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「見えてきましたね」
「随分様変わりしたものだ」
小高い丘の上に建てられた城を眺め、レティシアは嘆息する。
護衛の兵士を連れ、レスデアフート城を出て5日。
見えてきた城が目的地のフォルテア城だろう。
冷たく乾いた風が砂粒を舞い上げ、鉛色の空と、石組みの城壁に重なる。
城下には、包囲軍の物だと思われる天幕や簡易的な小屋が立ち並んでいた。
「思っていたより包囲軍の規模は大きいのだな」
「そうですね。包囲している兵達、フォルテア城攻略に加わる者達を目当てにした商売人も集まってきているらしいですから」
「たくましいものだな、商人というものは」
レティシアの目から伸びる長いまつ毛は、砂粒にまみれていた。
俺と出会ったときとは違い、レティシアは兜も甲冑も身に着けていない。
遺跡やダンジョンに少数で挑む際には、兜をしていては視覚・聴覚・嗅覚の妨げになり、危機の察知が遅れてしまうとホルガーに助言されたためだ。
それに、全身を覆うような甲冑は負担が大きいとも言われ、金属製の胸当てや篭手、膝から足先までを覆ったグリーブなどを装着している。
腰には俺と、以前から持っていた装飾された剣の二本を差している。
得体の知れない俺のことを未だに信じ切れていないのであろう。
だが、あの城で生き残るには、俺の技に頼る必要があると考えているはずだ。
「ただ命令を聞くことに慣れた俺達より、商売人連中の方がよっぽど生き残ることに頭を使ってます。もしかしたら、彼らの方が俺達より、あの城の中では活躍できるかもしれませんぜ」
「栄えある王国の兵が、そいうことを口にするものじゃない」
言っていることは間違っていないかもしれないが、それを認めてへらへらしているこの男には虫唾が走る。
勇者などという特異な個体に頼るから、こういう腑抜けた兵士ができあがるのだ。
その結果があの様だ。
勇者亡き今、魔物たちの脅威と戦うべきは、彼ら兵士たちだというのに。
勇者を殺した俺がこんなことを考えるのもおかしな話なのだが。
「そうですね、少し口が滑ってしまったようです」
無駄話をやめ、黙って馬の歩を進める一行。
道なりにフォルテア城の方へと進み、天幕や小屋が建てられている辺りまで来ると、駐留していた兵士たちに声をかけられた。
「お疲れ様です。どのような用件でここへ来られたのですか?」
「フォルテア城攻略の一隊を率いることになっている」
「そうですか、命令書を見せていただけますか?」
「ああ」
ライオネルから渡された命令書を取り出し、兵士に渡す。
「ええっと、レティシア様ですね。……ご案内します、付いて来てください」
「わかった」
「それでは俺達はここで。レティシア様、くれぐれも無茶しないで下さいよ」
「ああ、ありがとう。お前達も達者で」
馬を預け、案内に従って付いて行く。
周囲には多くの者がいるのだが、活気がない。
兵士、物資の納入に来た酒保商人、馬の世話をする下人、洗濯婦……様々な人々があくせくと働いているのだが、いつ終わるともわからないこの包囲に辟易としているようだった。
「レティシア様をお連れしました」
「ああ、入って良いぞ」
大きめの天幕に通されたレティシアは、言われた通りに中へと入っていく。
中では将校が、書類の山に埋もれ、眉間に皺を寄せていた。
「ご苦労、お前はもう下がって良いぞ」
「はっ」
案内をしてくれた兵士が、命令書を将校に渡して去っていった。
命令書に目を通す将校。
眉間に皺を寄せ、細かく視線を左から右へと移していく。
命令書に最後まで目を通した彼は、瞼を硬く閉じ、息を大きく吐いた。
「あの城へ乗り込むのに志願したのですか、なんとも……」
「無謀ですか?」
