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森の園のブランシェ  作者: 茉雪ゆえ
はじめの年
2/12

入学準備

 都はいつだって、人が多い。

 中でも、複数の学術機関が集まっている『アカデミー』と呼ばれる地区は、新学期間近のこの季節、酷く騒がしい。馬車の音や飛び交う声で、隣を歩く人の声も聞こえないほどだ。

 声を張り上げるのは、学生の行き交うアカデミーの商店街にある、本屋、文具屋、服屋など。普段は呼び込みなどしない商店が、声を張り上げ売り物を誇るその合間、どさくさに紛れて、関係のなさそうな商店までが威勢良く、売り子に声を出させている。


「おにいちゃん、ちょっと待って、迷子になるよ」


 そんな人混みの中、ブランシェは頼りない足取りで、前を行く兄を必死で追っていた。

 人が多いのもなれないが、それよりなにより、トランクが重い。なにしろ、寮で暮らすための生活用品が、全て入っているのだ。ずっしりと腕に来る。人を避けながらフラフラ歩くのも難しい。目的はまだ果たしていないのに、すっかり足が棒みたいだ。


「おにいちゃんってば!」


 周囲に気をとられて妹の存在を忘れてしまうのか、どんどん先に行こうとする兄に、ついにブランシェも叫び声を上げた。


「迷子になっちゃうったら!!」

「え? あ、ああごめんねブランシェ」

「んもう、頼りにならないなあー」


 ブランシェは腰に手を当てて怒りの声を上げる。


「私じゃ、右も左も、分かんないんだよ?」

「うん、そうだねごめんごめん」


 そう言いながら、兄は左右の店に気をとられ、またふらふら。


「おにいちゃんッってば!!」

「え? ああ、うん」

「もうっ、子供なんだからあ!」


 小さな少女に説教される、すらりと背の高い少年の姿は、道行く人の密やかな注目の的だった。けれど、ブランシェは特に気にも留めない。


「ほんっとにおにいちゃんって、パパの息子だよね! すぐに気が散ってふらふらしちゃうんだから! そういうのはひとりの時にしてよ! 二人で迷子なんてしゃれにならないんだからね!」

「あー……うん、ごめんね?」

「私だって、色々見たいの我慢してるんだよ!?」

「そうだね……ごめん」

「お買い物して、2の刻までに集合場所に行かなきゃいけないんじゃないの?!」

「今、何刻?」

「あと3時間しかないよ!」

「ちょっとギリギリかもしれないね」

「もう……!」


 のんびり構える兄を急かして、ブランシェは必要品が記された、兄がどこからか貰って来た書類を覗き込んだ。


【入学時に揃える物】

・黒のシャレトル

・白のクラローブ

・揃えられるなら、エレトール(クラパ含む)

・クァパの羽

・エリトルの墨壺

・日記帳(モペル社のものを推奨)

・エルは進学後、学内で揃えるので持ち込まないこと……


 などなど、など。ざっと見ただけでこれだ。リストは下にまだ続き、20項目は下らない。それに、知らない単語だらけだ。

 ブランシェはにわかに不安になった。


「ねえ、おにいちゃん、シャレトルって、何?」

「魔法使いの多くがローブの下に着てる服だよ。町で見たことあるだろう? 襟が高くて、前と後に深い切れ目が入っている、裾が長い上着。園では制服みたいなものだね」

「じゃ、クラローブ、は?」

「僕らがローブって言ってるやつのことだよ」

「エレトールも服?」

「魔法使いの正装。ローブは魔法使いの日常着なんだ」

「クァパって?」

「鳥の種類だよ。いろんな色をしている変わった鳥なんだ」

「エリトルって何?」

「魔力を持っている木だよ。すごく大きく育つ。その木の実を乾燥させて、中をくり抜いて墨つぼにするのが、魔法陣を書くインクを入れるのにすごくちょうどいいんだ」

「あと、エルって……」

「ブランシェ、後で全部説明してあげるから、今は急ごう?」

「そ、そうね……」

「君も、お父さんの娘だよね」


 よどみなく答える兄に驚きながら、ブランシェはついつい、好奇心いっぱいで質問を続けてしまった自分を恥ずかしく思った。これでは兄のことをとやかく言えない。

 兄はくすくすと笑い、ブランシェの頭をがしゃがしゃとかき回した。


「……ところでさ。おにいちゃん、わたしたちお金、こんなにないんじゃない?」

「まあまあ」

「パパのお給料じゃ、二人分も無理だと思うんだけど」

「大丈夫、大丈夫」

「でも、貯金だってもうないし、パパから追加のお金は、送られてきてないよね?」


 ブランシェは、首を傾げて兄の顔を覗き込む。父親からは毎月生活費が送られてくるが、子供ふたりが町で暮らして、ちょうどいいくらいの金額だった。計算ができるようになってからは、ブランシェが毎日きちんと家計簿をつけていたから、確かだ。あまりを少しずつ貯めてはいたけれど、二人が王都に出てくる費用で、ほとんど飛んでしまう程度だったはずだ。


