アマテラス
ミコトの声がおさまって、あたしの涙が止まるまで、随分と長い時間がかかった。
最後に、ミコトはツヌミではなくあたしに謝った。
「すまない、テラス」
ちょっと照れた声なのは、あたしの前で泣いてしまったから?
ああ、どうしようもなく愛おしくなってきた。
真っ直ぐな心であたしを導いて、あたしと同じ後悔を引きずって泣いた彼が。
そんなミコトは、何かを決意したように呟く。
「あと、テラス、一つだけ、聞いて欲しい」
「なあに?」
ミコトは逃さないようにとあたしを抱きしめたまま、耳元に唇を近付けた。
が、あたしははっとする。
冷静になってみると、この状態、すっごく恥ずかしいんだけど!
「ごめん、その前に恥ずかしいから放して!」
手足を動かして拘束を解こうとするけれど、ミコトは頑として放さなかった。
「駄目だ。一人にしておくと、またお前は無茶をするからな」
「そ、それはミコトだって同じじゃない!」
「俺はいいんだ」
「よくないっ! あたしだってミコトが傷つくところなんか見たくないもの!」
「なっ……!」
絶句したミコトの隙をついてあたしはひょいっと腕の中から抜け出した。
彼の目は真っ赤で、頬にはまだ涙の跡が残っている――きっと、一番見られたくない顔だろう。
「この……!」
また顔を赤くしたミコトがあたしの方に向かってくる。
ところが、逃げようとしたあたしは、ふいに躓き、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。
「……あ」
ミコトはその隙を逃さずに、あたしの両手をベッドに縫い付けた。
金の瞳から目が離せない。
あの時、ヨミに襲われそうになった時と同じだ。
「テラス。どうしても、言いたい事があったんだ」
真剣な金色の眼差しに、あたしは動けないでいた。
「お前は弱いくせに、それを隠して強がったり、そのくせ誰も見捨てられないお人好しで、目の前の人間みんな助けようとする……危なっかしくて見てられねぇ」
だめだ、心臓が破裂しそう。
それなのに、ゆっくりと近づいてくる金色の瞳から、目を離せない。
「でもテラス、俺は――」
その表情は真剣で。
とてもあたしをからかっているようには見えなかった。
息がかかりそうなくらいに近くで、ミコトが呟いた。
「お前が、好きだ」
その言葉に、心臓が跳ね上がる。
ミコトがあたしのことを好きって――
どうしてこの人がぼろぼろになるまで戦ってくれるのか、世界の誰が敵になってもあたしの味方でいてくれるのか。
考えてみれば簡単な事なのだ。
「知ってるわ、そんなこと」
でも、それを言葉にされると、本当にどうしようもなく恥ずかしくって、あたしは思わず可愛くない台詞を吐いていた。
ああもう、こんな時、意地っ張りな自分が嫌になる。
ちゃんと勇気を出して、あたしも好きだと言えたらいいのに。
それなのに、ミコトは嬉しそうに笑った。
だから、その笑顔は反則だって!
「よかった」
何が、よかった、なのよ?!
あたしは何にもよくない!
