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森の園のブランシェ  作者: 茉雪ゆえ
はじめの年
10/12

初授業

 ブランシェはそわそわしていた。

 サイズの大きめな制服姿が酷く初々しい。一人だけまるで幼い子供のように見える。

 けれど今日は、ふわふわと波打つ前髪を上げて細いリボンで後ろに止め、やや気合の入った面持ちで前を睨んでいた。もっとも、生徒たちは皆、ブランシェ同様にそわそわしている。

 これから初の授業なのだ。


 教室は、前の方に大きな石盤があり、左右の壁には不思議な図案の解説図や地図がかかっている。教室自体は円形の建物に従って扇型で、狭い弧の方が教壇だ。窓は長い弧の方にあり、床は階段構造になっている。教壇の脇にある教卓の上には、ブランシェには良く分からない、金属や水晶、その他色々な無機物で出来た不思議な物体が置いてあり、それらは光を受けてきらきらと光っていた。


 ブランシェはきょろきょろと周囲を見渡してみた。

 右隣にはエカルラット。左隣にはヴィオレット。

 よくよく見れば、前方の隅の席にシュヴァルツの姿が見える。彼は周囲のざわめきなどものともせずに、ルームメイトらしき少年と座って、黙って教科書をぱらぱらめくっていた。それから反対端の方に、ヴェルト少年を従えたグリュン・ビリジアンの姿もある。こちらは二人で、何か話しているようだ。

 ようするに、三ツ星全員が、同じクラスになったのである。


 このクラス分けになったと知った時、ブランシェは大いに驚いた。

 けれどヴィオレットは笑ってこう言った。


『あたしはこのくじの結果は賢明だと思うね。確かにこりゃ、魔法の力が働いてるって思っていいんじゃないかと思う』

『どうして?』

『だって、考えてみなよ。三ツ星がばらばらに各クラスにいたとする。そしたら、あの色々違うように見えてもそろってプライドの高い三ツ星だよ? 彼らを筆頭にして、各クラスが対立しあうに決まってるじゃない』


 なるほど、と思って頷くと同時に、それってもしかしてとっても厄介なんじゃないかしらとブランシェは思う。クラス同士の対立は確かによろしくないが、三人を同じクラスに放り込んだら、今度はクラスの中で対立が起こるんじゃないかしら、と。

 ……特に、エカルラットとビリジアンあたり、大いに有り得そうだ。




「なーに溜息ついてんの?」


 横から覗き込んだヴィオレットが笑う。ブランシェは慌てて手を振った。


「なんでもない。すごい立派な教室だな、と思ってた」


 ヴィオレットは面白そうに口の端を少し持ち上げ、ふふん、と呟いて自分も周囲をぐるりと見渡した。


「確かにねー。あたしの出た郡の学校は石造りで、もっとずっとおんぼろだったよ」

「わたしの町の学校は、ガタの来た木造だったよ。隙間風が寒くって」

「うわあ」

「床板が朽ちてて危ない教室とかあったの」

「ひぇえ。ブランシェってどこ出身? 割りと田舎の方?」


 ブランシェは曖昧に笑い、頷いた。


「白の町。分かる?」

「ああー、白の森の近くでしょ? エルフ伝説の多いとこ。そりゃまた、山の方から来たんだねえ」

「エルフ伝説、多いの? 知らなかった」

「伝承とかなかった?」

「覚えがないなあ……」

「うーん、白の森にはまだエルフがいるって噂が王都では流れてたんだよ。でもこっちから会う事はできないんだとか。でもブランシェって訛りはないよね。あっちの方って結構きついらしいのに」

「隣村はそうだったかも。でも、町ではみんな、こんな話し方だったよ」

「そうなんだ。そういえば、一昨年かなぁ、平原一つとなりの町に行ったけど、あそこ訛り凄かったよ」

「シェルシュ平原のとこ? じゃ、シェルシェ町の辺り?」

「なんかそんな感じ。名前似てて分かりにくいよねあの辺って」


 あたしの母親は旅行好きだから、とヴィオレットは笑う。


「だから結構いろんなところ旅してるんだけど。白の町は行ったことないなあ。何か特別なことある?」

「うーん、普通の田舎町だよ。昔からある大きい木が多いけど、そのくらいかなあ」


 そう、特筆するようなことは何もない、どこまでも畑と森と丘の広がる、綺麗な水と澄んだ空気以外に何もない静かな田舎の町だ。極稀に、貴族の病弱な子供が療養にやってくるが、行商人や旅人の訪れは少ない。


