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異形の子ら  作者: Gさん
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第四章

 ベッドで目覚めた。

 今日は何日だろう。

 今は何時だろう。

 重い身体を起こし、時計を見る。

 十二時過ぎだ。まだ昼の十二時なのか。

 ネジさんがソファーで横になっている。

 ・・・・思い出した。

「ネジさんっ、大丈夫ですか!」

 必死になって頬を叩いた。思いっきり叩いた。

「痛いわ、阿呆」

「ああ良かった・・・・」

 彼は生きている。それだけで充分だ。

 ようやく完全に覚醒し、リアルに戻っている事が理解できた。備え付けのパックのお茶で一息入れる。

「心配しましたよ」

「悪かったな。物凄い経験をさせられたモンやで。あっという間に気を失のうたわ。身代わり地蔵プログラムがなかったらあの世行きやった」

「こんな経験は二度とできないでしょうね」

「それをいうなら『二度と御免』や。でも、どうやってあの修羅場を潜り抜けたんや?」

「僕にも分からないんです」

 彼女がいた筈だ。

「きっと女神が降臨したんですよ」

「それをいうなら『弥勒菩薩のご再臨』やな」

 メールサーバを調べてみると三通のメールがきていた。一つはヘーハチ校長、一つはテツタ先生である。両者とも趣旨は同じで僕を心配してくれている。

 もう一通はナツだ。

「今日の夕方五時にエリアの蓮亭で」とだけある。また彼女に逢えるのだ。

 安心したら急に身体が重くなった。頭も鈍っている。

「疲れましたね」

「儂はそうでもないけどな。飯は喰えそうか? いや、疲れた時こそ喰わなアカン」

 もっともな意見だ。森重が待っている。

 ロビーを通ると女主が所在なさそうにしている。ネジさんが声を掛けた。

「おばちゃんも一緒にどうや。昼飯でも喰うか?」

 人の財布だと思って大胆な事をいうものだ。まあ森重なら何人ついてきても困らないが。

 無表情だった女主はニッと笑い、急いで化粧をしてカウンターを離れた。この人でも笑う事があるのか。


 夏休みともなると、リアルの四層階には子供達が一杯いる。元気に走ったり、遊んだりしていて微笑ましい。

 一人の少年が、壁にもたれて寂しそうにしている。

「坊ちゃん、どないしたんや」

 ネジさんらしい。こういう少年を見るとつい声を掛けたくなるのだろう。

「僕、アルバイトしてたんだけど、結局お金が貰えなかったんだ」

「そりゃ難儀やな」

「僕には入院しているお姉ちゃんがいるんだけれど、冴えない奴と結婚する事になってさ、そいつの紹介でやってたアルバイトなんだ」

「ほうほう」

「そいつはチンピラみたいな事をやってたんだけれど、最近ちっちゃな調査会社を始めて、それが全然儲からなくてさ。結婚資金のためにちょっと悪い仕事をしていて、それを手伝っていたの」

「悪い事かいな」

「うん、ちょっとね。でもそんなに悪いヤツじゃないんだよ。お姉ちゃんと同室に妹さんがいて、よくお見舞いにきているしね。それにお姉ちゃんとの結婚資金の為だし、僕もお小遣い貰って、ママの誕生日にプレゼントをしたかったんだ」

「ほーお」

 僕達は互いの顔を見合わせた。

「でも昨日とっても怖い目に合ってさ。僕らはドアの隙間から覗いていただけなんだけれど、もうビビっちゃって、その仕事を辞める事にしたんだって」

「それで良かったんと違うか?」

「うん。結婚資金は借金して何とかするみたいだけれど、僕のプレゼント代が貰えなくってさ。このままじゃママが海老フライ作ってくれなくなっちゃうよ」

「たまには作ってくれるやろ」

「絶対そんな事ないよ。昨日だって鰻丼だったんだ。それも奈良漬けを沢山乗せてさ。鰻って高いんでしょう? そんな物を買うお金があったらどうして海老を買わないの?」

 それは土用の丑の日だったからだ、と思うが黙っておく。

「坊、名前は?」

「ジュン」

「ジュン君はもうお昼食べたかいな」

「まだ、さっきまで寝てたんだ」

「そうか、それやったらおっちゃんらと海老フライ食べへんか。すぐそこで」

「良いの?」

「構わへんやろ。大将」

「喜んで」

 四人並んで『食事処 森重』に入る。

 昼時だけあって、今日は僕ら以外にも客が入っている。作業服の数人がスタミナカツを食べている。空調設備のスタッフ達に違いない。メニューの選択が良いではないか。

「マスター。海老フライ定食四つ。二つは大盛りで頼むで」

 ネジさんがスポンサーたる僕の許可も得ずに、さっさと注文してしまった。僕としてはスタミナカツが良かったのだが、ここは少年に合わすべきだろう。多少悔やまれるが。

 間もなく海老フライ定食がきた。キャベツの千切りに丸まった海老フライが八つ程。小さくて見るからに安そうな海老だが、その代わりタルタルソースが沢山かかっている。

「どうやジュン。これでええか」

「うん、ママが作ってくれるのと似てる。買ってきた海老フライは真っすぐで嫌いなんだ。丸まってるのが好き」

「そうか、良かったな。足りんかったらおっちゃんのを分けたるさかいな」

「有難う」

 ジュン君が食べている姿を見て弟達を思い出した。たった三日でホームシックとは情けない。つい説教したくなる。

「ジュン君、ママが海老フライを作ってくれる方法を教えようか」

「どうするの?」

「簡単だよ。ママが作った料理を食べる時、どんな料理でも『凄く美味しい』っていうんだ」

「それだけ?」

「そう、それだけ。そうすればママはジュン君が一番喜ぶ料理を沢山作ってくれるよ」

「本当に?」

「本当さ。賭けても良いよ」

「じゃあそうしてみるよ」

 ジュン君は口の周りに付いているソースも気にせず、懸命に食べている。ホテルの女主もその姿を見て嬉しそうだ。この人に声を掛けたのは良かった。知り合いが多いといっていたネジさんだが、こうやって知り合いを増やしているのだろう。新人類にもいろんなタイプがあるものだ。


