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お兄さんと婚約者

 

 救急車って119だっけ、199だっけ。

 緊急時にその人の本質が試されるとか聞いた事があるけど、だとしたら私はそういう場面ではあまり毅然としていられないというのが分かった。だってやっと一息ついた今も救急車の番号が思い出せずにいる。そんな中、よく鈴ノ木さんを病院に搬送出来たものだと幸いに思う。

 最初は鈴ノ木さんの家に運ぶ事を考えたけど、素人判断が怖かったし、何より女手で鈴ノ木さんを部屋まで運ぶのは難しかった。救急で運ばれた鈴ノ木さんは今、処置室で点滴を打たれて眠っている。過労だと聞いた。

 ええ、顔見知りではあるものの、それでも身内でないのに何故か私も救急車に乗せられ、同伴させられてる現在です。成り行きとは言え此処まで来たら出来るだけ付き添う所存ではある。

 とにかく過労とは言え、大事なくて良かった。そう素直に胸を撫で下ろした。

 昨日会った時は締切に追われているようだったから、それが原因かなあ。鈴ノ木さん、本屋の仕事もしてるし。

 作家先生でもダブルワークの人も多いとはよく聞く話。だけど鈴ノ木さん、もとい木之蓮はかなりのベストセラー作家だ。過去に実写映画化もされているのに、作家一本稼業はそんなに厳しいのだろうか。

 私は待合所でひとり、そんな事を考えていた。

 病院内だから携帯電話は使えない。かと言って雑誌は読む気になれなくて、ベンチに腰掛けてただ呆けたように色々考えていた。


 鈴ノ木さんと木之蓮。

 正直、鈴ノ木さんの事を私は全くと言って知らない。

 誕生日や年齢……は、作家木之蓮のプロフィールで知っているけれど何が好きかとか嫌いだとか、どうして作家を目指し始めたとか内面的部分は知らないことばかり。どうして私を好きになったとか、いつから好きになったのとかも。

 作家の木之蓮なら知っている。学生や若い女性を中心に売れていて、読書離れが進む昨今にベストセラーを叩き出す若手の新進気鋭作家。だけど私生活に支障を来すからとメディアへの露出はほぼなく、サイン会も実は未だにない。絶対編集部から相当依頼が入ってる筈なのにと、某SNSのファンのコミュニティーにて未だ実現のない話を嘆いていたのを思い出す。

 人気はあるのだ。それでも鈴ノ木さんがまだ本屋で働くのは何故だろう。作家一本で生活出来そうなものなのに、きっと過労で倒れる事もなかっただろうに。

 辞めたくないくらい本屋の仕事が好きだとか?


 ――本屋でなら私と会えるから、とか?


 ふと何処から湧いたのかそんな想像に、自発的と言ってもいい具合に私は赤面した。

 これは完璧自惚れだけど、もしそうだとしたら結構クるものがある。

 一応、告白はされてるからね。そういう可能性も万が一にあるかも知れない。ほんっとーに、どうしようもなく自惚れた意見と自覚はしているけども!

 考えていて恥ずかしくなる。空調の設定でも変えたのかってくらいやけに熱い。原因は考えずとも分かるので、取り敢えず火照った頭を冷やそうと私は腰を上げて自販機を探し始める。鈴ノ木さんがいつ目覚めるのかは分からないけど、せめて飲み終わるまでは残ろうという区切りにもするつもりだ。自宅にも少し遅くなるとしか連絡をしていないし。


 それにしても、この数日の間での鈴ノ木さん関連のイベントは目まぐるしいなあ。

 入口付近にある自販機を前にして、苦笑した。

 サトからの頼まれた腐女子のお使いに始まり、突然のデートに告白、膝蹴り、お見舞い、そして病院までの付き添い。会ってほんの数日なのにクラスメートの男子より濃ゆい関わり合いで強烈な印象だ。

 まあ、思わず息を飲む程の美人から告白されたら印象は深く刻まれるのも当然だけど。当然なのに実際にあんなきっかけがあるまでその存在に気付かなかった私もある意味凄いと思う。

 鈴ノ木さんにもその件については昨日苦笑されたばかりだしなぁ。

 その時の様子を思い出しながら、私は目の前にある自販機のレモンティーのボタンを押す。

 ああ、そう言えばその時に鈴ノ木さんは私に「ちょっとずつ近づくつもりだった」と言っていたっけ。その言葉の意味をそのまま取るとしたら予定が狂った理由も気になるけど、それより鈴ノ木さんはどうやって私と知り合うつもりだったのだろう。普通に本屋の店員と客では難しいだろうに。それともどうにかきっかけを作ろうと影ながら奮闘でもしたのだろうか。


 そうだとしたら、なんだか嬉しい。

 そういう風に想われていたなら嬉しいな。

 なんともご都合的な、希望的観測が拭えない想像、あるいは妄想なのに私の胸はほっこりする。

 ……これは、もしかしなくとも「ソウイウコト」なのだろうか。

 サトは難しく考えるなと言った。

 そして、私の仮説には何の確証もない。けれども、それでも、この期待のような想像が外れたら残念だなって感じるぐらいには私は既にソレなのだ。

 本屋の鈴ノ木さんか、作家の木之蓮か。どちらに惹かれているのかなんて考えもしたけど、なんて事はない。私を戸惑わせ、空回りさせる存在として思いう浮かぶのは鈴ノ木さんの姿なのだ。

