鳴子さんは、右利き上手 2
七月十二日。
―――対象が認識に働きかけるのではなく、認識が対象を作り上げるのだ―――
……そうかもしれない。‘僕’は思う。ぽかんと浮かんだその言葉に、どうやらしみじみ納得の気配。つまり気のせいなのではないのかと。もうすぐ、あと十分足らずで鐘がなる。鎌谷先生、最後のスパートに手を伸ばす。うねりをあげる右の腕。黒板を荒れ狂うチョークの波。ついでに髪の毛。一瞬、頭皮との間に空白が見えた。隠し切れない空白、沈黙。あれも気のせい、これも気のせい。もちろんそれも気のせいだ。(俊敏な手の動きがずれた頭髪の位置をもとに正す―――幻の左腕―――)本当にそうだろうか。横にちらりと目を這わせる。すらりと長い黒髪に、しゃんとした肩肘を覗かせる。どこも変わったところなどない。なにもない、外面は。内面はどうだろう……?
鐘がなる。無常だ。終わりを告げる合図とともに、礼、席を立つ。彼女は行ってしまった。代わりに誰かが近付いてくる。
決まってる。
「ふあ~ぁ、おはようさんだ。あこやんさん」
「ああ、そうね。いい夢見ましたか? 虎二君」
「みた、みた。何を見たかて、そりゃフレディのヅラや。あんな必死に隠せなんでも……夢かと思うたわ。なんまんだぶ……」
「そんな掌を合わせないでも……本人はあれで、隠し通すつもりらしいし。ノートを写すのが精いっぱいでさ、ほとんどの人は気付かなかったんじゃないかな」
「ぬ、確かに……それはそうやな。……しかし、あないなけったいな音をたてて板書する奴がどこにおるん? 世界は広しといえどもな、そないな奴はフレディしかおらへん。ありゃ、つまりはカモフラージュや。奴の右腕のマシンガンはなぁ、心もとない己のヅラを守るためにとあるんやで……」
一人頷き納得顔、虎二は語る……。遠く見据えた廊下の角。教材を脇に縮む影。カツカツ階段を下りていく。リズムに乗せて浮きと沈む、頭皮を守護する最終線に何とも堪え難い感慨を覚える。廊下の曲がりの地平線に、ただそれだけが残されてあわやと思うまに消えていった。
ネタがかぶってしまいました。すいません。ハゲから始まる物語第二段となっています。消える可能性大です。