集合
それからは、目まぐるしく時間が過ぎた。
そろえなければならない品物が、山ほどあったからだ。
仕立て屋に行くに至っては、兄は『女の子は時間がかかるよね?』と言い出して、その間に残りのものを買ってくるよ、と別行動になったほどだ。
そんな経緯で、ひとり魔法衣専門の仕立て屋へ連れて行かれたブランシェは、生まれて初めてシャレトルに袖を通し、クラローブを着せられた。最後にエレトールを何着も何着も試着させられ、さまざまな材質や色々なデザインがあることを知り、彼女の知るおとぎ話の魔法使いは、あくまでおとぎ話でしかなかったことをようやく知った。
おとぎ話の魔法使いというのはもちろん、長く引きずるローブに、ひらひらした裾、太くて重そうな杖に帽子、というやつだ。
「子供達が魔法使いにそんなイメージを抱くのは、昔とても有名な魔法使いの一人がそんな格好をしていたからなんですよ」
と、魔法衣類を扱う店の女主人はにこやかに笑って言った。
「ヌワールという名の、男性の魔法使いでね。ずいぶんと昔の人。『魔法学の父』と呼ばれる偉大な人ですから、お嬢さんが魔法使いになるのなら、きっと覚えておいて損はないはずですよ」
あまりに沢山の衣類に囲まれて目を回しそうなブランシェに、女主人は笑いかける。ブランシェは一生懸命に頷いて、引きずるクラパの裾を持ち上げた。
「ちょっと長いですねえ」
「重いです……」
「お嬢さん、お小さいですものね。ああ、気を悪くしたらごめんなさい」
「いいえ、町の学校でも一番ちいちゃかったもの」
「そう、可愛らしくて人気だったでしょう?」
ブランシェはふるふると頭を横に振った。
小さい、それはもう、言われ慣れた言葉だ。
チビでガリガリ、ちっとも大きくならないブランシェ。
学校のいじめっ子達はそう言って、よくブランシェをからかった。
「クラパは少し引きずるくらいが主流なんですよ」
「え……それじゃ転んじゃいそう」
「大丈夫、『園』では普段は、スカートの上からシャレトルを着ていればよいのですよ」
「……く、クラパ? は?」
「儀式の時だけ着るのですって」
「そうなんですか」
フードの付いたもの、房飾りのあるもの、リボンで前を閉じられるもの、飾りボタンの付いたもの、何も付いていないシンプルなもの。
色々なクラローブを引っ張り出し、ブランシェを着せ替え人形のようにした挙句、女主人は最後に、ブランシェに一番初めに着せた、リボンで前を閉じる形のクラローブを手渡した。
「フードや飾りがつくとそれだけお値段があがります。生地がよくなれば、更にお高くなってしまうのですよ。だから、魔法貴族のご令息やご息女でもない限り、私はおすすめしていません。でもお嬢さんは前で閉められないと、からまって転んだりしてしまいそうですから、これがいいと思います」
「そうですか……にあいますか?」
「ええ、とてもお似合いです。可愛らしいわ」
「じゃあ、これください」
「たまわりました。……さあ、これから頑張って、素敵な魔法使いになって下さいね。お嬢さんが、卒業のエレトールを求めて当店にいらっしゃるのを心待ちにしておりますよ」
女主人はそのクラローブをブランシェに着せ、銀色のハサミを頭上で振って、チョキンチョキンと歯を動かした。
すると、おどろいたことに丈がするりと短くなり、袖も手首までになって、まるで最初からブランシェのために作られていたかのように、何もかもぴったりになった。
不思議そうに女主人とハサミを見くらべるブランシェに、女主人は微笑んだ。
「このハサミが、私のエルなのです」
「エル……?」
「あらまあ、ご存じない?」
「はい」
「エルは、魔法使いが力を使う時に媒体として用いるものですよ」
「あ、もしかして杖のことですか!」
「杖はエルの一種なのですよ。色々な形のエルがある中に、杖の形をしたものがあるのです。でも、それを用いられる方がとても多いので、エル即ち杖だと思っていらっしゃる方が多いのです」
「知りませんでした……」
「ハサミ、というのもまた、実は珍しいのですけれどね」
まだまだたくさんの事を聞きたそうなブランシェに、女主人は苦笑いをして告げる。
「まず、お会計をして下さいね。それから、あなたをここに預けて行った優しそうなお兄さんをお待たせしてはいけませんよ」
「あ」
ぱたぱたと会計を済ませ、頭を下げて店を飛び出していくブランシェの後姿を見送って、女主人は浅い溜息と共に少しだけ不安そうに笑った。
「……あんなに、魔法使いのこと知らない『園』の新入生、初めて見たわ。大丈夫なのかしら?」
*
「お帰り。遅かったね?」
「なんか、いっぱいいっぱい着せられて……目が回った」
「そう」
