序章〜源〔ゼロ〕〜
〈壱〉
−闇だ
何処までも続く暗黒
全てが
混沌に満ち
万物が
魂という概念を持たず
森羅万象は
命を紡ぐことをやめる
そんな奈落の闇−
〈弐〉
(ここは………ここはどこだ?あれから俺は………なんだ!?放せ!はなせよ!!)
あの時から、どれだけ経ったのだろうか。永久ほど長いものは無いが、もしかすると、時計は時を刻むことに嫌気がさしたのかもしれない。
そんな考えが浮かぶほど、永く夢見た時間の先に。
陽光が射す中、少年の布団を取り囲むように、人々は座っていた。皆、うつむいているので表情は分からない。だが、ひんやりとした空気がその場を取り巻いているのが分かる。
一人の少女が少年の額の熱くなった布きれを交換する。
心配そうにするその少女の顔には、整った目鼻口─―誰が見ても、美人と答えるだろう、その彼女の表情は、酷く澱んでいた。
月影が柔らかく空を覆う頃、昼間の人影は見えない。だが一人、寝息を立てる少女の姿が月明かりに映る。あの少女だ。ずっと看病していたのであろう、彼女は横になることも無く、正座のまま少年の側で寝入っていた。
一方少年は意識を取り戻したのか、ゆっくりとまぶたを開ける。
(うっ………まだ生きてる…のか、俺は………?)ぼやけた視界を部屋中に向ける。
少年はズキズキ痛む頭を押さえ、上半身を無理矢理起こして辺りを見回す。そこが日本間の部屋だと分かるには時間がかかった。
ふと、布団の脇を見ると、桶が水に浸っているのが見える。誰かが自分を看病してくれていたのだろうか。そんな考えが頭のどこかで浮かんで消えた。
(綺麗な月だ……………)開いた障子から見える景色に一瞬心を奪われた。
自分が何処から来たかなんてどうでもいい。そんな風に思ってしまう。が、やはり体が思うように動かないのか、直ぐに布団に倒れ込む。
(痛たたた………ん?この感触は………まさか!?)少年が感じたのはやわらかい温もり。不意を突かれた――灯台下暗らしとはよく言ったものだ。
彼の目前にはあの少女の寝顔が目と鼻の先、吐息が彼の顔に当たる。しばらく少年は思考を巡らしていたが、直ぐに顔を真っ赤にして、
「わぁ!?だ、誰だ?!なんで………いっ!」
跳び起きたが、案の定ズキンと痛みが走り、涙目になって頭を押さえる少年。
次の瞬間、眠りから覚めた少女は彼に飛び着いていた。
「うにゃー!よかったー!!!」
【ズドン!】
そして、再び少年の意識は空の彼方へ飛んで行ってしまう。
〈参〉
遡ること、3日前。
「父さん………やっぱ迷ってない?」
荒い息遣いの途中、少年は渇いた喉を振り絞る。
「迷ってない。」少年の父親らしい50歳前後の中年男は断言する。
真夏の日差しが差し込む、まるで異世界のような樹海。二人は道無き道をそれぞれ違う歩幅で進んで行く。
「ここ、さっき通らなかった?」
「そんなわけないだろ。気のせいだ。」
またもや断言され、少年は呆れて溜息も出ない。
(何でこんな所にいるんだよ………俺は)半ば自己嫌悪に陥る彼の服装は、Tシャツにジーンズと、かなりラフな格好だ。ただ、首に提げられた首飾りと、右腕に無造作に巻かれた包帯が、一際目立った。
それに比べ、いかにも探検家らしい〔実際は結構有名な学者なのだが〕彼の父は、小さな丸渕眼鏡を曇らせ、大きなリュックと少々出た腹をユサユサ揺らしている。
肥りぎみの父だが、少年よりも足取り軽く、樹海を先導して行くのだった。
黒い山脈。目の前の光景をそう例えるしかない。長き未知の先に見たものだった。
それは、二人を拒むかのように佇んでいる。
「これが………地図にない………とうとう着いたか。」
短く呟いたかと思えば、躊躇することなく、少年の父はそれに歩みよる。
「父さん!」
少年は叫んでいた。自分でも分からない。だが、体が知っている。あれは危険だ、と。
その瞬間、山が揺らいだ――本来の姿に色付いていく山肌、空を黒く染めてしまうほどの鴉が飛び去って行く。
【バサっバサっバサ】
二人は黙して、ただそれを見ているしかなかった。
「ハハハ………なんの歓迎だよ………」
目の前の事実に対し、笑うほかなかった。しかし、父は真剣な眼差しで、動じてもいない様子だ。
少年は息を飲む。
何もかもがおかしい。けど、これは夢じゃない。
黒い影が去り、残ったのは大きく口を空ける、鍾乳洞だけだった。
「ホント、何でこんな所に来ちゃったんだよ!俺!」
二人がここに来た理由。それを話すには、また少し時を遡る必要がある。
〈肆〉
何の変哲もない朝の風景。
少年は起床すると、しっかりと寝癖の付いた頭を、無造作にかきながら台所へ。時計は9時を回っている。
「はぁ〜………おはよう………」
父は椅子に腰かけ、コーヒーカップ片手に新聞に見入っている。スーツ姿なのは、仕事のせいだろう。変に板に付いている。
