強制された旅立ち
小さな世界のはしっこに、国中が森ばかりの小さな魔法の国があって、その中のさらに小さな小さな町に、一人の小さな小さな女の子が住んでいた。
小さな、と言っても幼いわけではない。彼女は同い年の子どもたちよりも、ずいぶんと背が小さかったのである。
彼女は小さい上にとても痩せていて、腰まである波打つ真っ黒な髪をしていた。肌は真冬に降り積もった雪のように色白で、頬だけがほんのりと赤いのだった。それから、まるで湖の底のような、真っ青な二つの大きな目は顔の真ん中でぎょろっとして、とても目立ち、逆に鼻と唇は小さい。それらは身長と相まって、彼女を余計に幼く見せた。
注意してみればつくりは悪くないのだが、注意して見られるほど派手ではない、どこにでもいそうな小さな女の子。
そんな小さな彼女は名前を、ブランシェ、と言った。
町のみんなから「小さなブランシェ」と呼ばれる彼女は、見た目が子供のようなのに、ずいぶんと頭の良い女の子だった。隣のおばさんや薬師さまに教わった薬草や木の実、花の名前は忘れない。本も読めたし、字も書ける。その上、一生懸命に勉強したから、町の学校を一番の成績で卒業できた。
だから彼女は、未来にこんな望みを持っていた。
「あのね、学者様になりたいのよ」
町の学校を卒業したその日、ブランシェは大好きな兄に、こっそりとそう打ち明けた。
優しいブランシェの兄は不思議な事に、ブランシェとは全然違う見た目をしている。びっくりするほど真っ白な髪で、目は見たこともないほど鮮やかな緑なのだ。そんな人は小さな町には他に一人もいなかったし、今までにもいなかった。顔つきもとてもきれいで、町の人たちは彼を、「精霊の申し子」と呼んでいた。
「ふうん? 何の?」
「パパみたいな、歴史の学者様よ!」
ブランシェはそう言って、ぐいと胸を張る。兄はそうっと微笑んで、随分と幼く見える妹の頭を優しくなでた。
「お父さんみたいな?」
「そう、世界の遺跡を回ってね? いろんなものを発掘したい! 誰も知らない昔のことを知りたいの!」
ブランシェたちの父親は、町ではたいそう珍しい『歴史学者』という職業で、1年の半分、もしかしたらもっと長い時間を、世界中の遺跡を飛び回って暮らしている。昔は王都で、貴族の子供に勉強を教えていたこともあるらしく、田舎の町ではちょっとした有名人だった。
そんな父親が時々兄妹に送ってくる、世界の不思議で面白いお土産は、ブランシェを一番どきどきさせるのだ。
たとえば、うんと南の方の国の硝子眼鏡とか。
東の国の、不思議な魔法のお香とか。
西の国の、ふわふわ柔らかい、綺麗なリボンとか。
そしてそれより何よりブランシェをときめかせるのは、父が彼方の地から送って寄越す、歴史や風俗を綴った、物語のような手紙だった。
たとえば、魔法と学問の国の、湖の真ん中の島にある、魔女の神殿とか。
海の大国の、小さな島々にバラバラに伝わる、つなげるとひとつの歌になる不思議な呪文とか。
ずっと東の国にある、まるで生きているみたいに飛ぶ、小さな紙でできたまじないの小鳥とか。
ブランシェは歴史学者になって、父親のように飛び回って、色々なものを見てみたかった。なかなか一緒にいられない父と、世界をどこまでも旅してみたかったのだ。
けれど、優しい兄は静かに左右に首を振るだけだった。
「だめだよ、ブランシェ」
「どうして?」
「きみは、魔法使いにならなきゃいけない」
「……まほうつかい?」
「だって、それがお母さんとの約束なのだもの」
「……ママ?」
ブランシェは不思議に思う。
何故ここに母親が出てくるのだろう? と。
ブランシェは母親を覚えていない。妖精のような美人だったけれど、ブランシェがまだほんの幼い頃に『やむにやまれぬ事情』と言う『不思議なナニカ』で、どこか遠くに行ってしまったのだ、と父親は言う。
ブランシェの記憶にはぜんぜんいない彼女なのだけれど、兄は確かに覚えているらしい。『とってもきれいな人だったよ』とそう言って、ブランシェの頭をなでた。
「お母さんはブランシェが魔法使いになるのを望んでいたんだ」
「どうして?」
「ブランシェにその力があるからさ」
「うそ。ないよ、そんなの」
「あるよ」
はじめて聞いた言葉にびっくりして、ブランシェはぶんぶんと頭をふった。
なにしろ魔法使いと言ったら、地面に魔法陣を描いたり、魔法の詩を詠ったり、魔法のお薬を作ったりする、すごい人たちだ。町にも何人かいるけれど、みんな『魔力』を持っている。魔法使いの吟遊詩人が小さな光の玉を作って、これが魔力だよと見せてくれた。でもブランシェは、そんな光を出したことなど一度もない。
「魔法の力って、持ってる本人にはあんまり分からないんだ」
「そうなの?」
「うん、そうみたいだ。分かるようになるには訓練が必要なんだって、そう聞いたよ」
「ふうん、知らなかった……でもおにいちゃん、私にそんな力、あるとは思えないんだけど」
「あるよ」
再び、びっくりするほどはっきりと、兄は返事をした。あまりにも即答だったので、ブランシェは息を呑む。それから、なんだかとても変な気持ちがして首を傾げた。
私は魔法使いになるべきなの?
