序章3
トゥルルルル トゥルルルル
6月9日、西田は突然の電話に飛び起きた。寝ぼけ眼で手に取った寝床の横にある目覚まし時計は、午前4時半を指している。と言っても初夏の道東の朝は早い。カーテンの隙間からは既に朝陽が煌々と注している。
「はい、西田です」
「係長ですか、こんな朝っぱらからすいません」
案の定電話は署からだった。割と早口な特徴から、すぐ夜勤の竹下とわかる。
「なんかあったか?」
「ええ、事件性の有無はわかりませんが、線路脇に不審死体があったとの通報がJRの保線区から生田原駐在所にありまして。で、駐在の丸山が事件性の可能性も考えて、刑事課に出動要請をしてきました。通報者の口ぶりでは、轢死体では少なくともないようです」
竹下は早口ではあったが、口調そのものには落ち着きが感じられた。30そこそこだが、札幌中央署の刑事一課での勤務歴もあり、この手の事件の経験度も高さも出ているのだろう。発生場所は石北本線の生田原町の外れとのことだった。
「よしわかった。署から黒須と共に直接俺の家に迎えに来てくれ。そのまま現場に向かう!」
電話を切ると、朝食べるつもりだったパン一切れを、粗くジャムを塗りたくって口に挟みながら、早々と着替えを済ませた。
西田は結婚9年の所帯持ちではあるが、遠軽には単身で来ている。札幌の自宅に妻と一人娘を置いて遠軽署に勤務しているのだ。娘の転校による学校環境の変化への適応という心配理由もあったが、それ以上にマンションを購入したばかりだったことの方が、単身赴任の決定理由としては大きかった。
まあ結婚も10年近く経つと、実際問題自由な時間が増える単身赴任も悪くないとは思っていたが、さすがに食生活においては「不自由」を感じざるを得ない。それでも2週間に1度は帰宅できる距離であるのが幸いである(JRで3時間半程度の距離である)。
竹下達と西田のアパートの前ですぐに合流し、現場に向かう。腕時計は午前5時ちょっと前を表示していたが、この時点で日差しは相当強くなりつつあり、運転席の黒須と助手席の竹下はサンシェードを下ろしていた。
「思ったより早く着けそうですね」
黒須が早朝だったこともあり、3人が黙りこくっていた中、口を開いた。
「そりゃ車はいないし、サイレン鳴らしてぶっ飛ばしてるんだから当然だ」
竹下はぶっきらぼうに言った。仮眠の最中だったのを起こされて、多少機嫌が悪かったのかもしれない。確かに元々交通量もそれほどない中で、この時間帯となると、如何にも農作業絡みのたまに行き交う車が散見される程度である。
現時点で事件か事故かはよくわからないが、車中でよくよく聞くと、現場は噂の常紋トンネルの生田原出口からそう遠くない山中らしい。遠軽から生田原方向に向かい、国道242号を進行方向に左折するとほとんど未舗装の山道を行かなくてはならないようだ。そうしている内に、現場に先に着いた丸山から無線で連絡が入った。丸山は生田原に駐在しているので、遠軽署管轄とは言っても、刑事課の西田が会う機会はそうないが、何度か生田原での小さい刑事事件で彼と関わり、若手ながらなかなか優秀な警官であることは西田も認識していた。そもそも20代の若手で駐在所員を任されるということは、西田が認識する以前に優秀であることは確実ではある。駐在所は交番たる派出所よりも独立性が強く、一種の「小さい警察署」として機能するだけに、巡査部長か巡査長以上の役職以外では勤まらないからだ。その丸山の報告では、死因はおそらく頭部の打撲による脳挫傷らしい。また、現場は最後は車が入れないので徒歩で行く必要があるとのことだった。未舗装はともかく、さすがに最後の徒歩の話を竹下から聞いたときには、死体に朝から「お目に掛かる」ことよりも憂鬱になる西田であった。