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スサノオ

 とうとうあたしは決断した。

 震える手でヒルメを握りしめ、静かに告げる。

「マスターネーム・アマテラス、ヒルメ、緊急事態によりレベル2解除」

「レベル2解除、開放系第3段階までを許可」

 ヒルメが応答し、梓弓の芯が震えた。

 矢をつがえ、天を狙う。

「落ち着いて、テラス」

「分かってるっ……」

 狙いが定まらない。あたしが揺れている証拠だ。

 こんなんじゃ駄目だ。迷っている限り、絶対にミナカヌシを破壊する事などできない。壊さなきゃ、みんな死んじゃうから。そうしないと、みんなが……

 救いを求めて見た先に、ヨミが床に伏しているのを見た。

 当たり前だ、ここまで相当無理してきたんだろう。最後のいかずちでとうとう力尽きてしまったに違いない。

 無理しないで、って言ったのに。

 彼は根っからの異形オズ狩り……限界まで戦わないと済まない性分らしい。

 じゃあ、もう一人の弟は?

 そう思って探そうと視線を彷徨わせたが、その姿はどこにも見当たらなかった。

「ミコト……?」

 ばちばち、とヒルメがスパークする。その電撃はあたしの指先を少し焼いて、みしみしと揺れる部屋全体に紛れて消えていった。

 ミコトの姿が見えない。

 ただそれだけのことなのに、あたしの動揺が広がってしまう。

「テラス、危ない。この状態で気を抜けばあなたに被害が及ぶ」

 ヒルメの放つエネルギーが弾け飛びそうなくらいに膨れ上がっている。

 分かっている。

 このまま気を抜けばその瞬間、ヒルメの膨れ上がったエネルギーがすべてあたしに逆流する事くらい。

 でも、でも……

「ミコト」

 彼がいない。

 大丈夫だって励まして、死ぬなって叱咤して、あたしをここまで連れてきた張本人。

 どこ?

「ミコト?」

「落ち着いて、テラス。危険……キ・ケ・ン……」

 ヒルメの声がブレている。

 エネルギーの暴走が始まりかけている。

 それでもあたしは探していた。

 あの、金色の瞳を――


 その時、耳元で声がした。

「テラス」

 細い声。

 もう限界なんてとっくに超えた、弱い声。

 それでも強い意志を秘めた声。

「迷うな、テラス」

「……ミコト」

 顔の横から傷だらけの手が伸びてきて、ヒルメを握るあたしの手に重なった。

 顔は見えなかったけれど、確かに彼の気配を感じた。

「俺は知ってる……お前がどれだけ苦しんできたか」

 ミコトの声がする。

 それだけで、こんなにも嬉しい。

異形オズを手にかけて、どれだけの苦しみを味わったか」

 重なった手に力が籠る。

 ヒルメの暴走が収まり、エネルギーが矢に集約していく。

「悩んで、悩んで、それでもここまで来た」

「……ここまで来られたのはミコトのお陰よ」

 あたしがぽつりと呟くと、頬にかかるミコトの黒髪が少し揺れた。

「あなたがいたから、あたしは挫けてもまた立ちあがってここまで来たのよ」

 心の底からそう思う。

「俺だって……テラス、お前の為に……」

 ミコトの声が、途中から雑音に消えいった。

 その先を聞きたかったけれど、それは後でもいいだろう。

「お前ひとりで背負いきれないものは、俺が一緒に背負ってやるから……!」

 ミコトの叫びがあたしの心に沁み渡っていく。

「だから……」

 背中から温かい体温が伝わる。顔のすぐそばに揺れる黒髪には血がついて固まっていて、ざらりとした感触だった。

 あたしの両手に重ねられた手も傷だらけ。傷つけられた両腕に力なんて入っていない。

「一緒に闘おう」

 それなのにどうしてこの人は、あたしの一番欲しい言葉を知っているんだろう?

 どうしてこの人は、こんなにまでしてあたしの傍にいてくれるんだろう?

 どうして……どうして……!

「大丈夫だ、テラス、俺は、最後まで一緒にいてやるから――」

 でも本当は理由なんてどうでもいいんだ。

 ただ、ミコトがここにいて、この言葉をくれたことが嬉しいから。

「ありがとう、ミコト」

 視界は涙で滲んでいたけれど、ヒルメを握る手の震えは止まっていた。

 ミコトが一緒に戦ってくれるなら――

 だいじょうぶ、あたしはまだ、戦える。

 ゆっくりと引き絞った矢の照準を天井に向ける。

「さよなら……ミナカヌシ」

 重なった手に力が籠った。

 限界まで引き絞った矢が向かう先をまっすぐに見据えた。

 コードで埋め尽くされた、何もない天井。そこに突き刺さった青のガラスチューブの根元を狙う。

「テラス」

 絶対に手を放さないで。

 ずっと一緒にいて。

 どこにもいかないで。

 背に体温を感じ、頬に気配を受けて、ミコトに守られている事を実感する。

「開放系第3段階……『飛瀑ひばく』」

 大きく息を吸い込む。

 これで、最後!

