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お兄さんへの疑惑

 

 市川松子イチカワショウコ

 そう名乗った彼女は私に握手を求め、何故か待合室で肩を並べて座っていた。


「蓮路はね、幼なじみなの。私達の家が仕事柄家族ぐるみで付き合いが深くて、小さい頃から一緒でね」


 そして求めてもいないのに鈴ノ木さんの事を話してくれる。

 正直、聞きたくはないのに私は席を立てない。


「でも付き合った過去は一度もないのよ?」


 そう言うと松子さんは小首を傾げて「意外でしょ?」と笑う。


「付き合っていないのに婚約者なんですか?」


「所謂親同士が決めたってやつね。でも、私は相手が蓮路ならいいと思ってるの。私達、きっかけがなかっただけなのよ。幼なじみの時間が長すぎて互いの存在価値が曖昧なくらいに。だから多分蓮路は貴方を連れて私の職場に来たんだと思う」


 あの日の話題に触れられ、私は伏せがちだった顔を上げると、松子さんは苦笑を見せて祈るように両手を握り締めた。


「私とは全然違うタイプの貴方に指輪を選ぶ蓮路を見て、私、嫉妬したの」


 その瞬間、私の胸はつきんと痛んだ。


「蓮路はね、私の気持ちをはっきりさせてくれたのよ。あの日、私は彼の大切さに気付けたの。貴方には悪いけど、それで私の気持ちは固まったわ」


 最後の言葉に私が反応すると、松子さんはクスリと零し「好きなんでしょ」と問い掛ける。

 確かにその通りだけど自覚したのはほんの数分前で、松子さんのような人を前に頷けはしない。

 余計、惨めな気持ちになるだけだから。

 誰だって鈴ノ木さんと並んでお似合いなのは松子さんだと口を揃えて言うに決まっている。

 そもそも、鈴ノ木さんが私を選ぶ事すら不思議でしょうがないのに。卑屈にはなりたくないけど、自信が持てないから松子さんの言葉がすんなり心に浸透していく。


「だけど貴方には本当に申し訳ないと思ってる。でも、貴方みたいな純粋そうなお嬢さんじゃなきゃ、私達駄目だったんだわ。いつも蓮路が連れてた他の派手な子じゃ、彼のいつもの女遊びにしか思わなかっただろうし」


「だから、ありがとうね」と、最後に続けられた言葉が追い討ちをかけた。

 辛うじて涙は滲むだけで済んだ。けれど、とてもこの場にはいられなくて、私は跳ねるような勢いで立ち上がり、松子さんに挨拶もなしに病院を飛び出した。入れ違いに中へ入ろうとした人とぶつかりそうになり、慌てて私は顔を伏せる。夜間診療の来院者だろうかとかこの際関係なく、とにかく今の顔を誰にも見られたくない一心で私は病院から離れた。


 やっと街灯一つの少し寂しげな最寄りのバス停までたどり着くと、その場にしゃがみ込む。

 既に私の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。込み上がる熱でメガネは曇り、おまけに涙で前も見え辛い。とてもじゃないがこの状態でこれ以上は出歩きたくなくて、私はすぐさま頭に浮かんだ親友にSOSを発信した。

 嗚咽混じった要領得ない私の言葉からサトは心情を察してくれ、彼女の下宿先の管理人さんに車を出して貰い、十分そこらで駆け付けて直ぐさま私を抱き締めてくれたのがとても嬉しかった。



 * * *


 久々の大泣きの後は鼻の奥がやけに痛くて、体が少しだるくなる。だけど、涙も引くと気持ちはちょっとだけ落ち着いて楽になった。いっぱい泣いた後は突然空腹を思い出してサトの下宿先の管理人の芙蓉フヨウさんが淹れてくれた生姜紅茶とザラメ入りのカステラがストンとお腹に収まる。

 サトの下宿先の管理人さんは、エキゾチックな雰囲気を持つインテリ系の素敵なお兄さんで、私の具合を気遣ってお茶を出した後はすぐに奥の部屋に引っ込んで私達を二人きりにしてくれた。これで心おきなく弱くなれる私は、泣きながら、食べながら、鈴ノ木さんへの気持ちと先程の松子さんとの会話をサトに伝えた。

