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タカミムスビ

「何言ってんだよ、テラス」

 振り返ろうとしたミコトの背に顔を押し当て、腰に手を回すようにして抱きついた。

 泣きそうな気持ちをごまかす為に。

 あたしはいったい、何を助けようとしていたの? ナミに逆らって、その結果、いったい何を得た? 助けようとしていた人たちに非難され、これからいったいどうしたらいい?

 何を信じればいい? どうしたらいい?

 あたしはいったい何がしたいの?

 このまま逆らうの? 先も見えない大きな力への抵抗を続けて、それに多くの人の命を賭けて、それが何になるの?

「いいんだ、もう。もういいの……」

「な、どうした、テラス」

 慌てたミコトの声。

 狼狽した彼はそのまま硬直してしまったようだ。

 そうやってあたしのために声を張り上げてくれただけですごく嬉しかったから。

「あたし、行く。ナミの所に行くよ。だってそうしないと、みんなが死んじゃう」

 カグヤが閉ざされてしまった今、この状況を打開するにはあたしがナミの元へ行くしかない。

 あたしの中のコードをどう使うかというのは、その後の問題だ。その前にみんなが死んでしまっては全く意味がない。

「あたし、もう誰も死んでほしくないの。異形にもなってほしくない。だから」

「やめろテラス、そんな事をしたら……」

「あたし、がんばってナミに頼むから。もし必要なら、抵抗だってする。ちゃんとナミが約束守るように、あたし、頑張るから。だから――」

 ますます強く額をミコトの背に押しつけて、あたしは絞り出すように言った。

 ミコトの体から力が抜けるのが分かる。

 ああ、分かってくれたかな?

 と、思ったのだが、残念ながらあたしは甘かった。

 あたしが油断した一瞬の隙をついて、ミコトはくるりと体を反転させた。

 金色の瞳にあたしが映って、吸い込まれそうになる。

「行かせない。絶対、行かせない」

 気がつけばミコトの声が耳元に聞こえた。目の前には逞しい胸板があって、背には優しい手が回されていた。

「ナミの元にだけは行くな。頼むから。お前が壊れてしまうんだ、テラス……!」

 ミコトの腕の中で、あたしはこんな状況なのに確かな安堵を感じていた。

 ヨミに抱きしめられた時とは明らかに違う。この人は、きっとあたしを安心させる何かを持っている。

 人々の敵意が酷く遠くに感じられ、喧騒が一枚壁を隔てた向こう側にあるようだ。

「俺は死にかけたんだ。実際、一度死んだと思った。今生きているのは、本当に偶然だ。それと、俺がお前に会いたいと願っていたから――」

 震えるような声で囁いたミコトは、いつかのように優しい感触で髪を撫でた。

 少しだけ、懐かしい感触。

 温かさに触れて、何かが融けかかっている。

「ナミは俺達を人だとは思っていない。ただの、コードを刻んだメモリと一緒だ。どう使ってもいい、入れ物が壊れても、情報だけを取り出せればそれでいい、と」

 もうだめだ、頭の中ぐちゃぐちゃ。

 何も考えられない。

「そんな奴の所に行ったら、お前は二度と帰ってこられないかもしれない。それだけは、嫌なんだ。やっと会えたのに。ずっとずっと会いたいと思っていて、やっと会えたのに……!」

 どうしてこの人はこれほど簡単にあたしの中に入り込んでくるの。

「生きてくれ、テラス。頼むから、生きて、自分だけ犠牲になれば、なんてそんな考えは――許さない」

 許さない、という言葉だけは震えていなかった。

 ミコトの本気が感じられて、心臓が跳ね上がる。

「生きて、全員でここを出る方法を考えよう。大丈夫だ、絶対に助かるさ。お前は俺達に太陽をもたらす道標なんだから――」

 この人の自信はいったいどこから来るんだろう、と何度も繰り返したけれど、それがようやく分かった気がする。

 何か根拠があるわけじゃない。信じられる要素なんてどこにもないんだから。

 でもミコトは、自分の思いを信じる事が力になり、いつか『真実』へと変貌する事を知っている。諦めない事がいつか成功につながると体で理解している。

 だからこんなにも強い――あたしを惹きつけてやまない金色の瞳が強い光を放つのだ。

 温かい光があたしの中に灯る。

 諦めようとしていた心が昇華して消えていく。

 まだ、大丈夫。あたしは戦える。

 ここにはあたしもミコトもヨミもいるんだって、そう言ったのも彼だった。それにカノもツヌミもいる。あたしたちが知らないような知識を持つ二人がいれば、打開策を見いだせるかもしれない。

