7
ぐぅ~……。
俺を抱くレティシアの腹から、食べものを求める音が鳴る。
昨日、レティシアは俺を抱きしめたまま、泣き疲れて眠ってしまった。
何も腹に入れないまま、一日寝通したことになる。
自らの腹の音で起きたのか、レティシアはゆっくりと上体を起こした。
そして、ジーナのベッドの方を見て、安堵したように息を吐く。
ジーナは昨晩、しこたま酒を飲んで帰ってきたため、今も酒臭い息を振りまきながらぐっすりと寝ている。
だからレティシアが如何に大きな音を腹から出そうと、起きることはないだろう。
ベッドの脇にある棚の上には、昨日シュレスタが持ってきたパン、ハム、それに冷たくなったスープが置かれていた。
それに、瓶詰めにされたシロップ漬けの桃も。レティシアが眠った後、シュレスタが持ってきたものだ。
レティシアは置かれていた食べ物に手を伸ばし、次々と口に放り込み、冷めたスープで嚥下していく。
食欲が出たのなら、もう大丈夫だろう。
パンやハムを全て平らげたレティシアは、桃に手を出した。
瓶詰めにされた桃が珍しいのか、瓶を様々な方向から覗き込み、何かを確認している。
そうして、瓶の蓋を開け、中の桃を食べ始めた。
一口食べたレティシアは、驚いたように目を見開く。
そのまま食べかけの一切れを口に放り込み、瓶に蓋をした。
もしかしたら、桃のシロップ漬けを食べるのは初めてだったのだろうか。
食事を終えたレティシアは、剣を腰に携えて外に出た。
鎧はつけておらず、動きやすそうな服を着ている。
外に出ると、肌を刺すような寒さだった。うっすらと雪も積もっており、足を踏みしめるたびにザクザクと音がする。
レティシアは体の節々を伸ばし、柔軟を終えると、ゆっくりと走り出した。
まだ早朝だからか、人の姿はまばらだ。
そしてこの寒さ。
昨日は体調を崩して伏せっていたのだから、今日ぐらい休めば良いものを、この女は鍛錬を始めたようだ。
いや、もしかしたらこの女にとっては、鍛錬してるときが一番心の休まるときなのか。
フォルテア城が陥落したと聞いたときも、外に出て剣を振っていた。
体力や筋力はあればあるほど良いし、鍛錬が精神安定のために必要ならそれは一石二鳥なのかもしれない。
なら思う存分鍛えれば良い。
鍛えた筋肉は、決して裏切らないのだから。
―――
昼ごろまで走ったり、剣を振ったりして汗を流したレティシアは、湯を貰い宿舎で体を拭いていた。
白い肌についた鎧の跡。慎ましく膨らむ胸。引き締まったウエスト。
少女と戦士、相反する二つの要素を重ね合わせた身体。
今のレティシアの身体を斬ったら、どんな感触がするのだろうか。
歴戦の勇士、成熟した女性、生まれたばかりの赤子。
どんな者でも、それぞれに斬ったときの感触は特別なものがあり、あえて甲乙つけようとは思わない。
だが、この女の身体は良い。そそられる。
いつか、俺の剣技を扱うこの女と斬り合いたいものだ。
もっとも、俺が人の身に戻ってしまえば、この女は俺の剣技を扱えなくなるから、叶わない話なのだが。
「失礼しますよ」
「おい、女の部屋に入るんだから少しは――」
「あ」
ギヨームが入り口から顔を覗かせ、レティシアと目が合う。
「これは失礼しました」
全然失礼したように聞こえない声色で言い、入り口から去った。
素肌を見られたレティシアは、顔を赤くしてプルプルと震えていたのだが、あっさりとギヨームに引き下がられた為に、怒りの矛先を失ったようだ。
「おい、どうしたんだ?」
「いやあ、レティシア殿は、今体を拭いておられるようで」
「おまっ、だから言っただろうがッ!」
「いやー、軍隊生活が長いと、ついついデリカシーが無くなってしまいますね」
「女性の部屋に我々のような者が足を踏み入れてる時点で、デリカシーなどという言葉はどこかへ行っていますがね」
シュレスタとギヨーム、それにモーゼズの声が外から聞こえてくる。
「おーい、隊長サン聞こえるか? ここで待ってるからよ、その、準備ができたら呼んでくれ」
「ああ、わかった」
少しだけ恨みがましいように見える顔をしながら、服を着ていく。
十七の、嫁入り前の裸を見られたのだから当然だろう。
そう考えると、俺の今の状態は物凄くお得なのかもしれない。
「入っていいぞ」
「いやあ、先ほどは申し訳ありませんでした」
全く申し訳なさそうでない顔をして入ってくるギヨーム。
その後ろに、シュレスタ、モーゼズが続いて入ってくる。
「体調を崩されたと聞いたので心配していたんですが、もう大丈夫のようですね」
「皆のおかげです」
「私とお嬢さんは何もしていないのですがね。それにしてもお嬢さんはまだ寝ているのですか……」
寝息を立てるジーナを見て、苦笑いするモーゼズ。
酒を飲もうが飲むまいが、ジーナはいつも起きるのが遅いからな。
「実は、見舞いのために来たのではなく、お話があって来たのです」
「そうですか。わざわざこちらまで来て頂いたということは、重要なお話なのですね?」
「ええ、その通りです。隊の方々にも聞いて欲しかったのですが……」
ちらりとジーナを見やる。
