ヒルメ
渋るツヌミを促して、全員でナミのいる第5層研究室へと足を踏み入れた。
「流石ですね、私でもここにはこれほど簡単に出入りできませんよ。『八咫烏』の名は伊達ではありませんね」
カノの言葉に、ツヌミは返事をしなかった。
苦しそうな表情から、彼の葛藤が読み取れる。
「もう覚悟決めろ、ツヌミ」
ミコトがぽん、とツヌミの背を押す。
「お前は俺と同じだ。反逆の切っ掛けを探してたんだろ?」
ツヌミは答えない。
「俺はテラスと再会して、タカマハラを抜けようと決めた。テラスをナミの手に落とす事を絶対にしたくなかったからだ」
ミコトの言葉にどきりとした。
あの時、二度目に会った時の言葉を思い出したから。
『俺と一緒に来い、テラス』
金色の瞳は力強さに満ちていた。絶対的な意志と信念――それは、あたしが躊躇して手に入れ損ねていたものだった。
タカマハラを捨てればどういう目に遭うか、分かっていたのだろう。それでも、あたしに手を差し伸べてくれた。
「ツヌミ、お前も来い。コードの転写なんて、ナミじゃなくたってお前が勉強すればいい事だろう? お前は賢いんだからさ」
あの時、金の瞳に心動いた理由が今なら分かる。
にこりと笑ったミコトに視線を奪われる。
「テラスとヨミと俺がいて、他に何がいる? この上ない切り札だろう」
この人の声は何でこんなにも安心するんだろうか。
第一、何の根拠もないのにどうしてこんなに自信満々なの?
「どうして僕を勝手に勘定に入れるかな」
「ここまで来て何言ってんだ。一時休戦だ、休戦」
思わず笑みがこぼれた。
「……相変わらずですね、ミコト。貴方の考えなしは」
ツヌミもはあ、と大きなため息をつく。
「でも、貴方のそんなところは……嫌いじゃありませんよ」
唇の端で微笑んだツヌミは、どこかすっきりとした顔をしていた。
「テラス、先にヒルメを渡しておきます」
「ヒルメ?」
「ええ。ミコトの剣トツカやヨミの槍ハクマユミと同じ、電子頭脳を付随した武器です。音声認識機能もあります。分子分解で収納できるようリストバンドに搭載しておきました」
そう言って、ツヌミはリストバンドをあたしに渡した。
「ヒルメは『弓』です。これまでクロスボウを使っていたのならば、それほど苦労せず使えるはずです」
受け取ったリストバンドを左手首に装着する。
「発動方法はこれまでと同じです。発動後は、ヒルメの指示に従ってください」
「ありがとう」
これで武器も手に入れた。
「さ、行こうよ、テラス!」
ぽん、と肩に手を置くヨミ。
が、その手をピシリと叩く別の手。
「馴れ馴れしくテラスに触るな、ヨミ」
「その台詞、そのままそっくりお返しするよ、ミコト」
この二人、仲がいいのか悪いのかよく分からない。
そう思ってくすりと笑うと、同じように微笑んだツヌミと目が合った。
「貴方たちなら、何もかもをリセットできるかもしれませんね。ナミの事も、その上にいるもっと大きな力まで」
「その上……?」
タカマハラを取り仕切るナミの上に、まだ何があるというのだろう?
が、あたしはその瞬間にはっとした。
――ナギは私と同じ遺伝子配列を与えられた
ナミの言葉が蘇る。
『与えられた』
じゃあ、与えたのは誰? ナミ以外の誰か。
タカマハラのトップに遺伝子配列を与えるのはいったい誰――?
「ナミがいるのはこの先です」
第5層、ナミの研究室の最奥。
これまでの味気ないクリーム色の扉ではない。
素材は分からないが、にび色の重厚な扉があたしたちを出迎えた。両側に開くタイプで、周囲に細かい装飾がなされている。中央には両扉に分かれるように、大きく三つ足の烏が刻印されている。
そして、その紋様には見覚えがあった。
ミコトの持つトツカ、それにヨミの持つハクマユミに刻印されたものと同じだ。
「少し離れていてください。この扉は、ナミ以外開ける事ができません」
「じゃあ、どうするの?」
「こじ開けます」
うわあ、ツヌミの言葉とは思えない過激さだ。
「だったらどいてろ。俺がやる……トツカ!」
「へーぃよぉー」
ミコトの手に黒柄の大剣が現れる。
この厚くて丈夫そうな扉をトツカで切ろうって言うの?!