「おはよう。父さんな、そろそろ出かけるから、留守番頼むぞ。」
テーブルにはトーストと牛乳、そして簡易なサラダが並んでいる。今朝の朝食だろう。
『昨夜大平洋沿岸で発見された、謎の生命体のものと思われる遺骸は………』テレビからは世話しなく、アナウンサーの声が聞こえてくる。
「今日も学会?遅くなりそう?」
「ああ、今夜は帰れそうにないんだ。朝倉さんに夕食は頼んであるから。」
朝倉家は、少年のお隣りさんにあたる。
「げっ、鈴雫の所で?あいつ何かとうるさいんだよな〜」
思わず溜息がでてしまう少年。
朝倉鈴雫。少年と同じ高校に通う、幼なじみだ。今は夏休みなので、部活動をしていない少年はもちろん学校に行くことはない。
「ハッハッハッ、我慢してくれよ。」
そう返すと、父は重い腰を上げ、そそくさと玄関に向かう。少年はそれを見送ることもなく、トーストに噛り付く。やっぱりトーストは焼きたてに限る。すると、父が何か思いだしたように戻って来る。
「そうだ、週末は空けておいてくれ。お前を連れて行きたい場所があるんだ…。」
そう言うと、すぐに出て行ってしまう。
いつもと少し違った。そんな気がした。最後の言葉には迷いが感じられたからだ。
(連れて行きたい場所……か、どこだろ…)深くは考えない。何より、寝起きで頭がはっきりしなかった。
『今朝、最新鋭のパワードスーツの開発が、ADAM社から発表されました。テストスーツの運用は米軍と提携………』相変わらず騒がしいニュースに、目を向けることもなく朝食を口にほおばる。
今日も何もない一日だ。
何の変哲もない朝の風景。だが、この時からだ。
鈍い音が響いた。
〈伍〉
もう三日は歩き続けてるけど、ここが連れて行きたいって言ってた場所なのか?
軽い気持ちで父と出発した少年。父の仕事柄、こういう探検にはよく連れて来られていたのだが、今回は今までのそれとは違っていた。
二人は懐中電灯の明かりだけを頼りに、暗闇の鍾乳洞を奥へと進んで行く。
天井から垂れた、氷柱のような鍾乳石は、小さな水の雫を生む。冷気を帯びた雫は、その命を散らすことにより、音色を奏でる。 【ポツン】
決して足場は良くなかった。滑りやすく湿っている――というよりも、まるで先刻まで水に浸かっていたような。
「父さん。なんかここ、おかしくない?本当に鍾乳洞なのかな…」
少年は足元を見て問い掛けた。
「お前は鍾乳洞や洞窟は初めてだったな。心配するな、父さんがついてる。」
心強い言葉で安心した。けれど違和感がなくならない。
少し行くと、空気が沈んでいる――そこだけは周りと違い、全く濡れていない。中央には祠があり、やはりそこも同じ状態だ。
(なんだ、この異様な存在感………それに、この祠………どこかで)父は、あたかもそれに気付いていないように、奥へとずんずん行ってしまう。
少年は異様な空気の層に足を踏み入れ祠の前まで歩みより、質素な扉をおもむろに開く。迷いはない。祠自体は決して装飾が綺麗でも、鮮やかでもない。だが、少年はそれに魅かれていた。中には石版のような物がある。刻まれた文字は風化して読めないが、石版の真ん中には小さな窪みがある。
「この窪み………まさか?!」
少年は胸に下げた首飾りを、ぐっとわしづかみにした。そして、その首飾りの牙――何かの生き物のものだろう、やけに生々しいそれを、石版の中に埋め込む。見事に型にはまったそれは、息吹を返すように、役目を果たすように、深い静寂を生んだ。
(なんだ……………この感じ。それにこの祠、なんで……………)その直後だった。地が振動し、暗闇の奥から静寂を打ち砕くように、轟音が響いた。
「うわっ?!なんだ!?」
少年は視線を、音の先へと向ける。すると、間もなく濁流が一気に眼前に現れた。
「な、何が起きたんだ!?」
少年は水の流れから逃げようと少し走ったが、すぐに足を水にとられ、抵抗虚しく濁流に飲まれてしまう。そして、目を閉じた。
〈陸〉
耳障りな音が頭に響く。体を起こそうとしても、金縛りのように全身が言うことをきかない。びしょ濡れだということはすぐ分かった。
「くっ………動け…!……うっ」
頭を強く打ったせいか視界が極端に狭い。まるで目を閉じているように、目の前は真っ暗だ。
――………もう夜なのか?体が………それに、この音……頭が裂けそうだ……
呪文ともとれる調べ――恐ろしく肥大な憎悪が込められた、それは彼の鼓膜を引っかいた。だが、直ぐにそれは翼が空を割く音へと変わる。
代わりに少年はまた意識を失う。黒い雪が降った。
初投稿になります!目を通していただけて、本当にうれしいです♪長編の作品になりそうなので、応援して頂けるとありがたいです( ̄ー ̄;)それでは、何卒お願いします。