ジーナに話など聞かせても聞かせなくても問題はないと思うのだが、どうやらギヨームは気になっているらしい。
生真面目な男のように見えるのに、なぜデリカシーがないのだろうか。
「ジーナには、後で私から伝えましょう」
「そうですね。あんなに気持ちよさそうに寝ているのですから、起こすのもかわいそうでしょう。それで、お話なのですがね。昨日帰還してきた隊の報告を受け、フォルテア城の一階の探索がほぼ終わりました。一箇所を除いて」
「おいおい、まさかその一箇所ってのは……」
「シュレスタさんの考えている場所で間違いないと思います。あなた方の報告でもありました、罠のある大きな部屋ですね。他の隊も罠があると考え、そこの探索を避けたようです」
「中に入った隊は、戻って来れなかったとも考えられますね」
探索を打ち切る直前、シュレスタが待ち伏せされていると警告した部屋か。
確かにあの部屋には、多くの気配があった。
だが、恐らくはゴブリンのものだ。
罠にしても、シュレスタは閉じ込められる類の罠と読んでいた。
部屋に入った隊が、悉く全滅するような場所ではないと思うのだが。
「その部屋を私達の隊で調べろと?」
「その通りです。ですが今まで得た情報を考えると、モーゼズさんの言うとおり、中に入った隊は全滅している可能性が高い。そこで、他の隊と合同で探索に行ってもらおうと考えています」
「下手をすると、死体が増えるだけじゃねえのか?」
「貴方がたが帰ってこなかったときは、その時にまた対応策を考えます」
「てめえ……」
「待てシュレスタ。ギヨーム殿、お話はわかりました。明日、参加する隊の隊長を集め、段取りを決めるということでどうでしょうか?」
「そうしましょう。ではレティシア殿、また明日。今日のところは退散します」
そそくさとギヨームは立ち去る。
その背中を、シュレスタは殺気の篭った目で見ていた。
「チクショウ! 無理やり連れてきておいて、軍の連中は俺達のことを消耗品のように扱いやがって!」
「それは否定しないが、ギヨーム殿を恨むのは筋違いだ。今回の作戦も、恐らくはもっと上の人間が考えたものだろう。ギヨーム殿は、あくまでも窓口に過ぎない」
「それはそうかもしれないが……、クソッ! すまねえ、少し頭冷やしてくるわ」
シュレスタが足早に出て行く。
追うようにして、モーゼズも立ち上がった。
「レティシア殿の言うことはもっともなのですがね、私も心情的にはシュレスタさんと同じです。そもそも軍の者達が不甲斐ないからこそ、フォルテア城を奪われたのでしょう。その尻拭いを、我々のような者達に押し付けているのですからね」
「……そうだな、その通りだ」
「それでは私も失礼します」
いつものように、淡々とした語り口でモーゼズが発した言葉。
それは、フォルテア城の元城主の娘であるレティシアの心を抉るものだった。
モーゼズはレティシアの出自を知らないからこそ言ったのだろうが、だからこそ偽らざる本音でもあるはずだ。
「あんまり気にしない方がいいよ、隊長さん」
「なんだ、起きてたのか」
「まー、あんだけ騒いでればね。確かにモーゼズのおっさんの言うとおり、この城が落ちたのは兵士たちの不甲斐なさのせいとも言えるけど……、あたしはそれだけじゃないと思う」
「どういうことだ?」
「城を落とすのって、そんな簡単なものじゃないわ。そりゃあ、ドラゴンでも持ってくれば話は違うだろうけど、ゴブリン程度じゃ何万いたってフォルテア城は落ちないわよ。それが数日も持たなかったって聞いたわ。これは異常事態よ、異常事態」
確かにそうかもしれない。
俺なら何人篭っていようが、こんな城落として見せるが、その辺にゴロゴロといる雑魚共ではそうはいかないだろう。
「だからね、フォルテア城の兵士が不甲斐ないわけでも、メルヴィンとかいう城主の指揮が不味かったわけでもない。もちろん貴女が責任を感じる必要もない。何かが起こったのよ、この城で。だから隊長さんは、それを確かめることだけを考えてれば良いんじゃないの」
「知ってたのか……」
「あの二人はおバカだから気づいてないだろうケドね」
ジーナは一番頭が空っぽだと思っていたのだが、やはり長生きしていると色々あるものなんだな。
「ありがとう、ジーナ。少し楽になったよ」
「復讐なんて不毛なことを考えるより、『フォルテア城陥落の謎を追えっ!!』の方がよっぽど建設的だかんね」
「ダークエルフのジーナが言うと、重みが違うな」
「そりゃーね。あ、でもこの流れであたしの過去を聞こうったって無駄よ」
「そうか、それは残念だ」
笑顔を見せた二人。
復讐、か。
常に奪う側だった俺にはわからないことだな。
俺に復讐しようなどと言う者がいたら面白かったのだが、あいにくとそんな者は現れなかった。
当然だ、目撃者は全員殺してしまうからな。
だが、今考えると、あえて何人かは殺さずに生かしておくべきだったのかもしれない。
その中から復讐心を原動力として、強者になる者がいたはずだ。
剣の身になって、色々と気づかされたことがある。
それは、人を斬り続けても気づけなかったことかもしれない。
俺はいつか、あの女の言い分も理解できるようになるのだろうか。