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タカミ

 まるでぬるま湯に浸かっているようだ――心地よい何かに包まれて、あたしは眠っていた。

 ゆっくりと解放されていく記憶と、コードの活性を感じながら、深い意識の底を漂っていく。

 死ぬ間際、ナギが封印した記憶は、解除呪文アンチ・コードを経てあたしの元へと帰ってきたのだ。ナギが残した情報と共に。


 あたしの名はアマテラス。

 始祖の一人であるイザナギの遺伝子を掛け合わせ、作られたハイブリッド。

 生まれすぐ受精卵の状態で太陽への道標となるコードを刻まれたちっぽけな命。

――ナギ

 とてつもなく泣きたい。

 だって、ずっと育ててくれたナギは、本当に、本当のあたしの父親だったから。

 命を賭してあたしをタカマハラから連れ出して、街で匿ってくれた。唯一の家族として、あたしに安息を与えてくれた。


 幼い頃の記憶も徐々に戻り始めていた。

 ミコトもヨミも、想像出来ないほどに愛らしい姿であたしと共に在ったのだ。あのガラスチューブを出てから、ナギがあたしを連れてタカマハラを出るまで、あたしたち3人はずっと一緒だったのだ。

 研究者たちに施される学習プログラムも、自分の身を守るための訓練も、タカマハラの歴史を学ぶ時も。

 朝起きてから寝るまで、あたしたちは約3年間、ずっと一緒に育てられたんだ……隔離された世界で。

――ごめんね

 忘れていてごめんなさい。

 あんなにも大切な時間を、多くの時間を共に過ごしたのに、知らない、なんて言ってごめんなさい。


 謝りたい。

 ミコトに。ヨミに。

 ごめんねって。

 あんなに一緒にいたのに、全部忘れててごめんねって。

 辛い時も寂しい時も、二人が一緒にいてくれたのに。

 あたしは二人の辛い時に何もしてあげられなかった。

 何も知らず、街でナギと二人、暮らしていた。

 ヨミが厳しい戦闘訓練を受けている時も、ミコトが死ぬような怪我を負っていた時も。

 ごめんなさい。

 ごめんなさい――ごめんなさい

 もう、一人で無茶するなんて言わないから。あたし一人が犠牲になんて言わないから。

 だってミコトもヨミもずっとあたしの代わりに犠牲になっていたんだから。

 きっと、その苦しみを知っている彼らだから、あたしをナミの元へは行かせやしなかった。



――生きなさい



 はっと目が覚めた。

 最初に見たのは、強い意志を持って輝く金色の瞳。

「……ミコト」

 まるで泣きそうな顔をした彼は、呆然とあたしを見つめた後、目を細め、そして――

「生きてる」

 かすれた声で小さくそう呟き、あたしの肩の辺りに顔を埋めた。

 ほんの少し驚いたものの、頬にかかる黒髪をゆっくりと撫でる。

「ありがとう――ミコト」

 生きていたいと思えたのは、きっとミコトのお陰だから。

 小さく震える彼の肩にそっと手を置き、あたしも目を閉じた。

 触れたところから伝わる体温が、生きている事を実感させる。ほんの少しだけ倦怠感を残す身体が自分のものである事を知らせてくれる。

「ごめんね、ミコト……ごめんね」

 とっても悲しかったと思う。

 とっても寂しかったと思う。

 だって今、自分の存在がミコトやヨミの中から消えたらと思うと、それだけで胸がぎゅうっと絞られるような感覚に陥るんだから。

「……どうやら、間に合ったようですね。プログラムの解除とコード挿入」

 カノが部屋の隅で大きく息をついた。

「プログラム……岩戸プログラムは解除されたのか……?」

 呻くように、ミコトの声が漏れた。

「ええ、そのはずです。プログラム解除のコードはテラス自身が強く『生きたい』と願う事。生きなさいと言われるのではなく、ただ生きるのでもなく、テラス自身が自覚を持って、自分の事を考えて、心の底から願った時、プログラムが解除されるように設定してあったのですから」

