序章5
黒須が連絡してから1時間強経った後、鑑識の松沢主任と三浦が到着した。2人とも勤務日とは言え、緊急に早朝の出勤のせいか、無精髭が少々目立つ顔つきだ。保線区員は彼らの仕事があるので、鉄道の安全の必要性も考慮し、必要事項を聴取した後、また何かあればあとから事情を聴くことにさせてもらった。
それから専門職の2人と西田ら4人の協力で近辺をくまなく調べ上げた結果、ガイシャは1m50センチほど離れた木の根もとに足を引っかけて石に頭をぶつけた公算が強くなった。靴先に木の皮らしき繊維が不着していたのと、木の根の部分に擦った後が見受けられたからだ。詳しくは後で繊維を分析してみないとわからないが、おそらく間違いはないと思われた。死亡推定時刻は硬直具合により午前2時辺りとわかった。網走発札幌行きの上り夜行特急オホーツク10号が通過した後のようだ。札幌発の下りオホーツク9号の運転士は多少線路から離れていたので気付かなかったらしい。この間貨物も通過しておらず、保線区員に発見されるまで放置されていたことになる。こうなると事故の可能性が通常は高まるのだが、至る所に痕跡のある「靴跡」の人物に追いかけられて躓いたという可能性もあり得るので、死亡原因について全く事件性がないかは、この時点では断定しきれなかった。
他にも「事件性」を推察させることがあった。遺体の位置から20mほど離れたところにあった、ガイシャのものらしき「遺品」には時刻表(貨物時刻表もあった)とカメラの三脚や弁当などが残っており、おそらく夜間に鉄道写真(常紋トンネル付近は生田原側、留辺蘂側ともに鉄道写真撮影地のメッカである)を撮影しに来ていたのだろうが、肝心のカメラだけが無くなっていた。ズボンに残っていた車のキーを使って、ガイシャの車を調査してもカメラは発見できなかった。また、財布や車内には荒らされた様子はなかったので、車のキーや財布には気付かなかったのかもしれないが、ここまでの「足」を考慮するとその程度のことは「思いつく」はずで、最初から興味がなかったと考えるのが妥当であろう。そうなるとカメラにだけ興味を示した、ある意味「同趣味」の人物の犯行の可能性すら浮上する。
結論としては、少なくともカメラについてはどうも「靴跡」の持ち主が吉見の死後か息絶える前に持ち去ったという公算が高まった。且つ車は結局盗まれていなかったところを見ると、車自体に興味がなかったというより、場所柄を考えると「奴」は車でここまで来ていたのだろう。このカメラの件については同僚の盗犯係に任せるしかない。
やはり一番の問題はガイシャの死にこの人物が関わっているかどうかだ。確率的には高くはないが、謎の人物の行動が直接的に吉見の転倒死に影響している場合、傷害致死、場合によっては殺人罪の適用も考え得る。また、仮にただの転倒事故だったとしても、謎の人物がガイシャの元で動き回った時点での生死を問わず、軽犯罪法1条18号(自己の占有する場所内に、老幼、不具若しくは傷病のため扶助を必要とする者又は人の死体若しくは死胎のあることを知りながら、速やかにこれを公務員に申し出なかつた者)に該当する可能性はかなり高い。
最後に広場の他のタイヤ痕も採取し、3時間程度の捜索調査を終えて、遺体と車を収容し署に帰還することになった。ガイシャの家族へは既に署より連絡をしてくれているはずだ。丸山の車とは生田原市街で分かれて、一行は国道を一路遠軽に向かった。