ツクヨミ
あたしは、考えるより先に動いていた。
ヒルメを握りしめ、強く地を蹴る。
その眼前でナミの胸から引き抜かれた刃が次の獲物を目指して空を切っていく。
「させない!」
驚くほどに集中していたあたしは、寸分の狂いもなくヒノヤギの右手甲を射抜いた。
きぃん、と金属音がして床にヤツカの先が転がった。
「貴様っ……!」
手にしていた刃をとり落とし、両手をだらりと下げて憎悪の籠った目であたしを貫いた。
「テラス!」
慌てたヨミがあたしの前に立ち、ミコトはヒノヤギを羽交い絞めにして拘束した。
黒塗りのハクマユミが、あたしを留めるようにクロスした。
「ナミを殺してお前も死ぬ気か、ヒノヤギ!」
「放せ、スサノオ」
抑揚のないヒノヤギの声が彼の本気を反映していた。
その間にカノとツヌミがナミに駆け寄る。
が、素人目にも明らかだ――あれは、致命傷。どくりどくりと脈に合わせて血を吐きだす傷は、明らかに動脈を傷つけている。彼がながらえる事は不可能だ。
「すぐに処置します」
カノの切羽詰まった声がナミの傷の深刻さをあらわしていた。
騒然となった空間に、天からの声が降ってくる。
「後はワタシだけデス。早くワタシも破壊するのデス」
「バカ野郎! 始祖かなんだか知らないが、少し黙れ!」
ミコトが一喝した。
びりびりと空気が震える。
「カノ、ナミを外へ! ツヌミ、ヒノヤギの怪我も頼む!」
ミコトの指示ですぐに二人が動く。
ヨミはくるりとハクマユミをおさめ、ミコトとアイコンタクトをとる。
「ハクマユミ、あと一回だけ……頑張ってくれないかな」
「開放系第2段階ならあと2度、可能です。後、強制シャットダウンします」
「ごめんね、ハクマユミ」
ハクマユミが喋ったことにあたしは驚いた。これまではほとんど喋ろうとしなかったのに、ヨミとハクマユミの間に何かあったんだろうか?
ハクマユミを翳したヨミは、銀色の瞳で周囲を見渡した。
「ミコト、下がって。ミナカヌシを炙あぶり出す」
「頼む、ヨミ」
ミコトはあたしの手を引いてその場に座らせた。床には多くの血の跡が残っている。その中には、ミコト自身のものもあるだろう。
真っ暗な部屋の中には、ハクマユミを手にしたヨミだけがすっくと立つ。
橙色の髪が風もないのにふわりと浮き、闇夜に導く淡い光を想起させた。
「じゃあ、行くよ」
こつり、とハクマユミの柄に額を預け、ヨミは呟いた。
そして、空を切る音がするほどハクマユミを振り回し、ヨミは声高らかに叫ぶ。
「開放系第2段階、雷……『建御雷神』!」
刹那、部屋全体に電撃が走り、ぱっと部屋全体を照らし出した。
雷の光に照らし出されたここは、真っ暗なドームだった。黒い素材でできた丸い天井に縦横無尽にコードが走っている。
雷撃は一度のスパークに収まらず、壁の溝を走り、そのまま部屋全体を照らし出した。
バチン、と大きな音と共に、何かが弾けた。
部屋の中央でヨミががくりと膝をつく。
「ヨミ!」
思わず駆け寄ったあたしは、ヨミの目の前に一本だけ、あの青い液体に満たされたガラスチューブが天井へと伸びているのを見た。
はっとそれを見ると、そこに浮いているのは人間ではなかった。
「これが……ミナカヌシの本体だというのか?」
ごぼりごぼりと泡を立てる青い液体に浮いていたのは、半球状の物体。
「ツヌミが、ミナカヌシの頭脳と言ってたね」
「まさか本当に脳だなんて……!」
そこには……人間の脳が浮いていた。
蠢くコードが脳から何本も伸びている。
「人間の脳がどんな機械よりも優れているって、聞いたことあるけど……まさか、それを実践してるとは思わなかったよ。自らの脳神経を差し出すなんてね」
ヨミの静かな声。
「その神経を使ってタカマハラの管理をしてたのがタカミ、化学生命体となって全体の監視をしていたのがムスヒ。そしてイザナギとイザナミは表立った支配で秩序の維持を……よく考えてみれば、すごいよね。僕ら、気づかぬうちにずっと始祖の手のうちにあったんだから」
「そうだな」