「誰かが何とかしなけりゃならない、そうは思うのですがね。覚悟を決めて来られた貴女を侮辱するつもりはありませんが、若い女性の身の上で……」
「言いたいことはわかります。ですが、私も貴族として生まれついたのです。奪われたままでは終われません」
「申し訳ない、余計なお世話でしたな。申し遅れましたが、自分はギヨームと言います。レティシア殿、貴女が率いる人員を紹介しましょう、付いてきて下さい」
積み上がった書類の山を崩さぬよう、慎重に立ち上がるギヨーム。
ギヨームに連れられ、天幕を後にする。
また移動するのか。
どんな寄せ集めのクズ共が集まっているか楽しみなのだが、なかなか焦らすものだ。
「彼らと会う前にコレを」
歩きながらギヨームが取り出したもの、それは指輪だった。
「これは?」
「この指輪をつけて、念じれば貴女の率いる部下を処分できます」
「そういうことですか」
「必要な時は、迷わず使ってください。今の時代、傭兵など賊と何ら変わらないのですから」
「……はい、肝に銘じておきます」
レティシアは右手の中指に指輪をはめた。
鈍く光る指輪を見て俯く。
「えーっと、ここですね」
天幕に振ってある文字を確認し、中へ入っていく。
レティシアもギヨームの後ろに付いて、共に天幕の中へ入る。
中には二人の男と、一人の女性がいた。
「やあっと着いたのか、隊長さんはよぉ……っておいおい、まさか」
「こちらが、お前たちを率いることになるレティシア殿だ」
「レティシアだ、よろしく頼む」
「こちらこそよろしくお願いします」
レティシアの挨拶に反応したのは、大柄な男一人だけだった。
もう一人の男は頭を抱え、女の方はつまらなそうにそっぽを向いている。
「今日は到着したばかりでお疲れでしょうから、フォルテア城に入るのは明日以降が良いでしょうな。宿舎の場所はそちらのダークエルフの娘にお聞きください」
「わかりました、もう城に入っている隊もいるのですか?」
「ええ、中は相当複雑になっているようですね。明日、帰還した隊が作成した地図をお渡しします。他に何か必要なものなどありましたら自分に言ってください、用意しますので。」
「今のところは特に」
「そうですか、それではこれで失礼します」
逃げるように去っていくギヨーム。
残された四人。
「知らない者同士が集まったのですから、まずは自己紹介をするべきですね。私はモーゼズ。以前はクリーニー神教団の神官をしておりましたが、破門になりまして。今ではこの有様です」
残された四人の中で、まず口を開いたのは、先ほどレティシアの挨拶に唯一反応した大柄な男であった。
身長は2メートル近くあり、筋骨隆々とした体型である。
厳つい顔をし、眉毛は太く、刻まれた額の皺の深さが彼の人生の苦労を物語っているようだ。
栗色の髪は短く刈り上げており、髭も綺麗に剃っている。
顔の大きさの割りに小さな目。瞳の色は銅の色が混じったアンバーである。
男臭い外見とは裏腹に、身なりは清潔だ。
年齢は三十台前半くらいだろうか。
「さあ、次は貴方が紹介してください」
「しょうがねえな、俺はシュレスタだ。遺跡に潜り込んだり、斥候の真似事をしたり……まァ、そんな感じで生きてきた」
モーゼズに促され、身なりの汚い男が投げやりな態度で自己紹介する。
身長は160センチメートル程、腕や足に筋肉はついているが、贅肉を絞りきれているわけではない。
引っ込んだ陰気な目に、黒い瞳。
無精髭が顔を覆っており、男性にしては長い黒髪もボサボサだ。伸ばしているわけではなく、手入れをするのが面倒で伸びてしまっているだけだろう。
そして不機嫌そうに結んだへの字の口、不満を隠そうともしていない。
四十は過ぎていそうだ。
「こんな感じでいいか? ホラ、次はお嬢ちゃんの番だ」