兄はなんだかとても楽しそうにくすくすと笑い、ブランシェに袋を一つ、手渡した。
「ペンとかインク壺とか、日記とか買っておいたよ。他に日常に必要そうなものもね」
「ありがとう」
「宿舎暮らしになるけど、あっちで日用品は買えるらしいから、控えめにしておいたから」
「うん」
ブランシェは兄の『宿舎暮らし』という単語に、小さな溜息をついた。
故郷の町を離れての、園での暮らし。
兄とは言え性別の違う人間と、同じ宿舎になる可能性はまず考えられないし、年間に家に帰ることのできる回数は数えるほどだという。みんな、家族にも会わず、目標に向かって勉強に励むのだ。
ブランシェは勉強が嫌いではない。どちらかというと好きだ。
『園』という特別の学問機関に所属できることに対しては、わくわくさえする。
けれど、家族が側にいない環境に、ブランシェは今更ながら恐怖を感じた。人と仲良くなるのは苦手なのだ。町の学校ではよく、男の子達にからかわれていじめられた。
「心配しなくても大丈夫だよ」
「……うん」
「そんなに怖がらないで」
「……怖くなんて、ないもん」
「きっと、素敵な友達に巡り合えるさ」
「……そうだといいな」
「そうだよ」
ぽんぽんと頭を軽く叩く手が酷く優しくて、ブランシェは泣きそうなのを必死に堪えた。
この手をいつまでも掴んでいるわけにはいかないのだ。
「ほら、ご覧ブランシェ。新入生たちが集まっているよ」
しばらく俯いていたブランシェの目の前が開け、急に大きな広場が現われた。学園街の真ん中にある、『アカデミー広場』だ。
そこには、石造りの巨大な噴水が日の光を受けてきらきらと水を撒き散らすその周りに、ブランシェや兄と同じくらいの年の少年少女が、ざわざわしながら集まっていた。
「うわ、人がいっぱい」
「そうかな? 今年は少ないって聞いたけどね」
「これで少ない方なの?!」
「うん、入学を認められた生徒は2桁だそうだ」
「認められる……?」
「あ、時間ギリギリだったな。ほら、先生の話が始まるから聞いていてご覧」
言われたブランシェが顔を挙げると、いつの間に現われたのか、濃紺のクラローブをまとった銀髪の男が一人、噴水の縁に立って生徒達を見下ろしていた。
男は自分に気づかない生徒達に軽く肩をすくめ、それから徐に懐に手をやった。
りん。
懐から出てきた男の手の平で鳴ったのは、すぐ側にいても聞き取れたかどうか分からないほどの、小さな鈴の音だった。
けれど鈴は奇妙に反響を始める。
りん……りん――りん、りん――りん!
ざわめいていた生徒達は奇怪な響きに眉根を寄せ、不気味なほどに静まり返った。音源を振り返り、押し黙る。
あ、これ、魔法なんだ。
ブランシェがそう思った時にはもう、男が口を開いていた。
「静まったね。魔法使いは感覚を大事にする。もう少し研ぎ澄ましておきたまえよ、君たち」
男は銀の髪をなびかせ、どこか満足そうにくすくすと笑った。
生徒の一部が憮然としたのを見て、更に笑う。
「さあ、諸君。栄光と伝統、輝かしい歴史を持つ『園』への入学を認められし君たちに、僕はいくつか告げねばならない。でも、そうだね、聡い君たちには分かっているだろうね?」
ブランシェはきょとん、と目を見開いた。
何が何だか、さっぱりだ。
第一この男は誰なのだろう?
「『園』に足を踏み込んだ瞬間、君たちは誰も彼もが皆、一介の『新入生』に過ぎなくなる。平等かどうかはさておき、身分はまったく同じだ。教員たちも、身分に基づく特別な配慮は一切しない。今年は三つ星が集っているようだが……彼らさえ、君たち一人一人と、まったく同じだ。寮の部屋の作りも同じ、授業も同じ、使える特別教室も同じ。違いを強いてあげれば、性別くらいかな」
男は軽い、しかし穏やかな口調でそう言い、黙り込んでいる生徒達をぐるりと見渡した。
「おや、そこの不満そうな顔の君。君は……そうか、魔法貴族の出身だね? そうか、それでは残念だった。園では金銭も位も、園の外部のことは何ひとつ影響しないのだよ。ご不満かね? だが仕方が無い。それが……園の主、バント殿の意思だからだ」
ざわり、と生徒が慄くように騒いだのを、ブランシェは黙ってみつめていた。彼らは『バント』という単語に反応を示したのだが、ブランシェには『バントは人の名前らしい』ということしか分からなかったのだ。
「そう、英雄バント。知らぬ魔法使いはよも居るまいな? まあ、知らずとも今はよいけれど」
男はぱぁん、と手を叩く。
生徒達はまた、静まり返る。
「さあ、君たち、門を潜りたまえ! 君たちは、己の知恵、必要最小限のもの、それだけを持って園に入ることができる!」
そう言うと、男は鮮やかに、勢い良く噴水へと飛び込んだのだった。