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タツ/カラ

 結局ヨミは何もせずに部屋から出て行ったのだが。

 あたしは、気がつけばあの地下を出て、ウズメの元へ足を向けていた。

「ツヌミ、もうすぐだよ、頑張って」

 暗闇に続く道を、暗視スコープもないまま歩くのがどれだけ危険かは分かっていたけれど、カノを疑い、ヨミを拒絶したあたしは、もうあの場所にはいられなかった。

 壁にメッセージを刻んできたから、もうすぐカノが見つけるだろう。

 確かカノは、ウズメの区域と反対側に担当区域を持っていると言っていたはず。だから、タカマハラタワーを越えて歩いていれば、いつかは見慣れた景色に出会えるはずだった。

 そう思い先ほどからずっと歩き続けているのだが、鉄骨の飛び出したコンクリートが転がる地帯は、全く変化がない。あちらこちらに半球状の穴がいているのは、誰かが大型の異形オズを退治した時のものだろう。

 来た事のない場所で、これほど特徴のない地形が続くというのはそれだけで体力も気力も削られる。

「ウズメの担当区域ならすぐ分かるのに……!」

 ウズメはすでにあたしの事を見放しただろうか。それとも、異形オズにやられたものとして処理してしまっただろうか。

 でも、あたしが存在できる場所はウズメのところ以外に残されていない。

 歩行補助器具をつけた右足を引きずりながら、あたしは、ただ、逃げていった。


 随分歩いて、歩き疲れたあたしは、その場に座り込んだ。ツヌミも肩にとまって休憩する。

 ツヌミはあたしの最後の味方だった。

「ありがとう、一緒にいてくれて」

 補助具を長くつけすぎたせいで、右足の皮膚がすれ、血が滲んでいる。ここで少し休んでいくべきだろう。まだ先は長そうだ。

「あたし、本当に何も知らなかったのよね。自分の事も、異形オズの事も、それ以前に、この街がどうやってできたのかだって……」

 ツヌミの喉を撫でながら、あたしは小さく呟いた。

「これまで当たり前だと思ってたけど、どうしてこの街は防御壁で覆われたのかな。いったい、外にある何から街を守ってるのかな……?」

 喉を鳴らすツヌミが答えてくれるはずもないのだが。

 なぜか思い出すのは、金色の瞳。『一緒に来い』と言った強い目の光と、頬に触れた温かい手――あいつなら教えてくれたかな? 初対面であたしの心の奥底の不安を抉り出した、あいつ。

 ああ、どうしてあんなやつのこと、思い出してしまうんだろう。

「どうしたらいいの……ナギ……!」

 育て親の名を呻くように絞り出し、あたしは膝に顔を埋めた。

 そうすると、また頭の中で声が響く。


――生きなさい


 ああ、そうだ、思い出した。

 これは――育て親だったナギの声。ナギが死の間際、あたしに残した言葉。

 ねえナギ、あたし、どうやって生きていけばいいの? あたしは、何を信じたらいいの?

「ナギ……会いたいよ、ナギ……!」

 育て親の名を安易に口に出すのはあたしの中で禁忌だった。

 なぜかって言うと、ほら、こんな風に……

「ナギ……ナギ……!」

 止まらなくなってしまうから。涙も、言葉も、感情さえも――すべてが、堰を壊されて溢れ出してしまうから。

 そっと寄り添ってくれるツヌミの気配だけを感じながら、あたしは心ゆくまで泣く事にした。

 今だけは、何もかもを忘れて。

 そう、これから先、どれほどの危険が待っているかなんていう事に気付きもせず。



 泣き疲れ、もう歩く気力なんて残ってない。歩くどころか、すべての気力を失っていた。

 もし異形オズに襲われたら、抵抗する間もなく殺されてしまうだろう。5年前にナギがそうなったように。

 当時の記憶はひどく曖昧だ。10を過ぎたばかりだったあたしは、いつものようにナギの帰りを待っていた。あの部屋で、一人で。

 ところがいくら待ってもナギは帰ってこない。

 代わりに帰ってきたのは、全身を異形オズの粘液に蝕まれ、もう動く事も出来ないナギの変わり果てた姿だった。

 当時のあたしにとって育て親の死は相当ショックな出来事だった。そのためか、その辺りの記憶は定かではない。ウズメと異形オズ狩りとしての契約を交わしたのもナギの目の前だった気がするのだが。そう言えば、ツヌミと出会ったのもちょうどその頃。

