砂城に焦がれて
こんにちは、葵枝燕です。
この作品には年齢制限こそかけていませんが、微妙なボーイズラヴ表現が含まれます。しかし、ベッドシーンもなければ、キスもしませんし、ハグなんて一切しません。なので、年齢制限はかけていませんが、そういうものが無理な方は、回れ右していただければと思います。
それでも大丈夫だという方は、どうぞ、本文の方へとお進みください。
昔から、砂の城というものに、どうしようもなく焦がれていた。
ほんの小さな波にさえ、さらわれて消えていく。そうして、そこに城の模倣物が存在していたことさえも確認できなくなる。そこにあったことさえも不確かな、儚いものへと変わっていく。
いっそのこと、砂の城になれたならと、叶いもしない願いを抱えていた。
「燈悟、本当のことを言ってよ」
輝きという言葉の似合う街中で、彼女はそう切り出した。色とりどりのイルミネーションと、幸せに満ちた人々の声が、まるで遠い世界のことのようだった。
「あたしのこと、どう思ってるの?」
白いコートから、紅色のスカートが覗く。普段スカートを穿かない彼女なりに、おしゃれをしてくれたのだろう。それは間違いなく、僕の為だった。
そして僕が彼女を愛しているのも、事実のはずなのだ。
「いいわ。あなたから言えないなら、あたしが言うしかないものね」
僕の表情は、そんなに読みやすかっただろうか。彼女を、暗くさせるような顔をしてしまったのだろうか。彼女は、全ての負の感情を押し殺すようにして微笑んでみせた。
「別れましょう、燈悟」
彼女の強い口調は、大きな諦めとほんの一滴の希望に満ちていた。きっと、最後の希望というものに縋りついていたいのだろう。本当は、僕と別れたくなどないのだろう。僕がその言葉を否定してくれるのを待っているのだろう。それでも彼女は、その希望さえも押し殺して諦めようとしてくれているのだ。
「ごめん」
「謝らないで。あなたといられて、楽しかったわ」
最後まで弱音も悪意も吐かずに、彼女は僕に背を向けた。振り向くこともしないままに。僕になど、未練はないと言外に告げるように。僕だけがいつまでも、彼女の背を見送り続けていた。
彼女を確かに愛していたのに、それ以上先に進むことのできなかった僕自身が最も悪いのだと、誰よりもわかっていた。彼女に非はない。あるはずもないのだ。問題は、僕一人にあるのだから。
幼い頃から、僕には異性に対する恋愛感情が備わっていなかった。僕が好意を抱くのは、同性のはずの存在。どれほど想いを募らせても叶いもしないそれが、周囲から冷たい目で見られる感情だと知ったのは、小学三年のときだった。必死に異性を好きになろうとしたのはそれからで、しかし僕自身は何も変わってはいなかった。
何人もの異性と付き合い、同棲もしてみたが、それでも僕は越えられなかった。一線を跨いで向こう側へ行くことに、どうしようもない躊躇いを抱いていた。それが、彼女達を苛立たせ、別れることに繋がった。その度に、僕はまた別の相手を探した。それでも、僕の根底は揺るがなかった。何も、何も、変わりはしなかったのだ。
話せば、理解してもらえたのかもしれない。それ以上に、見捨てられることが恐ろしかった。「キモチワルイ」と告げられることが、「ウソツキ」だと詰られることが、たまらなくこわかったのだ。
実家を出て一人暮らしをしていた姉の栞名が何の前触れもなく帰って来たのは、僕が彼女と別れてから数日後のことだった。いよいよ今年も終わろうかという、そんな寒い夜だった。
「紹介するわね」
そう言った栞名の横に立っていた男は、僕達に向かって頭を下げた。
「お初にお目にかかります。氷見野辰巳と申します」
眼鏡を掛けた、いかにも頭の良さそうな雰囲気の男だった。茶髪を肩の上くらいで切り揃えていて、服も派手なものを好むような姉の隣にいるには、どことなく似合わないような人だった。
それでも、彼が栞名にとって大切な人で、栞名が彼にとってかけがえのない存在なのだろうことは、初対面の僕でも察しがついた。
「わたしね、氷見野さんと結婚したいって、考えてるの」
栞名の言葉は、僕の中でぼんやりとした摑みどころのないものとして響いた。現実感を感じられず、夢の中のようにさえ思えた。とめどなく浮かんだのは、「何故?」という言葉だった。
何故、連れてきたのだろう。何故、僕はいつまでも実家に留まってしまっていたのだろう。今日に限って、出逢ってしまうなんて。
氷見野辰巳という、姉の婚約者に、僕はどうしようもなく惹かれてしまっていたのだ。
