ミナカヌシ
頭が回転し始めるまでに、少し時間がかかった。
数秒後、ようやく動き始めたあたしは、ぽつり、と呟いた。
「……破壊?」
この人は――ミナカヌシは、自分を破壊しろ、と言わなかったか?
「貴方タチはワタシ達の選別を放棄したのデショウ? では、ワタシは貴方の敵デス」
「……?」
いったいこの人は何を言っているんだろう?
「タカマハラはワタシ、ワタシはタカマハラそのもの。タカマハラを破壊するにはワタシを破壊するしかありマセン」
理解不能。
あたしはカノに回答を求めた。
少し下がったところにいたカノは、険しい表情で真っ直ぐにナミを見つめていた。
その瞳に映る感情は、あたしには分からない。あたしよりずっと先を見通す能力を持ったカノが、いったいどれほどの葛藤を経てここに立っているのかを理解する事なんて、不可能だから。
カノは隣に立ったツヌミに向かって、静かに尋ねた。
「ツヌミ、貴方は『ミナカヌシの頭脳』と言いましたね」
「……はい」
「だとすれば、情報生命体タカミがタカマハラのシステム全体の制御を行う媒体は、生体コンピューターですか?」
「……」
ツヌミの沈黙をイエスの返答と受け取り、カノはもう一度ナミに向き直った。
「カノ、もう少し分かりやすく説明してくれる?」
「……ええ、いいでしょう。今、ようやくすべてが繋がったところです」
寝癖のついたぼさぼさ頭を苛立ったようにかきながら、カノは何とも言えない表情であたしを見た。
それは、悲哀と絶望と憤怒の入り混じった不思議な瞳。しかし、見ている者はその激しさに胸の内を抉られるような感覚に襲われる。
「貴方たち始祖は――進化の最初の礎になるつもりだったのですね」
「……カノ?」
カノは、挑むようにナミを睨みつけた。
その迫力に、背筋がざわりと騒いだ。
「あれだけ『選別』と『進化』を主張したのも、私達に気付かせるためですか? タカマハラの成り立ちについてあれだけの資料を残したのも、私のような知りたがりの研究者に始祖の存在を示唆するためですか? タカミが3体の電子頭脳を作ったのも? ナギがコードを埋め込む3人を『創った』のも? まさかその後ナギが街へ出たことすらも――?」
これほどまでに声を荒げて追及するカノを見たのは初めてだった。
静かな怒りが浸透する。
ナミの返答はない。まるで、カノの怒りをすべて受け流すかのようにただ、そこに立つだけだった。
「何て事を……!」
怒りで全身を震わせたカノが両の拳を握りしめた。
「テラス、ヨミ、ミコト。よく聞きなさい」
ツヌミは青い顔で俯いた。
「このタカマハラが創られた本当の理由を」
「タカマハラが創られた理由?」
首を傾げたあたしに、カノはゆっくりと諭すように言った。
「ええ。ナミの選民思想は間違いではありません。確かにここは未来の世界への適応を目的とし、『進化』を促す為に創られた施設です。しかし、その解釈は本来の目的とは少し違う」
「どういう事?」
「彼らはおそらく、最初から自分達が生き残るつもりなどなかったのですよ」
「――?!」
あたしは思わず眉を寄せた。
どういう事?