「はいはいっと。あたしはジーナ、見ての通りのダークエルフ。魔法が使えるわ。あとお嬢ちゃんじゃない、少なくともあんたらよりは長生きよ」
褐色の肌、くすんだ銀色の髪。そして尖った長い耳。
ダークエルフの特徴を備えた彼女は、このメンバーで唯一人の亜人だった。
くりくりとした可愛らしい目に、灰色の瞳。
長く伸ばした真っ直ぐの髪。
肉付きはあまりよくなく、胸も平坦だ。
鼻筋が通っており、輪郭もシャープなのだが、小動物のような目のせいで幼く見える。
十五歳ほどに見えるが、少なくとも実年齢は四十から五十は行っているはず。
エルフは長くて二百五十歳程まで生きると言われている、魔法を扱うことに長けた種族だ。
白磁のような肌、金色に輝く髪、そして尖った長い耳が特徴である。
そのエルフが、怒りや憎しみなどの暗い感情に身をゆだねたとき、ダークエルフへと堕落する。
エルフの集落を襲ったときに、ダークエルフへと堕落するエルフを何人も見てきたから確かだ。
ダークエルフへと堕ちた直後の者は、感情のまま魔法の力を解放するので、とてもスリリングな戦いが愉しめた。
「実際の年齢なんてどうでもいいわな。少なくとも見た目じゃあ、お嬢ちゃんはお嬢ちゃんだ」
「なによー! おっさんが偉そうにしてー!」
「ところでお嬢さんはどんな魔法が得意なんですか?」
「得意な魔法? そんなものないわ、ってあんたもお嬢ちゃん呼ばわりすんのかー! このウドー!」
モーゼズもシュレスタも、ジーナの様子を見て頬を緩ませている。
キャンキャンと喚くジーナは確かに可愛らしいが、彼女も一度は暗い感情に身を任せたことがある狂犬だ。
「モーゼズ、シュレスタに、ジーナだな。改めてよろしく頼む」
「ああ、よろしくな隊長サン。ところで隊長サンは何ができるンだ?」
「い、一応剣を」
「成程な。前に出すぎておっちんだりしないでくれよ、アンタが死んだら俺達全員“処分”されちまうからな」
「ああ、心得た」
レティシアはシュレスタから何も期待されていないな。
体格の良いモーゼズが肉弾戦をこなせば、シュレスタ、モーゼズ、ジーナの三人でも辛うじてパーティとして機能する。
若さだけじゃない、自信のない態度で侮られているのだろう。
そしてそのシュレスタの判断は間違ってはいない。
俺を抜きにして考えれば、レティシアは貴族であったというだけの少女だ。
多少は剣を扱えるが、それだけだ。
実戦経験も希薄で、精神的にも未熟。
あの年齢まで無法者で通してきたであろうシュレスタから見れば、頼れるような“リーダー”には見えないだろう。
「自己紹介も終わったことだし、飯を食いに行かないか?」
「もうそんな時間ですか」
「へっへー、最後の晩餐になるかもしれないから豪勢に行こう!」
「お嬢ちゃんよゥ、冗談になってねえぞ……」
「食事はどこで摂るんだ?」
まだここに到着したばかりのレティシアは、何処に何があるのかわかっていない。
俺に至っては、ここがどのあたりなのかもさっぱりだ。
肉の体を持っていた頃から俺は方向音痴だった。
「レティシア殿はまだここに着いたばかりでしたね」
「いいぜ付いてきな! 俺様が食堂の場所を教えてやるぜ!」
「なんでそんなに偉そうなの? バカなの?」
もっと反抗的な連中なのかと思っていたが、少なくとも後ろから襲ってくるような連中ではないようだ。
ジーナの物言いに、苦笑いをこぼしながらもシュレスタに付いていくレティシア。
天幕の外に出ると、辺りは既に暗くなっていた。
「さみぃな」
「でも見てください、天上を埋め尽くす美しい星ぼしを!」
「あー、きっと高いところは空気が薄いから、おかしくなっちゃったのね……」
「私は素直に感動しているだけですよ」
「あー、さみぃ」
「ははは……」
明日の実戦が楽しみだな。
レティシアがどれだけの屍を生むか、本当に楽しみだ。
