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ハクマユミ

 解放されてそのまま、どさりと床に崩れ落ちる。

 ツヌミのリストバンドから伸びていたコードは切断されたというのにまるで生き物のように蠢いて、シュルシュルと自らバンドの中に消えていった。

「ツヌミ!」

 ミコトはすぐにあたしの上にかぶさったツヌミを助け起こし、ヨミはあたしの手を引いて立たせた。

「しっかりしろ、ツヌミ!」

 ミコトの呼びかけにも反応しない。

 当たり前だ、ツヌミに触れただけのあたしだってまだ全身がぴりぴりとして、ヨミの支えがないと立てないほどなのだ。直接攻撃を受けたツヌミのダメージは計り知れない。

 青白い顔でぐったりとした彼の固く閉じられた瞼が開く兆しはない。

「ツヌミ」

 ミコトが強く肩を揺さぶる。

 反応しないツヌミを見て、青ざめたミコトは手首をとって生きている事を確認する。

「僕、すぐ行ってカノ呼んでくる」

「頼む、ヨミ」

 ヨミは弾かれる様にして、たった今駆け降りてきた階段を戻っていった。

 ミコトはそのままツヌミへの呼びかけを続けている。

 心臓が止まりそう。

 いつも纏められていた黒髪が広がっている。青白い頬と微かに痙攣する身体が深刻なダメージを示していた。

 まだ痺れの残る手で、ぎゅっとツヌミの手を握った。

「お願い、ツヌミ、目を開けて……!」

「ツヌミ! 起きろ!」

 あたしとミコトの必死の呼びかけにも答えない。

 ああ、ダメだ、また泣きそう。

 じわりと視界が滲んだ。

 ツヌミ、お願い。起きて。

 あたしが無理を言ってナミから離反させた。その結果、カグヤに閉じ込められてしまったというのに、文句ひとつ言わずにあたしたちを助けてくれた。

 そして、たった一人、始祖であるタカミムスビに立ち向かった。

 あたしは、あたしたちは、この人にいったいどれだけの負担と期待を背負わせていたんだろう。

「ツヌミ……!」

 ナギが死んでから5年間、ずっと一緒だった。機械越しだけれど、あたしたちは確かに、共に闘っていたのだ。

 お願いよ。

 あたしはもう――何も、失くしたくない。

 祈るように握りしめ、額にあてた両手。

 ふいに、微かな力が握り返してきた。

「ツヌミっ!」

 ミコトの声で、ツヌミがうっすらと目を開けた。

 その瞬間、あたしの中をどっと安堵が駆け抜ける。

 ツヌミは震える唇の隙間から、か細い声を絞り出した。

「……私は……大丈夫……はやく、この下にある扉から中枢に入り込んでください……」

「でもお前っ」

「先ほどのは、タカミの……最後の力です……私と心中するつもりだったようですが……切断してくださったおかげで助かりました……」

 力なく笑うツヌミ。

「ロックは……すべて解けています……はやく……手遅れに、なる、前に……」

 ああ、ツヌミはタカミムスビを倒したんだ。

 これだけぼろぼろになりながらも、身を呈してあたしたちの道を拓いてくれたんだ。

「……泣かないでください、テラス……貴方は私達の希望……太陽を取り戻すための道標」

 優しい手があたしの手を包み込んだ。

「ミコト……後は、頼みます……ナミとムスヒの幻影、そしてミナカヌシはこの先に……」

「分かった、分かったからもう喋るな、すぐにヨミがカノを連れてくるから!」

「……ヒノヤギに、気を付けてください……彼は……ナミの、最後の砦」

「それは……知っている」

「テラスを頼みます」

 ミコトは真摯に頷いた。

 それを見て安心したのか、ツヌミは再び目を閉じる。

 やはり無理をしていたのだろう、あたしが握りしめていた手からは、すぐに力が抜けてしまった。

 すぐやってきたカノとウズメにツヌミを任せ、あたしたち3人はツヌミが命がけで開いた扉に向かった。


 扉の向こうには、気の遠くなる程長く暗い廊下が続いていた。どこまでも、底もなく続く深淵の闇――

 その暗闇に脅え、止まりそうになる足を前へ前へと動かしていった。

 体中で活性化しているコードのせいだろうか、闇の中でも、視覚や聴覚、全身の細胞一つ一つが鋭敏に起動しているのがわかる。

「先に確認しておこうか」

 きっとあたしと同じ感覚なのだろう、微かに頬を上記させたヨミが駆けながらあたしとミコトを交互に見ながら言う。

「説得する相手で、何より優先するのはナミ。ナミにはおそらくヒノヤギがついてるから注意ね」

「ヒノヤギ……て、あの赤い髪の人かしら」

「会った事ある? 彼はナミの助手兼ボディーガードの、生物物理学系研究者だよ。頭だけじゃなくて腕のほうもかなりたつから、並の異形狩りじゃ歯が立たないだろうと思うよ」