 ―夕方の五時少し前、エリアの『蓮亭』へ―


 リアルでは賑わっているこの四層階も、エリアだとほぼ無人だ。ゲームアーケードを経営していて儲かるのだろうか。

 ネジさんと二人で店に入ると先客がいる。見慣れた後ろ姿をした人物だ。

「ナツ!」

「旦那様!」

 久しぶりのハグである。

「おうおうおう。見せ付けてくれるやんけ」

「いや失礼」

「このちっちゃい嬢ちゃんと夫婦っていうのは犯罪とちゃうか」

 本当の姿を知ったら卒倒するな、この人は。

「いや、まあ清い関係ですので」

「近々、清くなくなる予定ですの」

 彼女を野放しにしておくと話がややこしくなる。

 それより情報を貰わなくては。

「有難うっていいたかったんだ。でもよく憶えていなくて」

「うーん、助けるべきかどうかちょっと迷ってたんだけど。良かったのかな」

「良かったに決まってるよ。でもどうして迷っていたの?」

「アキ君を倒すのが目的じゃないでしょう。だったらあたしの出番はなくても良いと思っていたから」

「そうか」

「そうよ。私は壊す者、貴方は変える者」

「自分を卑下してない?」

「卑下はしていないけれど、今回よく分かったの。私は人を説得したり説き伏せたりできない。でも貴方はできる、かも知れない」

「自信なくすなぁ。そこは、できるって断言して欲しいよ」

「やらなきゃね。それが役回りってものでしょ」

「まだチャンスはあるだろうか」

「勿論。彼はまだ起き上がれない。しばらくの間は」

「彼はどこに?」

「地上ね。河原町御池の高級ホテル」

「どうしてそんなところに?」

「それは・・・・グゥ・・・・」

 会話途中で帰ってしまった。新生児は眠るのが仕事だ。致し方ない。


 ―リアルに戻り、INN『蓮亭』を発つ―


 女主に精算を願い出る。彼女は「今回は要らない」といったが、なだめて受け取って貰った。「また来ますよ」というとニッと笑顔を見せた。三人で同じ表情を作って笑い合う。

 地下世界に別れを告げて、地上へ戻る。ほんの二日間の滞在だったが、去り難い気持ちにさせる街だ。洪波期において、地下都市で過ごした人々を可哀想な存在だと思っていたが、そうでもなさそうだ。外出できる日が限られていた日本海沿岸の地上生活者より、賑やかに過ごしていたのではないだろうか。


 地上に出ると目が痛い程の日差しがある。夏の京都は蒸し暑い。目的のホテルへと急ぐ。

 ホテル『ナカツカーサ』へ。

 河原町御池で高級ホテルといえばここである。何故かネジさんも一緒だ。

「こんな高級ホテルに泊まれるとはツイとるな」

「特にお誘いしていませんが」

「つれない事言いなや。お前さん一人で高級フレンチでも食べようとしとるな。それは許せん」

 口に入る物は何でもござれの彼だが、遠慮という概念を飲み込ませる事だけは難しい。旅は道連れの精神で承諾する事にした。

 チェックインを済ませる。貧乏性の僕としては、一番安い部屋を選択した。

 フロントで肝心な事を聞かなくてはならない。

「ここに『加藤亜貴』という名前の十二歳の子供が一人で泊まっている筈なんですが、どの部屋か分かりますか?」

「お客様の情報に関しましては一切お答えできません。警察の方か、そのお子様の保護者でらっしゃる証明がなければ、話せない規則になっております」

 最初から宛てにはしていない。まだ手はある。


 部屋へ。

 安い部屋でも広さは充分だ。低い階にあって景色は楽しめないが、シャワールームもトイレも立派なもので、新婚旅行なんかに良さそうだ。

「先に風呂を使わして貰うで」

 そう言って、彼はシャワーの水音を立てている。いろいろ想像して気味が悪くなった。

 僕はこのホテルの宿泊者名簿を探らなくてはならない。一旦エリアを経由して、そこからこのホテルの端末のクラックを試みる。

 エリアに行って驚いた事がある。全てにおいてレスポンスが早いのだ。身体が軽く感じる。考えてみると、このホテルはエリアを構築しているサーバー群に最も近い場所にある。アキ君が近づこうとしたのは、地下都市そのものじゃなくてサーバーだったのか。

 調べて分かったが、このホテルの情報を管理するコンピュータはネットにつながっていないみたいだ。最も手堅い情報管理である。これは厄介だ。

「ああ、ええ風呂やった。次は飯やな」

 この人は本当に・・・・ 


 ホテルのメインダイニングは最上階にあって、夜の京都を一望する事ができる。鴨川の向こう側で色街のネオンが瞬いている。僕を呼んでいる様に。

「絶対あそこに行ってやる」

「何やて?」

「何でもありません」

 ネジさんはギャルソン相手にあれこれと注文している。もう嫌味をいう気力もない。しかし彼がフランス料理に詳しいとは知らなかった。僕には全く無縁の世界なので、助かった事は否めない。

「詳しいんですね。フレンチなのに」

「まあ普通やな」

 何だかカッコイイ。

「こんな場所ではナメられたら負けや。儂らは服装がコレやろ。夏場やからギリギリ許されたんやろうけど、出だしは最悪や」

 二人とも軽装というより単なる街着だ。

「そんで、給仕係が怪訝そうな顔つきでやってくる訳や。コイツら何者や、ちょっとビビらせたろってな感じでな」

 とても礼儀正しいギャルソンに見えたのだが。

「そこでビビったら負けやで。注文を聞かれたら『ここのスペシャリテは何かね』と聞いたるんや。そうすると逆に相手がビビる。なかなかできるヤツやとな」

「はあ」

「そんで今度は『○○の△△、□□風です』とか何とか言ってきよる。ほんなら『□□風ね。確かに今の季節に合いそうだ』と切り返すんや」

「切り返すんですね」

「そしてやな『でもそれだとちょっと軽いかな。それも頂くとして、もう少し重たいものが欲しいな』と続けて言うんや。そうするとアレコレ言ってくるから、三番目ぐらいに『~は如何でしょうか?』と聞いてきた奴にすれば良い。他の皿も同様にして決めるんや」