「……ごめんなさい」

 ミコトにだけ聞こえるように小さな声で謝った。

 その言葉をどうとったのかは分からないが、ミコトはますます強くあたしを抱きしめた。絶対に離さないと、全身で訴えていた。

 ミコトにはこれまで何度も助けてもらった。初めて会った時から、タツに襲われた時、ツヌミがタカマハラだと知った時も。時にトツカを振るい、時に優しい言葉をかけ、挫けそうになる度、叱咤し、激励し……彼はとうとうあたしをここまで連れてきた。

 彼がどうしてこんなにあたしを気にかけてくれるのか、それとも誰に対してもこうなのかは分からないけれど。

 少なくとも、この人だけは最後まで味方なんだろう。

 誰が隠し事をして、裏切って、非難するのか、先の見えないこの世界で、ミコトだけは世界の終わりまであたしの傍にいてくれるんだろう。

 じゃあ、この人を終焉まで道連れにしても赦されるだろうか?

「ありがとう」

 今度は誰にも聞こえないように本当に小さく呟いて、あたしは少しだけ笑った。

 ほとんど時間は残されていないだろう。

 前回ミコトがカグヤに置き去りにされた時、細胞破壊プログラムが進行して半日でミコトは動けなくなるほどのダメージを受けた。おそらく、ヨミも同じだろう。

 彼ら二人はダメージが外在しやすいが、普通の人たちだって放射能の影響を徐々に受けているはず。特に、これまでもカグヤにいた人達の進行度は深刻なはずだ。

 その中で、あたしたちはちゃんと全員が助かる方法を模索できる?

 もちろん、一人では無理かもしれない。

 でも、みんなが同じ意志を持てば。『生きたい』と思ってくれれば、きっと不可能じゃない。だって『信じる事』はいつか『真実』になると、ミコトが教えてくれたから。

 いや、すでに皆が同じ願いを持っているんだろう。ただ、方向がバラバラなだけ。

 考えろ、テラス。歩みをとめちゃダメ。

――生きなさい

 お願い、ナギ。あたしに力を下さい。

「放して、ミコト」

「……駄目だ」

「放してよ」

「駄目だったら駄目だ!」

 頑なな声。

 この場所を離れるのは少しばかり名残惜しいが、あたしは一喝した。

「いいから、放しなさい!」

 そう言って、どん、とミコトを突き放す。

 驚いた金色の瞳に、あたしは不敵に笑いかける。

「このままじゃ、カグヤの人たちと話も出来ないわ。それに、全員でここから脱出する方法を考えないと」

 ツヌミとカノにもにこりと笑いかける。

「手伝ってくれるわよね、二人とも」

 一瞬驚いた顔をした二人だったが、カノは眼鏡の奥の目を細めて、ツヌミは唇の端を少し上げて頷いてくれた。

 きっと、大丈夫。あたしとミコトとヨミがいれば――

「……ヨミ?」

 先ほどからヨミは全く喋っていない。ずっと俯いてその場に佇んでいるだけだ。

 太陽の光を受けて煌めく橙の髪に隠された顔が、うっすらと青ざめているようにも見える。

「ヨミ、どうしたの? 大丈夫?」

 近寄って問いかけると、ヨミはふっと銀の瞳をこちらに向けた。

 とても体調がよさそうには見えない。いったい、どうして? すでに放射能の影響が出ているというの?!

「……大丈夫、心配しないで。大したことないから」

「全然だいじょうぶそうじゃないよ?!」

「なんでもない。それに、僕よりそこのバカの方がよっぽど辛いはずだけど?」

 そう言ってヨミが指したのは、金色の瞳を持つ青年。

「ミコト……?」

 彼は全くそんな風には見えないけれど、隠しているんだろうか?