 それからいつしかウズメにクロスボウを仕込まれ、一人前の異形狩りとして一人で生きてきたのだ。

「ナギ……」

 暗闇に向かって呟く。いったい何度目だろう?

 もう、いい? 言いつけ、破ってもいい? 楽になりたいよ……


――生きなさい


 諦めようとするあたしの頭の中には、ナギの声がリフレインする。

 このまま、この声の中に溺れてしまいたい。あたしなんていうちっぽけな存在、頭の中浸食されてぐちゃぐちゃになって最後は何も残さず消えればいい。

 そう思ったのに。

「あれー? テラスー?」

「ほんとだ。テラスじゃん」

 一番聞きたくなかった声が鼓膜を揺らす。

 ツヌミは声に驚いてあたしの肩を離れた。

「死んじゃったかと思ってたよ」

「そうそう、ずいぶん見なかったからねー」

 ああ、こいつらに会うくらいなら異形に遭った方がまだマシだった。

「返事しなよ、テラス」

「無視すんじゃねーよ」

 視線をあげると、絶対に会いたくなかった同僚の姿があった。

 ウズメの下で働く異形オズ狩りの、タツとカラ。右眼帯がタツで左眼帯がカラ。特に血のつながりはないらしく、容姿に共通性は見られない。身長は一緒くらいで髪型もお揃いになっているけれど、タツはこげ茶の髪に吊り目の黒瞳だし、カラはたれ目の紫瞳に黒髪だ。

 常に一緒に行動するせいで性格も似通ってきてしまうんだろう。すらりと引き締まった肉体も、そこから生み出されるのらりくらりとした動きもそっくりだった。

 口の悪いこのコンビは、あたしの天敵。

 襲われかけた事だって一度や二度じゃないのだ。

「あーあ、怪我しちゃって。それも歩行補助具? いったいどこでそんなもん手に入れたわけ?」

「ほら見てよタツ、こっちにも痕残ってるぜー。これ、異形オズにやられた痕だろ」

 二人はあたしの敵意など全くお構いなしに歩み寄り、あたしの手足を物色し始める。

 こいつらは、マジでやばい。

「もったいねぇー。テラスの肌は真っ白ですべすべですんげー手触りいいのに」

 タツは当たり前のように歩行補助具を外している。

「ちょっ……何するの!」

「何って? 分かってるくせにぃ」

 抵抗する間もなく、カラがあたしを後ろ手に縛り上げる。

 しまった!

 何とか逃れようと左足でタツの顔を狙うが……

「無駄だよ、テラス」

 軽々とあたしの足を受け止めたタツは、もう一方の手で怪我をしている右足を思いきり抑えつけた。

「痛っ……!」

 治りきっていない傷が悲鳴をあげる。

「その顔、最高」

 真正面に、タツのにやけた顔。

 後ろからはカラの手がのびてきて、あたしの首筋を指でなぞり、顔を正面に固定する。縛られた手も彼の膝で完全に抑え込まれてしまった。

 だめだ、逃げられない。

「この……ドSっ……!」

「テラスのそういうとこ、好きだぜ? その、強気な目とかな」

 息がかかるほど近い距離。カラに抑え込まれていて、顔を背けることすらできない。

「近寄らないでよっ……色魔」

「うわあ、相変わらずつれないねえ、テラスは。でも、そんな事言うと、タツが喜ぶよー。ね、タツ?」

「当たり前だろ」

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 触らないで!