「それでメイン二品のフルコースを注文した訳ですね?」

「訳やな」

 殴りたい。

「これからが本番や。もうすぐソムリエがくる」

「ソムリエも呼んだのですか!」 

 逃げ出したい。

 ワゴンに大量のワインを積んで、若いソムリエールがやってきた。

「あかん、女の人や。しかもごっつい別嬪やで。儂は喋られへんからお前さんに任せた」

「そんな・・・・」

 ソムリエールさんが涼しげな笑顔で話し掛けてくる。

「ようこそいらっしゃいました。お飲み物を承ります」

 ネジさんは下を向いて頬を赤らめている。食事前に気持ち悪いものを見てしまった。

「ええと、僕はミネラルウオーターを。彼には、そうですね、ハウスワインをお願いします」

「アペリティフはどうなさいますか?」

「アペリティフ? ああ食前酒ですね。あまり甘くない物で・・・・何が良いでしょうか?」

「今日は完熟したソルダムが入荷しています。名残の品ですから、味わえるのは今年最後になるかと。それを絞って白のスパークリングワインで割った物は如何でしょうか」

「じゃあ、彼にはそれを。僕の分はアルコールのない物で割って頂けますか?」

「かしこまりました」

 彼女が去って、ほっと一息ついた。

「何が良いでしょうかーやて、それじゃあ負けやな」

「シパンッ」

 久々に暴力を振るってしまった。彼のスキンヘッドは思いの外、良い音を出して響く。


 食前酒が運ばれる。

 ほんのりと甘酸っぱく、夏らしい香りがして気分が晴れやかになる。知らなければ聞けば良い。その事を恥と思う必要なんてないのだ。

 料理が運ばれてくる。

 コンソメをゼリー状にした冷製スープ、ボイルした魚介と夏野菜をゼリー状に固めたサラダ、鱧に梅肉をゼリー状にしたソースが掛かった物、ローストした子牛肉にゼリー状のソースが掛かった物、最後のデザートはフルーツをゼリーで固めたプディングだった。

 もうゼリーはうんざりだ。

 晴れた気持ちが一気に曇る。今度は拳を堅く握った。

「ぼ、暴力反対や」

「僕も反対です。でもこれは暴力ではありません。神の鉄槌です」

「まあ待てや。ところで捜し物は見付かったんか?」

「アキ君の事ですね。残念ながら見付かりません」

「何でや」

「どの部屋か分からないんですよ。それに分かったとしても、どうやって部屋にへ入ったものか」

「そんな事かいな」

 彼は指を二回鳴らしてギャルソンを呼んだ。

「悪いけど、中津さんを呼んで貰えるか」

「は?」

「ここの総支配人の中津さんや。大阪のネジが呼んどると言うてみて」

 ギャルソンは飛び出して行った。勿論、僕も飛び出したい。


 白いジャケットを着た男性が、素早く客席の間を移動してくる。

「これは大僧正。ようこそいらっしゃいました」

 大僧正? それはこのボケ坊主の事か?

「ああ中津さん。お邪魔してるよ」

 標準語で返答している!

「還暦になられたとお聞きしております。お祝いも述べず申し訳ございません」

 還暦! どう見ても三十歳ぐらいにしか見えないのに。

「いや、歳の事は内密にしてくれよ。実は二つばかりお願いがあるんや。一つはこの青年から聞いてくれ」

 軽いめまいを感じつつも、事情を話した。

「すぐに部屋番号をお知らせします。マスターキーもお渡ししますので」

 ネジさんがもう一つ何をお願いするのか気になったが、急いでアキ君の部屋へ向かう事にした。


 アキ君の部屋はスイートルームであった。

 ドアノブに『DO NOT DISTURB』と書かれたカードが掛かっている。

 ノックしても返答がない。

 マスターキーを使う。

 カーテンを閉め切っている。明かりも灯されていない。

 奥の寝室へ行くと、アキ君が横たわっていた。

 ようやく彼に逢えた。可愛い寝顔をしやがって。キスするぞ! いや、遊んでいる場合ではない。

 呼吸と脈を調べる。

 どうやら生きている。しかし青白い顔をして、とても起き上がれそうには見えない。すぐさま病院に連れて行きたいが、その前に話しがしたい。

 彼の頭部には演算装置が埋め込まれていて、そこには独自の仮想空間があるという話であった。上手くできるかどうか分からないが、そこに行けば彼と逢えるのではないだろうか。

