序章7
事件発生より3日経ったが、西田が懸念したように窃盗絡みからの進展は全くなかった。
「やはり、この案件はお宮入りするかも知れない・・・・・・」
たった3日しか経っていないが、最悪の事態も想定しなくてはならないと西田は考えていた。「金目的」なら、大抵この手の事件では、かなりの早期に動き出すケースが多いからである。もちろん例外もあるにはあるが・・・・・・。ただ思わぬところから、事件発生より4日で本件側より直接動き出すことになるとは、西田始め捜査陣はこの時想像すらしていなかった。
6月13日の午後、西田と課長の沢井が捜査方針について協議していると、
「課長、係長、ちょっと面白い話を入手しました!」
と、外回りから戻った吉村が、帯同していた大場と共に部屋に入って来るなり声を張り上げた。
「なんだ、何かわかったのか?」
沢井が椅子から急いたように立ちあがった。
「ええまあ・・・・・・。そんなに凄いことでもないんですが」
課長の剣幕にややたじろいだように返答する吉村。
「なんでもいいから、話してみろ」
西田がそんな吉村の表情を見て、静かに促す。
「係長、ちょっと前に常紋トンネルの幽霊話しましたよね? 実はあの『最近出る』って話は僕のいきつけの飲み屋の大将から聞いたんですよ。で、さっきたまたまその大将と街中で会いまして、その話の大元は客のJRの運転士の人から聞いていたようなんですが・・・・・・」
「ちょっと待て、なんだその常紋トンネルの話ってのは?」
課長は全く常紋トンネルの話について絡んでいなかったので、話の展開に付いていけなかったのは仕方ない。しかし吉村と西田の説明を聞くと、常紋トンネルの案件自体については以前から知っていたようで、すぐに事情を飲み込んだ。
「で、ですね、その心霊現象ってのが、『人魂』か何かの発光現象を、運転士の人達が常紋トンネルの生田原側で、最近走行中に頻繁に目撃するようになって出て来た話らしいんです」
「人魂ねえ・・・・・・それはともかくそれがどうして本件と関わってくるんだ?」
課長の疑問ももっともだった。西田もそれを口にしかけたが、課長に先を越された形になった。
「まあそう急がないでください。先がちゃんとあるんですから」
そう言うと、人に急ぐなという割に背広をせわしなく脱いで机の上に置き、話を再開した。
「その人魂やら発光現象やらで運転士が騒いでる最中、1人だけ『あれは違う』と最初から言ってるベテラン運転士がいるそうなんです」
「それがどういう意味をもっているんだ?」
今度は課長より先に、西田が吉村に思わず問いただした。
吉村はそれに少々にやりとした表情を浮かべると、話を続けた。
「そのベテラン運転士は、若い頃に何度も常紋トンネルの怪現象を目撃してるそうなんですが、その時の発光色とここ最近のそれは全く別もので、『あれは懐中電灯かなんかの人工の光だろ』と言ってるそうなんですよ」
「つまり、幽霊騒動は『生身の人間様』の仕業と言ってるわけだ、その人
は」
沢井は西田の顔を見ながらこう言うと、
「結論としておまえの言いたいことは、その光源の主が、今回の件でカメラを奪った人物と何らかの関係があるのではないか? そういうことだな?」
と吉村に確認した。
「ピンポーン、その通りです。ここ最近の発光現象と今回の事件、時系列的に関係があっても不思議ではないでしょう?ましてあの事件以降、発光体は誰も見ていないそうです」
「誰も見ていないってのは本当か?」
西田が問い直すと、
「ええ、頻繁に目撃されたものが、あれ以来ないようです」
と、吉村と一緒に大将から話を聞いていたらしい黒須が代わって答えた。
今年30にもなる男が「ピンポーン」はどうかと思うが、なるほど例の幽霊話とこの事件、目撃談が本当なら考えようによっては接点があるかもしれない。荒唐無稽な心霊現象から捜査の端緒を掴んだとすれば、なかなかのお手柄である。
「課長、これはひょっとするとひょっとするかもしれません。一度ちゃんと聴いた方が良いかもしれませんね」
「・・・・・・西田の言うとおり、ちゃんと事情聴取させて貰うべきだろうな。西田、おまえと吉村で行くか、吉村と黒須に任せるか、どうする?」
「一応私も行くべきでしょうが、黒須も含めて3人でいいでしょう」
「わかった。おまえに任せる」
「じゃあ私がアポとりますんで、よろしいですね?」
課長の発言を受けた吉村に、西田は黙って数回頷いた。
聴取が行われたのは、人魂・幽霊説を否定したベテラン運転士である高宮の都合を優先した結果、翌日の午後、北見のJR施設であった。事情聴取に緊急性や重大性があれば、家にでも押しかけてまで聴くべきだろうが、現状そこまでではない。他にも発光現象を目撃した運転士数人にも聴くことになった。さすがに心霊現象絡みについて捜査するというのは、西田等遠軽署の面々だけでなく、警察にとってもそうそうない経験である。事務所でお茶をいただきながら、運転士達にどう切り出すか思案していた西田であった。
