プロローグ~走馬燈1~
老若男女入り乱れた悲鳴が辺りに響き渡る。
――ああ、死ぬんだな、と思った。
突然、ゲートという別世界と自分たちの世界をつなげる穴が町中の空間にぽっかりと開いたのがつい5分前。
ゲートから飛び出した、ゴブリンやらオーク、ケンタウロスと呼ばれる怪物たちが人々を襲いだしたのが4分前。
――死ぬんなら別に構わない。
ただ何をするでもなくカフェテリアのテラスでカフェラテをすすっているのを尻目に、多くの人間が我先にと逃げ始めたのが3分前。
自分も逃げようと立ち上がったが、そういう気分でもないことに気づいたのが2分前。
――僕は死ぬために生まれてきたんだから。
小さな体に不釣り合いな長い槍をゴブリンが突き付けてきたのが1分前。
――もう泣いてくれる人もいないんだから。
そして柊紫音が死を受け入れ、むしろ自分から死のうと思ったのが今。
槍が紫音の身体を貫くまであと……。
○ ● ○ ● ○
これはきっと走馬燈。
紫音は昔を思い出していた。
柊紫音は西の国のなかなか裕福な家の子供として生まれた。田舎の町の中でも一番広い土地を持ち、大きなお屋敷に住んでいた。
父親が貴族の家系で母親は日本生まれ。
しかし父親と母親は結婚しているわけではなく、紫音の母はいわゆる愛人、というやつだった。
父親が日本が好きで2か月に一回は行くという日本の旅行先で出会ったらしい。
今思えば、父親からの愛が一方的だった気がする。
母さんはむしろ恨んでいたかもしれない。
しかしそれもそうだ。愛人という肩書のせいで紫音の母親はいつも不安定な立場にあった。
紫音自身も呪われた子として扱われ、家の人間はもちろん近所の子供と遊ぶこともできなかった。
会える人間と言ったら、母親、父親、毎日屋敷にやってくる家庭教師たちや、侮蔑の視線を向けてくる屋敷の人間、家政婦たち――そして、第一夫人。
特に夫人が母と紫音を嫌った。紫音が近所の子供たちと遊べなくなったのも、もとはと言えば第一夫人が『呪われた子供』と吹聴したからだ。
しかしそれで紫音が逆に夫人を恨んだり憎んだりはしなかった。自分の愛している夫が別の女性に愛を注いでいるのだ。子供ながらにそんな夫人の気持ちも判っていた。
それに母が遅い仕事から帰ってきて毎日抱きしめてくれる、それだけで紫音には十分だった。
一応屋敷の敷地内だったら外出が許されていた紫音だったが、いつしか外に出ることはなくなった。
自由と言っても夫人の目に触れれば文句を言われるし、子供には口だけでもそのせいで母が暴力を受けることがあったからだ。
自分のせいで母が辛い思いをするのは嫌だった。
最初はそんなことがきっかけだったが、紫音は自分と母親にあてがわれている屋敷で一番小さい部屋で勉強するのが好きだった。
知らない人から見れば物置のような部屋で知識をため込む感覚がとても快感だった。
ある日母がいつものように仕事から帰ってきて紫音を抱きしめながら言った。
「今、屋敷に来ている奥様のお嬢様に会ってはダメよ。もし見かけても話しかけてはダメ、すぐにその場を離れるの。いいわね?」
どうしてそんなことを言うのかは判らなかったけれど、こくりと紫音は頷いた。おそらく夫人が機嫌を悪くすからだろう、と。
ある昼下がり、いつものことながら部屋で机に向かっていると、窓から影がちらついた。
紫音たちの部屋は屋敷の3階にあり、裏庭に面する。そのため滅多に人は立ち寄らないし、窓から見えるものと言ったらその大きさのせいで回りの植物の成長を遅らせている大きな木の枝ぐらいなものだ。
その窓から大きな影、しかも人影がのぞいたのだ。
紫音はすぐに窓に近寄った。
果たして、大きなその木の枝にしがみついているのは小さな女の子だった。
窓辺に寄った紫音とばっちり目が合う。
「そんなところでなにをしているの?」
まさに自分が聞きたかったことを先に女の子の方に言われた。
女の子は見るからに紫音と同じ年頃――10歳ごろだろう。
「君こそ、そんなところで何してるのさ! 危ないよ? 早く降りよう」