 ナミ自身に戦闘能力はない。

 もし説得に応じない場合は武力に訴えて拘束する事を考えていたけれど、ボディーガードがいるとなれば話は別だ。

「ヒノヤギが応戦してきた場合、俺が相手する」

「頼むよ、ミコト。君なら……ていうか、君にしか無理だと思う。まあ、闘わずに説得できるならそれでいいんだけどね」

 説得。

 あたしは本当にナミを説得できるんだろうか。

 不安。焦り。迷い。

 それらは、あたしの心を侵食しようといつも狙っている。

「あとは、始祖って言ったね。『タカミムスビ』はさっきツヌミが倒した。ナギは既に死んでるし……ナミを除くと、あとは『ムスヒ』と『ミナカヌシ』」

 そう。始祖はまだ残っているのだ。

「ツヌミはムスヒの幻影とミナカヌシの頭脳って言ったわ」

 幻影。

 頭脳。

 ナミとナギがクローンで、タカミムスビが情報生命体だとしたら、残りの二人も何らかの形でタカマハラに存在する。

「幻影……ねぇ」

 その言葉を聞いて、ヨミが微笑んだ。少しばかり、黒い裏側の見え隠れする笑顔で。

「実はさぁ、タカマハラに来てからずーっと、僕らについて来てるモノがあるんだよね」

 意味が分からず、あたしは思わず首を傾げた。

 が、ミコトは視線を床に落として呟いた。

「……気づいてたのか、ヨミ」

「当たり前でしょ、これだけべったりじゃねぇ」

「最初は極薄のホログラムかと思ったが、違うらしいしな。アレ自体が意志を持ってやがる」

「そうだねぇ、きっと化学専門の研究者にでも聞けばわかるんだろうけど」

 やれやれ、とヨミが肩を竦めた。

 あたしには何が何だか分からない。けど、ミコトとヨミには何か分かっているらしい。

「僕に任せてくれるかな? 付き纏われるのも不快だし、何とかしてみたいんだけどさ」

 その言葉に、ミコトは怪訝な顔をする。

「敵の正体も分からないのに、か?」

「何となく分かってるよ。どういう理屈かは分からないけど、化学生体化しているんじゃないかと思うんだ」

 ヨミはそう言いながら、ハクマユミを召喚した。

「だとすれば、弱点だってあるよね。さっき、異形オズと闘った時にだけソレがいなかったのは、そのせいだと思うんだ」

 きっぱりと断言し、ヨミはにこりと笑った。

「だから、ここは僕に任せて二人で先に行っててくれるかな?」

 ぱりり、とヨミの周囲に電撃の欠片が爆ぜる。

「行こう、テラス。ここはヨミに任せるんだ」

 何? 何の事? あたしにはさっぱりわからない。

 が、聞き返す間もなくミコトがあたしの手を取り、強く引いた。それにつられて足は先へと向かっていく。

 真っ暗な道にヨミ一人を残して。

 一瞬、通路全体がぱっと照らし出され、背後で電撃が縦横無尽に走ったのが分かった。

「通さないよ……『ムスヒ』かな。君、電気苦手なんだよね? まさか、分解されちゃうってワケじゃないよね?」

 歓喜を隠しきれていない、高揚した声が聞こえる。

 あれは本当にヨミの声――?

