酔っぱらいホームラン
三重苦で世界を救えって頭の中に電波が。
なんということだ。こんなことが許されるのか。日々真面目に小銭を稼ぐ俺の唯一の休息である酒がどこにもない。散乱した空き瓶を蹴り飛ばしながら部屋中を探すが一瓶すらもどこにもない。しかも、何時だって俺を助けてくれる煙草も缶の中にホコリひとつ残さず消えている。唯一の趣味でとっておきの葉っぱも粉もどこにもない。くそったれの泥棒め。
とはいえ泥棒はどこにもいない。つまり酒も煙草も薬もない。ありえない。買うしかない。小銭もない。稼ぐしかない。着古した茶けたコートにシミだらけの帽子をかぶり、黒く錆びた金属バットを掴む。何を隠そう俺はスラッガーなんだ。バットを振って小銭を稼ぐ仕事をしている。
外に出ると、誰もいなかった。おかしい。ここは人より獣の多い田舎でもない。そりゃ大通りには面してないし、ましてや駅だって近くにはない。だが、いつもならば飲んだくれの友人や、泡吹いた友人や、煙で呼吸する友人がいる。でもいない。なんてことだ。小銭はおろか酒も煙草も薬も手に入らないじゃないか。いいや小銭が必要なんだ。いいや酒が必要なんだ。いいや煙草が必要なんだ。なんでもいい薬がほしい。やけに因縁をつけてくる壁にバットでお礼をしながら歩く。空は黒と青の間の色をしている。太陽は笑っている。雲はやけに黒く青く光っている。全くふざけている。どうして酒がないんだ。
「あぁ!良かった!まだ生き残りが居たんですね!」
声が聞こえた。足元には立つ兎がいた。ついに人を見つけた。小銭か酒か煙草か薬をくれ、出来れば多いほうが良い。
「薬でしたら……はい、こちらエリクシルです!それにしても良かった!あぁ、そうだ私はですね。」
兎のくれた輝く酒を飲み干す。苦い。不味い。辛い。塩っぱい。酸っぱい。迷わず吐き出した。腐ってるんだ。
「あっ…!もしかしてこちらの方には合わない味でしたか…?」
「いいや…あぁ…気分はそう悪くない…。」
「そうですか?…しかし…いえ、それよりも、時間がないんです!見ての通り地球の人々はあの侵略者…レダヴァン達にさらわれてしまいました!これは明らかに協定違反です!私達の中には地球のことに関わるなという立場の者もおりますが…私は珍獣保護の観点からやはり何もしないことは良くないと思い、こちらに来たのです!とはいえ…私一人では大したことも出来ないのですが…。」
兎が空を見る。俺も見る。巨大なマンホールの蓋が浮いている。そして光っている。上下している。なんてことだ。あいつは空とヤッてる。このままじゃマンホールの精液がぶちまけられてしまう。いやマンホールは精液を出さないだろう。なら問題ないか。
「…はい、お察しのとおりです。あの円盤の中に地球の人々が捕らえられているのですが…私ではどうにも…せめて、あそこまで行ければなんとか……ッ!たっ大変だ!見つかりました!……仕方ない…一度、どこかに…いえ、私の船へ!一旦地球を離れましょう!」
雲がこちらに向かって動いてくる。いや、あれは雲じゃない。ボールだ。ずいぶん大きい。困った。体格差がありすぎる。そうだ、なら大きくなればいいんだ。見上げる顔が、正面を、ちょっと斜め下を向く。ボールは輝く、赤、緑、黄。ワンアウト、ワンストライク、ワンボール。悪いカウントじゃない。スコアボードを見る。どこにもない。スコアラーが遅刻しているんだろう。分かりやすくゾロ目で揃えてやろう。いいや待て。バットがない。あれがないとバッターじゃない。ただの探偵だ。そうだ、俺は探偵だ。でもバットがない。そうだ。バットがあればいいんだ。手を二三度握る。何の感覚もない。おかしい。ここにはバットがあるはずだ。なければおかしい。手を握る。バットを握っている。
そうだ。俺はスラッガーなんだ。ボールが飛んで来る。コースはどっぱずれの頭直撃デッドボールコース。問題ない。俺はスラッガーなんだ。スイングモーションに入る。駆け出すように右足を土台に左足を打ち出す。着地。勢いを止める壁にする。行き場を求める奔流をつま先から腰まで一捻りでまとめ上げる。両腕もバットも一つの集まりだと考える。そこにぶち込む。手はしっかりと、力を抜いてグリップを掴む。バットの中心。赤黒い錆のど真ん中に、ボールが当たる。重い。と思った時には振り抜いていた。美しい放物線を描いてボールが飛んで行く。だが小銭はない。落ちているのだろうか?足元には石の草原。これじゃ見えない。よく見ようと思うと、兎が近くにいた。
「な、なんと…!エリクシルには治したいと思う部分を治す効用がありますが…。それにしても巨大化どころか物質の生成とは…!やはり地球の人々は素晴らしい!なに、あとは私にお任せを!今回のことでレダヴァン達も懲りたでしょうし、上の連中だってもう何にも言わせません!地球が我々の連邦に入るのもすぐでしょう!」
それよりも、小銭か酒か煙草か薬をくれ、出来れば多いほうが良い。兎は何かを喋っている。持っていないのだ。バットを構える。小さいから縦か横がいい。いや待て。兎だ。そうだ俺は兎を飼っていたことがある。兎を食うやつは皆死ねばいい。足を削ぎ落とすやつも、肉を食うやつも、狩るやつも。兎は可愛いのだ。辞めよう。そもそも兎は金も酒も煙草も、もちろん薬も持っていない。俺は兎に背を向けた。眠ろう。そうだ、家には確か買い込んだ酒があった、缶には煙草が詰まっていて、粉も粒も揃っている。
「――あっ!そうだ!貴方の名前は…っていない……。なんてかっこいい人なんだ……確か、スラッガーとか言ってたな。」
ノモデリスは空を見上げた。ある勇敢な男によって青い星に青い空が戻ってきたのだ。何も求めず、この星を守った男に敬意を払い、その名と功績を永久に語り継ごう。そう決心しながら。
後日、地球は銀河連邦の保護地域から選挙区にまで昇格し、人々は世界が救われたことと、新たな他民族との出会いに祝杯を上げた。スラムに住む薬中でニコ中でアル中の探偵はボロ布の中で動かなくなっていたので、近所の住人が有機的に処理し、最終的に土になった。
兎って美味しいんですかね?食べたいです。