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お兄さんのお部屋

 


「鈴ノ木さんって、うちのたった二階上だったんだよねー」


 改めてポストで確認して、私は鈴ノ木さんがご近所さんなのだと実感する。

 世間ってホントに狭いんだ。

 行きつけの本屋でたまたま見知った顔の店員さんに、その日の夕方にまさかの再会を果たして揚句週末にはデート。うっかり‘運命’という言葉に踊らされそうになる。

 まあ、普通に考えたらラッキーだよね、あんな超美人な男の人にお近付きになれるのって。ちょっとした少女漫画の展開みたいで。だけど、だからって「=付き合いたい」にはならないから不思議。

 案外現実ってそんなもんなのかなぁ。


 色々考えて、エレベーターはチンと音を立てて目的地に着く。

 鈴ノ木さんの部屋は角の部屋だ。角部屋は間取りが違うらしいから気になるんだよね、と、ほんのり好奇心を携えて私は表札下の呼び出しボタンを押す。

 一回押して、暫し。無反応。

 留守?

 そう思って念の為二回目を押そうとした時、ドアがカチャリと開いた。まさに恐る恐ると言った具合にドアの隙間から顔を覗かせたのは、あの本屋と一緒、ダサ眼鏡をかけた鈴ノ木さんの顔。


「あ、こ……」


「ちょっとそこで待ってて!」


 こんにちはと言いたかった私の挨拶より先に大声で制した鈴ノ木さんはばたんとドアを締める。

 締め出した……とかじゃないよね。待っててって言われたし。それにガサガサとドアの向こうから慌ただしい音が聞こえて来る。

 片付けている、のかな。

 あんまり気を使わなくてもいいのに。男の部屋って、弟達で見慣れているから多少荒れてても気にしないのだけどな。やっぱり鈴ノ木さんも綺麗な顔してるけど普通の男の人なんだなぁと笑いが込み上がる。

 だけど、次の瞬間、はたととんでもない事実に気付いた。

 そういえば鈴ノ木さんって多分、一人暮らしだよね。

 表札には一人分の名前しか載っていない。

 鈴ノ木蓮路。レンジって読むのかな。

 これが鈴ノ木さんの本名かぁ――と惚けている場合でなくて!

 呑気に考えている自分自信を激しくツッコム。いえ、だってさすがに知り合ってよく知らない男の人の家に上がり込むって良くないよね!? 私に女の魅力があるかと聞かれれば果てしなく自信はないけれど、キス紛いをしてくるくらい相手だ。全く安全圏とは言えない、筈。

 ドーナツだけ渡して帰ろうかなぁ。でもでも昨日の事について真意を聞くってのがそもそも抱え上げていた本来の目的だ!

 ……けどやっぱり出直した方がいい気もする。出直したい気持ちでいっぱいだ。なんなら確認とかしなくてもいい。

 なんて、迷っている内に再度ドアは開かれてしまった。


「ごめん。散らかってるけど、飲み物くらい出すから上がって上がって」


「えーと、はい」


 そこで素直に頷いちゃう私。何かあっても文句が言えない、かな。やっぱり。


「はいお茶。麦茶しかなくてごめんね。ジュースか紅茶でも出せたら良かったんだけど……」


「いえ、お気遣いなく」


 通されたリビング。壁際に大きめの液晶テレビがあって、グレイのラグカーペットにガラス製の座卓。そこに面して体が半分くらい埋まりそうな独り掛け用の座椅子。いかにも独り暮らしっていった感じのセット。

 間取りは多少違えど、広さとしては五人家族が暮らすマンションの一室を男の一人暮らしで使っているなんて贅沢。けれどもそんな広さを忘れさせるくらいに片付けが下手なのだろうか。ゴミの詰まったコンビニ袋がベランダの隅で山になり、脱ぎっぱなしか取り込んだ物か分からない洗濯物も一塊。溜まったそれはとても独り暮らしの量には見えない。

 その他で目を引いたのは本の数。

 別室は閉め切られていて様子は分からないけど、リビングだけでもカラーボックスやブックラックにぎっしりと詰まった本。そこからあぶれたものも平積みになって、山脈みたいに嶺を連ねている。しかもハード書籍から文庫本、雑誌と形態もまばらならジャンルも様々だ。パッと見る限り小説、エッセイ、学術書にガーデニングや占星術とかホビー系まで?

 本屋勤務だからこの雑食具合なのか。独り暮らしなのに本と同居みたいな印象だ。


「雑然としていて恥ずかしいからあんま見ないで」


 あっけに取られて部屋中を見回していたら、脇からスッと麦茶を差し出しながら鈴ノ木さんがはにかんだ。


「座っていいのに」


 突っ立ったままの私を見て鈴ノ木さんは笑うが、私としては何処が腰を下ろすべき場所かで悩んでいるのは気付いてない?