「そ……か」

 ミコトの震えが止まった。

 肩の辺りで、ミコトがゆっくりと顔を上げた。

 とても近くにある金の瞳はやっぱり強い光に満ちていて、それから、あたしによみがえった記憶の中の幼い顔と一瞬だけダブって。

 そしてそれは、彼の成長をあたしの中にはっきりと自覚させた。

 スサノオ。

 そう呼ばれていた幼い少年は、真っ直ぐな瞳を持つ青年に成長してあたしの前に現れた。

 そうして彼は見た事もないような満面の笑みであたしに笑いかけて。

 当時と同じように、でも記憶にあるよりずっと落ちついた声であたしの名を呼んだ。

「お帰り――テラス」

 もうだめ、反則だよ。

 そんな顔で笑わないでよ。

 卑怯だよ。

 きっとあたしの顔は今、真っ赤だ。

 もう、認めざるを得ないんだろうか。

「……ただいま」

 あたしの何もかもを見透かしたような言動の癖は小さい時から治ってない。

 少しばかり単純で、でも根っこが真っ直ぐなのも全然変わってない。

 でも、あの時はまだ子供だったのに――

「会いたかった」

 そう言った彼は、まぎれもなく、あたしの一番嫌いな、そして、最も接近を赦しちゃいけない「男」だった。それも、同じように遺伝子にコードを刻まれた「弟」。

 それなのに。

 嬉しくて、仕方がない。彼がここにいる事が。あたしと一緒に戦ってくれる事が。

「ねえ、ミコト」

 こつり、と額を当てるのは、あたしたち3人のおまじない。再会したヨミが最初、あたしにそうしたように。

 辛い事があったら、お互いにこうして悲しみを共有し、みんなで全部乗り越えてきたんだった。

 懐かしいこのおまじないも、あたしがヨミやミコトといた証。

「ごめんね――忘れてて、ごめんね」

 もう、忘れたりしないから。


 間近にミコトの気配を感じながら、何度ごめんね、と呟いただろう。

 あたしをプログラム解放の余韻から現実に引き戻したのは、銀色の瞳を持つ、出来のいいあたしの弟だった。

「そこ、何いちゃついてるの?」

 怒りをはらんだ声と共に、ふっとミコトの気配が遠ざかる。

 起き上ったあたしが見たのは、狭いスペースで取っ組み合う弟たちの姿だった。

「もう……」

 大きく、ため息をひとつ。

 どうしてこうなるのかな――昔から、そうだった。小さな事でこの二人はよく喧嘩していた気がする。

 それでも、これで一つクリアした。

 大きな音を立てながら取っ組み合う二人を無視して、二人の乱闘を避けてウズメと二人壁際に並ぶカノに微笑みかけた。

「ありがとう、カノ――これで一つ目の課題はクリア出来たのよね?」

「ええ、そうです」

 とても優しい街医者は、疲労の色を見せながらも、あたしにむかってにっこりと笑った。

「ですが、処置が万全ではないので、完全にあなたの細胞にコードが取り込まれたわけではありません。おそらくしばらくすればまた放射能汚染が広がってくるはずです」

「分かってるわ。その間にあたしたちは脱出する……ツヌミは?」

「ここの階下、メインルームでメインコンピュータータカミへのアクセスを今も行っているはずですよ」

「じゃあ、あたしたちは今すぐそっちに向かうわ。カノ、ウズメ、カグヤの人たちをお願い」

 あとは、全員でここを脱出するだけ。

 もちろんその先には、ナミを改心させるというとてつもない大仕事が残っているのだが。

「行くわよ、ミコト、ヨミ! いつまでそうしてるの!」

 組み合って転がった二人を怒鳴りつけると、ミコトとヨミはしぶしぶと言った風体で相手の服から手を放した。とはいえ、二人は睨み合ったままなのだが。

 あたしはもう一度だけ、すっかり癖になってしまったため息をついた。



 ツヌミの元へ向かう階段を、あたしはヨミ、ミコトと共に駆け降りていった。

「ごめんね~、テラス。開放系くらいでへばったりして」

「反動は仕方ないわ。でも、次からは辛かったらちゃんと言いなさい。そうしないとフォローにまわれない。だから……」

 とん、と最後の何段かを飛び降りて、あたしはくるりと振り返り、ヨミを見据えた。

「無理しないで。これは、命令よ」

 ヨミやミコトが傷ついたり、辛い目に遭ったりしているところを見たくないから。一度ツヌミにしたように、あたしは二人に命令を下した。

 こんなのは卑怯だ、という自分の声がかすかに脳裏をよぎる。ヨミがあたしの言葉に逆らうはずはない事が分かっていて、あたしの願望を押しつけた。

 ところが、ヨミは気にした様子もなく、それどころかあたしに一瞬の逃げる隙も与えず抱きついてきた。

「――?!」

 思わず硬直。

「ありがと、テラス。僕の事、心配してくれたんだよね?」

 心配してない、と叫びたいところだったが、心配したのは本当。

 でもこの抱きつき癖だけは直した方がいいだろう。

 ああ、背後から殺気が刺さる。感情変化のわかりやすいもう一人の弟があたしを引きはがすのは時間の問題だろう。