時間は容赦なくいきすぎて、栞名と氷見野さんの結婚式まで残り一週間となった。
僕は、何もできないまま式に参加するはずだった。新婦の弟として、姉の晴れ姿を見る義務があるのだ。特別仲が良いわけでも、時別仲が悪いわけでもなかったけれど、栞名は僕にとってたった一人の姉なのだ。その姉の結婚式を、理由もなく欠席するなど僕にはできなかった。
「燈悟くん」
氷見野さんが僕の部屋を訪ねてきたのは、普通なら式の準備で忙しいだろうそんな日の夜のことだった。僕は、驚きと嬉しさを押し殺して彼を見やった。
「どうしました?」
「栞名さんが酔い潰れてしまってね。お義父さん達も留守のようだから困っているんだ。手伝ってくれないか?」
またか……。栞名は、酒に弱くすぐに酔う。そのくせ酒好きで、ワインやビールを浴びるほど飲みたがるという、悪癖がある。飲み過ぎんなって、いつも母さんに言われているし、僕もたまには言ってるんだけどな。大方、「独身最後の飲み会だー!!」とか叫んで、いつも以上に飲んだに違いない。
「ああ、父さんも母さんも、今日は出かけてますからねぇ。大変だったでしょ、栞名を連れ帰るの」
「ははは……」
氷見野さんは困ったように笑う。酔い潰れて眠ってくれればいいが、栞名はハイテンションになるのだ。しかも、場を思い切り乱したあとでコテンと寝てしまうのだから、本当に手がかかるし性質が悪い。まあ、一度寝てしまえばちょっとやそっとのことじゃ目覚めないし、それはそれでいいのだけど。
「手伝います。玄関ですか?」
「すまないね」
「いいえ」
お世辞にも僕は力がある方ではない。それでも、氷見野さんの手助けができるなら、僕はそれだけで嬉しいのだ。この感情さえばれなければ、僕はそう、それだけで満足なのだ。隣にいることが叶わないことはわかりきっているのだから。僕一人、諦めれば済む話である。
二人で玄関に向かうと、そこには酔い潰れた姉がいた。ぐっすりと眠りこけている。酒と煙草の匂いが鼻を突いた。だらしなく寝ているその姿は、結婚を控えている花嫁だとはどうしても思えない。
「とりあえず、運びましょうか」
氷見野さんと二人がかりで、何とか栞名を運び終えたときには、僕らはお互いに汗ぐっしょりになっていた。
「どうにか運べましたね」
「そうだね。ありがとう、燈悟くん」
そう言って微笑む氷見野さんに、僕の心臓は大きく高鳴った。頬に赤みが差しそうになる。落ち着けと、自分に言い聞かせた。この感情が伝わることを、望んではいけないのだ。
「燈悟くん? 大丈夫かい?」
様子がおかしくなった僕に感づいたらしい氷見野さんの声は、あたたかく包み込むように心に響いて溶けていく。しかし、僕の感情はそれに反比例するように落ち着かなくなる。鼓動が早まる。己を見失いそうになる。それは、破滅しか生まないはずだ。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。大丈夫。隠すことには、慣れきってしまっただろう? ずっとずっと、そうして生きてきたじゃないか。
「燈悟くん」
隠し続けなければならない。今までそうしてきたように。今まで以上に隠し通して、そうして、普通に異性を愛さなければならない。僕はいい加減、そういう風に生きなければならない。
「悩みがあるなら、聞くぐらいはできるよ?」
「……やめてください」
思った以上に尖った声がこぼれ出た。氷見野さんが息を飲んだのが聞こえた。それでも、縋りついてはいけないのだ。
優しくしないで。僕に、そんな風に話しかけないで。これ以上、想いを募らせないで。あなたには、栞名がいる。愛すべき女性がいる。僕なんかに、優しくしないで。これ以上、あなたを好きになってしまうような言葉を言わないで。僕に構わないで。
そのどれもが、氷見野さんを傷つけるだけの言葉達だとわかっている。亀裂を生みたいわけでもなければ、溝を作りたいわけでもなければ、強固な壁を築きたいわけでもなかった。そんなことを僕は望んでいない。むしろ、その逆を欲している。
だから僕は、臆病な僕は、これ以上先には進めない。氷見野さんと栞名を傷つけてまで一緒にいたいとは思わない。何よりも、僕自身が傷つくことに耐えられないのだ。
「燈悟くん……」
「すみません。失礼します」
このままい続けたら、弱音も恋情も何もかも吐き出してしまいそうだった。それはきっと、彼を戸惑わせるだけであり、僕自身が傷つく結末しか生まないはずだ。破滅しか待っていないに違いない。
心配そうな声が背中にぶつかるけれど、僕は振り向くことをしなかった。