―――
「ジーナ、そろそろ起きろ」
「むあーい、もうちょっとぉ……」
既に防具を身につけ、準備を済ませているレティシア。
対してジーナはベッドから出てこようとしない。
二人は同じ天幕を与えられていた。
宿舎――とは名ばかりの天幕は、一つにつき二人で使用することになっているようだ。
「いい加減に、しろ!」
「どわぁ」
無理やりベッドから引きずり出されたジーナは、タンクトップに白い下着だけの格好だった。
「寒い、死んじゃう」
「そんな格好をしていれば当たり前だ。さっさと準備を済ませろ」
「はぁい……」
渋々服を着ていくジーナ。
ニーソックスに、ミニスカート。
肩の出たシャツに、肘まである布製の手袋をはめる。
褐色の肌が映える、白を基調とした装いだ。
「……へそが出ているけど、その格好は寒くないのか?」
「へーきへーき」
「そうなのか……」
釈然としない様子のレティシア。
俺から見ても寒そうに見えるのだが、何か特殊な魔法でもかかっているのだろうか。
準備を整えた二人は、フォルテア城の門へと向かった。
前日の内に、待ち合わせ場所は決めておいたのだ。
フォルテア城に乗り込む前に一旦合流して、各人の得物を取りに行かなければならない。
無用な争いを避けるためにも、集められた傭兵たちは武器を取り上げられているのだった。
「おはようさん」
「おはようございます」
既にシュレスタとモーゼズは待っていた。
どうやら朝に弱いのはジーナだけのようだ。
男性陣は、二人ともしっかりと目が覚めている。
「おはよう」
「おあよー」
「こりゃ、お嬢ちゃん待ちだったようだな」
眠そうに目をこするジーナを見て、シュレスタは察したようだ。
てっきり俺は、シュレスタも朝に弱いタイプだと思っていたのだが、意外にそうでもないらしい。
「それじゃあ武器を受け取りに行きましょうか。レティシア殿がいないと、我々は武器を携帯することが許されませんからね」
皆で武器庫まで行き、各々名乗り、得物を受け取っていく。
シュレスタはククリナイフを腰に差し、手斧を持った。
モーゼズは鋼鉄製のメイスと、木材を金属で補強した盾を受け取る。
「ジーナは?」
「んー? あたしは武器なんて持ってきてないよ。魔法で戦うからね」
「じゃあこれで準備は万端ってわけだな」
「あとは地図だけだ」
そういえば昨日、そんなことを言っていたか。
「やー、既にこちらに来ていましたか」
ちょうど良いタイミングで、昨日の将校がやってくる。
名は確か、ギヨームといったか。
「こちらが今の段階で作成された地図です。内部構造は大分変わっているのですが、絶えず造りかえられているというわけではないようです。ただ……」
「ただ?」
「どうもおかしなことになっていまして。フォルテア城の大きさと、地図が合わないのです。地図を信じると、城の内部の方が外周より大きいことになってしまう」
「先に入った隊の者たちが間違っているということですか?」
「いえ、複数の隊の調査結果で一致しているので、間違っているわけではないようです。口裏を合わせて虚偽の報告をしている可能性がないわけではないのですが……、まあ、その辺りも調査してきてください」
「わかりました。わざわざありがとうございます」
虚偽の報告をするにしても、「内部が外部より大きい」なんて嘘に意味があるとは思えない。
空間がおかしなことになっているのだろう。
魔物どもが集まる場所ではさほど珍しいことではない。
「今度こそ準備完了か?」
「ああ、行くぞ」
レティシアを先頭に、続くパーティのメンバーたち。
ようやくだ。ようやく俺と俺の技が存分に振るわれる時がきた。
肉の体を失って以来、これほど心躍ることもなかったな。
聳え立つ城の尖塔が、浮かれる俺を見下ろしていたような気がした。