が、ツヌミの冷たい声が飛ぶ。
「やめてください。そんな事をしたら開くものも開きません」
「何だとっ?!」
「最重要施設が保管されている場所とを隔てるのが、トツカで切れるような扉なはずがないでしょう。黙って見ていてください」
ぐっと詰まったミコトにトツカのヤジが飛ぶ。
「怒られてやーんの。ばっかでー」
「うるさい、トツカ」
あ、ミコトが拗ねた。
その間にもツヌミは扉の隣にあるパネルを操作している。
「どうするの?」
「この扉を開けるには、ナミ本体の情報が必要です。指紋、光彩など、ありとあらゆるデータを本物と照らし合わせるのですが、おそらく、『照らし合わせるためのデータ』がここに入っているはずです。それを引き出してコピーし、認証させます」
「……?」
よく分からなかったが、おそらくツヌミに任せておけば間違いはないだろう。
「カノ、手伝っていただいてもよろしいですか?」
「……機械はあんまり詳しくないんですけど」
「他よりマシです」
そう言われて、ミコトとヨミが顔を見合わせる。
憤慨した様子だが、図星を突かれたようで返す言葉もない。二人とも、そのまま不機嫌そうな顔で黙りこんだ。
「ひどいよね、ツヌミは。自分がちょっと頭いいからって、偉そうだし」
「しょーがないだろぉー。ミコトの頭足りなさっぷりはすげーぜぇー」
そこへトツカがちゃちゃを入れる。とても人工頭脳とは思えない台詞だ。
「テラスちゃんに会って、なんて言ったと思うー? 『俺と一緒に来い』だぜぇ? 信じられるか、どこ行くんだっつーの。あん時まだタカマハラにいたっつーの」
「戻れ、トツカっ!」
ミコトの慌てた声。
が、もう遅かったようだ。
「へぇ~、ミコト、そんな事言ったわけ? あの時だよね、ナミが街に来たあの時」
「……トツカの奴、余計な事を」
舌打ちしたミコトの後ろからヨミが腕を回して首を絞める。
「ど・こ・に行くつもりだったのかな、ミコト?」
「うる……さいっ!」
うわあ、どうしよう、この仲良しっぷり。とても殺気を飛ばして剣と槍を突き付けあっていたようには思えない……
「信じらんないよ、テラスをどうする気だったのかな? あの時は怪我だって治ってなかったのに……路頭に迷わす気だったの?」
「苦し……やめ……」
「そのまま死ねばいい」
「ト……トツカっ!」
「へいへぃほー」
ああ、そうでも、ないか。
ミコトはトツカを召喚。一瞬にして形勢を逆転し、ヨミに切っ先を突き付けた。
「何するんだよ……ハクマユミ!」
やっぱりこうなるんだね。
はぁ、とため息をつくと、隣でカノも困ったように笑っていた。
「相性が悪いんですよ。いつもこうです……大丈夫、どちらも本気で殺す気はありませんから」
「……じゃ、ないと困るわよ」
この狭い研究室の中を、資料を散乱させ、机や棚を蹴り飛ばしながら、縦横無尽に飛びまわる二人。
「ハクマユミは無口ね。トツカは喋り過ぎ」
「不思議ですよね、同じ電子頭脳でも性格が違うんです」
「ヒルメは、どんな子かな?」
左手首のリストバンドをそっと押さえてみる。
「呼んでみてはどうですか? ツヌミは……まだかかりそうですし」
カノはもうツヌミを手伝う気がないのだろうか。完全に傍観モードだ。
大きく一つ、深呼吸。
「ヒルメ、出てきて」
口にしながらリストバンドのボタンを操作する。その瞬間、リストバンドから光が漏れた。
白塗りの美しい細弓――柔らかい手触りだが、材質は非常に丈夫なものだ。よく撓り、力強い矢が放てるだろう。これまでのように手首に固定するタイプではなく、自ら弦を引き、放つものだった。
弓の部分には金で細かい装飾が為されており、そこにあるだけで凛と空気が引き締まるようだ。
「……ヒルメ?」
「最初に音声認識をオンにしてください」
「音声認識、オン」
ピィン、と小さな音が漏れる。
やがて、どこからか抑揚のない女性の声が聞こえてきた。
「システム起動・ヒルメ――音声認識、マスターネーム・アマテラス。レベル1解除、開放系第2段階までを許可」
ヴゥン……と低い唸りがあって、一瞬ヒルメが震えた。
「梓弓ヒルメ、起動しました」
柔らかな女性の声は、どこかウズメのそれに似ている。
「ヒルメ」
「はい、マスター」
「うわぁ、返事した!」
「私は人間の神経回路をモデリングした自動更新プログラムと音声認識機能を持つ電子頭脳です。ほぼ人と同じように会話する事も可能です」
でもちょっと口調が固いかな?
「トツカやハクマユミもそうなんだよね。でも、話し方が全然違う」
「私は自動更新プログラムを持ちます。マスターが話しかければ話しかけるほど、『成長』するのです」
「つまり、あたしがどう話しかけるかによってヒルメの性格は変わっていくって言うこと?」
「そうです」
じゃあ、いったいミコトはトツカにどう話していたんだろう。
マスターに反抗的な剣を思い出して、思わずくすりと笑ってしまった。
「じゃあ、ヒルメ。あたしの事はマスターじゃなくて、『テラス』」
「テラス」
「それと、敬語はだめ」
そう言うと、ヒルメは一瞬黙ってしまった……機械でも困ることなんてあるんだなあ。
処理能力が追いつかなかったのだろうか、と思い始めた頃、ようやくヒルメがぽつりと言った。
「……善処します」
「いや、もうすでに失敗してるから」
何であたし、機械に突っ込んでるの?
目の前にはトツカとハクマユミを交戦させるミコトとヨミ。隣には、結局手を出せず退屈そうにあくびをするカノ。パネルを前に1人奮闘するツヌミ。
あたしは、大きくため息をついた。
そんな喧騒の中で待つことおよそ1時間、ようやくツヌミがパネルから顔をあげた。
「できました、今、扉が開きます」
その言葉を聞いて、交戦していたミコトとヨミ、壁に寄り掛かってウトウトしていたカノが集まってきた。
1時間戦い続けて、体力は大丈夫なの……?
と、思ったが、ミコトもヨミも軽く息を乱し、うっすら汗をかいているものの、ひどく疲労した様子はない。どんな体力だ、この二人――なんて、口には出さないが。
ツヌミは険しい表情で扉を見つめた。
「この先は私も入った事がありません。気を付けてください」
「望むところだ」
ミコトがにやり、と笑う。
「どうしていつもそう自信満々なわけ?」
あきれ顔のヨミ。
あたしは、大きく深呼吸してから、その扉を見据えた。
「行きましょう」
自分自身の意志で未来を掴むために。