幸せそうな、花婿と花嫁。幸せそうな、両家の父親と母親。花びらまでもが、幸せそうに舞い狂う。
僕は、僕だけが、心をどこかに置き忘れてきたように佇んでいた。笑顔を浮かべている自分は、果たして僕自身なのだろうか。そう思うほどに、僕は場違いなところに踏み込んでしまったように感じていた。
栞名も氷見野さんも、羨ましくなるほど幸福そうである。そう思っても、別にどうということもない。栞名のいる場所に僕が行きたいとか、思うはずもなかった。あの場所は、栞名に相応しい。僕がいていい場所ではないのだから。
「おめでとう」
小さな呟きは、歓喜の声に包まれるこの場所では誰の耳にも届かない。おそらく僕の姿も、認めている人はいないだろう。
そっと、口を動かす。音のない声は、送る宛などいない。それでも、言わずにはいられなかったのだ。
昔から、砂の城というものに、どうしようもなく焦がれていた。
どんなに立派に形作っても、波にさらわれて消えて、そこにあったことさえも不確かな儚いものへと変わっていく――それは、城の紛い物。そんなものになれることをずっと望んで生きていた。
いっそのこと、砂の城そのものになれたならと――胸の内抱え続けたそれは、叶いもしない願いだった。願うことすら、赦されなかったのかもしれない。間違った願望だったのかもしれない。それでも僕は、そんなものに憧れ続けていたのだ。どうしようもなく、全てを棄ててもよいと思えるほどに。
それを叶える日を、僕はやっと見つけたのだ。
「彼と彼女とその先の未来が、どうか幸福に満ちていますように」
こんにちは。そして、メリークリスマス(イヴだけど)。葵枝燕でございます。
『砂城に焦がれて』、お楽しみいただけたでしょうか? この話は、紆余曲折を経て、このような仕上がりとなりました。ちなみに最初は、「砂宮の主」というタイトルで、サスペンスチックな物語にする予定でした。こちらの方も気に入っているので、いつか、書きたいですね。
さて、私は本来、このような話はすきではありません。構成云々ではなく設定が、です。もっとも、このような方が世界中にいることも知っているつもりです。こういう作品が一部で人気を博す設定なのも感じてはいます。私の周りにもこういう感じの話を好む友人は割といますし、私自身もそういうアニメやマンガを見る事があります。それでも、すきになれません。そんな私が、嫌いなことや苦手なことは避けて通りたいと思っているはずの私が、それを書いてしまった。その事実に、私自身が驚いています。
まあ、そこらへんは置いといて、こぼれ話でもしましょう。
主人公の燈悟は、かっこいい名前にしたかったのでこうなりました。漢字もね、そんな思いが込められているのでしょうね。臆病な性格なのだろうと思います。
その姉の栞名は、パソコンのキーボードを見て思いついた名前です。三文字とも隣り合っているので、ちょうど名前にいいなって思いました。漢字は、絶対“栞”は付けたかったのでこんな名前になりました。本っぽいというか、本を連想させる名前にしたかったんです。
氷見野辰巳さんは、舞い降りてきた感じの名前です。漢字も同時に降ってきたので即採用で、こうなりました。理数系の教師とか似合いそうな感じのイメージです。
作中で燈悟と栞名の名字を出し忘れた(というか、出しそびれた?)ので、ここで披露します。菊間です。こちらも栞名と同じく、パソコンのキーボードを見ていて思いついた感じです。ということは、栞名は本というよりパソコンを連想させる名前になっちゃいますねー。
さてさて、苦手なものに挑戦してしまった本作はいかがなものだったのでしょうか。未熟なことはわかっていますが、なかなかいいセンいったのではないかと、自画自賛してみています。もっとも、こういうのはこれ限りにしたいのですけどね? やっぱり、ガラにもないことするのは恥ずかしいですし。つくづく苦手なジャンルだってことを、痛感はしました。きっと、気の迷いというか、そういうものに違いありません。この作を割と気に入っている自分を、一発殴っておきたいとさえ思っています(そういうことを思うなら、最初からこういうのは書かなきゃいいのです。後悔するとわかってて進めたのは、自分自身ですからねぇ)。
矛盾した行動の末の本作ですが、お楽しみいただけたならこれ以上の幸せはございません。本編・あとがきともども、長々と、ダラダラと、書き連ねてしまったことをここでお詫びします。
読んでいただき、ありがとうございました!!