「ああ、でも、口が悪いヤツにはお仕置きしないとな」

「一番口が悪いのはタツ、あんたでしょ!」

「言うねえ」

 にやりと笑ったタツ。

 やばい、と思った時には遅かった。

「もう言えないようにしてやろうかー?」

 タツの手があたしの首にかかる。

 締上げられて、息が出来なくなる。

 タツの性癖は破綻している。筋金入りのサディストの上、あたしのことを人形か何かと勘違いしている節があるのだ。相手を苦しめる手加減が分からず死に至らしめてしまった過去があるらしい――というのは、ウズメに聞いたことだ。

 まさか、自分がその証明をする事になるなんて。

 カラは何に関しても無関心だから、あたしが死のうが目の前でタツに犯されようがどうでもいいと思っているだろう。

 自分の身は自分で守らなくちゃいけないって、もう一度心に刻みつけたばっかりだったのに、こんなにもすぐにその誓いが破られてしまうなんて。

 悔しくて涙が滲んできた。

「ああ、苦しそうだね、テラス」

 嬉しそうなタツの声が遠ざかっていく。

 息もできない。意識が沈んでいく。

 このまま、死ぬのかな。

 諦めかけたあたしの頭の中で、もう一度あの声が響く。


――生きなさい


 ナギ。ナギ。もう無理だよ。もう十分頑張ったよ……!

 全身の感覚が麻痺していく。

 死んだら、ナギに会えるかな……?

 最後の途切れそうな意識がわずか、震えた時。

 鋭い鳴き声と共に、首にかけられた手が一瞬緩んだ。

「こんの……クソガラスっ!」

 ツヌミの声がする。けたたましく警戒音を発しながら、あたしの首に体重をかけるタツに襲いかかっているようだ。

 そうだ。あたしは一人じゃない。何であたしは、こんな簡単に諦めようとしていたんだろう。これまでだって、この位のピンチは一人で乗り越えてきたというのに!

 かっと胸の中心が熱くなる。

 きっと、カノを疑い、ヨミに襲われそうになって心が弱っていたに違いない。

 ありがとう、ツヌミ。

 あたしは最後の力を振り絞って右足を振り上げた。凄まじく痛んだが、今はそんな場合ではない。怪我とか、痛いとかそんなことは後でどうにでもなる。

 だってあたしは、生きなくちゃいけないんだから。

 容赦なく振り下ろした踵は、完璧にタツの眉間を捕えた。

 が、あたしの方にも気を失いそうな痛みが反動で帰ってくる。

「あっ、何すんだよ!」

 痛みに耐えてそのまま左足を引き抜き、後ろにいたカラにも下から顎をつきあげるドロップキックをお見舞いしてやる。

 二人にダメージを与え、拘束が緩んだ隙に、あたしは横に転がって脱出。

 同時に後ろ手に縛られたままリストバンドに分子分解で収納されたクロスボウを召喚する。その勢いであたしを縛っていた紐は弾け飛んだ。

 よし、いける!

 とっさに上体を起こして弓を構える。

 迷うな。殺らなきゃ、殺られる。

 が、その瞬間、あたしの脳裏に分断された異形オズの姿が舞い戻った。

「くっ……」

 その一瞬の迷いが狙いを狂わせた。

 一本目の矢はカラのふくらはぎ辺りに突き刺さったものの、次の矢は狙いを外れてテツ近くの地面に突き刺さっただけだった。

 しまった!

 タツの血走った眼がこちらに向けられる。

「っ痛―っ! ひどくね? 攻撃したよ、俺達に!」

「ああ、そうだな」

 続いて第二波を放つが、躊躇せず胸を狙った矢は右腕で防がれ、左目を狙った矢は素手で受け止められた――握った拳とあの刺さった右腕からは、つぅ、と真紅の血が流れ落ちる。

 タツの空気が変わる。これまではどこか愉しんでいたものが、一気に殺気へと塗り替えられる。

 本気で、あたしを殺す気だ。

 さあ、考えろ。どうやったらあたしは生き延びられる?