ミコトも穏やかに同意した。
「異形狩りを含め、街もすべて、タカマハラの息がかかった者たちが治めていたわけだからな」
「……そうね」
ナギもカノも、ウズメでさえもここタカマハラで生まれ、街に出た。あたしも、ヨミもそうだった。
異形狩りをしながらずっと恐れていたタカマハラは、遠い場所になどなかった。防御壁で覆われたこの街全体が人類存亡を賭けた一つの大きな組織であったのだ。しかも、100年以上に及ぶそれを指揮したのはたった5人の始祖。
「……少し昔話をしマショウか」
ふいにミナカヌシの声がした。
「ワタシたちがまだ、研究者と呼ばれてイタ頃の話デス」
声は、部屋全体の空気を震わせていた。何処からとも知れない、男性とも女性ともつかぬ美しい声――ああ、この声はヨミの持つハクマユミと同じ。
トツカ風に言うならば、聖槍ハクマユミは始祖ミナカヌシモデルというわけだろう。
「ワタシたちにとって、太陽がアルのは当たり前デシた。ところが、突如ワタシたちを放射能が襲ったのデス。あれはまさに……地獄デシた」
外に蔓延する放射能がなく、太陽が皆に等しく与えられていた時代を知り――そんなこと想像もつかないが――その後に訪れた地獄を見て、それでも生きる事を諦めなかった。
「ワタシたちは、地獄で生き延びるためにタカマハラを創りマシた。しかし、その時はまだ適わなかったのデス。コードはなく、国家は崩壊シ……頼れるモノはワタシたち自身だけ」
感情の無い、パルスのような音声が過去を語る。
一度カノに聞いた話だったけれど、始祖本人の口から語られる事になるとは思ってもみなかった。
「ワタシたちは考えマシた。人類は、進化するシカないのではないカ、と」
「僕の記憶が正しければさ、『進化』って言葉は人間が促すようなものじゃなかったと思うんだけど?」
ヨミの言葉を聞いて、ミナカヌシは一度音声を止めた。
しかし、幾許もなく空気が震える。
「例え太陽を忘れようトモ、遺伝子に何かを組み込んだとシテも、ワタシたちどころか次の世代を犠牲にシテまでも、人類の存続を願ったのデス」
「次の世代って、僕らの事?」
「ええ、そうデス」
「犠牲……犠牲、ね」
ヨミは口元に怪しげな笑みを湛えた。
完全に被ってたネコが一枚はがれおちちゃってるけど、それはいいんだろうか。
「それは、太陽を取り戻すって大仕事を僕たちに引き継ぐって意味でいいよね?」
挑発的な口調で、笑みを口元に湛えていても、ヨミの銀の瞳は真剣だった。
そう、これはこの先を決める大事な局面なのだ。
「そうデス。ツクヨミ、アナタは呑みこみが早いデスね」
「破壊しろ、って言ったのもそう言う事?」
「ええ、タカミが消滅した以上、ワタシがここにとどまる理由はありマセン。もし新たな体制を気付きたケレば、ワタシを破壊して新しい機器を設置するシかないのデス。そうでなケレば、制御を失った生命維持装置はすぐ支障をきたシ、タカマハラは壊滅するデショウ」
それを聞いて、ヨミは笑みを収めた。
「だからツヌミ、か――コードはカノに託し、僕らの事は、太陽を取り戻した街の象徴とするつもりだね?」
ヨミはそこまでミナカヌシと会話を交わしてから、あたしとミコトの方に向き直った。
「だってさ。このミナカヌシを破壊して早く代わりを見つけないとタカマハラは崩壊する、って僕らは脅されているんだよ?」
「代わり?」
「ツヌミの事か?」
「そうだよ……って、ミコト! 君は僕と同じ教育課程を受けてるんだから、ちょっとは自分で考えてよ!」
「す、すまん……」
ヨミの剣幕にミコトは困ったように頭をかいた。
「ツヌミがタカミを消滅させただろう? だから、タカマハラの制御システムが凍結しかけてるんだ。即刻ミナカヌシを取り払って、新たなシステムを構築しなくちゃ、水も、電気も、何もかもが停止する!」
「!」
ようやくあたしとミコトが事態を理解した時、高らかにミナカヌシの声が響き渡った。
「ワタシを破壊しナサイ」
あたしは、返答できなかった。
破壊する? ミナカヌシを破壊する?