 と、思っていたら、ツヌミが大きくため息をついた。

「開放系第3段階を使った反動です。二人とも、本当ならすぐに動けるような状態ではなくなるはずですが……おかしいと思ったら、二人とも我慢してたんですね」

 それに続き、カノが珍しく厳しい口調で告げる。

「二人とも今すぐに休みなさい。放射能の影響が強いこの場所で、貴方たちはほとんど動けないはずです」

「俺はまだ大丈夫だ」

「嘘を言いなさい。足元がふらついていますよ」

 ぴしゃりとカノに言われ、ミコトは口を噤んだ。

 まったく気づかなかった……あたしはまだ、周りが見えていないらしい。

「カノ、二人を休ませて。ツヌミは、カグヤの人たちを落ちつかせて、あたしの話を聞ける状態に出来るかしら?」

「できますが、テラス、いったいどうするつもりですか?」

「とにかく動きなさい! ごちゃごちゃ言う前に行動! これは絶対よ」

 そう言うと、カノはいったん眼鏡の奥の目を細めて、ぽつりと言った。

「……テラス、後で話したい事があります。が、今はとりあえず、全員で場所を移動しませんか? もしかすると、うまくいけば助けられる道があるかもしれない」

「本当?!」

「カノ、いったいどこへ向かうつもりで……ああ、あの場所ですか」

 ツヌミは質問を途中で終えて、微妙な表情をした。

「あの場所は『タカミムスビ』の本拠地です。正気ですか?」

「ええ。可能性があるとすればあの場所しか残っていない。タカミムスビの事は貴方に任せますよ、ツヌミ。コードの方は……私が、頑張ってみましょう」

 また二人で分からない会話をする!

 一瞬苛立ったが、後で話したい事がある、と言ったのだ。

 今はこの二人に任せ、少しだけ待つしかない。

「ツヌミ、ミコトとヨミを運ぶのに、比較的落ち着いたカグヤの人を2人選んでくれますか? 先に、テラスを連れて移動していますから」

「はい、気を付けてください」

 今から向かうのはいったいどんな場所なんだろう。

 不安と共に、あたしは天頂の太陽を見つめた。


 カグヤはいくつかのスペースに分けられているらしい。植物を育てる場所、動物を育てる場所、人が住む場所、食物を加工する場所。

 ずっとカグヤにいたという青年たちは、ミコトとヨミの二人を背負って歩く道中、決して周囲を見ようとはしなかった。今は閑散としているが、普段なら人々が緑の中で労働を強いられていたのだ。きっと、いい思い出なんてないんだろう。

 あたしの目にこのカグヤがとても美しい場所に映るのは、まやかしなんだろうか。

 カノが導いたのは、不思議な形をした建物だった。

 半球のドーム状をした黒光りする建物は、すべての光を遮断するかのように歴然と緑の中に佇んでいた。全く継ぎ目のない完璧な形。見上げるほどの大きさのそれは、この場所に置いて明らかに不自然だった。

「これは何? カノ」

「カグヤ唯一の実験室です。いくらか放射能を遮る事もできます。最上部はドームになっていますから、この大きさなら全員が休む事も出来るでしょう」

「でも、時間はないでしょう?」

「……ええ。ミコトとヨミがこれだけ疲弊しているとなると、この中に逃げ込んだとしてもおそらくリミットは丸一日ほど――その間に、手を打たなくてはいけません」

「さっき、考えがあるって言ってたわよね」

「ええ。うまくいくかどうかわかりませんが……テラス、私とツヌミに命を預けてくれますか?」

 その言葉に、あたしは思わず息を呑む。

 命を預ける。きっと、それは比喩なんかじゃない。文字通り、カノとツヌミにあたしたちの生死をかける、ということだ。

 あたしは一度、逃げだした。

 何も教えてくれないカノを疑い、この人のもとを去った。

 この世界を知らない事が恐ろしかったからだ。事実を隠蔽されているという状態に耐えきれず、逃げだしたのだ。

「教えて、カノ。今からいったい何をしようとしているの?」

 見上げたカノは、初めて会った時から変わらない、眼鏡の奥の優しい瞳であたしを見下ろしていた。

「一か八か、貴方とミコト、ヨミのコードを取り出して、全員に植え付けます。完璧に、とはいかないでしょうが、カグヤの人々の汚染進行を留める時間稼ぎにはなるはずです」

「……出来るの?」

 そんな事、遺伝子工学に秀でたナミにしかできないかと思っていた。

「分かりません。が、私も医療分野の専門家です。これまで多くの事を独学で学んできましたし、何より、ナギは私にコードについて多くの資料を残してくれました。もしかすると、こうなってしまう事を予測して」

 息が止まりそう。もし、そんな事が出来るなら、ナミに屈する事もない。この街に住むみんなを助ける事が出来る。

 本当に、出来るというの?

