お兄さんかく語る/現代
お兄さん視点其ノ二。
「――キモッ」
予想はしていたけど、相手からは辛辣な言葉が返って来た。
「見詰めるだけじゃ飽きたらず、尾行して同じマンションに引越すとか完璧ストーカーじゃん。それを‘初めまして、あ、住む場所一緒だ偶然ですね’的な顔して近づいたんなら、あんた死ねばいい」
……概ね当たっているので反論は出来なかった。というか起き抜けにひとみちゃんとの出会いからの話をさせられた後では体力的にも弁解するのもしんどい。
大体、過労でぶっ倒れた人間の起き抜けに人の恋路について尋ねるかね。ひとみちゃんの話題だからついつい口が軽くなったけど、それでなくとも遠慮なくこじ開けるのが市川松子ってやつだ。
まあそれは松子にひとみちゃんの存在を明かした時点で覚悟はしていたから大した問題じゃない。
「それで、あんたは何を条件にその親友の子にひとみちゃんを紹介して貰ったわけ」
「ゲーム機」
「は……?」
「彼女、コスプレの為に最近ダイエットがどうたらでハードとソフトを色々買わされたよ。ま、大半はダイエット無関係のソフトだったけど。あと、年中ファー付きのコートやジャケットを着た人ラブ青年のコスプレして写真いっぱい撮られたかな」
「……それが見返りとしてなん利得があるのか測れないんだど……」
「オタク……腐女子ってそういう生き物なんだよ。ま、些細な罠とは言え、俺じゃ思いつきもしなかった発想でインパクトのあるきっかけはくれたから安いものだよ」
コスプレネタになった原作も知っていたし、なかなか共感も出来るキャラなだけに撮影会はなかなか楽しかったのだけど、そっちの世界の話は松子には通じないので敢えて詳細は言わない。
「……ところで、兄さんは?」
話を移そうと病室を見回し、松子との共通の話題を出す。目覚めた直後に兄が視界に入ったのは記憶しているけど、すぐに席を立ってから数十分音沙汰がないから気にはなっていたのだ。
「先生とあんたの容態について説明を受けた後、今夜の入院の手続き、あと、おじさま達と出版社の方々に今回の報告をしてる所かな。そろそろ戻る頃合いだと思うわ」
思うわ、か。
兄さんがそろそろ戻る頃合いだから、松子の口調が柔らかく、猫被りモードに入る。大昔にフられたくせに尚も兄を想い、体面を繕う姿は見事だよなぁと幼なじみを見ながら感心して、俺は点滴の針を抜く。
とうに中は空だし、問題はないかな。もしかしたらちゃんとした手順とかケアがあるのかもしれないけど、その時は潔く怒られようと決めて、ティッシュで針の挿入口を抑えながら松子を見た。
よく見れば彼女の化粧はいつもより念が入っておらず、口紅もグロスも薄い。というより落ちている。化粧をしていないというより、直していないと言った感じだ。
一応俺の心配でそこまで手が回らなかったってのだろうか。そういう意外に可愛い点もあるんだなと茶化せば「開さんが到着までに時間がかかるから先に様子を見てくれと頼まれたのよ」と、当然のように言われた。
あくまでこいつの特筆すべき一番は兄なのだ。
別にショックな訳じゃあない。過去を振り返っても俺が松子に恋愛感情を抱いた事は一ミリだってないし、むしろ兄に基づいて動く松子のブレない態度は見ていて清々しく痛々しかった。だからこそ解せない事がある。
「フられても片想いをやめなかったくせに、なんで今更俺と見合いする気になったワケ」
「……知ってんでしょ。昔からうちの親とあんたの親があたしらくっつけたがってるの」
「知ってるけど、どっちも何回も断ってる話だろ。なんで今更……」
「あんた聞いてないの? 開さん、お見合いするのよ。ほぼ確定的に決められた今時有り得ない政略的なやつ」
それを聞いて他人事でなく顔をしかめてしまった。何となくこの先の松子の言い分が分かったからだ。