そんな年ごろの女の子が仮にも木から落ちてしまったらただじゃすまない。もしかしたら死んでしまうかもしれない。
「危なくないよ? あたし木登り得意だもん」
「いや危ないよ。もし足を滑らせたらどうするのさ?」
「むぅ~。あたしを信用してないな~」
紫音の説得に女の子は応じようとはせず、むしろ逆に女の子はさらに上に登ろうとする。
「わ、判ったから! これより上に登ったら本当に危ないよ! 今そっちに行くから」
女の子の返事は聞かず、紫音はすぐさま部屋から飛び出した。
家庭教師から教わるフェンシングの授業以外で久しぶりに紫音は外に出る。
屋敷から出るときに何人かの家政婦たちに見られていたが、紫音を呼び止めたりする者もいなく、全速力で裏庭の木まで向かう。
紫音が面積の広い庭を駆け抜け、木の根元までついた時には、女の子は綺麗な亜麻色の髪を風になびかせながら木を降り始めていた。
「あー! さっきの子だ! 今から降りるから見ててね!」
紫音に気付いた女の子が大きな声をあげる。
言われなくとも女の子の位置はかなりの高所なのではらはらと見守る。
「ッ」
と、そこで紫音は気が付いた。木からゆっくりと降りるその女の子は高そうなドレスを着ていた。このお屋敷に招かれている時点で、彼女自身もかなり高い身分なのだろうからそれは当たり前だ。しかし問題はそこではなかった。
彼女に似合う赤いドレスは何重ものフリルであしらわれた――スカートがついていた。
一応紳士として育てられてきた紫音はスカートの中身を直視することができず目をそらした。
「あー! ちゃんと見ててよきみ―。今からかっこうよく降り――きゃっ!」
女の子の突然の悲鳴にはっとなって紫音はすぐに見上げる。
さっきまで足を掛けようとしていた木の枝を踏み外したらしい女の子はバランスを崩し――。
「!」
――彼女の体はそのまま落下した。
とっさの判断で紫音は女の子の落下位置に向かい――構える。
「ぐっ!」
と同時にズシッと体に大きな衝撃。
女の子を抱えた紫音の小さな体はその衝撃に耐えられず崩れた。
抱えた自分より少し小さな体を傷つけないように紫音は最後の気力を絞って仰向けに体を打ち付けた。
そしてそのまま意識を失った。
「……! ……み! ……きみ!」
「う……」
意識は頬を打ち付ける痛みと大きな声で戻った。
「よかった……! しんじゃったかと思った」
戻った意識の中、最初に目に入ったのは、潤んだ綺麗な碧いろの瞳だった。どうやらさっきの女の子が紫音を見下ろしているらしい。
「泣いて、るの……? 大丈夫? ……怪我しちゃった?」
声を出すと肺が締め付けられるような息苦しさを感じたが、絞り出す。
「じぶんのことを心配しなきゃだめだよ!」
「き、君がそれを言うんだ……」
女の子のブーメランなセリフに苦笑する。
「だいじょうぶ? 体は起こせる?」
「う、うん。多分だいじょ――ッ!」
身体起こそうとしたら、背中にずきんとした痛みが走った。しかし、また体を倒しても傷みそうだったので、不自然に少しだけ体を浮かす。
「……大丈夫じゃないみたい。それよりも、本当に君は大丈夫なの? どこも怪我してない?」
「だからあたしのことよりも自分のこと心配しなよっ。あたしは君が守ってくれたから、少し足をひねっただけ」
「え、足を⁉ ちょっと見せ――いたっ」
「ほら、だから!」
「う、うぅ……」
不甲斐ない、と紫音は心の中で女の子に謝るしかない。
「まだ寝てていいから、ちゃんと体を横にして」
「そ、そうしたいんだけど……体を倒すのも痛くて、さ」
「きみこそ本当に大丈夫なの⁉」
「あはは……大丈夫だ、よ。こう見えても結構頑丈なんだ、僕」
「…………」
亜麻色の髪の少女が、少し顔を赤く染めながら紫音の頭の方に擦り寄った。
「……?」
「えと、その、きみ身体を倒せないんでしょう?」
「え? ……う、うん」
「その、あたしが悪いんだし、その変な態勢もきついだろうから……えっと、その」