「それが出来るのなら何故これまでしなかったの?」

「残念ながら出来る、とはとても言いきれませんよ。設備も十分でない、私の専門でもない。人の命をかけるというのに、本来なら私のように中途半端な知識でこんな大それたことをすべきではありません。それは、生命への冒涜です」

 もしかすると、あたしはカノに無茶を頼んだのかもしれない。

「カノ」

 でも、残された道は他にない。

「何でしょうか、テラス」

「あたし、カノを信じるわ」

 この人を信じてみたい。

 大怪我したあたしを救ってくれた人。タカマハラにいた頃からナギと懇意だったという街医者。

「あたしとミコトとヨミの、それにカグヤの人みんなの命、全部預けてもいい……?」

 それは、とても重いものだから。

 あたしだったら背負ったら潰れちゃうくらい、本当に重いものだから。

「ありがとうございます」

 街医者は笑った。本当に嬉しそうに。

「テラス、貴方は諦めなかった。ナミに最後まで抵抗しようとした。それが、私に最後の決心を促しました」

「諦めなかったのはミコトよ。あたしは何度も諦めようとしたもの。その度に励ましてくれて、ここまで連れてきてくれた」

 そう言うと、カノはくすりと笑った。

「本当に貴方たちはいい兄弟ですね――大丈夫、私もツヌミも全力を尽くします。タカマハラに住まう過去の影を振り払って、皆で太陽を手に入れましょう」

「……じゃあ、最後に一つだけ聞いていい?」

「何でしょうか」

「始祖って……何?」

 おそらくそれがあたしたちの最後の敵となるんだろう。

 ナミのクローンを作り、タカマハラを支配した『始祖』。タカマハラと防御壁を作り、この街を外界と隔離した5人。

「ツヌミと違って私はナミから直接聞いたわけでなく、あくまですべて推測です。なので、聞き流してくれて構いません」

「それでもいいわ」

「……分かりました」

 ちょうどその時、ようやくドームの麓に辿り着いてぐったりとした二人を横たえた。

 カグヤにいたという二人の青年は、あたしたちの話を何が何だか分からない、という顔で聞いている。

「中に入るにはツヌミを待たなくてはいけません。ここで立ち話をしてもいいでしょうか」

「いいわよ」

 こうしてあたしはようやく、敵の正体を知る事になった。

 眩しい太陽の下で。放射能に犯されたフィールドで。



 遮光スコープを介してもなお目が焼ける感覚があたしを襲う。太陽のエネルギーというのは段違いだ。

 そんな中で、このドームだけが異質。

「今から100年以上も前の話です。とある理由で、外の世界は生命体に害をなす『放射能』に包まれました。ご存知の通り、放射能を浴びると生体を形作る遺伝子が破壊され、形を保つことが困難になります――俗に『異形オズ化』と呼ばれるそれで、世界は混乱に陥りました」

 カノは静かに語り出した。

「無論、この街の前身となった都市も放射能の被害を受け、消滅するのは時間の問題と思われたのです。当時この都市を抱えていた国家――ああ、貴方は国家という概念を知りませんね。国家というのは土地と人を区切り、そこに支配するモノを置く事で秩序を形成する集団の事です。その国家はすぐに崩壊し、人々は路頭に迷う事になりました」

「その頃、防御壁もタカマハラもなかったのよね」

「ええ……ですが、放射能に満ちた場所で、それでも人々は諦めなかった。そして、いつしか各専門分野のプロフェッショナルが集まって生き残りを模索する一つの組織を形成しました。それが、タカマハラに繋がる組織です」

 カノは太陽を見上げ、眩しそうに目を細めた。

「その時の中心人物は4人――いえ、先ほどナミに訂正されましたから5人ですね。彼らはそれぞれの知識でもって、この防御壁とタカマハラ、そしてカグヤを作り上げました。その5人を当時は『始祖』と呼び、崇めていたようです」

「それがナミやナギだったの?」

「ええ。生物学者イザナミ、機械工学と情報学の専門家タカミムスビ、化学分野に秀でた女性学者ムスヒ、そしてすべてを支配したとされる地質学者ミナカヌシ。彼らは、防御壁とタカマハラの構想を練り上げ、放射能に犯されていない人々だけを集めて、この街を作り上げました。それが今からちょうど102年前の話です」