 普通に考えてみれば、私は作家である状態の木之蓮は知らないのだから、そう言う生身的な部分は当たり前だけど鈴ノ木さんなんだよねえ。

 分かってみれば簡単な答えに笑みが零れた。

 ジェットコースターのような超加速な始まりだけれど、それでもそうと思えたのなら色々と前向きに検討してみようではないか。


 ――だとしてもどうすればいいのだろうか。サトに相談しようか。「そんなの当人同士で話し合え」とか言われそうだけど、やっぱりそれを当人にいきなり伝えるのは、照れる。

 それに私の気持ちがどの程度とかは分からないしね。出会って数日でどうこう固める程の覚悟は多分、出来てはいない。

 古臭い? 堅実で貞淑と言って貰いたい。

 まずは文通からとか時代錯誤までには行かないにしろ、やっぱりそれなりに相手の事を知ってからがいい。

 初めてだからこその段階というものを踏みたがるのも、乙女の性でしょう?


 ――なんて、誰への言い訳か何の建て前か。 


 私は久々の感覚に少し浮かれいた。こんな状況で自覚するのも何だが、こんな状況だからこそ逆に気付いたのかも知れないが、どちらにしても小さく芽吹いた春は中学以来の懐かしいもので妙に気分がハイになってしまっていた。それでも病院という場所柄、不謹慎に見られない程度に足取りを軽く鈴ノ木さんが眠る処置室前の待合所に戻る。

 もし起きていたらどんな顔をして声をかけよう。むしろまともに顔など見れるだろうか。

 地に足が着いていないと言ってもいい。この感情は自覚すると加速して気持ちが高揚して浮上するものだ。少なくとも私の場合はそう。

 うきうきと、冷えたレモンティーを握り締めて待合室に戻る。ちょっと浮かれた足並みだけれど、診療時間も過ぎた院内に人気はほぼない。受付カウンターの奥に一人人影がたまに動く程度だ。その受付カウンターのある入口前に差し掛かった所でふと、聞き覚えのある名を耳にして私は足を止めた。


「鈴ノ木さんですか?」


 これは受付前にいた看護士さんの声。変わった名字だ。多分私の知ってる人に違いない。そして、その前に鈴ノ木さんの名前を出した人は、遠目でも分かるくらいの美人な女性だった。

 白いブラウスにシルクのスカーフ、黒のティアードスカートを着て五センチはあるヒールの黒いパンプスを履いて、いかにもビジネススタイルな様相から、仕事帰りに駆け付けたと見て取れる。その美女は息を切らせ、看護士さんに鈴ノ木さんの名前を挙げて彼の所在を尋ねている。

 知り合い、だろうか。

 思わずそちらの方へ足を向けて近づく。


「彼の兄からこちらに搬送されたと窺いまして……」


 鈴ノ木さんのお兄さん……そう言えば鈴ノ木さんのポケットに携帯電話が入っていたからから病院の方で家族に連絡を入れるとか聞いたような。お兄さんがいたのかなんて、今気にするのはそこじゃない。それよりもこの人は誰? この口振りだと兄弟とかの身内とは違う、よね? それに、この女の人、私は何処かで見た事がある気がするのは記憶違いだろうか。


「失礼ですが、どなたですか」

 タイムリーな看護士の質問に私は息を飲む。人の話に聞き耳を立てるのは良い趣味ではないけど、私の足取りは悪い。聞いちゃいけない。でも気になる。そうやって足踏み状態で前進を躊躇していると、女性の方が私に気付いた。


「あら、貴方、蓮路と一緒にいた……」


 向こうも私を知っている。彼女は看護士に会釈すると今度はこちらに近付いて来た。やはり私は何処かで彼女に会っているのだ。でも何処で。


「貴方が蓮路の付き添い? 案内してくれるかしら?」


 にこりと微笑む彼女の笑み。ますます持って覚えのある表情。そうだ。プライベートだから口調が畏まっていないけど、この耳通りの良い声も私は聞いた事がある。ごく最近に。


「……宝石店のお姉さん、ですよね?」


 美人スタッフ揃いの店内で一番美人で、お客よりも宝石が似合いそうで、鈴ノ木さんの隣に立って釣り合うだろうなって思ったあの人だ。


「名前も知らないのに覚えてくれてて嬉しいわ。蓮路の“偽称彼女”さん」


 皮肉めいたご挨拶に似つかわしくない綺麗な笑み。まるで威嚇というように彼女は私を頭から爪先までじろじろ値踏みするように見て、そして不意に私を抱き締めた。


「可愛い子。蓮路の周りにいなかったタイプだわ。あいつに変なちょっかい出されて困ったでしょ?」


 優しく背中を撫でて、まるで子供を優しく慰めるお姉さん。でも耳元で囁いた声は冷たく尖っていた。


「ほんと、私という婚約者がいながらしょうのない人」


 まるで子供の悪戯を笑って流すみたいに言って、解放した私を見る。


「貴方もそう思うでしょ?」


 どうしてそこで同意を求めるの。

 意味が分からず、キリッと痛み出した胃を押さえて彼女を見据えた。

 うっとりするくらい綺麗な人。モデルでもやっていけそうな美しさを前に、私は到底適う気になれずに眉間に皺寄せた不格好な笑みを貼り付ける。

 自覚してすぐコレとかあんまりだと思う反面、現実なんて所詮そんなもんだと、私の中がスッと冷たくなるのを感じた。


 

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