが、尊は生返事をしてごまかし、自転車で来ている。
自宅から市立病院まで自転車で20分以上かかる。
運悪く何度も信号にひっかかると、30分くらいかかることもある。
大きな道路を何度か越し、車の多い細い道を通らないとたどり着かないので、交通事故にあう危険性が高い。
泰夫の言う通りタクシーか、最低でもバスターミナルのある駅まで自転車で行き、バスを利用して病院へ行く方が安全だ。
でも、そこでかかる駐輪場代と往復のバスの運賃を考えると、もったいない。
尊は知らず知らずのうちに大きなため息をつく。
金が無い。
無いのだ、本当に。
十二月の中旬。
尊はいつも通り、通帳を手に銀行のATMへ向かった。
毎月十三日から十五日に、母から生活費込みの金が入金される。
そこから、家賃や水道光熱費等を計算して口座に残し、後は生活費として引き出して暮らすようになり、久しい。
母はいい加減な人間だったが、ここだけはさすがに守ってくれていた……今までは。
「え?」
通帳に打刻される機械音はしたのに、入金の記録が無かった。
むしろ、予備のつもりで残していた一万五千円ほどの金すら無い。
口座に残っている金はわずか数百円。
ぞわッと血の気が引いた。
悪い予感しかない。
慌てて自宅へ戻り、尊は、自分名義の総合口座の通帳を取り出した。
祈るような気分で彼は、通帳をATMの通帳挿入口へ添え、『通帳記入』を押す。
ここしばらくカードで入出金した覚えもないのに、何故か不吉な打刻音が響く。
機械からベロリと吐き出された通帳を、どうしても震えてしまう手で彼は取り上げ、目を走らせた瞬間、眩暈がした。
(あんの、クソババア!!)
通帳の最終行はマイナスになっている。
ギリギリまで、つまり担保になる定期預金の九割の額が、いつの間にか引き出されていたのだ!
尊の総合口座の暗証番号を知っているのは、尊の他は泰夫と母。
つまり……そういうことだ。
よろよろしながら銀行を出る。
駐輪場から自転車を出しながら、彼は色々と考える。
どうせあの女のことだ、贔屓のホストに貢ぐ必要でも出来たのだろう。
自分の持ち金では足りず尊の金まで持ち出してはいるものの、定期を全額解約したのではなくATMから出金したことから考え、あの女としては『一時の間に合わせに借りただけ』のつもりなのだろう。
いつになるのかわからないが、一応は返す前提で。
「……ふは、は…」
乾いた笑声が出てくる。
何故さっさとあの女を殺しておかなかったのだろう、と、初めて彼は真面目に悔やんだ。
せめて、口座の暗証番号だけでも変えておけば良かった。
あの女は、普段は寄り付きもしない自宅へ、おそらく尊が学校へ行っている隙を見計らって帰り、こっそり自分名義の通帳と尊の通帳を持ち出して、ありったけの金を出したのだ。
尊が思いの外ため込んでいるのを知って狂喜し、気付かれないうちに返しておけばバレないとかちょっと借りるだけで絶対返すから大丈夫とか、都合のいい言い訳をしながら。
しかし、さすがに尊もあの女が、ここまで情けない人間……なけなしの子供の貯金にこっそり手を付けるような、最低のクズだとは思っていなかった。
(……甘い。甘い甘々や。あの女やったらやりかねんやろうが、罪悪感なしに。半分は俺が油断してたせいやで、これは!)
己れの迂闊を全身で呪う。
あの女がどれほど当てにならないか、嫌と言うほど知っていたのに!
(畜生!)
母へというより自分自身へ、尊は悪態をついた。