「あんたも察しただろうけど、開さんの性格上、きっと双方の顔を立てるわよね。それでもって承諾して結婚になろうもんならきっちりしっかり相手を大切にする努力を惜しまない人なのよ。だからせめてかなり近い場所で違う形で家族でいたいとか形振り構えなくなったの! 悪い!?」
これ以上は募る思いが目から零れると感じたのだろう。松子は黙ってこの話題には触れなかった。兄が戻る頃合いだって言うなら、この話題は此処が引き際だ。
正直、松子には申し訳ないという気持ちはある。
俺は兄さんには頭が上がらない。
実家が企業を束ねる旧財閥系の家柄で、そこの次男として生まれたのが俺だ。次男の分、家を継ぐ重責は殆ど長男の兄さんに注がれたのだが、大学卒業後は家の会社に入り兄を支える義務を科せられていた。それが一つの転機により好き親の敷いたレールから外れて作家業なんてヤクザな稼業に身を置く。そんな勘当ものの我儘を許してくれるよう働きかけてくれたのが偏に兄の両親、親族らへの説得があってこそ。
多分、兄さんがいなければ今の俺は有り得なかった。
思春期に抱いたやさぐれた気持ちとかこじらせて悪化させて駄目になっていたかも知れない。
小説を書くきっかけだって兄さんが間接的に関わっている。
兄さんがいたから今の俺はあるし、作家になれたし、ひとみちゃんと出会えた。
確かに兄さんのおかげだけど、その分の負担は全部兄さんが追う形となった。兄さんの負担を少しでも軽くする為に俺が実家に戻る手もあるんだろうけど、それはもう絶対実現しないものだと分かっていた。
「悪いけど、木之蓮はやめないよ。好きな子が悲しむからね」
「こっちが分かりきってる事言わないでよ。あんたがわざわざあの子を連れて職場に来た時から無駄だって理解してんの。気付いてないかったかも知れないけど、あんた、二目と見れないくらい気持ち悪くデれた顔してたんだから」
最後の毒は痛くなかった。これについて否定する箇所がないからだ。
それから松子は兄さんと入れ替わりに帰って行った。
兄さんは送ると申し出たが、多分一緒にいたら泣いてみっともなくなると分かっていたのだろう。松子はきっぱりと断り、背筋を伸ばし毅然とした背中を見せて去って行った。
俺はそれをどこか尊敬して見た。多分どころか絶対に彼女の真似は出来ないから。
ひとみちゃんが俺以外の誰かを選ぶなら、俺は形振り構わずに狂行に出てもあの子を欲する自信がある。
何がそこまで彼女に固執させるかは自分でも未だ解けない謎なのだけれど、もう細胞から渇望してならない域なんだ。
多分、俺の本能が叫んでいる。
色々あって形成された、歪な「俺」を受け入れてくれるのは彼女だけなんだと。
だから彼女を諦めたくない俺は、松子がいなくなった後、病室に残った兄さんに一つの進言をした。
――俺の仕事についてはもう誰に文句を言われても自分で全部ケツ持つから、兄さんも盛大な我が儘を言ってもいいんだよ。
多くは語らずとも、何を指して言ってるのか優秀な兄なら伝わっているだろう。
おしめをしている頃からの幼なじみを姉さんと呼びたくない生理的嫌悪による個人的理由でずっと黙っていたけど、そろそろ背中を押してもいい頃合だろう。
俺も兄離れの日が来た訳だ。
この行動がどう転ぶかなんて責任は保たない無責任さで投げるけど。
それでも背中を押した甲斐だけはあったらしい。翌朝、松子からのメールで、昨日は伏せられていた事実を知る。
実はひとみちゃんが病院まで付き添ってくれていた事。その待合い室で松子と会い、俺と松子が相思相愛的な嘘っぱちを吹き込まれていた事。
行間を開けて最後の部分には「あんまり可愛かったから意地悪しちゃった」とご丁寧にハートのデコレーション絵文字。そこに感じた悪意は被害妄想じゃない。
「だからアイツは好きになれないんだっ!」
市川松子という人間は、自分が不毛な片想いをしている反動で、俺に彼女が出来るとすぐ横槍を入れて破綻させるという歪んだ性格をしているのだ。
神様、仏様。
お願いだからせっかく近付いた(希望的観測)ひとみちゃんの気持ちが離れていませんよーに!
 