 そっとベッドに潜り込み、彼に寄り添う。そして顔と顔を合わせる様にして目を閉じた。

 彼の弱々しい寝息と自分の心音だけが響いている。

 肉体から意識を切り離す。やがて世界は無音となり、自由になった意識でエントリーを始めた。


 ―アキ君の頭の中へ―


 闇と静寂が支配する空間。

 がらんとしていて、その広さはわからない。

 遠くに薄く光りが見える。

 近づくと、数人の少年が座り込んでいる。

 皆、顔を伏せて泣いている様だ。

 一人の少年が懸命に慰めている。

 肩を叩いて、頭を撫でて、声をかけている。

「まだ終わった訳じゃない。まだやれる」

「何を?」

 その少年は立ち上がってこちらを向いた。

「またお前か」

「また僕です」

「あの女はどうした」

「さあ、僕には分からない」

「どうせまたやって来るんだろ」

「だから分からないって。彼女は気紛れなんだ」

「じゃあ、アイツがやってくる前にお前を殺そう」

「それじゃあ君も困ると思うよ」

「どうして」

「君はかなり衰弱している。昨夜から丸一日、何も口にしていないだろう。せめて水分だけでも摂らなきゃ、この乾燥した部屋では命に関わる」

「仲間がきてくれる」

「仲間? ヒコジョー氏の事かい。彼はもう押さえられているよ。テツタ先生に」

「先生に!」

「そうだよ。先生は君に逢いたがっていたよ。身体が元気なら殴りつけてやるのにってね。そう言って悔しがってた」

「そうか」

「君でも先生の事は気になるんだね」

「当然だ。先生は同志だ」

「先生自身はそう思っていないみたいだけど?」

「先生は過激な事を嫌う人だから・・・・」

「その認識が違うんじゃないかな。先生と君とでは目的が違うんだ」

「目的は同じだ。先生もエリアの発展を願っている」

「それは目的じゃない。手段だ。先生は子供達の幸せを願っているだけだ」

「俺達も同じだ」

「それも違う。もしそうなら、こんな手段は使わない。先生は『全ての』子供達に幸せになって欲しいと願っている。クラッシィもそして君達にも。エリアの発展は二の次だと考えているんだよ」

「そんな筈はない! エリアの発展は俺達クラスAやBにとって必要なんだ」

「その事に異論はないよ。でもエリアに行けない子供達はどうなる?」

「エリアに行けない?」

「そう。どうしてもエリアに行けない、行きたくない子供達。そんな子供達は増えている。きっと君のお父さんだって、先天的な理由か何かでエリアに行けなかった筈だ」

「親父が?」

「そうでなきゃ船乗りにはならない。きっとエリアに行けなくって肩身の狭い思いをしていたんじゃないかな。それでも船乗りになって、そこで生き甲斐を見付けた。そうして危険な仕事に従事しているんだろう」

「エリアに行けない連中なんて・・・・ほんの一握りしかいないだろう」

「君達クラスAやBだって、クラッシィに比べればほんの一握りさ、でも数が少ない事が無視して良い理由にはならない」

「それはそうだけど」

 彼も他の少年と同じ様に座り込む。

 僕も座って話を続けた。

「君は、アキ君の中ではどんな役回りなのかな」

「俺は苦痛担当。今は苦痛もないから、皆の過去を担当してる」

 彼の人格の中で、最も話をすべきだと思っていた存在だ。

「君の感じていた苦痛は僕には分からない。想像はできるけれど、そんなものより遙かに辛いものだったろう」

「そうさ」

「同じ様に、君にも他人の痛みは分からない」

「そんなものが分かれば、それこそ超能力者だ」

「そうだね。だから他人の人生には干渉しない。僕はそう決めている」

「その割に、俺には関わるじゃないか」

「そりゃそうさ。僕の身内だからね」

「身内?」

「こんな話を聞いた事がある。腕に自信のある料理人は、自分の両手を拡げた範囲の客しか取らないって。僕も似ているんだ。こう両腕を拡げてさ、この範囲に収まる身内だけを思っていたい。君もその一人なんだ」

「何にでも首を突っ込む世話焼きだと思っていたけれど、案外偏狭な奴だったんだな」

「僕はまだ若いからね。テツタ先生みたく両手が広くないのさ。歳を取れば変わるのかも知れないけれど」

「若いわりには説教臭いけどな」

「それも否定できないな。できないから説教させて貰うと、テロをする連中っていうのは権力者と何も変わらないと思うよ。他人に自分のイデオロギーを押し付けているんだ。偏狭なのは彼らだ。違うかい?」

「じゃあどうすれば良いんだ」

「正当な努力をして、後は運を天に任せれば良いんじゃないかな」

「それで世の中が変わるのか」

「変わるかも知れない。変わらないかも知れない」

「それじゃあ駄目なんだ」

「どうして? 君の願う変わり方をしなかったとしても、いつかはそうなるかも知れない。それまでは不幸な人が出てしまうだろう。その一方、変わらなかった事で幸せになる人もいる。そう考えればそんなに不幸でもないさ」

「達観してるな」

「いや、自分でもよく分かっていないんだよ。でも君がテロを成功させれば君自身は不幸になる。それが分かっているから、口から出任せをいっているのさ」

「デタラメなのか」

「そう貶さないでくれよ」

 僕は話を続ける。

「こんな話がある。太陽系外から飛来する隕石には細かな傷が付いていたり、無数の穴が明いているらしい」

「相変わらず話が飛ぶヤツだ」

「ゴメン。まあ聞いてよ。その隕石の傷は宇宙線によるものらしいんだ。真空宇宙を疾駆する強力な放射線。銀河系の中心から、または外宇宙から飛来するその粒子は非常に凶悪で、地球に降り注げば全生物が死滅する程のものらしい」

「それはここまで届かないのか?」

「そう、防いでいる物がある。太陽風だよ」

「太陽風が?」

「洪波期の災厄をもたらした太陽風だけれど、一方では僕達を守ってくれる存在でもある。今でも太陽風を恐怖の化身みたく思っている人は少なくないけれど、なくなってしまえばその人だって生きてはいられないんだ」

「皮肉な話だな」

「皮肉というより、不思議な話だと思わないか? 物事の二面性を表す良い事例だと思うよ。物事に善も悪もない。いつだってニュートラルなのであって、受け取る人が善か悪か決めているに過ぎない、なんて思うのだけれど」