破壊って、何?
「このチューブを割るだけでいいのデス」
「えっ、でも、それって……」
破壊じゃなく、それは殺戮――
あたしの心を読み取ったかのように、ヨミは悲しげに笑う。
「できない、って? 破壊しないと、街の人たち全員が死ぬと分かっていても?」
「!」
ヨミの言葉は、あたしの中の何もかもをクリアにした。
そう言う事だったんだ。
カノが、ヨミが『始祖の思惑通り』って言ってたのはそのためだったんだ。
この人は、始祖のトップであるミナカヌシは、最初から自分を殺させる気だったんだ。
「どうして……そんな事」
思わず声が震えた。
このほんの少しの間に、喉の奥がからからに乾いていた。
「全部、全部、こうなるために……? ミナカヌシ、あなたは『生きたい』と思う事なんてないのっ?」
自分を殺させるために100年以上の時をこの姿で過ごしてきたというの?
でも、ナミは言っていた。
――私は、『生きたい』などと願った事はないよ?
もしかすると、この人も同じなの? 生きたいなんて、願った事なかったって言うの?
「『生きたい』……『生きたい』デスか。懐かしい言葉デスね」
ミナカヌシの声が無情に響く。
「ワタシはもう十分に生きマシた」
体を失い、『人類の存続』という目的のためだけに100年以上もここに縛り付けられて。
その言葉はとても重い。
「もし、ワタシの願いを聞いていただけるとシタら……もう疲れたのデスよ、ワタシは」
「……無理よ」
無理だよ、そんな事言われたって、あたしには出来やしない。
「だってあたし、みんなで生き残るって決めたもの。みんな、って言ったからにはナミも、ヒノヤギも、ミナカヌシ、あなたも……全員なのよ。誰も死なせないって、そう言ったのに、ここであなたを破壊なんて出来ないっ!」
「ワタシの願いだとしても?」
「……それでも」
「ソノ行動一つにタカマハラ全員の命がかかっているとシテも?」
あたしは口を噤んだ。
ここでミナカヌシを破壊しないと、すぐにタカマハラのシステムがダウンする。
――なんて、残酷な選択肢。
「……他に方法はないの?」
「ワタシはタカマハラであり、タカマハラはワタシ。タカミがいなくなった今、ワタシをタカマハラから切り離さない限りシステムダウンは避けられマセン」
「どうしても?」
必死で食い下がるあたしの問いに答えたのは、ヨミだった。
「……おそらく、無理だよ。カノもきっと分かってた。だから、僕らを残してナミとヒノヤギを連れ出したんだ。ツヌミもきっと、タカマハラのシステムを一人で管理するだけの覚悟があるんだ。全部分かってて、この場を僕ら3人に任せたんだ……!」
ヨミの握りしめた拳が震えている。
あたしって、やっぱりバカだな。
理解するの遅くて、ショック受けるのも遅くて。ようやく事の重大性を理解して選択を迫られてうろたえて。
もう、ほんとにバカ。
「……テラス」
ミコトがあたしの名を呼んだだけで、涙が零れ落ちそうになる。
どうしてもそうしなくちゃいけないの? 異形を葬った時のように?
相手が人間だったものだと分かっていて殺すの?
でも、そうしないとみんなが危険なの。
いつ間違えたの? どこまで戻ったら、あたしはこの選択をせずにすんだの?
いくら問答しても、目の前にある選択肢は変わらない。そして、そのリミットが迫っているという事も分かっている。
でも、嫌なんだ。
本当に嫌なんだ。どうしても、どうしても……!
「アマテラス、返答をしてクダサイ」
無情な声が響き渡る。
ヨミはハクマユミを収めた。
あんなにナミが怖くて仕方なかったのに、始祖の選民思想を知って怒ったのに、今さら始祖を前にして躊躇するなんておかしいって分かってる。
でも、嫌なものは――
嫌って言えたら、どんなによかっただろう。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
あたしは、ヒルメを握りしめた。
開放系第3段階で消費したヒルメのエネルギーは回復している。うまくいけば、もう一度くらいレベル2を解放できるかもしれない。
「ヒルメ、もう一回だけだいじょうぶ?」
「大丈夫。もう一度、第3段階を射出することは可能」
「……そう」
あたしは、ヒルメを構えた。
迷いは断ち切れていないけれど。
「ミナカヌシ」
堪えていた涙が、とうとう頬を涙が伝った。
「あなたを、破壊します――」