闇淤加美神くらおかみのかみっ!」

 あたしの叫びを最後に、部屋は真っ青な光に包まれた。

 凄まじい破壊音と共に、目の前のガラスチューブごとタカマハラの始祖が砕け散っていく。

 崩壊していく部屋の中、あたしは硝子の欠片がヒルメの光を反射してきらきらと輝いているのを見た。闇夜に浮かぶ幾千もの煌めきは、さざめきながら舞い散って、光のシャワーとなって降り注いだ。



 ミコト――スサノオ。

 本当にありがとう。

 ただのちっぽけな異形狩りだったあたしを、タカマハラの導き手にまで押し上げた。

 『導く者』を導いたあなたは、いったいどんな名で呼べばいいのかな?

 生まれた時は一緒だった。

 苦しい事も、辛い事も、あたしは街で、ミコトはタカマハラで乗り越えてきた。

 お願い、これからも、ずっと、一緒に――



「……ミコト」

 乾いた喉からは、かすれた声しか出なかった。

 それでも、あたしは自分の声で覚醒した。

「ミコト」

 ゆっくりと瞼を押し上げる。

 でも、あたしが見たのは金色じゃなく、銀色の瞳をしたもう一人の弟だった。

「最初に、あいつのこと呼ぶんだね、テラス」

 悲しそうに笑ったヨミは、あたしの額にこつりと自分の額を当てた。

 長い睫が伏せられて、ドキドキするくらいに整った顔が近い。

「テラス。大好きだよ、テラス。僕のすべて賭けてもいい。僕なんて、テラスの盾になって、ぼろぼろになって、そのまま消えたらいい」

 その悲痛な言葉に、胸が抉られる。

「そんな事言わないで、ヨミ。あたし、ヨミが消えたら泣くわ。すっごく泣いて泣いて、もう立ち直れないかもしれない」

 目の前にあるヨミの頬を、両手で包み込んだ。

 ヨミは笑う。

「うわあ、残酷な事言うんだね、テラス」

「ヨミ、あたしは」

「いいんだよ、ずっと、知ってたから。でも……僕も、大好きだよ、テラス。忘れないで」

 ヨミは、あたしの頬に軽く唇で触れると、ふいに遠ざかっていった。

 答える事が出来ずに呆然としていると、ヨミはふいに出口で振り返った。

「大丈夫、君が待ってる人も、もうすぐここに来る」

 そう、そこは見覚えのある場所だった。

 部屋の隅のケースに横たわった黒い羽根の鴉――ここは、ツヌミの部屋だ。

 怪我にはきっちりと包帯が巻かれていて、服もゆるいワンピースに着替えさせてあった。

 でも、スカートなんてはくの初めてで、なんだか落ち着かない。ウズメはよく着ていたけれど。

 あたしはゆっくりベッドから立ち上がり、部屋の隅にある『ツヌミ』の元へ歩み寄った。『ツヌミ』と二人、街で異形狩りをしていたのがすっごく昔の出来事みたいだ。

 しっとりとした濡れ羽、大きな黒眼。

 ツヌミは全く変わっていないのに、あたしを取り巻く環境は激変した。

 静かに目を閉じて、これまでの事を思い出す。

 長かった。

 みんなを助けるって決めてから、ここにたどり着くまでの道のりが。

 最後にミナカヌシを射抜いた時の事だけ、やけにはっきりと覚えている。砕け散る硝子と崩壊する部屋の中で、あたしは確かにミナカヌシの最後の声を聞いた気がする。

 ところがそこに、あたしの思考を中断させる声が響いた。

「……テラス」

 一瞬で全身が硬直する。顔が真っ赤になって、心臓の音が自分で聞こえるくらいに大きくなる。

 抱きしめられた瞬間の温かさだとか、手を重ねた時の感触だとかを思い出して、あたしは心臓がぎゅぅっと絞られる様な感覚に陥った。

 振り向きたい。振り向きたくない。

 声が聞きたい。でも、聞きたくない。

「よかった、無事で……」

 声の具合で、ミコトも無事なんだと確かめる。

 怪我の具合はどうなんだろう、怪我だけじゃない、トツカの乱用で相当な負担が全身にかかっているはずだ。

「ミコトも……もう、いいの?」

「大丈夫だ。何しろあれから、もう10日近く経っているらしいからな」

「10日?!」

 あたしは驚いた拍子に振り向いた。

 そうしたら、腕や頭に包帯を巻いたミコトの姿が目に入った。

 そうだよ、ミコトの怪我、随分ひどかったもの。10日やそこらで治るような傷じゃなかった筈なのに。

「テラス、お前にいくつか報告する事があるんだ」

 真剣なミコトの眼差しに、あたしは余計な事を考えていた自分を戒めた。


 ミコトは静かに切り出した。

「あの後の事だ。俺もカノに聞いた話になるんだが……ナミとミナカヌシは死んだ。ナミはヒノヤギの傷が……助からなかったらしい」

「!」

 あたしは思わず目を見開いた。

「だが、ヒノヤギは生きている。まだ不安定だからカノが拘束したらしいが、詳しい事は分からない。だが、時間がたてば傷も癒えるだろう」

