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お兄さんのご自宅

 


「やるじゃんお兄さん。これで陽幸も女の仲間入りってかぁ」


「仲間入りって……今までの私は女じゃなかったの? ねぇ」


 サトの感想に、ちょっと前までの自分の女の価値にぐさりと傷付きつつ、私はアールグレイ紅茶の豆乳を飲み干す。


「でも、キス未遂ぐらいでティーカウはないわ。女力半減」


「その減点基準は何なの。てか、未遂じゃないもん。口じゃなかっただけで、凄く口には近かったもん」


 改めて言い直すのも恥ずかしいけど、鈴ノ木さんとのデートから明けて月曜日。早速私はサトにその詳細を話している。取り敢えず途中まではケータイでも話をしていたけど、なんだかんだで言い終わるのにお昼ご飯(持参のハムチーズホットサンドとヨーグルトサラダ)を食べ切るだけの時間を要していた。

 聞くだけのサトは既に食後のデザートに入っていて、期間限定発売の明太子プリッツをパクついている。

 うーん。まるで私の初デートはサトの酒の肴な気がして来た。(酒なんかないのに)


「つーか、それで陽幸はどうするの? お兄さんと付き合うの?」


「何でそこに繋がるの」


 突拍子もない発言に紙パックを握り締め、私は目を丸める。幸い中身は飲み切っていて良かったけど、ひしゃげた紙パックは残念な容貌で、私は潰したパックをいそいそ机の隅に追いやって再びサトを見やった。


「付き合わないよ。絶対向こうにからかわれてるだけなんだから」


「そっかなぁ。案外本気な気がするけど」


 否定する私に、肯定しようとするサト。どっちが当人か分からない意見に私も頭が混乱する。サトのように口説かれ慣れている子には珍しい話じゃないかも知れないけど、私にはどうにも担がれているような疑念しかない。


「……そもそも私は鈴ノ木さんに《BL漫画を愛読する腐女子》と思われてるんだよ? そこの何処に異性がときめくってのさ」


「それはあれ、人それぞれの蓼食う虫も好き好きよ」


「蓼でごめんなさいね」


 がっくり肩を落として頬杖し、半ばふて腐れの姿勢を取る。サトはそんな私の様子を楽しそうに眺めてニヤニヤするから余計気分が悪い。


「つーか考えてもごらんよ。女に不自由しなさそうな容姿の男がよ、偽装彼女に男慣れしてない小娘を使うかって普通。デートに誘いたい口実に決まってんでしょー」


「それは確かに不自然なんだけどもさ」


 本来ならツッコミ所として‘男慣れしてなくて悪かったですねぇ’とかなんて拗ねるものだけど、サトの指摘は私も腑に落ちない点だから言い返さない。私だって落ち着いて考えてみればやっぱりおかしいとは思うから。


「ただ単にからかったつもりじゃないのかなぁ」


「さあ。本人に聞けば?」


 しれっと答えるサトは、我関せずと言った感じ。自分の問題は自分で決めろって事なのね。

 サトとは高校からの付き合いだけど、女子の友情観としては友達だからとベタベタ甘やかさずに時に突き放す時がある。それを一部の女子の中では冷たいと非難もあるんだけど、私はそういうサトの厳しさは優しいと思う。


「……わざわざ確かめに行くの、自惚れてると思う?」


「結果、それが勘違いならそうだわね。で、確かめるの?」


「さすがにはっきりとは聞けないよ。でも、放課後本屋には行くつもり。昨日休みなら、今日はいると思うし」


 腹をくくってそう言ったら、サトはにっこりと口角を上げて私の頭を優しく撫でる。『よくできました』との事なのだろう。


「一人じゃ顔が合わせ辛いならついてってあげるけど?」


「んー。それはいいや。サトの〆切が近いからそこは遠慮しとく」


 そう断ると、サトは今度は顔を歪ませる。おそらく〆切という言葉で、今抱えている現実を思い出してるのだろう。聞くに、近々とあるカップリングのオンリーイベントがあるらしく、腐女子を謳歌するサトさんは印刷会社に出す原稿の〆切と、当日のコスプレ衣装の制作に追われているみたいだから。