「馬鹿らしい話だ。お気楽な奴だけがいる能書きだな。結局お前は幸せ者だって事だ」

 これも否定できない。

「君を説得するなんて、僕には荷が勝ち過ぎたみたいだ」

「いや・・・・馬鹿話に付き合っていたら、少し楽になった気がするよ。結局は、テツタ先生が書いた丸文字紙媒体の手法が一番良かったのか」

 彼に笑顔が戻っている。

「前から思っていたけれど、お前は変なヤツだな。内容の薄い話ばかりして、論破する事もなしに人を感化させる。まるで優秀なセールスマンみたいだ」

 そんな風に評されるのは初めてだ。でも、僕がセールスマンだとしたら何を売っているのだろう。売れそうなものは何も持ち合わせていないのだが。

 彼は本当にテロを諦めてくれたのか、それは分からない。でもこれだけは言える。彼がまた僕を困らせても、話し合えさえすれば何とかなる。自信がある訳じゃない。そんな気分なのだ。


 ―リアルに戻る。彼の寝室に―


 寝顔を見ていると普通の十二歳に見える。エリアの地下都市で逢った時の憤怒の表情は微塵もない。彼の別の人格が現れれば、またあの形相が表に出るのだろうか。

 人はいろんな側面を持っているものだ。考えてみれば、多重人格もそれとさして変わりないのかも知れない。子供は平板な人格しか持たないが、やがて成長して、数々の経験を積んで、多面的な人格を形成する。蒙が啓ける瞬間が幾つもあって、その度に新しい側面が生まれて大人になって行く。彼の多重的な心、それは、彼の人生そのものだ。


 ネジさんに次第を報告をする。彼は喜んでくれた。余りに嬉しそうなので、他に何か良い事があったのではないかと疑いたくなる程だ。

 アキ君をどこの病院へ移送すべきか迷ったが、事情が事情だけに近くの病院では対処できないかも知れない。テツタ先生の助力を頼りに元の大学病院へ運ぶ事にした。

 事情を察した中津総支配人が、僕達用にハイヤーを手配してくれた。しかも部屋代、食事代、そしてこのハイヤー代も要らないそうだ。固辞したが頑として聞き入れてくれない。この人は恰好良過ぎる。

 ネジさんと再会を約して別れる。

「では、機会があればまた・・・・」

「機会? そんなもんは近々あるで」

 そう軽くいわれると別れが寂しくない。流石は大僧正、男同士の別れが湿っぽくては情けない。何だかんだいっても、人生の機微を知った人だと感心させられる。

 アキ君を抱えてハイヤーに乗り込む。革張りの後部座席を全部使って彼を寝かせる。助手席に座って行き先を告げると、柔らかいサスペンションを揺らしながら車は走り出した。

 車中でふと思い出した。色街で遊ぶのを忘れていた。あんな事やこんな事をしたかったのに。しかし、ネジさんや中津総支配人みたいな立派な大人になるためにも、自らを滅して公に奉じるのが良さそうだ。彼はまだ眠り続けている。彼の無事だけを考えよう。

 しかし、こんなに強く後ろ髪を引かれた経験はない。


 深夜、大学病院に到着した。テツタ先生が手配を済ませてくれていて、大勢の医療スタッフが待ち受けていた。アキ君を預け、その足で先生の元へ駆けつける。

「先生、ご無沙汰してます」

「ご無沙汰って程じゃないが、お疲れさん。君の首尾は全部フユさんから聞いたぞ」

 あの人はまた僕の楽しみを奪ったのか。

「先生の方は如何でしたか」

「ああ、君はまだ知らないんだね」

 当然だ。僕は妖怪じゃない。

「聞かせて頂けますか」

 先生は嬉しそうに語り出した。この表情を見れば上手く行ったのだろうとすぐに知れる。

 ヒコジョー氏は先生の雷を受けて、すっかり毒気を抜かれたらしい。時間をかけて話し合ったそうだ。どんな話だったのか、ヒコジョー氏の方からも聞いてみたいものだ。

 両先生で取り組んだ『兵器乗っ取り犯』の高校生二名は、中学生時代にテツタ先生が見ていた生徒だった事もあり、易々と片が付いたらしい。今はヘーハチ校長と海に出ているそうだ。少し可哀想な気もする。

 祖母の担当した『細菌ばら撒き犯』三名は、想像するのも恐ろしいが、祖母の懸命な説得とやらを受けて空手で他州へ逃げ出したそうだ。研究結果も社会的地位も投げ出したのだから、よっぽど怖かったのだろう。さもありなん。他州へ行ったところで、またぞろテロを計画する可能性は否定できないが、その手のテロ行為は設備がなくては何もできない。

 今日はこのまま先生の個室に泊まる事を勧められたが、家の布団が懐かしく思えて、帰宅する事にした。幸い資金は潤沢だ。タクシーを駆って家へと向かう。


 神社の境内に着くと、祖母が待ち受けていた。

「お帰り。随分と遅かったじゃないか」

「深夜なのに待って頂いていたのですか? これは恐縮です」

「タクシーとは羽振りが良いもんだ」

「お祖母様からお借りしたカードはそんなに使っていませんよ。取りあえず五十万をエリアマネーに換金しましたが、返済済みです」

 祖母はカードを受け取ると急いで服の中に隠した。誰も取りませんって。

「ふん。ちゃんと『絶ち』の約束も守った様だね」

 幼い頃の記憶が蘇る。あれは小学校二年生の頃だったか。


「お前は身体が弱い。多分、頭も弱いだろう。このままじゃ長生きしないね」

「どうしたらお祖母様みたいに長生きできるの?」

「そうだね。何か『絶つ』事をしてみるかい?」

「何それ?」

「自由にできる事を敢えてやめるんだ。そう約束して、代わりに何かを貰うんだよ」

「何をやめれば良いのかな」

「それは自分で考えるんだね」

「じゃあ、走るのをやめる」

「それはお前が苦手なものから逃げているだけだ」

「じゃあ、今日、先生が嘘は駄目だっていってたから、嘘をやめる」

「それは良さそうだね。そう決めたからには一生続けなきゃ駄目だよ」

「いつまで?」

「死ぬまでさ」

「嘘吐いたら死ぬの?」

「死にはしないよ。でも貰える筈だったものが貰えなくなるんだ」

「欲しい! けど何が貰えるの?」

「それはお前次第だね。きっと良いものさ」


 以来、愚直にも『嘘絶ち』を続けている。何が獲得できたかも分かっている。嘘を吐かない代わりに、言い訳や、はぐらかしや、曖昧な表現が上手くなった。全く、祖母のいう通りにするなんて幼かったにしてもどうかしていた。