 102年前。このタカマハラが、カグヤが創られたのはそんなにも昔。

「こうして彼らは放射能を遮る防御壁と引き換えに太陽をも失ってしまいました。光のない街で細々と、それでも絶えない異形化と戦いながら生きていくことを選択したのです。ですがしかし、彼らは再び太陽の元を歩く事を諦めていませんでした」

 カノはそこでいったん言葉を切った。

「それを後世に託すのなら分かります。後の人々が知性の発展の先に放射能を克服して欲しいと願う事くらいなら。しかし、彼らはそうしなかった。『自分たち自身』で太陽を取り戻したいと考えていたのです」

「……どういう事?」

「ツヌミの言葉からすると、彼らはまだこのタカマハラに存在しています。例えば、ナミはクローン体として今もタカマハラを支配している。つい最近まではナギも同じだった」

「他の人たちもクローンになっているって事?」

「いいえ、おそらく別の形で残っています。その中の機械工学の『タカミムスビ』……私の予見が正しければ、彼はおそらく……」

 ところが、カノの言葉が終らないうちに、突然地面が弾かれるように揺れ動いた。

「?!」

「やはりこうなりますね」

 カノはあたしを庇いながら目の前のドームに目を細めた。

「早く来てください、ツヌミ――貴方だけが頼りです」


 地鳴りと震動が響き渡る床を、多くの人が駆けて来る。

 その先頭に立つのはツヌミだ。

「ツヌミ! タカミムスビに存在を気付かれました。すぐに……」

「分かっています。出来る限りで迎撃します」

 あたしたちの元に辿り着いたツヌミは、リストバンドからコードを引き出し、ドームの外壁に押し当てた。

 ぐにゃり、とその部分の壁がゆがんでコードを呑みこんでいく。

「?!」

「とりあえず、すぐに開けます。長くは持たないでしょうから、全員を中に引き入れる準備を!」

 ツヌミの手元に、薄く光る立体映像のキーボードが現れる。いや、映像ではなくあれは感応もするらしい。

 その上で両手を躍らせるツヌミ。

「あと12秒……テラス、ヒルメを召喚して、開放系第2段階でこの壁を射抜いてください」

「わ、わかった」

 足元のおぼつかない揺れの中、あたしはヒルメを構えた。

「行きますよ……カウント、4、3、2、1……今です、テラス!」

「開放系第2段階、いかづち……『建御雷神たけみかづちのかみ』っ!」

 あたしの叫びと共に、ヒルメから凄まじいエネルギーが飛ぶ。

 それは漆黒のドームの壁にぶつかり、反発を起こした。

「回路開通まであと8秒、7、6……」

 弾けまわる雷の光。

 それを見つめるカグヤの人々。

「2、1……開きます! 全員、飛び込んでください!」

 ツヌミの声と同時に、先ほどコードを呑みこんだ時と同じようにドームの一部がぐにゃりと歪んで、ぽっかりと穴が顔を出す。

 人々は、我先にとその穴に飛び込んでいく。

「残り34秒、カノ、ミコトをお願いします。私はヨミを」

「分かりました」

「テラス、向こう側に飛び込んで全員が抜けきったら、最後にもう一度だけ開放系第2段階を同じ場所に叩きつけてください」

「分かったわ」

 カグヤの人が全員穴に飛び込んだのを見届け、カノとツヌミもそれぞれミコトとヨミを背負って飛び込んだ。

 そして、あたしも最後にドームに吸い込まれる様にして中へと侵入した。

「今です、テラス、『いかづち』を!」

「開放系第2段階、いかづち……『建御雷神たけみかづちのかみ』!」

 再び視界が真っ白に染まり、凄まじい破裂音がした。

 が、光が退くにつれて同時に足元の揺れも収まっていく。

「ありがとうございます、テラス。これでとりあえず侵入は成功しました」

 秒単位の正確な指示で全員を中へと引き入れたツヌミは、あたしに向かってにこりと微笑んだ。

 そんなツヌミの表情が読み取れる、という事は、この場所にいくらかの光があるという事なのだが。

 あたしは遮光スコープを外し、辺りを見渡した。

「ここは、ドームの中?」