「そういえばこれ、お見舞いです」


「ドーナツだ。俺、甘いの好きなんだよ。ありがとう」


 思い出してさっと渡したドーナツの紙袋。鈴ノ木さんは目尻を緩ませて喜んで受け取ってくれたけど、そのままの顔で首を傾げた。


「――お見舞い?」


「蹴りましたから、昨日。それに、本屋で聞いたら明日の出勤が曖昧な感じだから具合が悪いのかなって……」


「あー……」


 何だか微妙な反応に今度は私が首を傾げる。


「その件はひとみちゃんが悪いんじゃなく、別件で休みを貰ったんだよね」


「……別件?」


「そ、別件。そりゃあ昔はこの容貌だしさ、よく女の子に間違えられた事もあったけど、俺、これでも男よ? ひとみちゃんの蹴り一発でダメになるくらいやわな体してないって。確かめる?」


「い、いいっ」


 断ると同時につい顔を背けてしまうのは、鈴ノ木さんがシャツを捲って腹部を晒そうとしたから。ただでさえ緊張する状況で、裸になられたらたまったもんじゃない。極限に達したら私、襲ってしまうかも。(性的じゃない意味で)

 ただ、赤くなる顔は誤魔化せなかったみたいで、それを目にした鈴ノ木さんがにんまりと目を細める。凄くヤな感じだ。


「心配してくれてわざわざ来てくれたんだ」


「だ、だって私が蹴った事には違いないじゃないですか。例え先にそっちからからかったとしてもっ」


「からかってないよ」


 やんわりと、けど間髪入れずに鈴ノ木さんの声が入る。


「――からかってなんかない」


 畳み掛けるようにそう言うと不意に鈴ノ木さんの顔付きが変わった。かけてた眼鏡を外したからじゃない。舞台の早着替のように纏う空気まで変えたんだ。


「ホントはね、ちょっとずつ近くなるつもりだったんだ」


「ちょっとずつ……?」


「だってひとみちゃん、本ばかりに夢中で全然店員に気付きやしないんだから」


 言われて覚えがあるだけに恥ずかしくなる。確かに私は目立つであろう鈴ノ木さんの存在すら眼中になかった。だけど、だからって納得した訳じゃない。


「それでも私に近付く意味が分からないです」


 一歩後退って言うと、鈴ノ木さんは今度は手を伸ばす。私の頬に。思わず肩が震えた。だって、こんな風に触れられた事って、ない。


「まだ分からない? それとも気付かないふり?」


 妖しく、艶めかしく微笑う鈴ノ木さん。更に顔は近付いて来る。

 いくら私でも分かるキスの態勢。それなのに私の体は強張って動かない。抵抗したらいいのか受け入れたらいいのかも分からない。ただ、最大限まで鈴ノ木さんが迫った頃、私は息を止めて目をきゅっと閉じた。

 吐息のかかる至近距離。でも、鈴ノ木さんの柔らかい感触は私の唇には来なかった。


「……鈴――」


「ちゃんとしたキスは、ひとみちゃんの回答次第だよ」


 鈴ノ木さんのキスは昨日と同じ、唇の横。


「どうしてこんな……」


「まだ言うかね、君は。好きだからに決まってんでしょう」


 呆れた物の言い方。何故だか私が責められて悪い子になっている気がする。


「君が気付いてない頃から好きだよ。でなきゃ昨日だってあんな事しませんよ」

 ぎゅっと抱き締められた。耳元に囁かれる。かかる息がくすぐったい。


「好き」


 瞬間、心臓がおかしいんじゃないかってくらい跳ね上がる。だって自慢じゃないけど告白をされるなんてこれが初めて。しかも大人で、凄い美人の人に好かれるって、まるで夢みたいな。

 夢みたいな話だけど、気持ってそんな単純じゃないんだと実感する。


「えと……気持ちは嬉しいんですけど、その……ごめんなさい。私……」


「分かってる」


 腕を突っ撥ねて身を離すと、鈴ノ木さんはあっさりと私を解放してくれた。それでも肩や背中に温もりがまだ染み付いているみたいで照れくさいくすぐったい感覚が残っている。


「ひとみちゃんは俺を知って日が浅いから、すぐに答えは期待してないよ。でも、好きって言って貰えるように俺は攻めるから覚悟しといてね」


 そう言うと畳み掛けるようにおでこにキスをした。


「!?」


 びっくりして更に後退ると鈴ノ木さんはにやりと楽しげに吹き出す。


「今日はもう帰った方がいいね。これ以上自分の気持を晒すと抑えが効かずに押し倒してしまいたくなる」


「わ、笑うとこじゃありませんよ!」


 人の貞操がかかっているのに、愉快げに笑うとか……。冗談にしたって心臓に激しく負担だ。

 ――とか思うけど、鈴ノ木さんが今すぐどうこうするつもりでないのは分かったので肩の力も少し抜けた。




 * * *


「それじゃあ私、これで失礼します。突然お邪魔してすみませんでした」


 玄関まで見送られながら私は頭を下げる。よくよく考えたらアポなしの訪問だから迷惑な話だよね。それでもこうやって快く迎え入れて、送ってくれる。それが私に好意が向いている所為だとしたら、なんとも甘ったるくくすぐったくて照れ臭い。


「……落ち着いたら、またデートに誘ってもいい?」


「落ち着いたら、ですか?」


 引っ掛かりのある言葉を繰り返すと、鈴ノ木さんはあーと目を丸める。


「そうか、言ってなかったっけ。俺、本屋は副業で本業が別にあるんだよね」


 暫く本業が忙しくなりそうだと、眼鏡を掛け直す鈴ノ木さんは苦笑いだ。


「そんな忙しい時にお邪魔したみたいでごめんなさい」


「いや、いい息抜きになった。何だか早く脱稿出来そうだよ」


「だっこう……ですか」


 何の仕事だろう。いまいちぴんと来ずにいると、鈴ノ木さんはようやく答えをくれる。


「俺ね、これでも木之蓮キノレンって名前の小説家なの。新刊出たらよろしくね」


 冗談混じりにウインク飛ばして言った鈴ノ木さんの言葉は、さっきの告白以上に私の度肝を抜いた。――なんて、やっぱ失礼な話だろうか。


 

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