 それ以外に得られたものは思い付かないが、祖母のいっていた『良いもの』には出逢えていない。今後も出逢えないかも知れないが、今更諦められないでいるのだ。この旅で少し垣間見られた感じはあったが、どうやらつかみ損ねたらしい。

「お祖母様のおっしゃっていた『良いもの』って、一体何なのですか」

「それはお前次第だといってあるだろう。気付かないって事は、まだ完全じゃないって事だよ。もう得られているのかも知れないし、そうでないのかも知れない」

 なんだか禅問答の様になってしまった。宗教が違うのに。

「ところで、『細菌ばら撒き犯』ですが、逃がして良かったのですか?」

 今回のテロで最も危険な奴らである。祖母の手で完全に抹殺して貰いたかったのだが。

「ああ、行き先は分かっているし、問題ない」

「連中の作り出した細菌とはどの様なものだったのでしょう」

「凶暴な細菌さ。その菌は武器を持っていて、周りの生き物を完全に死滅させる。そして自分達のテリトリーをどこまでも拡げ続けるんだ」

「それは恐ろしいですね・・・・その細菌の持つ武器とは何ですか?」

「強力な・・・・そう、極めて強力な武器だよ。酸を生み出すんだ」

 専門的で難しい話だが『酸』とは塩酸とか硫酸の事だろう。それで周りの生物を死滅させるのか。

「感染すればどうなるのですか?」

「感染後、一週間程度で症状が現れ始めるだろうな」

 悪質だ。罹患した人は一週間もそれと知らずに汚染地域を拡げるのか。

「症状とは?」

「快便になる」

「は?」

「胃で消化を助け、ピロリ菌を死滅させて自らのテリトリーを拡げ、腸ではアルカリ性の消化液にも耐えて生き残り、大腸菌類を酸で死滅させて拡がる。極めて獰猛で、とても身体に良い乳酸菌だ」