 床を歩くとギイギイと音の鳴る、おんぼろ木造の校舎。足を引っ掛けて何度も転んだ、整備されない白い石畳の道。いつ崩れるかも分からないような、蔦に覆われた古い建物。

 店がいくつか並ぶだけの通りは、それでも、町にとっては目抜き通りだった。

 ランプが1つきりの薄暗い雑貨屋はほとんど何でも屋で、けれど優しい店番の老婆は、子供たちがお使いに行くとこっそりキャンディを一つおまけしてくれる。それから小さな食堂兼宿屋が一つ。陽気な主人を囲んで週末には、町人たちが集まって、ささやかに飲んだり食べたりわいわい騒ぐ。鍛冶屋は武器から鍋、蹄鉄までなんでも作ったし、大工は家具屋も兼ねていた。もうちょっと人が少なくなれば、あっという間に町から村に変わってしまうだろう、ちいさなちいさな町である。


 なんだか切なくなったブランシェは溜息を付いてみる。苛めっ子たちにはほとほと閉口してはいたが、やっぱり自分は田舎でも、育ったあの町が好きなのだ。

 とはいえ、ここまで出てきてホームシックになるわけにはいかない。園のような高等学問機関まで進学することが出来る子供は、白の町にはほとんどいないせいで、町のみんなは期待や憧れを込めて自分と兄を見送ってくれた。どうせ帰るなら、ちゃんと何らかの成果を出してから帰りたいじゃないか。

 少々センチメンタルな望郷の思いに囚われ始めたところで、不意にエカルラットが口元に手をやった。


「そろそろ静かに。石版の横にかかってる、樹木の文様のタペストリーを見ててご覧なさいよ、今から面白いものが見られるわ」

「樹木の文様?」

「ええ、あの、有名な歴代魔法使いの家系図よ。ほら、幹の一番太い辺りを見ていて」


 言われるままに、ブランシェはタペストリーに目を凝らす。

 不意に何処かから鐘の音が聞こえた。ブランシェはぎょっとして左右の二人に目をやる。


「ああ、授業開始の鐘よ」

「そうだね、そろそろ時間じゃないかな」


 ブランシェは再びタペストリーに目を戻す。鐘の音は徐々に小さくなり、周囲の森に吸い込まれるように消えていく。


 それは、ああ消えたかなとブランシェが思ったのと、ほぼ同時だった。

 タペストリーの幹の辺りがゆるゆると、糸状に解け始めたのだ。

 ブランシェのみならず、周囲の生徒たちが息を飲むのが分かった。彼らは息を殺して、タペストリーの中央を見つめる。

 彼らの見守る中、解け始めたタペストリーは、どんどん糸のようになってゆく。それはぐにゃぐにゃと生き物のようにうごめいて、しゅるしゅると糸の塊になって落ちていく。やがて、幹のほとんどが解け、大きな穴が開いてしまった。

 ブランシェが繰り返して瞬きをしていると、不意にその穴の向こうで影が動いた。


「……へ?」


 ブランシェはきょとん、と間抜けな声を出した。

 皆が見守る中、その穴から銀髪の青年が飛び出してきたのだ。


「ううむ、やや遅刻であるな」


 飛び出してきた青年は抱えていた大判の古臭い書物をどさどさと教卓の上に放り出し、そう呟いて周囲を見渡した。

 生徒たちの半数以上は、何が起こったのか理解できずにざわざわしている。それを見た青年は両手を合わせ、ぱん、と一回手を打った。

 とたん、ざわついていた教室は、水を打ったように静まり返る。

 あ、これ、噴水のところの魔法の音だ。

 ブランシェは咄嗟にそれを思い出した。あの、ぱんぱんという、野外とは思えないような良く響く拍手。屋外であったのにあっという間に生徒を静めたあの音が、この教室という密閉空間では一際鮮やかに、瞬時に生徒たちのざわめきを静めてしまった。