 ある程度伝えた所で鼻をすすると、サトは厳しい顔で私に人差し指を突きつけてこう言った。


「陽幸、お前は負け犬だ」


 ショック。とか、怒り。だとか、そんなの感じる以前に私は呆然と拳に力を入れるサトを眺めた。


「婚約者と名乗る女が現れたから逃げ出すって、お前はいつからそんな敵前逃亡するような女になったんだ」


「えと、そういう恋愛て初めてだからいつからとか……」


「言い訳すなっ」


「えーっ!?」


 理不尽なっ! 言い返す間もなくサトの大声に私の不満は蹴散らされる。何故だろう。しんみりと失恋を味わう所か、闘志に火が着いてるのは。しかもサトに。


「大体さぁ、冷静になって考えてみなよ。陽幸は松子って女の言い分しか聞いてないでしょ? 鈴ノ木さんがホントにそんな理由で店に行くとかおかしいと思わない?」


「でも、あのデート自体が場所が目的な感じだったから説得力はあると思わない?」


「アホたれ。一方の意見だけで知った気になるんじゃない。てゆーか、鈴ノ木さんが自称婚約者を妬かせたいだけなら、その後陽幸に告るとかする訳ねーじゃん。あんた、あの人の気持ちの何を聞いてたんだっ」


「でも……」


 サトの言葉にまた、じんわりとしたものが込み上がって来るのを感じた。私は何とかそれを堪えながらサトを睨み付ける。


「どうして私なのか、自分に自信もないのにあの人に張り合えないよ」


 サトは見ていないから分からないんだ。松子さんがどんなに綺麗で、鈴ノ木さんとお似合いか、なんて。


「それに、ろくに話した事もないのに、どうして鈴ノ木さんは私を好きになったのか分かんないし……」


「そんなの本人から聞きゃいい話でしょ。それよりも問題は陽幸だ。鈴ノ木さんが好きで、向こうも好きって言ってるのに何で引いちゃうのか意味分かんない」


 サトの言葉に私は言い淀んだ。

 情けなくて言いにくかった。

 真剣に向き合って、やっぱり駄目になった時の事を考えて張り合う気になれなかったって。

 私は強くないんだ。長女気質で大きな勝負に出ない性格で、堅実が好きで失敗を少なくしたいからという性格が恋愛にも出ている気がする。

 多分、私は熱に浮かされて自分を見失って溺れたくないんだ。みっともなくもがきたくないんだ。だから、


「――もういいよ。鈴ノ木さんの事、これ以上好きになって辛くなるより、此処で終わるのもさ」


 なんて、サトに言ったら、私は思い切り彼女に頭を叩かれた。


「なっ」


 痛みはさしてない。が、眼鏡がずり落ちる衝撃に私は目を何度もしばたかせて、いくつもの疑問符を浮かべてサトを見た。サトはさっきよりも苛立った様子で私を睨む。


「だから分かったふりして、勝手に自己完結すんなっての! 勉強は出来るくせにどうしよーもなく恋愛下手だよね、陽幸は。あたしは鈴ノ木さんにマジで同情する」


「何でサトが鈴ノ木さんの気持ちを分かったような口振りなのよ」


 つい言葉に棘を含めてしまう。勝手に私はサトに嫉妬してるのを感じながら、唇を歪めると、サトもそんな私の機微を見透かすようにニヤリと笑った。


「分かるよ。少なくとも陽幸よりは先に気づいてた」


 ますます持って優位に立つように、私の気持ちを逆撫でながら、サトは口角を上げて探偵が如く仕草で、再び私の鼻先に人差し指を突き付けて言い放つ。


「あんた、鈴ノ木さんにストーカーされてんの、知らなかったでしょ?」


 誇らしげなサトの顔。

 それよりも何よりも、私はまず彼女の使った単語の意味を理解するのに物凄く手間取ってしまっていた。


 

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