「乳酸菌? ビフィズス菌の様な?」

「その通り」

「あの・・・・それでどうやってテロを?」

「馬鹿だねお前は。どんなに良い効果があると予想される菌でも、厳重にテストしてからでないと利用はできないんだよ。いきなり人体実験だなんてそれこそテロだ」

「それには同意します。しかし、罹患しても誰も気付かないだろうし、驚かないんだったら、ばら撒いても意味がないじゃないですか」

「まあね。それが学者の馬鹿なところさ。何を考えているのか理解できないね」

「それでも連中は罪の意識に苛まれて、逃げ出したと?」

「ああ、存分に説教してやったから、随分と反省はしているだろう。そして北海道に追いやった」

「北海道?」

「無理やりフェリーに乗せた。大手乳酸飲料会社を紹介してやったんだよ。今頃は研究室に籠もって立派に働いているだろうね」

 結局、祖母の担当した連中が最も安全なテログループだったのか。予想はいつも裏切られるものだ。新製品ができ上がれば、沢山寄進して貰らって、我が家でも味わってみたい。

 一安心したところで、祖母の手がぬっと出てきた。

「それはそれとして、出す物を出しな」

「場末の強盗みたいですね」

「今回の事は全部お前のプラスになった筈だよ。それ以上何を貰うというんだい」

 確かに得られたものはある。

「お前は新しく友人を得ただろう。アキにヒコジョーにネジ、それにジュンだ。ジュンはまだ幼いが、幼いお前には丁度良い」

 相変わらずの千里眼だ。色街であんな事やこんな事をしなくて良かった。覗かれていたら今頃血祭りだったろう。

 諦めて札束を出した。百万はあったと思う。いや百二十万はあったか。これを死んだ子の歳を数えるというのだろう。


 翌日、昼過ぎまで寝ていてようやく目覚めた。

 数日間、家を空けていたのに誰も何もいわない。これが噂の放任主義か! 家庭用医学事典に『放任主義は子育ての放棄に過ぎない』と書かれているのに。

 弟妹達は揃ってTVに齧り付いている。こいつらが羨ましい。涼しい場所で楽をしやがって。

「何を観ているんだ?」

「兄上でしたか。この前話した『稲妻バロン刑事KKK』ですよ」

「今良いトコなんだ」

 クライマックスの決闘シーンだろうか。

『喰らえ! 毒虫攻撃アメリカシロヒトリ!』

 TV画面一杯に毛虫の集団がアップになる。

「やったー。採用された」

「ツイてますね。兄上の名前で出した葉書が採用されましたよ」

 ここ数日の善行の見返りとしてこの幸運を授かったらしい。人生なんてそんなものだ。

「毛虫嫌い! 兄様なんてサイテー。だからこの前、日が悪いっていったのに」

 妹から久々にかけられた言葉が「最低」か。よし、これでニヒリストになるまであと少しだ。

 TVが更なる善行の見返りを伝える。

『今日採用された丹後市の春日波流君には、この必殺技のカードを百枚プレゼントだ』

 どうやら毛虫のカードを百枚送りつけられるらしい。

 弟二人はお腹を抱えて笑っている。

 笑われたって良いのだ。泣かれるよりは幾万倍も。


 ナツに逢いに行く。

 育児室のドアに表札が掛かっている。『春日奈津(旧姓秋山)』とある。気の早い奴だと思いながら、ちょっと嬉しい。

 ほんの数日間逢わなかっただけなのに、もうずっしりと重い。

 抱き上げて高い高いをしてみる。キャッキャッと声を出して笑える様になっていた。

「お土産を買ってきたよ」

 そういって、地下都市で購入した匂い袋をつかませた。赤ちゃん用にと匂いがきつくない物が売られていたのだ。

 ナツは嬉しそうに、それを鼻に当てたり口に含んだりしている。こうやって五感を成長させて行くのだろう。

 ふと見れば子猫が部屋を闊歩している。これは問題ではないのか。

「猫は衛生上どうなのですかね」

 医師が応える。

「フユ様のご指示でこの前ネットとつながるテストを行ったのですが、その際にあれやこれやと普段いえない我が儘をいわれてしまいまして、それが表札とこの猫なのです」

 ナツを寄越してくれたのは祖母だったのか。

「でも駄目なものなら駄目とはっきりおっしゃって頂いて結構ですよ」

「いえ、どうしても駄目な訳ではないのです。衛生管理は当方でできますし、後は引っ掻き傷ができる程度でしょうか。それも目さえ避ければ逆に成長を促す効果もありますし、お互いに舐めたりじゃれたりして、感応教育にはもってこいなのです」

 医者を説得するのは諦めた。例の事典によれば『新婚夫婦の家庭でペットを買うのは好ましくありません。俗に子供を成す事が遅れるともいわれていますし、子供ができた場合、子供に全愛情を注ぐ事を疎外する可能性があります』と書かれていたのだが。

 どうせすぐには子供を作る予定もないし、構わないだろう。

「何という名前にしたのですか?」

「キーマです」

「カレーの?」

「ええ、ナツ様が離乳食のキーマカレーをあまりお召し上がりにならないのです。離乳食ですから辛味はないのですが、具も細かくて消化し易く、いろんなスパイスの香りがしますし、感応教育には最適な食事です。そこでこの猫の名前をキーマにして、少しでも食べて貰おうという魂胆なのです」

 本人が聞いているのだから、魂胆を喋っては台なしだろうに。

 しかし、そんな名前にしては黒い猫だ。口元と足先だけ白くて、まるでソックスを履いている様だ。よちよち歩きの可愛い子猫で、二人並んで寝ている様は耐え難い程愛らしい。

 ふと嫌な考えが脳裏をよぎった。

「この猫は雄ですか?」

「いえ、雌です」

 良かった。雄だったらダストシュートに投げ捨てているところだ。たとえ獣であっても、彼女の傍らに男が寄り添うなんて耐えられない。


 大学病院へ。

 アキ君の容態を聞く。未だ重篤だが、命の危険はないとの事だ。何本も点滴が刺さっていて痛々しい。しかし、そのどれもが栄養補給のためであり、特別な処置ではないとか。

 彼は彼自身が生み出したケミカルプログラムによって傷付いている。自分で解毒プログラムを施している筈だ。後は時間が過ぎるのを待てば良いのだろう。


 ヒコジョー氏の個室に立ち寄る。

 彼は僕を見て、済まなそうな表情をした。

「ハル君か。良くきてくれたね」

「散々怒られたらしいですね」

「ああ、人生始まって以来の長時間説教だったよ。体力的にも精神的にも効いたな」

「どんな説教だったのですか?」

 彼は曇った顔つきで話し始める。

「先生がいうにはだな、テロと名乗るには、まず政府の転覆を目的としなくてはならないそうだ」

「成る程。今回の計画は『政府の方針を変更させるためのテロ』でしたからね」

「そう、そこがお気に召さなかったらしい。規模も小さ過ぎるというんだ。同時多発的に、且つピンポイントで公共施設を狙ったものが好ましいらしい。民間に犠牲が出てはいけない。民衆の支持を得るために、巨悪に鉄槌を喰らわすものこそがテロなのだと」

「はあ」

「自らの退路を断って、犯行者が犠牲になってこそ美しいと」

「う~ん」

「それで、もっと綿密で、とんでもなく過激な計画を聴かされた」

「は?」

「先生が若い頃に計画したものらしい。極めて大規模な作戦だ」

 嫌な予感がする。

「実行者十万余、被害者三十万余の大掛かりなもので、占拠する箇所は国会議事堂、軍施設、官庁、空港、放送局等。そして政治家、官僚を皆殺しにして新政府誕生を公表するそうだ」

「それはテロじゃなくクーデターでは?」

「その後、参加者は百万に増える。そして街々を統制下に敷き、全権を掌握すると、弾劾裁判を実施して、法的にもこの新しい政府が正しい事を証明させる」

「あの、もう結構です」

「先生はベッドの上でそんな空想をしていたんだな。高校生の頃、遣り場のない鬱憤を晴らそうと危ない妄想をしていたそうだ。まあ、考えるならこれぐらいの事は考えてみろ、って事さ」

 若い頃は誰でも過激だという事か。

 彼は溜息まじりに続ける。

「テロとか正義とか信念とか、そんな事どうでもよくなってしまって、もうすっかり牙を抜かれた気分だよ」

「世の中を良くしたいという思いは残して欲しいですね」

「それはある。だから親父と話をしてみたんだ」

「親父さんって何をなさっているんですか?」

「地方公務員さ。市役所で助役をやっている」

「助役といえば実質的に市政を取り仕切っている人ですよね」

「取り仕切るのではなくて調整しているんだろう。いろんな圧力団体の間に入ってね」

「それは大変そうだ」

「確かに胃を患ってるよ。潰瘍だそうだ」

「可哀想に」

「気の弱い人間がする仕事じゃないって事さ」

「それで何か良い案はありましたか?」

「ある。折衷案ともいうべきもので、我々の暮らす病院や施設に併設する形で小中学校を建設する案だよ。でも用地買収が大変だし、そんなに数が作れないのが難点みたいだ。建築業界からのリベートを期待している政治家は嫌がるだろうね」