「諸君! 静まりたまえ」


 銀の髪の青年は、声も事の外良く通った。

 ブランシェは首を傾げる。

 その青年は、声も、顔も、グレイ教官にそっくりである。

 柔らかく光る銀の髪、灰色の瞳。漆黒のシンプルなデザインのクラローブ。

 それはまったく同じに見える。けれど、直感で分かる何かの違いで、明らかに他人だと分かった。


「君たち、魔法使いにとって感覚は魂だ。常に研ぎ澄ましておかなければならない。斯様にざわめき、音一つ碌に拾えぬようでは、真っ当な魔法使いになぞ成れる筈もない。慎みたまえ」


 凛とした通る声は、空間を静寂へと叩き落した。

 生徒たちは音を立てぬように立てぬようにと息さえ潜めて声に聞き入っている。教科書を少しめくるだけの音にさえ敏感になって、身動き一つしなかった。


「諸君、伝統ある『園』へようこそ参られた。諸君の初授業が私のものであることを、誇りに思おう。私はアージェント・グレイという。専門は音声魔法学だ。今年、君達の初等魔法学を担当する。覚えておいてくれたまえ」


 A・グレイ教官は優美に一礼をした。それから引き続いて静寂の中、満足そうに声をあげる。


「私を見て、シルヴェルン・グレイ教官を思い出した者もいるだろう。君たちに園生活を説明する役目をバント殿から預かった、彼のことだ。もし、今の私の話から咄嗟に『双子論』を思い出すことが出来た者が居たら、まあまず及第点を差し上げよう。つまり、私と彼は双子である。良くある双等魔力の魔法使いだ。――何? 『双子論』を知らない? ……シルヴェルンの「魔法史」の授業を熱心に聴きたまえ。春のまでには触れることもあろう」


 『双子論』どころか『双等魔力』も『音声魔法学』も何のことやら、さっぱり分からないブランシェは困ったように首を傾げた。後で図書館へ調べに行ってみようと決意する。


「さて、諸君に私が説くのは、魔法学という学問の初等理論だ」


 ブランシェは慌ててノートとなる紙を広げる。それから墨壺と羽ペンを取り出し、急いで壺にペン先を浸けた。それをすぅっと紙の上で引く。寮の部屋で何度も何度も試してみたから知っている。ブランシェには不思議で不思議で仕方がないが、クァパの羽ペンをエリトルの墨壺に付けると、インクがなくとも文字が書けるのだ。


「魔法、を使うには才能が必要だ」


 と、A・グレイは、小さな本を手の中でもてあそびながら話し始めた。


「どれほど魔法について学んでも、魔法という力を扱う才を持たない者には、意味を持たない知識の塊にしか過ぎないのだ。魔法という力に命を吹き込むには、生まれ持った才が必要不可欠である」


 そしてここの諸君は幸運にも、その才を持って生まれてきたのだ! と、彼は机を叩き、通る声で叫ぶように言った。


「才は血によって継がれるものだと言われるが、血縁とは関係なく現れてくることもある、未知の能力だ。だが、才なくば、無駄に力を殺すだけになるのは、どんな場合でも変わらない。才ある者のみ、力を命に変えられる。だが、無知なる者の力は粗野で、効率が悪く美しくない。それを学問として学び、理論を付加することによってのみ、魔法という力を正しく、効率よく、美しく、そして強大に使いこなすことが出来るのだ……」


 正直言って、ちんぷんかんぷんだった。

 ブランシェは取り敢えず一生懸命その言葉を写してみる。


 才なくば魔法は使えない、ということは、多少なりとも魔法の使える人は皆その才能を持っているってことだろうか。言い換えれば……力だけなら、誰の中にもある、ということなのかもしれない。

 自分にその『才』があるのかどうかを、ブランシェは知らない。ある、と兄が言っただけであり、自分が魔法に似た力を使った思い出は、今のところひとつもないのだ。


 取り敢えず、なんとなく分かったのはその辺りまで。『魔法のカレストゥーラ』『七賢者』『魔法分類法』『魔法学の黄金期』『トラーニャの神殿遺跡』等々……その後の彼の話は分からない単語が多すぎて、ブランシェは単語をメモするだけで必死になってしまった。

周りの子達は受験勉強である程度の前知識があるので、このあたりは「みんな知ってるもの」としてさらっと流されてしまうのであった。

……頑張れブランシェ。

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