「好きだ、テラス。お前がタカマハラにいた頃からずっと」
もう一度そう言って、ミコトはあたしの額にこつりと額を当てた。
あたしたちの、おまじない。
手首を拘束していたはずのミコトの手は、いつの間にかあたしの掌を握っていた。
目をそらす事も不可能。逃げる事も不可能。
もう、観念するしかない。
「……バカ」
眼を閉じて、あたしは囁いた――絶対に、一度しか言いはしないから。
「あたしも好きよ、ミコト」
そして、唇に優しい感触が触れるのを待った。
もちろん戦いがこれで終わったわけではなかった。
本当の戦いはこれからだった。
コードを街の全員に埋め込むのは容易ではなく、まず、カノがその方法を発見するまでに1年以上を費やした。
タカマハラと街の確執。異形とカグヤの問題。新たな設備と、統率方法の確立。
問題は山積みだ。
タカマハラ、街、そして研究者たちすべてを統率するだったナミを失った代償は大きすぎた。
それから3年かけてコードの埋め込みと光を通す素材で出来た新たな放射能遮断壁を構築した。
言ってしまえばたったそれだけの事だけれど、ここにたどり着くまでの道のりは苦難の連続だった。
研究者たちの努力の甲斐あって、ツヌミは今から半年前にシステムから解放されており、今ではこの街で、太陽光を通し、放射能をある程度遮断する新たな防御壁を構築する工事の陣頭指揮をとっていた。
だから、その瞬間を迎える時、あたしは絶対にカグヤに行こうと決めていた。
ついこの間、あたしはとうとう20歳になった。
ナギがあたしにコードを託してから20年も――ああ、なんて長い。
街全体を覆っていたドーム状の防御壁が、今日、とうとう破壊される事になったのだ。
防御壁の破壊を前に、ツヌミ、カノ、ヨミをはじめとするトップメンバーと最後の打ち合わせが行われた。
現在、タカマハラを単独で仕切る総長は存在しない。
あたしとミコト、ヨミの3人が象徴的に街とタカマハラのリーダーという事になってはいるが、実質的にここを動かしているのは今でもツヌミとカノの力が大きかった。
「……というわけで、いいね、テラス、ミコト?」
今でも、最終の了解をとるのはヨミ。
銀の瞳の少年は、落ち着いたトーンで話す聡明な青年へと成長した。今ではカノに次いで生物分野、特にコードの管理を取り仕切っている。
「ああ、問題ない」
「いいわよ」
あたしは、いつからか地質学を学ぶようになっていた。
自らを犠牲にしてまで人類の存続を願ったミナカヌシ、彼が平和だった時代に学んだ学問がいったいどんなものだったのかを知りたかったからだ。
地質学を学んでいる限り、あたしはカノの役にもツヌミの役にも立てない。
でも、あたしはやめなかった。
地学を知る事は地球を知る事――きっと、防御壁を取り去って世界が広がったあと、この知識は必要になると思ったからだ。
「じゃ、今から30分後に爆破開始、後、1分間で爆破終了、作戦完了には3分10秒を見込んでるから、それが全部終わったらもう一回ここに集まってね」
ヨミが最終確認を行った後、あたしはその足でカグヤに向かった。
もちろん、金色の瞳の彼もいっしょだ。
自分の無力を嘆いていた彼も、今ではツヌミに次ぐ情報系担当の研究者へと成長していた。もともとナミの遺伝子を継いでいるのだ、その気になれば難しい事ではなかったようだ。
「ヨミの合図だ」
小型の通信機に、ヨミから作戦実行のゴーサインが入った。
そしてそれから数秒後、凄まじい爆音がして街全体が揺れた。
がらがらと音を立てて、防御壁が崩れ去っていく。
その隙間から、少しずつ陽光が指してくる。壊れた街の様子を照らし出し、少しずつ癒していくかのようにゆっくりと、ヴェールがはがれていく。見た事もないような真っ青な色が、防御壁の隙間から顔を出し始めた。
街全体から歓喜の声があがる。
人間は、太陽がないと生きられない。
あたしは、隣にいるミコトの手をぎゅっと握りしめた。彼もその手を握り返してくれる。
これは、始まりだ。
太陽を取り戻したあたしたちが次に闘うのは、外に蔓延する放射能。
でももし、とてつもなく辛くて、苦しい未来が待っていたとしても、きっと人類はそれを乗り越える力を持っている。
人類は進化するのだから。
ヒトが、生きる事を願い続ける限り。
防御壁が完全に崩れ去り、街全体が太陽の光に包まれる。
この街は、太陽を取り戻した。
――生きなさい
ふっとナギの声がした気がして、あたしは振り向いた。
でも、そこにあるのは一面の緑だけ。
「行くぞ、テラス」
「……うん!」
もうだいじょうぶよ、ナギ。
あたしは生きていく。
どんな世界でも、みんなで生きていくから――
見上げた真っ青な空に、ただ一つ、光を放つモノがある。
それは、あたしたちがずっと切望していた――『太陽』だった。
了
最後まで、ありがとうございました!