序章14
課長の計らいでその場で30分ほど休憩した後、遺体と共に遠軽署に戻ることになったが、休憩中も鑑識の松沢と三浦は遺体を丁寧に調べていた。さすがにそれを見て、他の捜査員達も勝手にリラックスするというわけにもいかず、彼らの作業を立ったままじっと見守っていた。そんな中、小村が、
「それにしても、奴は何故一番太い木に気付かなかったんでしょうねえ。時間が足りなかったのかな?」
と独り言のように言った。横で聞いていた竹下が、
「その可能性もあるけど、ほら、横にも幾つか太い落葉樹があるだろ? それに白樺が重なって太さに気付かなかったかもしれない。まして人目を避けて完全な夜に活動していたとなると、いくら明かりで照らしてもよくわからなかっただろうし」
と一説を披露した。確かにこの時間帯になってくると、森の中では色々見づらい部分が出てくる。そして竹下の発言が終わるのを待っていたかのように、松沢が手を動かしながら淡々と語り出した。
「この白樺を中心に周りの木が、余り日が当たらない割にやけに太いのは、遺体が腐敗分解していく中で、土中に栄養分として供給されて、それが影響してるんだよ。まあ仏さんには申し訳ないが、肥料になっちまったってこと」
「うーむ、なるほど」
それを聞いて課長が周囲を見回しながら唸った。
遺体は、骨盤の形状から男性で、身長が165センチ程度の割と小柄、左脚に骨折の痕があるらしいことが、念入りに調べていた鑑識の彼らから刑事課の面々に告げられた。全身の骨格がまるごと残っていたことで、かなり有力な事実がその場でわかってきたが、更なる科学捜査での詳細な検証でもっと色々なことがわかってくるはずだ。既に署に遺体発見の連絡はしてあるので、捜査本部立ち上げの前に、道警北見方面本部の鑑識係が派遣されてくることだろう。その先には場合によっては科捜研が絡んでくるかもしれない。
取り敢えずの休憩を終え、遺体や新たに見つけた遺留物と共に、更に暗くなった小径を車を駐めた場所へと戻る西田達の足取りは、心地よい疲れのせいかむしろ軽かった。車での遠軽署への移動も行きより早く感じたのは、決して西田だけの印象ではなく、遠軽署の他のメンバーも同じだったに違いない。
署に戻ると、彼らの「凱旋」を、連絡を受けていた署長が玄関の前で待ちかまえていた。久し振りの大きな案件だけに、署長の力の入り具合が明らかに違う。遺体を運び入れながら、沢井課長が槇田署長に軽い挨拶と概要の説明を行った。
「いやあご苦労さん。まさかのデカイ山にぶち当たったな。これからが大変だが、是非とも仏さんのためにも、遠軽署の名誉のためにも解決してもらいたい!」
そう署長が課長を労いながら言うと、
「今回は西田係長が積極的に動いたのが功を奏しました。彼を褒めてください」
と、沢井が西田への配慮を見せた。
「そうそう、西田係長が現場検証のやり直しを直訴したんだったか。よくやってくれた!」
署長はそう言うと、西田に握手を求めた。
「いえ、署長にはすんなりと再検証の許可を出していただきまして、こちらこそ助かりました。吉村刑事の情報収集のおかげもありましたし」
「なるほど全体の勝利か……。とにかく、問題はこれから先だな。更にがんばってもらいたい!」
署長の喜色満面の笑顔は、西田の春の着任以来始めてみるものだった。しかし署長の言う通り、問題はこれから先だ。身元確認は当然、犯人逮捕までいけるかどうかであり、そこまで考えると、彼もすんなりと喜んでいるわけにはいかなかった。捜査本部立ち上げともなると、道警北見方面本部、道警本部からの指示に従わなくてはならないので、独自捜査の裁量も狭くなり、所轄刑事課としてはやりづらい側面も出てくる。本部からの応援組は優秀だが同時に官僚的であることは、西田自体の経験からわかりきっていることだからだ。
刑事課の部屋に戻ると、留守番していた刑事課の他の係のメンバーから盛大な祝福を受けた。彼らも捜査本部が立ちあがったら、強行犯係同様、捜査協力をすることになるせいか力が入っているようだ。殺人事件の捜査は警察で言えば花形だけに、普段別の係として強行犯案件に関わりがなく、更に平和なローカル署だけに応援捜査の経験すらあまり積めない彼らにとっては、ある意味貴重な経験になるはずだ。勿論西田達もそういう経験は少ないだけに人のことを言えた義理ではないが……。
ただ、そんな彼らの祝福に応えて一緒になって喜んでいる暇はなく、西田と竹下はすぐに捜査資料の作成をしなくてはならなかった。捜査用の作業着から着替えると、すぐにデスクワークに入った。そして北見方面本部の鑑識係が遺体を引き取りに来たのは、彼らがひと息ついて夕食にでかけようとした頃であった。