高宮の到着がやや遅れることになったので、彼に聴取する前に、事務所に居て実際に現象を目撃した運転士数人に先に聴いたところ、発光現象は、
①常紋トンネルの生田原出口から数百メートルほどの地点で、事件発生の20日前ぐらいから、夜中通過するオホーツク8号や夜明け前に通過する貨物列車の運転士がトンネルを出てから割とすぐに木々の隙間にチラチラとしているのを目撃
②列車がその発光体の付近を通り過ぎようとすると、発光現象は何故か収まる。
③光は黄色みがかったもの
と共通していた。彼らは個別に聴取した際、口々に、
「いやあびっくりしました。色々以前から聞いていたので・・・・・・」
と似たような感想を述べた。確かに初めて見たらびっくりするのだろう。ただ、本当に聴きたいのは高宮という運転士の話である。現実に「幽霊」の仕業であれば、捜査には何の影響もないのだから、彼の否定話が捜査のキーポイントにならないと困るわけだ。
肝心の高宮は予定より1時間ほど遅れてやって来た。室内に入ってきた直後には西田達を見つけ、
「いや申し訳ない。女房を病院に送り迎えしてたら思ったより時間が掛かっちまってねぇ」
軽く会釈しながら、刑事達の前にどかっと腰を下ろした。
「こちらこそお忙しいところすみません」
西田はそう良いながら自分と部下を紹介した。それが終わるや否やベテラン運転士が先に切り出した。
「刑事さん達は、例の常紋トンネルの話を聞きに来たんだべ?」
事前に吉村が食堂の大将を通じて話をつけておいただけに、相手はこっちの知りたいことにすぐ踏み込んできた。割とせっかちな性質のようだ。
「ええ、まあそうです」
「西田さん・・・・・・だったっけ?あれねえ、どう見ても人間の仕業だべ」
「それはどういう理由で断定されてるわけですか?」
「だって、俺が若い時に何度かみた人魂らしきモノは、青白い感じでフワフワ浮いてた。あんなはっきりした光じゃねえよ。しかも列車が近づいても決して消えたりしなかったし。若い連中はよく知らないからあの程度で騒いでるけど」
「その『本物』はいつごろ見たんですか?」
黒須が脇から口を挟んだ。
「俺が20の後半、今55だから約30年前ぐらいかな。まだSL乗ってた頃の話だよ。あれ以降ほとんど人魂だの幽霊だのの話は聞かなかったし、俺も見なかった。ところが・・・・・・あれいつ頃だべ?高橋」
そう言いながら、先程まで事情聴取していた若手に振り返って問いかけた。
「えっと、木村が初めて見て騒いだのが確か5月の21、22日頃だったような・・・・・・」
若手職員が自信なさそうにそう答えた。
「そうそう、今居ない木村って奴がこん中で初めて目撃して騒いでね。それからこいつらや俺も頻繁に目撃するハメになったわけだ」
と高宮が続けて言った。
「久し振りに見た人魂は、高宮さんには、他の人達と違って違和感があったわけですね」
吉村の問いに、
「そう、俺が見たのは5月の末だったと思うけど、『これかあ』と思うと同時に、『こりゃ違うな』と思ったわけ。弱いけど明らかに懐中電灯かランタンかなんかの光だよありゃ。こいつらはそうは思ってないようだけど」
苦笑しながら答えた。
「でもそうなると、鉄道写真の撮影なんか夜中にやってる人がいますけど、そういう人達の『仕業』とは別だと他の運転士の人達も思ったから、人魂とか幽霊だと思われたわけですよね?」
吉村がなかなか良い質問をした。
「ああ。まず鉄道の撮影に来てる連中が使ってる光源は、夜中でも周りが見えるように結構強いんだよ。ずっと点けたままだし。今回のとは、若手でも違いはわかるはずだべ。なんかあんまり周りに光を漏らしたくない感じだったな」
「なるほど。まあ我々としましても、高宮さんの『経験』を信じるしかないんで」
西田がメモ帳に書き留めながら言うと、
「最近あそこら辺で保線区員がなんか死体発見したみたいな話が入ってきてるけど、それと関係あるのかな、今回の件は。なんか、列車が近づいたら光が消えるなんて、誰かこそこそ夜中にやってたっぽいけど」
高宮は鋭い発言をした。それに対して横の吉村は、
「ええ、そんなところです」
と答えるのが精一杯だった。
「ふーん、まあよくわからないけど、なんか人目に付くのを避けようとしてた感じはあったな、ああいう『消え方』は。鉄道写真なんかを夜中に撮りに来る奴はよくいるんだけど、絶対フラッシュ焚くからね、撮るのに」
高宮の発言に、西田は思うところがあった。
「すみませんが、6月8日、網走発のオホーツク10号を運転していた方が誰かわかりますかね?」
席を一度立つと事務所の職員に問いかけた。