 相手を人間だと思わなければいい。タツを異形オズだと思えばいい。すでに人間の形を失ったモノなら、きっと――

 心臓がどくりと一つ、脈を打つ。


 アレダッテ 元ハ ヒト ダッタノニ


 大丈夫。落ち着いて。タツは格闘を専門にする徒手空拳、つまり武器を持たない戦闘スタイルだ。速度なら、あたしの弓矢の方が数段早い。


 助ケテ ヤレタカモ シレナイノニ


 追いすがるように伸ばされた手。残された白骨。

 狙いを定めるの。足を先に打ってしまえば……


 マタ 殺スノ?


 殺さない。ただ、動けなくするだけ。

「いつの間に俺に武器を向けるようになった? テラス……調教が、必要らしいな」

「こっちに来るな、変態!」

 きりり、と引き絞った矢は、タツの大腿を狙っていた。が、あたしは――

「撃たないのか?」

 撃てなかった。あの時断末魔をあげた人型 異形の姿が脳裏をちらついて、どうしても矢を放つことができなかったのだ。

「それとも、撃てないのか?」

 タツの挑発的なセリフに、かっと頭に血が上る。

 思わず打ち出した矢は、狙いを大きくそれていた。

 だめだ。こんなにも精神が乱れた状態での狙撃は不可能だ。

 落ち着け、あたし。落ち着きなさい!

 そんなあたしの心のうちなんて全部お見通しなんだろう。タツは腕に刺さっていた矢を躊躇なく抜くと、ついていた自分の血をべろりと舐めた。

 その矢を投げ捨てると、タツは一気に間合いを詰めた。

「!」

 新たな矢を撃つ間もなく、あたしの左手は抑え込まれてしまう。

「お仕置きだ、テラス」

 耳元に囁かれたタツの声に、全身が総毛立つ。

 今度こそ、もうだめ――?!

 いや、あきらめちゃ駄目だ。何か方法を考えるんだ。どうにかして、この状況を打開しないと……!

 耳をがり、と噛まれて鋭い痛みが背筋を貫いた。

「このまま噛み切ってやろうか?」

「やれるもんなら……っ!」

 もう一度、胸に闘志の火が灯る――だって、あたしは一人じゃない。

「……ツヌミ」

 ごめんね、ツヌミ。小さな体であの子があんなにも頑張ってくれたって言うのに、あたしが諦めるわけにはいかないよね。

 決意して唇を噛みしめた時、甲高いツヌミの声がした。

 そして、それに続く声。

「テラスっ!」

 タツの頭越しに聞こえた声に心臓が跳ね上がる。

 それに引き続いて、カラの切羽詰まった声が響き渡った。

「タツ、逃げるぞ、タカマハラだ!」

「何っ?!」

 ところが、ぱっとあたしから顔を離したタツが一瞬で視界から消え失せる。

 いったい、今何が起きたの?

「……テラス」

 代わりに佇んでいたのは、金色の瞳をした剣士だった。

 蒼白な顔をした彼は、手にしていた剣をすぐに納めて、あたしのもとに跪いた。少し遅れて、ツヌミがあたしの肩に舞い戻ってくる。

「ツヌミ……ミコトを連れて来てくれたの?」

 返事の代わりにすり寄ったツヌミの喉を撫でる。

 まるで怒っているかのように険しい顔をしたミコトは、そんなあたしを軽々と抱き上げた。予想していたよりずっと逞しい腕に、あたしはすっぽりと収まった。

 ふっと見ると、タツもカラも地面に伸びていた。きっと、ミコトがやったに違いない。

 その二人には目もくれず、ミコトは黙ったままその場を後にした。



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