研究者たちだけを生き残らせようと画策し、反抗したナギを死に追いやり、あたしたちをカグヤに封じ込めた張本人だというのに――
「ここは、『進化を促すために創られた』と言ったでしょう? 私達は始祖の意志によって進化を促されたのですよ。ナミの行動も言動も、すべてがこの進化への布石。まあ、必要以上にミコトを傷つけたことといい、ナギを殺してしまった事といい、ナミは少しやり過ぎたと言っていいでしょうが」
カノの言葉の一言一言を噛み砕く。
ゆっくりとでいい、理解しなくては。
「私が残された資料から始祖を見抜いた事、始祖の使いである『ヤタガラス』でありながら始祖タカミムスビを超えたツヌミ、そしてヒノヤギを倒したスサノオ、監視のムスヒを退けたツクヨミ。そして『導く者』アマテラス――始祖は原初から、そうなる事を待っていたのですね。100年以上前にこの場所を作り上げた時から」
「……?」
カノの言葉は難しすぎる。
「貴方たちは、私達がコードを持つに相応しいか否かを試した。そしてそれは、成功したというわけです。私達はここに揃い、次世代への交代を望んでいる。まさに、貴方たちが望んだ通りというわけだ」
やはり、ナミの表情は変わらなかった。
それは肯定を意味しているのか、それとも否定を意味するのか。
「私達は始祖の遺伝子から生み出され、始祖に創られたこのタカマハラで育ち、最後は始祖の思惑で始祖を倒すのです。そして、始祖が望んだ進化の先にある新たな世界を構築しようとしている」
始祖が、あたしたちを生みだす為に『タカハマラ』が創られた?
すべて、始祖に仕組まれていた?
始祖を倒すところまで?
ナギが死んだのも全部そのため?
あたしはまた混乱してきた。
「私達は、こうやって新たなコードでもって太陽を取り戻すためだけに創られた命。100年以上前に放射能に包まれてしまった世界で、人類を存続させるための第一段階の生存者。それは、私達が進化の第二段階の礎となる事を意味します」
カノの言葉は震えていた。
それが憤怒だけでなく、絶望と恐怖、そして一欠片の畏怖からくるものであるという事にあたしは気づいた。
畏れている? カノが、始祖を?
なぜ?
彼らが、すべてを掌握していたから。カノでさえも読めなかった、未来の先の先まで、すべて始祖に定められたものだったから。
それは、人類が太陽を取り戻す為の『進化』。
あたしたちは、同じ人類である始祖に創りだされた、次世代の『人類』。
放射能に犯された世界で生き残るために始祖が創りだしたシナリオが結実したのが、あたしたち。タカマハラを始祖から解放する事の出来る力を持つまでになった直子たち。
あたしたちは、人類存続のために生み出されたのだ。
カノやツヌミのように賢くないあたしに分かるのはこれくらいだった。
だから、彼らがなぜあれほどまでに衝撃を受け、世界の終りのような顔をしているのかは分からない。
しかし、その瞬間、あたしには唐突に理解できた。
ミナカヌシが意味したところを。
「要するに、あたしたちにタカマハラを譲るという事ね」
「――要約すれば、そう言う事です。ただし、ここまでやってきた事すべてが彼らの計算であっという事実を除けば」
「じゃあ、ナミはあたしたちに協力してくれるの?」
「しないでしょうね。謀らずも私達は始祖を越えてしまった――ここからは私達、第2世代の仕事です」
謀られた、という意味は分からなかったが、何をしてもナミが説得に応じない事は最初から分かっていた。
だとすれば、あたしにとって何も変わらない。
確かにカノの言うようにあたしたちが始祖の意のままに動いていたとしても、それが知れたからと言ってどうだというのだろう?