「ええ。ドーム最上部のエントランスです。この広さならおそらく全員を落ちつけるだけのスペースがとれると思って。何より、ここは放射能をある程度遮断できます」

 ツヌミの言葉通り、ここは非常に広い空間だった。カグヤの労働者、おそらく300人弱だと思うのだが、全員が息をついて座り込んでもまだ空間の半分を占めていない。

 全体を円頂状に覆うのは、ドームの外壁を構成するのと同じ素材だった。

「さあ、テラス。時間がありません。ミコトとヨミはカノに任せて、私達は彼らにすべてを説明しなくてはいけませんから」

「……分かったわ」

 そう、あたしたちは絶体絶命の危機にさらされている。前に進むしか方法がないのだ。

 そのために、全員の意志を一つにまとめ上げる事が必要だった。

 あたしに出来るかしら?

「ツヌミ、ここを出る策を簡単に教えてくれる?」

 それがどんなものであろうとも、あたしたちは前に進まなくちゃいけないのだけれど。

「……はい」

 ツヌミは一瞬、自分の背負う者の重さを確認するように人の波を見渡してからあたしの方に向き直った。

「カノがどこまで話したか分かりませんが……タカマハラと防御壁を作った始祖は5人います。そのうち、ナミの元となるイザナミとナギの元となるイザナギは生命工学、つまり遺伝子レベルで放射能の汚染に立ち向かおうとしました」

「それは聞いたわ。あと、機械工学の専門家だったタカミムスビっていう人、化学分野の女性学者ムスヒ、それから地質学者ミナカヌシ」

「そうです。機械工学のタカミムスビは、科学のムスヒと協力し、防御壁を作り上げました。また、ミナカヌシはこのタカマハラ全体のシステムと、生活に必要な水・食料を得る手段を」

「それぞれ分担したのね」

「はい。その後、ご存知のように、ナミとナギは自らのクローン体を順に作成する設備を整えました。この街を放射能から解放するという役割を自分の子孫ではなく『自ら』が行おうとしたのです」

 ツヌミはひどく悲しそうな顔をしていた。

「しかし、他の始祖も同じ事を考えました。『放射能の克服は自らの手で』と。傲慢な、科学者の考えですね」

「カノは言ったわ。始祖は皆、別の形でこのタカマハラに残存しているって」

「ええ、そうです。ナミとナギはクローンを残しました。そして、機械工学の専門家タカミムスビは――タカマハラのメインサーバー内に情報生命体として今も存在しています」

「情報生命体……?」

 あたしが首を傾げると、ツヌミは簡単に説明した。

「はい。タカミムスビは死ぬ間際、自らの意識をコンピューター内に移転させました。つまり、タカミムスビの意識はこの世界からは消え去ってしまったけれど、代わりに今でもこのタカマハラのコンピューターの中に存在するという事です。システムすべてを取り仕切る意志を持つマザーコンピューター、『タカミ』として」

「彼は……タカミムスビは死んでない、って事?」

「ええ、そう言う事になります。先ほどの地震も、私達の存在に気付いた『タカミ』が起こしたものです。おそらく、このカグヤを隔離しているのも彼のはず」

 ツヌミの瞳に、強い意志の光が灯った。

「ですから私が、システムに侵入してタカミを倒します。そうすればカグヤから脱出するだけでなくこのタカマハラのシステムをすべて私が掌握できる事になるのです」

「……すごい!」

「ただ問題は、私が『タカミ』に勝てるかどうか、その一点だけ。しかもかなりの時間がかかるでしょうから、それまで放射能の汚染が心配です」

「そこでカノがコードを取り出して放射能への耐性を全員につけさせ、時間を稼ぐ」

「ええ、大まかにいえばそんな作戦です」

 あたしにはわからないが、きっとそれは途方もない作戦なんだろう。あのカノが今までずっと躊躇していたんだから。

 それに、ツヌミは『タカミ』を倒す、って言ったけど、相手は100年以上前からこのタカマハラを仕切ってきたコンピューター。そうやすやすとやられてくれるはずはないだろう。

