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鳴動4

 車に乗り込む前に、念のためタイムス社の駐車場に駐めてある車のタイヤを、西田は持ってきた転写シートで若手の吉村、北村両名に採取させた。勿論ありふれたタイヤだけに一致したからと言ってすぐに「幽霊」に結び付くというわけではないが、少ない手がかりを結びつけていく必要がある以上、徹底的にやっていくしかない。見た感じでは、タイヤ痕とは似ているが一致はしていなかったように思えた。


 田上から聞いた「常紋トンネル調査会」は留辺蘂にあるとのことだったが、電話したところ土日以外は無理ということで、取り敢えず今日のところはそのまま署に直帰することにした4人。


 国道242号を署に向かって留辺蘂市街地を通り、留辺蘂町(現北見市)金華地区を通りかかった頃、道沿いに「常紋トンネル工事殉難者追悼碑入口」の看板が見えた。北見に向かっていた行きの道中は、道路の反対側だったので気付かなかったようだ。いや、そもそも、この事件の前は勿論、この事件の後にもこの場所は北見方面からの帰りに通っているのだが、その時ですら気付かなかったのに、今日気付いたのは、成果もそれなりにあり、時間にも余裕があったせいなのだろうか? 西田は運転していた吉村に一声掛けて小さいスペースに車を駐めさせると、4人で小高い丘に向かう階段をゆっくりと登っていった。

(以下参考資料として他者のブログと参考映像をリンクさせていただきます)

http://takahashinonuhiro.seesaa.net/article/188248513.html

https://www.youtube.com/watch?v=xLbuF0AddkE


 高台に出ると、そこは元々「金華小学校跡」の碑が示す通り、元は小学校の跡地のようで、人口減のせいか既に廃校となっていた場所らしい。その近くに煉瓦造り形式の「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」が建立されていたのはすぐ視界に入ってきた。碑の下には、地元の人かそれとも通りがかった人か、遺族かは知らないが、小さな花とカップ酒が手向けられていた。


 「これですか・・・・・・」

吉村が碑を上から下までじっくりと見ながら呟いた。北見方面本部からの応援組である高木と北村は、この事件の前から常紋トンネルについての逸話は簡単には知っていたらしいようなことを、捜査本部が立ちあがった当初に話していたが、こうして追悼碑を目の前にするとまた違った感慨が湧いているように見えた。さすがにこの場で、以前していたような「心霊スポット」的な会話は憚られた。


 5分ほど追悼碑の周囲を思い思いに散策していると、階段を猫背の老人が上がってきたのが目に入った。古めかしい大きめのラジカセを手にぶら下げて大音響で「村田 英雄」の「人生劇場」を流しながらの登場であった。この時代に村田英雄の「人生劇場」を聞いているのが如何にもお年寄りという感じだ。任侠映画ブームの火付け役である、「人生劇場 飛車角」と言う、鶴田浩二主演映画の主題歌であり、村田の代表曲でもあった。それにしても、老人にありがちだが、いわゆる「ウォークマン」の類を知らないか、知っていても持つつもりもないのだろう。住宅も殆ど無く、「音害」は発生しないということも、大音量垂れ流しを許す要因になっていたかもしれない。


 老人は視線を上げ、過疎化した地に似つかわしくない4人の背広の屈強な男が居たのを「発見」したように見えたが、全く驚くような素振りも見せず、ゆっくりとこちらに近づいてきた。おそらく近隣住人なのだろうか、着ているものは室内着のような簡素なモノであった。ラジカセを操作して、止めたのか消音にしたのかはわからないが、流れていた曲は聞こえなくなっていた。

「あんたたちどっから来た?」

と話しかけてきた。想定内の第一声ではあったが、一番老人に近い位置に居た高木が、

「遠軽ですよ」

と返した。

「遠軽? ああ、山の向こうの人達かい」

そう言うと、屈託のない笑顔をこちらに向けつつ、やや曲がった腰を伸ばした。

「お参りにでも来たのかい?」

「まあそんなところです」

今度は西田が答えた。

「本当にこれは酷かったもんだ。逃げ出してきたタコは皆死にそうな様子で、逃げるのも命がけのようだった。警察も取り締まらなかったって、そりゃひでえ話だべさ……」

やけに遠い目をしながら、深いシワをさらに深刻にして呟いた。

「常紋トンネルって開通したのが1914年って話だけど、爺ちゃん、その頃の記憶がある年齢ってことは、結構なお年ですね?」

老人の話に吉村が少し驚いたように言ったが、老人は苦笑いしただけで、それについては何も言わず、

「タコ部屋で亡くなった人達の骨の多くは、常紋トンネルの方にある歓和地蔵尊に安置されてるんだわ。まあちょっと簡単に行ける場所じゃないけどな」

と山の向こうの方を指差しながら喋った。

「ここは人は来ますか?」

北村が問うと、

「いやあ滅多に来ないべ。見ての通り、人っ気もないし、たまに汽車好きの若いあんちゃんみたいのが金華駅降りてやってくることはあるみたいだけど・・・・・・。人よりヒグマの方が多いんじゃないべか? 既に世の中から忘れ去られた場所だよ、寂しいけどな……」

と途中までブラックジョークも言ったが、最後は悲しそうな顔つきだった。ヒグマのくだりまでは「自虐」として笑えないこともなかったが、最後まで聞く分には、4人は愛想笑い程度が限度だった。


 散歩の途中だったらしい老人としばしの間世間話をした後、別れを告げると、4人は元来た階段へと歩を進めた。「人生劇場」が再び流れ始めたので、西田が1人止まって軽く振り返ると、老人は黙って碑を見つめていた。西田はそれが妙に気になったが、時間もないので、3人の後を追って階段を小走りに下り、車に戻ってそのまま遠軽へと向かう。


 242号を金華峠に向かう途中に「常紋トンネル」と→(矢印)の書かれた小さな標識が目に入った。生田原側から入るルートと金華峠側から入るルートの内の後者の方だった。西田達は使ったことがないが、常紋トンネルの金華駅側、つまり常紋信号場へと出る、かなり険しい山道らしい。これもまたこれまでは気付かないモノだったが、今日はしっかりと目に付いた。ただ、先程の「常紋トンネル追悼碑入口」の看板を見たときとは違い、より意識的に視界に入ってきたように西田には感じた。勿論山奥の常紋信号場まで寄っている時間も意味もないので、そのまま車は遠軽市街地を目指した。


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