「心配しないで。こんな時のためのとっておきなら、ちゃんと預かっているよ」

「……ほんとかしら」


 任せてと胸を叩き、ふわふわにこにこ笑う兄に、ブランシェは目を眇めた。

 兄はブランシェがはぐれないように手を繋ぎながら、人込みの中を笑顔ですいすいと抜けていく。



 カラン。


 しばらく歩いて、少し細い路地に入る。兄が押し開けたのは、古くくたびれた扉だった。磨きこまれた銀の鐘が、扉の上のほうでチリチリと鳴っている。

 中に入れば、そこには大きな、古いオークのカウンターが広がっていた。あちらこちらに人が立って、喚いたり叫んだりしながら、なにやら交渉事を行っているようだった。

 色々な人がいて、ブランシェは物珍しく、周囲をながめる。柄の悪そうな大男、やつれた女に、どこかくたびれた貴族然とした男。年の若い夫婦に、寂しげな背中の老人、幸せそうな若い娘と、田舎から来たらしき、垢抜けない服装の若者たち。

 そんな中に混じって兄は、慣れた風情で一番端のカウンターに歩み寄った。


「いらっしゃいませ。質ですか? 買い取りですか?」

「買い取りをお願いします」


 一体ここは何屋だろう。そう考えていたブランシェの目の前で、兄は小さな紺色の袋を取り出して、中から水晶の破片のようなものをコロンといくつか取り出した。それを見た店員の目が、驚愕に大きく広がる。慌てたように裏に走っていって、壮年の男を連れてきた。

 金縁のメガネの奥で鋭い目がぎょろりと光るその男は、店員が指し示した水晶の欠片を見て、ぎょっとして走り寄ってくる。そして、皿のようにした目で、水晶の欠片とブランシェの兄、それからその横で、きょろきょろしながら所在なげに立つブランシェとを、交互に何度も見比べた。


「……この世にまだこんなものが残っていたとは!」

「ちょっと、伝手がありまして」

「素晴らしい! 『園』の学生さんですかな?」

「その予定です。ああ、この子は僕の妹。特別生です」

「ほお! 特別生!!」

「……ええ?」

「特別生、何年振りでしょうな。あの頃はわたしもまだ若かったが」

「うーん、20年かそこいらだったかなと」

「おお、お若いのに良くご存知だ。そのくらいだった気がしますよ」

「とくべつせいってなに?」

「あとで説明するね。……で、これは?」

「お、おお。そうでしたそうでした。鑑定させていただきます」


 男は拡大鏡を出し、水晶の破片を覗き込み、光に透かし、指でなで回し。破片を、奥から持ってきたナイフで引っかき、なにかの魔術に掛け、最後にはほんの少しを削り取り、液体に溶かしてぐるぐる眺め回した。


「混じりっ気なし、純度100%とは! こんなものが世に出回れば、大変なことになりますな……」

「でしょうね。だって本物ですから」

「……錬金術の生成品ではないと?」

「ええ。信じられないでしょうが、本物なんです」

「本物ならば、一粒100金の価値がありますが……」

「ひゃっ?!」


 100金あれば、田舎の町なら半年は暮らせる金額である。


「うーん、じゃあ、2人分の入学準備だから……とりあえず2粒。半分を小切手にできるかな?」

「もちろんでございます!」


 じゃらん、と重くなった財布を抱えて、ブランシェは困惑して兄を見上げた。


「……今の、何?」

「あれかい?」

「あの……水晶の、粒? 何であんなに、高いの……?」

「エルフの涙だから」

「はい?」

「エルフの涙だよ、あれ」

「はい?」

「だから、エルフの涙だってば。金剛石より貴重なんだよ?」


 エルフの涙、と一般的に言えば、それは、非常に高価で手に入りにくいものの例えか、万能薬や特効薬的な提案や意見などを評して使われる言葉である。

 一般に出回っているのは錬金術の生成品で、生成には高い技術を必要とされるため、非常にお高いものだ。効能は、簡単にいえば薬だ。ただし即効性があり、ほんの数粒飲むだけで、致命傷でない怪我ならたちどころに直してしまうし、ほとんどの病気も癒えると言われている。

 もちろん、もともとは錬金術の生成品ではなく、名前の通りにエルフという種族の涙が結晶化したものだったのだが、エルフがほとんどいなくなってしまった今では、本物はめったに出回らない。


「何でそんなもの、おにいちゃんが持ってるの……?」

「父さんから預かったんだ。お金が必要になったら換金しなさい、ってね」

「パパが?」

「うん、たくさん置いていったよ。魔法の掛かった袋に詰めてね」

「魔法?」

「そう。僕とブランシェ以外が触れないような、不思議な魔法の掛かった袋だよ」

「……なんで、パパが?」

「さあ。僕は聞いてない。エルフの知り合いがいるのかもね」


 ブランシェは困惑して兄を見上げるほか無かった。


 重い財布と重いトランクが、ブランシェの心にずっしりのしかかる。

 何も知らない、分からないという現状がだんだん恐ろしくなってきて、ブランシェはぎゅっと唇を噛んだ。魔法使いどころか、父親のことさえ、知らないことがどんどん出てくるのだ。こんな状態で、魔法使いになんてなれるんだろうか。一体何をしに、遠い都まで出てきたのだろう?


「ブランシェ?」

「え? あ、なんでもないよ」

「そう? それじゃあ、遅刻しないように急ごうか」

「……もう、おにいちゃんが悪いのよ?! ぐずぐずしてたから!」

「うーん、それはごめん。じゃ、急ごうか?」

「もーう!」


 兄はブランシェの小さな手を握る自分の手に、少し力を込めた。

 ブランシェは、自分の不安を見抜かれたように感じてどきりとする。

 心音の高鳴りが兄に伝わらないように、自分の腕の力をちょっとだけ抜いて、はぐれないように慌てて後を追った。


 ブランシェがその時の兄の、本当の気持ちを知るのは、もうちょっと先の話になる。

10話くらいまでは頑張って更新したい(ストックがあるからという理由)

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