「カノ」
あたしは、絶望の只中にいるカノを叱咤した。
「何を落ち込んでいるの? あたしたちのやる事は、何も変わらないでしょう? あたしたちの目的は全員で生き残る事よ」
それだけは変わらない。
ナミが何て言おうと、ミナカヌシがなんと言おうと、タカマハラの歴史がどうだろうと、あたしたちが創られていようと、始祖の思惑通りだとしても。
あたしがここにいて、『全員で生き残る』という目的を持ってこうして生きていることだけが真実。
大切な事だけは絶対に見失っちゃいけない――これは、仲間を手にしたあたしが学んだ事。
カノはあたしの言葉を聞き、大きく目を見開いた。
隣で俯いていたツヌミも顔を上げた。
「負けないで、カノ。あなたの意志はそんな簡単に折れるものじゃないでしょう?」
あの時、あたしたち全員の命を背負ってくれたカノが、こんな事で挫けるはずはない。
ツヌミもそうだ。何もかもを失う事が分かっていてあたしたちに力を貸してくれた彼の心は、こんな事で折れたりしない。
「ナミ」
あたしはもう一度ナミを睨みつけた。
「手を貸さないのなら、タカマハラの全権をあたしたちに渡しなさい。コードの継承はあたしたち自身の手でやるわ――あなたとミナカヌシを拘束します」
あたしが宣言した途端、ずっと無表情だったナミがようやく笑った。
恐ろしく整った笑みで。
「『導く者』アマテラス――それは間違っていなかったようだね、カノ。悦ばしい限りだろう?」
ナミの声は悲哀に満ちていた。
あれほど自信にあふれていた声が嘘のようだった。
「カノ、君がいるならこの先は大丈夫だろう。おそらく君にはすべて分かったと思うが……タカマハラ計画のすべては、ヤマトの最奥にすべて置いてある。好きに見るといい」
「……ナミ。本当に貴方は」
「ヒノヤギ」
ナミの鋭い声がカノの台詞を分断した。
その瞬間にはっと全員が振り向いた。
其処に立っていたのは、朱金の髪の青年。
「すべて、聞きましたね? 私は、計画の一部として君を利用しました。ナギに捨てられた君を拾ったのは、君に利用価値があったからです」
ナミのボディガードとして、助手として働いていた彼は、今、あたしたちと共に真実を知った。
知識の少ないあたしには分からない葛藤が、彼にとっても例外ではないのだろう。
まるで、ナミの選民思想を知ったあの時のツヌミのように絶望した表情で佇んでいた。
「我を育てたのも、傍に置いたのもその目的のためだと仰いますか」
「そうだよ。絶望したかい?」
ナミはからかうような口調で問う。
「……」
ヒノヤギは答えなかった。
だが、朱金の髪は血に染まり、その瞳は絶望を如実に表していた。
動かない左手をだらりと体の横に下げ、動く右手には抜き身の刃を手にしていた。掌からはぽたりぽたりと血が滴り落ちていた。
あれは、折れたヤツカの先だ。
「……ヒノヤギ」
振り向いたミコトが闘気を向けようとしたが、ヒノヤギのあまりに悲壮な様相にそれ以上言葉をかけられなかったようだ。
ぐっと黙り込んだ。
その場に沈黙が降りる。
破ったのはヒノヤギだった。
「最初から何もかもが創られていたと言うのか……我の存在も、コードを与えられぬ末路も」
ふらり、と刃を手にしたヒノヤギがこちらに向かってくる。
その瞳に映っているのはナミだった。
ナギに捨てられた、と言ったヒノヤギ。ナミはそんなヒノヤギを必要なものとして、こうやって育ててきたんだろう。
それなのに、ナミは『すべて計画のためだ』と言い切った。
もしあたしがナギの口から直接そんな事を言われたら――?
二度と立ち直れないかもしれない。心に深い傷を負って、今度こそ死んでしまうかもしれない。
ああ、そうだ。ナミが計画のためだって言ったのなら、ナギだってあたしを育てたのもコードを植え付けたのも計画のためなのだ。
胸がざくりと抉られる。
カノに折れないでって言ったくせに、あたしは少し遅れてようやく真実の痛みに気付いている。
なんて、遅いの。自分でも嫌になるくらい。
「我の与り知らぬうち、それもすべて終わったと言うのか……何もかも」
ヒノヤギの刃を握る手に力が籠る。
彼の心の痛みがあたしの中にも共鳴して、胸が痛い。
「そうだよ、ヒノヤギ。私が、憎いかい?」
「――憎い」
ナミの笑顔とヒノヤギの絶望。
相対する二人が向かい合って立った。
刃を握る掌から雫が滴り落ちる。
「アマテラスよりも、スサノオよりも、ツクヨミよりも――」
血走った朱金の瞳。
しまった、と思った時には遅かった。
「殺したいほどに」
ナミの笑顔。
ヒノヤギが手にした刃が、ナミの胸を貫いていた。
なぜだろう、その瞬間、ナミはひどく満足そうな顔をした気がした。