 それを確かめる前に、あたしはミコトに引っ張られ、さらに下層へと降りていった。



 ずっと駆け降りてきた階段が途切れた時、あたしを覚えある気配が襲った。

――嫌な、気配

 ねっとりと絡みつくような、蔑むような、憐れむような、最悪の視線。そして、声。

「とうとう、ここにまでも来てしまったね」

 風もないのに微かに靡く金色の髪。憎らしいほどに整った顔に張り付けたいやらしい笑み。

 以前一度だけ会っている、朱金の髪を短く刈りあげた褐色の肌の青年がすぐ後ろに付き従っていることだけ。

 ナミとほぼ同じくらいの身長の彼は、すらりと引き締まった肢体を見たことのない衣装に包んでいた。赤を基調にした装飾の多い服で、前をかい合わせて腰帯びで止めるタイプのものだ。

 不思議な造りの服だったが、精悍な顔立ちの彼にはとてもよく似合っていた――彼は『ヒノヤギ』。

 心臓がこの上もなく早く拍動している。全身が震えだす。

 ああ、もうこの場から逃げてしまいたい。

 必死に足が震えるのを押さえていると、ミコトがあたしを背に庇うようにして前に進み出た。

「何が来てしまった、だ。俺が来る事を見越してヒノヤギまで連れて来ていたくせに白々しい」

「カノがそちらにいただろう? 不完全とはいえ、コードが取り出せるだろう事も分かっていたそれに、ツヌミがお前達についた時点で、『タカミ』の防御が破られる事は承知していた。何しろ彼は、始祖タカミムスビの遺伝子をほとんど受け継いだサラブレッドだからね」

「……」

 ミコトは返事をしなかった。

 ツヌミがタカミムスビの遺伝子を継いでいる。あたしの中にナギがいるように。

 きっともう、あたしは何を聞いても驚かない。

 タカミムスビの名を出した時の、あのツヌミの複雑そうな表情にはそんな意味が隠されていたんだ、と妙に納得しただけだった。

 もうあたしの感情はだんだんと麻痺しかかっているのかもしれない。


「これで最後だ」

 ミコトは両手を胸の前でぱん、と合わせた。

 まるで祈りでも捧げるかのように。

「ナミ、完全なコードをタカマハラの、いや、この防御壁の中に住む人全員に与えてくれ。ナミの持つ技術と知識があれば可能なはずだ」

 静かに、でも、どこか諦めたような口調でミコトは淡々と言葉を紡いだ。

 それは本当に最後の通告。

「だから、頼む。全員見捨てるなんて言わないでくれ」

 ミコトの言葉はいつも強い。

 心の底から願って、絞り出された感情だから。そして、その言葉を真実にしようとどこまでも努力し、声を張り上げる人だから。

「ナ――」

「もうやめないか、不毛な争いは」

 ミコトの声を、ナミが遮った。

 その瞳に表情はない。

「コードは既に揃っている。私のやるべき事は変わらない」

「ナミ!」

「ヒノヤギ。もういい。ミコトを始末しろ。テラスは傷つけず捕獲するように」

 ヒノヤギ、と呼ばれた青年が前に進み出る。

 ヨミがナミに刃を突き付けたあの時、ツヌミがそうしてナミを庇ったように。

「ヒノヤギ、お前も目を覚ませ!」

 ミコトの言葉に返答はない。

 朱金の髪と朱金の瞳の青年は、表情なくミコトの前に立ち塞がった。

「そこまで意固地になるのら――力ずくでも」

「貴様にやれるものならな、スサノオ」

 ようやく口を開いたヒノヤギは、ミコトと同じように胸の前で両手を合わせた。

 そして、ゆっくりと、その両手を左右に広げていく。

「来い、トツカ」

 相対するミコトも同じようにその掌にトツカを召喚する。

 ぼんやりと青白い光を放ちながら現れた神剣トツカの柄をしっかりと握りしめ、ミコトは目の前の敵を睨みつけた。

 朱金の髪のヒノヤギも、同じく大剣を手にしていた。

 あの光には見覚えがある。

 見覚えがあるどころか、あの剣は――!

「驚いたようだな、スサノオ。当たり前だ。神剣がもう一本あるのだからな」

「うっげぇー、やめてくれーよ、俺は一人でじゅーぶんだってぇーの!」

 ミコトより先に返事をしたのはトツカ本人。

「これは神剣ヤツカという。貴様の持つ神剣トツカの設計図をもとに創られた武器のための武器。電子頭脳など搭載していない」

 トツカと同じ、神剣。それも、電子頭脳を搭載していない、本当に戦う為だけの武器。

 朱金の瞳に剣が放つ独特の光を反射させ、ヒノヤギは表情なく告げた。

「一刀の元に切り捨ててやろう、スサノオ」

「お前こそ頭冷やせ、ヒノヤギ」

 険悪な空気がその場を支配した。

 心臓がぎゅっと掴まれる。

 次の瞬間には、誰にも入り込めない戦いが勃発していた。



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