「大丈夫だよ、僕は強いから。君を守ってあげる。たとえ君が僕じゃなくて――」

 ヨミは小さな、小さな声で呟いた。

「ミコトを選んだとしても」

 囁かれた言葉に、はっとする。

 悲しそうに微笑んだ銀色の瞳の少年は、すべて分かっているかのように自らあたしを解放した。

 幼い時を共に過ごした彼はきっと、ずっと知っていた。

「ツクヨミ」

 小さい頃、少女と見紛うほどに愛らしい姿をしていた少年は、いつしか成長し、厳しくも優しい銀の瞳を持つ青年となった。

 何か言おうとしたあたしの唇にそっと人差し指をあてて、銀色の瞳が微笑う。

 ああ、どうしてだろう。

 どうして忘れていたんだろう。この人は、ずっとあたしを見守っていてくれたのに――

 呆然となるあたしの背を、両側から二人がぽん、と押す。

 前へ、進めと。

「離れろヨミ」

「うるさいよ、ミコト。君が僕に命令する権利はないはずだけど……いいよ、無視して。行こう、テラス」

「行くぞ」

 そうだ。今この瞬間にも、カグヤの人たちは危険にさらされているのだ。

 立ち止まってる暇なんてない。

 強い気持ちで目の前のドアを開いた。

 ところが、あたしたちの目に飛び込んできたのは、艶やかな黒髪を床に投げ出して倒れ伏す、ツヌミの姿だった。


「ツヌミ!」

 思わず駆け寄ろうとしたあたしは、身の危険を感じて足を止める。

 ざわりと背筋を何かが駆け抜ける。

 周囲は、光を忘れた漆黒の壁。その中で、ちかちかと幾つもの光が瞬いている。

 きっと高い場所から、例えばタカマハラタワーの最上部から街を見下ろすとこんな景色が見えるだろう。自分の足元の地面がなくなってしまったように感じてしまうような不思議な空間だった。

 天井の形も分からない。床も安定しない……いえ、これはあたしの方が揺らいでいるの?

「それ以上この場所に踏み込まないでください」

 厳しいツヌミの声が飛んだ。

 ゆっくりと、力ない腕に力を込めながら体を起こすツヌミ。

「ここにはまだ、彼がいます」

 情報意識体となった始祖の一人、タカミムスビ。

 あたしはごくりと唾を飲み込む。

「大丈夫、彼のプログラムはずいぶんと破壊しました。あと少し、あとほんの少しあれば通路を開く事が出来ます。そうすれば貴方たち3人だけでもここから脱出する事が出来る」

 そう言ってツヌミはリストバンドから幾本ものコードを伸ばし、周囲を彩る漆黒の壁に突き刺した。

「……先になんとか中枢部への通路を開きます。そこには、始祖がいるはずです」

 暗闇に、幾度も閃光が走る。

 ツヌミが、メインコンピューターのタカミと――始祖タカミムスビと闘っている。

「ナギは死に、タカミはここに。残りはナミのクローン体、ムスヒの『幻影』、そしてミナカヌシの『頭脳』」

 背を向けたツヌミの表情は分からない。

 でも、紡いだ声はとても苦しそうだった。

「もう少し……あと少しで本体に……」

 ぱりり、とツヌミの周囲を爆ぜる閃光が取り巻く。

 でも、あたしには何も出来やしない。

 見ていることしか出来ない。

 なんて悔しい。

「……ミコト、ヨミ、テラス。3分の間に、ここよりさらに下層にある扉に向かってください。貴方達が到着するまでに……開いて見せますから」

 震えてはいたが、強い言葉だった。

 迷いのないツヌミの姿がそこにはあった。

「分かった、急いでそっちに向かう……頼んだよ、ツヌミ」

 ヨミはそう言ってあたしの手を取る。

 ミコトは何か言いかけたが、ぐっと口を噤んだ。

 あたしにだって言いたいことはたくさんある。

 でも、ここにいたってあたしは何の役にも立てないんだ。

「行きましょう」

 そう言って背を向けた時、ツヌミのうめき声が聞こえた。

 思わず振り返る。

 漆黒の中にツヌミの髪が靡く。風もないのに、靡いた。

 大きく仰け反ったツヌミの中を電流が駆け抜けたのが見えた。

 リストバンドからのびたコードがまるで彼の両腕を束縛するかのようにぴぃんと張られ、それに引っ張られたツヌミは磔にされた罪人のような姿でその場に立ち尽くした。

「ツヌミ!」

 何も考える時間などなかった。

 思うより先に足が動いていた。

 力の抜けた彼の体が、光ない床に崩れ落ちる前に。

 あたしはその下に滑り込んだ。

 ツヌミの体を受け止めたその瞬間、あたしの全身を開放系第2段階の雷が貫いたような衝撃が襲う。

「きゃああっ……!」

 思わず迸る悲鳴。

 が、唇をぐっと噛みしめる。

「ヨミ! ミコト!」

 飛びそうな意識に逆らいながら叫ぶ。

「お願い、コードを切断して!」

 ほとんど悲鳴のようなあたしの声に、二人が即座に反応する。

「トツカ!」

「ハクマユミ!」

 まるで目の前で幾千幾万の電飾が一斉にフラッシュしたかのような感覚の後、ふいに電撃の痛みから解放された。



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