 それでも、もう前に進むしかない。

「……お願いね、ツヌミ。あなただけが頼りなの」

「ええ、分かっています。全力を尽くします。だからテラス、貴方は人々に希望を与えてください」

 あたしは答える代わりに、にこりと微笑んだ。


 人々の視線があたしに集中する。

 それだけでさっきの敵意の嵐が戻ってくるようで、心臓が抉られる感触に襲われた。

 大丈夫、大丈夫。

 強い金色の瞳を思い浮かべて自分を落ちつける。震えそうになる手をぎゅっと握りしめて唇を引き結ぶ。

――生きなさい

 ナギ、大丈夫よ。あたしはもう、大丈夫。

 一度目を閉じて、深く深呼吸。

 そして、目を開けると、人々を見渡した。

 だいたい300人弱くらい。年齢は様々、男性の方が多いかな。けれど、タカマハラ内の取り決めで20歳以下はいないと聞いた。平均寿命がおよそ40歳というこのタカマハラにおいて、20歳というと人生の約半分にあたる。

 先ほどまで殺気立っていた人々は、ツヌミの呼びかけのお陰かだいぶ落ち着いているように見えた。

 最初に何て言ったらいいんだろう?

 いや、そんな事、決まっている。

「初めまして、みなさん。もうご存知かもしれませんが、あたしはテラスと言います。タカマハラではなく、もっと暗い、下の街で育ちました」

 最初にするのは自己紹介、と相場が決まっている。

 人ごみがぞわり、とざわめいた。

「皆さんは、わけも分からずあたしの事を救世主だと思っていたかもしれないけれど、それは違います。あたしは、ただの異形狩りです。なんの力もない、一人じゃ何も出来ない一人の人間です」

 そう、あたしには何も出来やしないのだ。

 今だって、ここから脱出するため、実際に動いているのはカノとツヌミだ。

「でも、あたしは偶然にもこの細胞にあるプログラムを刻んでいました。それは、カグヤに、防御壁の外に蔓延する放射能に対抗できるものです。もちろん、あたしだけじゃない。あたしの兄弟であるミコ……スサノオとツクヨミの二人も同じプログラムを持っています。あたしたち3人がいて、ようやく放射能から身を守るためのプログラムが完成するのです」

 いつしか人々は真剣にあたしの話に耳を傾けていた。

「今、カノが……医療分野に従事していた研究員の一人があたしたちに刻まれたプログラムを取り出し、全員に与えられるよう準備を行っています。そして、ツヌミはカグヤを封鎖したメインコンピューターに入り込み、ここから脱出できる用にすると言ってくれました」

 伝わるだろうか、カグヤの人々に――あたしの願いが、ツヌミやカノの努力が、ミコトやヨミの強い思いが。

「ですから、少しだけ、あたしたちに時間を下さい。そして、出来る事なら願ってください」

 静かなドームにあたしの声が響く。

「生きたいと。生きて、ここから出たいと」

 あたしはカノとツヌミを信じている。彼らならきっとこの多くの人々を救えると信じている。

 そして、こうやって人を信じる事を教えてくれたのはヨミ。

「願いは力になります。そして、いつか真実へと変貌するでしょう」

 これはミコトが教えてくれたことだ。

 あたしは一人じゃない。

 そして、カグヤのみんなもきっとそれを分かってくれるはずだ。

「本当ならあたしがナミの元へ行くべきでした。たとえあれがナミの虚言だったとしても、最後の可能性にかけなくちゃいけなかったんです」

 こんな事を言ったら罵倒されるかと思いきや、会場は静まり返ったままだった。

「信じてもらえるか分かりませんが、ナミはあたしの前ではっきりとカグヤを放棄する事を宣言しました。もちろん、第2層に住む人々もすべて。生き残るのは、第4層の研究者たちだけでいい、と――」

 もうあんな気持ちは味わいたくない。

 全員で生き残りたい。そう思う事は間違いじゃないはずだ。

 きっとすごく苦労するだろう。これまでタカマハラと暗い街を隔てていたものを取り払う事になるのだから。カグヤもなくなって、新しく食料を生産する方法を考えなくちゃいけなくなるだろう。

 でも、そんなのは後の話だ。

 とにかく、今を生き残る。それが一番大切な事。

「でも、あたしは嫌。可能性があるなら、全員に生きていて欲しいの」

 生きてカグヤを出よう。そして、ナミを説得しよう。

 説得してだめなら、力ずくでも。

「だからお願いです。『生きたい』と願ってください」

 全員の願いが誓いになり、いつか真実へと変わるように。

 しん、としたドームに、ぱらぱら、と小さな拍手が漏れた。

 それはいつしか大きな渦となって全員を巻き込み、気づけば割れんばかりの拍手が会場を埋め尽くしていた。



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