「……? どうしたの?」
「ええと……だからっ!」
「う、うん!」
女の子の気迫に少し押される。
「……あ、あたしの膝を貸してあげる」
「…………」
さっきまでの元気さはどこへ行ったのか、女の子はしおらしく、そっぽを向いていった。
「……な、なにかいってよ」
そんな彼女に紫音は、
「……ぷっ」
「なっ!」
「あははははは!」
吹き出してしまった。
「な、なに笑ってるのよ!」
「あはは――げほげほっ! ……ごめんごめん、ついおかしくって」
「~~~~っ! じゃあ、膝はもいいね!」
今度は赤くなってぷんぷん怒り出す女の子。
ころころと表情を変える少女だった。
「だから、ごめんって。ありがとう……っていうのもおかしいけど、膝使わせてもらうね」
「う、うん……」
次はただただかわいらしく顔を真っ赤にしていた。
そんな彼女を少しうらやましく思った。
膝に頭を乗せる、というけれど、実際乗せているのは女の子の太腿もだよな……。なんてことを思いながら頭を乗せて目を閉じる。
少女の太腿はとても柔らかかった。そしてやはり高いドレスなんだろう、頭に当たる布の感触はとてもなめらかでとても心地よかった。
少しうとうとしてくる、と上から声が降ってきた。
「ど、どうかな?」
「うん……とても気持ちよくて落ち着くよ」
言いながら紫音は目を開く。
「…………」
「…………」
が、碧色の瞳と目があったのですぐにまた瞼を下ろした。
「…………」
「…………」
するとお互い黙るしかない。
女の子の息遣いが聞こえる。裏庭の大きな木の葉が風に揺れる音が聞こえる。遠くで13時の鐘が鳴るのが聞こえた。
……とても落ち着く。
紫音は久しぶりにぐっすり眠った。
「う……ん」
どれだけ寝ていたんだろう。
紫音が目を覚ました時にはあたりは夕焼けで紅く染まっていた。
「そうだ……さっきの子は」
探すまでもなく目の前に、
「すう、すう……」
とても穏やかの顔で眠る女の子の顔があった。
「…………」
「すう、すう……」
特にやることもない。だからと言って起き上がって、彼女を起こしてしまうのも忍びない。紫音はそのまま女の子の寝顔を見ていることにした。
さっきまでと違く、風で揺れる木々の音と一緒に遠くでは山に帰る鳥の声が聞こえた。
今まで母さんと一緒の時以外でこんなに安心したことはなかった気がする。
そもそも最近では屋敷のあの部屋から出ていなかった。
今日は本当に――
「……ぅみゅ」
紫音が一人考え事をしていると、うっすらと開いた碧色の瞳とばっちり目が合う。
「……おはよう」
「……?」
まだ女の子は状況が思い出せないらしい。
しばらく待つと。
「……お、おはよう」
と、もじもじと返答が。
「ふふっ」
「わ、わらわないでよぉ!」
寝顔を見られたのが恥ずかしかったのか、彼女の言葉には少し力が足りなかった。
「あははっ。うん、おはよう……って言ってももう夕方みたいだけどね」
「うん、そうだね」
女の子も辺りを見渡した。
それからぽつりと。
「あたし、犀華」
「……え?」
「あたしは犀華。……きみは?」
「…………」
紫音は今まで自己紹介をしたことがなかった。
それはするまでもなく自分のことをお屋敷のみんなが知っていたからで、生まれた経緯までもが周知の沙汰だったから。
友達もいなかった。
「ぼ、僕は……」
そもそもお屋敷の外に出たことが数えるほどしかなかったし、たまに遊びに来る父親たちを贔屓しているお金持ちたちの子供や近所の悪ガキたちにも紫音は「呪われた子供」として嫌がられ、近付くこともなかったから。
味方はいつも母さんだけだった。
そんな紫音には自己紹介なんてする相手が今までいなかった。
「……?」
「ぼく、は」
しかし、目の前の女の子――犀華と名乗った彼女は生れてはじめて自分のことを知ってくれようとしている。
知らずのうちに紫音の頬を涙が伝った。
「僕は柊紫音」
「よろしくね紫音! 今日から君とあたしは友達!」
今日は本当に――楽しい日だ。