 何はともあれ、こうして私は鈴ノ木さんに会いにお勤めの本屋に一人で行く事が決まったのだ。




 * * *


 行き慣れた本屋。全国チェーンの支店ってのもあり、品揃えも結構いいし、通学路の途中にあるから高校入ってからはもっぱら此処ばかり寄っていた。多分、バイトに入ればどの棚にどんな本があるかはすぐ分かるくらいに。

 そんな通い慣れた本屋に入るのにこんなに緊張するのは初めてかも知れない。と、心臓辺りをぎゅっと押さえて私は恐る恐る自動ドアをくぐり店内に入る。入口近くのレジカウンターにいた店員が「いらっしゃいませ」と言う。私は確認するように見るが、そこに鈴ノ木さんの姿を見つけられなかった。

 スッタフ統一の黒いエプロン、男性店員ならその下はYシャツにネクタイ。それがこの店の制服だというのは知っているけど、私は首から上を気にした事は一度もなかった。今挨拶した店員さんも、初めて見る顔。実際は初めてじゃない筈だけど、全く覚えがない。私は過去にこうして鈴ノ木さんに迎えられてた日があったのかな。

 あの日、私が《あの本》を買わなければ、それまで鈴ノ木さんの存在に気付いてただろうか。多分、気付いてない。基本、私は本屋では本しか目が入らないからだ。サトが一緒の時でさえたまにサトの存在を忘れるくらいだから、失礼な言い方、店員さんなんて空気に等しい。さすがに既に知り合った鈴ノ木さんはもう空気扱いは出来ないけれども。


 ――それにしても、鈴ノ木さんは何処にいるんだろう?


 私はフロアの隅から隅まで確認するが、鈴ノ木さんの姿はやっぱり見つからなかった。

 休み?

 いや、でも昨日は一緒にいたんだから今日は出勤でしょ? 連休? それともバックヤードかな。


「――あのう、すみません。鈴ノ木さんって方がこちらにいたと思うのですけど」


「鈴ノ木、ですか?」


 意を決して近くにいた鈴ノ木さんと同年代くらいの男性店員さんを掴まえて尋ねる。本を探すのにも店員を頼らない私が自ら関わるのは実は初めての事。だから店員さんの答えを待つのにも妙な緊張を覚えてしまう。

 何の用って、聞かれたらどうしよう。

 言い訳を頭の隅で考えていると、店員さんは人のいい笑顔を向けて頭を掻いた。


「申し訳ありません。あいにく鈴ノ木は本日は休みなんですよ」


「それじゃあ、明日はいますか?」


「一応シフト上はそうなんですが、ちょっと分からないですねぇ」


 案外あっさりと教えてくれたけど、内容には歯切れがない。

 明日もいるとは限らないという事? 鈴ノ木さん、何かあったのだろうか。


「体調を崩したのでしょうか?」


「えー、まぁそんな所です」


 締めるようにすみませんと店員さんは謝り、仕事に戻る。残った私は立ち尽くし、一抹の不安。

 もしかしなくとも、鈴ノ木さんのお休みって私の所為? とか思っちゃって。

 混乱してたとはいえ、思いきっり腹部に膝蹴り入れちゃったもんなぁ。たかだか女の蹴りだろうが、膝は人体で一番の凶器。しかも普段から人間の体重を支えている足の攻撃力って、普通に痛い筈。

 此処で聞かなかったふりって、やっぱ人でなしだよね。

 別に誰かに責められてる訳でもないのに疼く良心。信心深くはない筈なのに、やはり神様はお空の上から見ているのだと思ってしまうのは、物心ついた頃から宗教的な環境で育ったからだろう。

 幸いと言いますかなんと言いますか、ご自宅まで知ってますもんねぇ。むしろ同じマンションですし、みたいな。部屋番号は一二〇一って言ってた筈だけど、ポストでも確認出来る。おまけに本屋を出てすぐそこにあるドーナツは百円セール中。まるで「YOU、見舞い行っちゃいなよ」って追い打ちをかけているみたいだ。


「……甘い物、平気だったかな」


 昨日のレストランでデザートまで食べていた鈴ノ木さんを思い出し、私は右手にドーナツの袋をぶら下げる。

 そして誰かの預言に従うように、今度は自宅までの道についたのだった。


 

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