「……そう」

 やっぱり、ナミは助からなかった。

 いや、分かっていた事だ。あの瞬間のヒノヤギの殺気は本物で、確実にナミの命を奪う攻撃をしたんだから。

 これで始祖は全滅。当人達が願ったように。

 生き残ったのは、彼らが新しい世代と呼んだあたしたち。

「それから、ツヌミがミナカヌシに代わってタカマハラの制御に入った」

「ミナカヌシの代わり……?」

 それは、まさか脳神経を差し出したということだろうか。体を捨てて脳だけに――

 青ざめたあたしを見て、ミコトは慌てて付け加えた。

「大丈夫だ、ツヌミはそのままの姿で生きている。ただ……」

「ただ?」

「おそらく、あの場所を一歩たりとも離れる事は出来ないだろうとカノが言った。ツヌミ自身、会話もできず完全にシステム制御に徹している」

「動けない……?!」

 動けなかったら一緒だ。死ぬまでそこに縛り付けられるという事なのだ。

 あたしの脳裏を、コードに繋がれて罪人のように磔にされたツヌミのイメージがぎる。

「大丈夫、すでに残された研究者たちがツヌミの代わりにタカマハラ制御を行うシステムの開発に取り掛かった。それが完成すればツヌミはまた戻ってくる」

 それでも、それでもツヌミは自らの命をタカマハラに捧げた事に変わりはない。

 あたしが、ミナカヌシを破壊したせいで……!

「ツヌミはこうなると分かっていたんだ。自分が犠牲になると分かっていて、それでもタカミムスビを……」

 ミコトが悔しげに唇を噛んだ。

 ああ、彼もあたしと一緒。

 自分の無力さが悔しいんだ。ツヌミやカノが心血を注いでいる間、何も出来ない自分が情けなくてどうしようもないんだ。

 今度はあたしが慰めてあげられないだろうか。

 泣きそうな顔をしたミコトを見て、あたしは一歩、前に出た。

「泣かないで、ミコト」

「……泣いてない」

「嘘、でも、泣きそうでしょう?」

「……っ!」

 かぁっとミコトが真っ赤に頬を染める。

 あ、言いすぎただろうか。

 そう思った瞬間、ミコトの金の瞳からほろりと雫が零れおちた。

「あーもうっ、かっこわりぃっ!」

 包帯の巻かれた腕でごしごしと擦るミコトの腕を押さえて、代わりにあたしはミコトの頬に手を当てた。

 泣かないで。

 あたしは、生きてここにいるから。

「テラスっ……!」

 ミコトはあたしを大きな腕で包み込んだ。

 苦しいくらいにきつく抱きしめて、それでも足りないとさらに強く抱きしめる。

 その全身が悔しさとやるせなさで震えていた。

「いつもそうだ、ツヌミは俺に……いつも、考えなしって言って、それで、俺は、それでも考えずに突っ走って、その結果……ツヌミの自由を奪ったのは、俺だ」

 ミコトが泣いていた。

 いつも強い金の瞳で導いてくれた彼が、肩を震わせていた。

「テラスは……みんな助けるって頑張ったのにっ……俺は、俺は……いつだって何も出来やしないっ」

 痛いくらいに回された腕が、あたしの心も抉っていった。

「誰ひとり救えやしない……!」

 ああ、同じだ。

 ミコトはあたしと同じだった。

「だいじょうぶよ、ミコト」

 この世に本当に強い人間なんて、いないのかもしれない。

 それでも、ミコトがあたしの前で泣いてくれたこと、少し嬉しいと思ってる不謹慎なあたしもいた。

「あたしは、生きてここにいる。ナギがずっと『生きなさい』って言ってた、その意味が分かったから」

 あたしにはミコトが必要。ミコトのいない世界なんて、考えられない。

「ありがとう、ミコト。あたしがここにいるのはあなたのおかげよ。異形オズに襲われた時も、ナミに連れ去られそうになった時も、生きるのをやめようとした時も、カグヤで非難された時も」

 いつだってミコトが傍にいた。

「きっとこれからも、ううん、これからの方がすごく大変になるわ」

 始祖を失い、コードを手に入れた。

 やるべきことが目の前に山積みになっている。

 そんな中で、ツヌミはいち早く自分にしかできない事を見つけたのだ。

 だとすれば、あたしたちに出来るのはそれに続く事だけ。

「がんばりましょう、ミコト。一緒に、闘ってくれるんでしょう?」

 それでもミコトの震えは止まらなかった。

 何度もあたしの名を呼び、何度もツヌミに謝った。

 その声はこのタカマハラで犠牲になった人たちすべてへの懺悔に聞こえて、気づけばあたしも一緒に涙を流していた。



もうすぐ終わりです。



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