「その案なら施設暮らしの子供達も楽に登校できそうですね」

「毎日は無理でも、体調の良い日には登校できるだろう。だから頑張って元気になろうとモチベーションを高める効果もあるだろうし、子供達には良いんじゃないかな」

「実現できそうですか?」

「それが難しい。政治家を黙らせたとしても、クラッシィの子供達に不公平感が残るだろうね。地理的問題で、リアルの学校に行ける子と行けない子が出るのだから」

「最初はその案から始めて、徐々に数を増やせば良いではないですか」

「私もそういったんだ。でもそうできないのが政治の世界らしい」

「どうして?」

「リアル開発促進派はとにかく数多く作りたい。エリア尊重派は、そもそも一つも作らせたくない。結果、誰も折衷案を支持しないんだ」

「馬鹿馬鹿しい」

「全くだ。でもエリア尊重派にとっては絶対に譲れない理由もある。数的に有利なクラッシィとの差別をなくす事、それを目的として存在している団体だからね。少しでも派内の人々に不公平感を持たせる事ができないのさ。一生ベッドから離れられない人からすれば、リアルの学校なんて税金の無駄遣いにしか思えないのかも知れない」

「折衷案では双方に不公平感が生まれるんですね」

「でも、よりベターな事には変わりない。折衷案を採用しつつ、エリアの充実も図れればベストなんだろうけれど」

「後はお金ですね」

「そう、それが悩みどころさ」

 もう調整で解決できる話ではない。確かに胃を痛めそうだ。

「これは難問ですね。時間が掛かりそうだ」

「どうせ時間が掛かるなら、腰を据えて、もっと長期的なビジョンを持つ事にしたんだ」

「それは?」

「政治家になりたいと思っている。まだ先の話だけれどね」

 それは難しいだろう。助役の子というだけでは誰も支持しないし、理想だけで票は得られないのが現実だ。巨大な圧力団体の陣門に下ってでも、票田を確保しなくては当選できない。それに・・・・

「政治家を目指すにしては、今回の計画はかなり甘かったんじゃないですか?」

「そういわれると耳が痛い。結局、私はいつまで経っても坊ちゃんで甘ちゃんなのさ。でもそれを自覚できた。これは成長じゃないかな」

 意外とお調子者なのだろうか。あの夜の印象とはかなり違う。

間抜けでお調子者の政治家は少なくない。政治家になるために必要な要素なのかと思う程だ。尊敬はできなくても大衆に好かれる類の政治家ならば目指せるかも知れない。

「兵器乗っ取りの連中は海の上らしいですね」

「ぶーぶーいいながら船に乗ったよ。今朝、写真が送られてきたんだ。見てみるかい?」

 それは面白そうだ。

 高校生二人は、日に焼けて赤くなった顔で満面の笑みを浮かべている。ヘーハチ校長はいつになく凛々しく見える。夕日をバックに舳先でポーズを決めている。

「彼らはここずっとエリアにつながりっぱなしで、食事も摂らず青白い顔をしていたからね。久々に身体を動かして気持ち良いのだろう」

「兵器の乗っ取りって、そんなに大変な作業なんですか?」

「易々と乗っ取れるのだったら、兵器として成り立たないだろう。彼らは自信満々だった。でも今は自分の未熟さを実感しているだろうね」

「中心人物だった人が何をいっているんですか」

「三つ計画して、どれか一つは成功すると思っていたんだ。もう責めないでくれよ」

 今後、たっぷりとイジメてやろう。僕にはその権利がある。

「彼らは当分海上暮らしですか?」

「当分というか、かなり長期じゃないかな。日本のEEZを一周するらしいから」

 八重山諸島を経由して、沖ノ鳥島、北方四島を周ってくるのか。それは大変な船旅だ。新学期が始まっても帰ってこられないだろう。同情を禁じ得ない。


 新学期。

 始業式は行われない。生徒数がたった二十九名の学校でそんな大仰な儀式は不要だ。先生だって実は一人しかいないのだ。たとえ始業式をやってみても、テツタ先生扮する校長先生が偉そうに話し出した時点で吹き出してしまうだろう。

 授業前の二十分間、夏休みの出来事を語り合う。皆、海外へ行ったとか、泳いだとか、デートしたとか、実に楽しそうに話している。

 僕とて滅多にできない経験をしたのだ。面白可笑しく話す準備はできている。しかし話す相手がいないではないか。同級生達に、テロとか婚約者の幼児と楽しく過ごしたなんて話ができるものか。結局「どう過ごしたの?」と聞かれても「神社が忙しくて、それを手伝っていただけだよ」と応えるしかない。

 いや、話ができる存在が一人いる。

「アナタ」

「やめなさいって」

「ダンナサマ」

「それも駄目ですよ」

「じゃあ、サマーダンナー」

「ちょっとカッコイイけれど、意味不明です」

「ダンサマナー」

「僕は何を召還(サモニング)すれば良いんだ?」

「あたしかな」

「ほーお、そりゃ便利だ。で、どんな呪文で現れてくれるんだ?」

「それはですね。右に三回まわって、左に四回まわって『奥様サイコー美人で一生愛してるワン』って叫ぶの。120デシベルで」

「できません」

「どうして? 言って欲しいのに・・・・」

「はいはい。泣き真似は通用しませんよ。理由は簡単です。僕は120デシベルの大声が出せませんからね」

「何故?」

「僕がジェット機とかレーシングカーじゃないからです」

「あたしも駄目な男に惚れたもんだわ」

 最近の育児室にはTVが設置されたらしい。変な言い回しばかり憶えて困りものだ。ずっとこんな感じだから、真面目な話も愛を語り合う事も不可能だ。


 アキ君はいない。先生も説明しないし誰も何もいわない。級友が増えたり減ったりするのは珍しくないし、聞かれても個人情報の保護義務があって応えられないのだ。

 でも僕は知っている。身内としての当然の権利だ。

 彼は退院し、今は父親と一緒にいる。

 どんな親子の会話をしているのか覗いてみたいものだ。喧嘩をしたり、笑い合ったりしていて欲しい。そして一日も早い復学を願っている。僕の数少ない友人なのだから。

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