魔法使いなんて、なれるの?
学者様には、なれないの?
魔法の国と呼ばれるこの国には、魔法使いはたくさんいて、珍しい仕事ではない。けれど、自分がなることなど考えたこともなかった。思いがけない未来像に、ブランシェはぱちぱちと目を瞬かせる。
「僕もね、ブランシェは魔法使いになるべきだと思う」
「でも、学者様になりたいのに」
「魔法使いの勉強をしたあとに、学者になる勉強もできるよ」
「それはそうだけど……」
「ブランシェには、力があるよ。今はまだわからないかもしれないけれど、強い力が。使い方を知らない力は、とても暴れん坊なんだ。いつ大変なことになるか、わからないんだよ。だからそうなる前にブランシェは、その力を自分のものにしなくてはいけない」
そう言って、でもまだピンとこないかな、と笑った。
「僕はブランシェが卒業するのを待ってたんだ」
「待ってた、って?」
「ブランシェ、一緒に魔法を勉強しに行こう」
そう言って彼は、都へ行く旅券を、ブランシェに手渡した。
ブランシェはそれを受け取って、呆然と見つめた。そこにはちゃんと、ブランシェの名前が書かれていて、町と国の役場の印が押されていた。魔法の透かしが入っていて、国の紋章がきらきらと瞬いている。
都は遠い。
ブランシェはそれを知っている。
食堂のおじさんが、「馬車で5日かかる」と言っていたのを覚えているし、ハンナおばさんは「魔法使いでも2日はかかる」と口癖のように言う。一度行ってしまえば、簡単には家に帰ってこられないのだ。
「ねえ、都に行かないと勉強できないの?」
「そうとも限らないけど、でも」
兄は相変わらず、静かな笑顔でブランシェの頭を撫でる。
「都には、アカデミーがあるよ」
「……あかでみー?」
「ものすごく大きな、学術機関だよ」
「がくじゅつきかん? つまり大きな学校?」
「うん、簡単に言えばそうかな。その中に、魔法専門の『園』がある」
「『えん』?」
「魔法を専門で教えてくれる学校だよ」
兄は微笑みのまま、歌うように告げた。
光と影、きらびやかな王の都のどこかに、魔法の森の入り口がある。
暗く静かなその場所を見つけられるのは、許された魔法使いだけ。
深い森の奥底に、魔法使いを育てるための、園があるのだという。
そこにいるのは、魔法の園では優れた魔法使いと、魔法使いの卵たち。
彼らは日々、魔法の『深淵』を覗き『真理』に触れようと、切磋琢磨しているのだという……。
「そこには、素晴らしい先生がいるんだよ、ブランシェ。世界一の魔法使いが。僕は彼らに会いに行こうと思ってる。――君も彼らに会うんだよ、ブランシェ」
ずーーーーーーーーっと昔に自分のサイトで書いていて、途中で止まってしまっているお話の、焼き直し版です。たまには学園モノとか書きたかった。恋とか始まってほしいなーと思っています(のであらすじに入れておきました)。
連載ペースはいつものごとく至極のんびりですので、忘れた頃に見に来ていただけると、幸い。