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異形の子ら  作者: Gさん
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第二章

 一家の長兄としては、弟妹達の教育係を務めるのは当然の責務である。しっかりとお勤めをさせて、神社経営の何たるかを教えなければならない。よって、三人を拝殿に呼び出したのだが、妹のソラは「今日は日が悪い・・・・」と不吉な一言を残して去ってしまった。女の子にとって十三歳は難しい年頃なのだろう。そっとしておく事にして、というか怖いので避けて、弟達の面倒を見る事にした。

 この七歳の双子、リクとカイは外見が瓜二つな一方、性格は真逆だ。すぐ熱くなるリクと冷静なカイ。個の違いを尊ぶ現代日本に相応しい双生児といえる。強烈な個性同士、ぶつかってばかりいるが、一旦結託すれば無類の強さを発揮する。


 拝殿の中はわりと広い作りになっている。狭く感じるとすれば、それは神饌やお飾りが多いせいだろう。中央には白木の御棚があり、同じく白木の三方の上には米・塩・水・酒などの御贄が備えられている。御神灯が灯され、両脇の榊立てに榊の枝が飾られて、正中の御神鏡に青葉を映している。

 今日はこの拝殿の板間を掃除する事にした。二人が結託してサボろうとするものだから、いつの間にか僕が布巾を持って、彼らが偉そうに指示を出したりして全く気が抜けない。「終わったらここで遊んでも良い」となだめたのが功を奏して、ようやく兄の地位を取り戻し、作業を終えた。


「二人共、お勤めご苦労だった」

「兄上、ここで遊んでも良いのですか?」とカイ。

「うむ、許可する」

 リクが元気よく手を上げて発言する。

「じゃあ『稲妻バロン刑事KKK』ごっこをする」

「何だその何とか刑事ってのは?」

「えー、知らないんだ!」

「教えてくれ」

 二人は目を輝かせながら早口で喋り出した。

「あのね、友情タコメーターが毎分二万回転を超えると蛹になるんだ」

「でね、蛹はめっちゃ弱いんだ。お尻をクネクネするだけでさ。でも蝶になるとチョー強いんだよ」

「それからクライマックスになるとゴッドファーザーを呼ぶんだ。そうすると雲の上から暴力団の親分が現れるの」

「その親分が戦いの審判をしてくれるんだよ」

 何だか聞いた様な聞かない様な話だ。

「それのどこが面白いんだ?」

「毎回必殺技が違うんだ。技の名前のインパクトで勝敗が決まるんだよ」

 ちょっと興味が出てきた事は隠しつつ、審判をしてやると申し出た。厳しい裁定で兄の威厳を見せつけるのだ。


 紅白の小旗を持ち、両者の間に座って号令をかける。

「先攻リクから。始め」

― 一回戦 ―

 リクは主人公に成り切って、奇妙なポーズを決めている。

「行くぞ。ハルマゲドン!」

「陳腐。0点」

 リクは厳し過ぎると非難したが、僕は動じない。これが人生の厳しさなのだ。

 カイは前髪を横に掻き上げ、不敵な笑みを浮かべている。

「次はボクだ。喰らえ、アメリカシロヒトリ!」

「毒虫攻撃か。これは五点。カイの勝ち」

 小旗でカイを指し、一回戦の勝敗を決した。負けたリクはおでこにシッペを喰らう。

― 二回戦 ―

 やや涙目をしたリクが叫ぶ。

「ちくそー、審判の傾向はつかんだ。次こそは勝つ。怪蝶ヨナクニサン!」

「真似はイカン。0点」

「イジメだ。抗議する」

「却下」

「ボクのオリジナリティー溢れる技を受けよ。御成敗式目!」

「ツボです。十点。カイの勝ち」

 リクはまたシッペを受けなくてはならない。「同じ場所はヤメテ」と懇願している。

― 三回戦 ―

 リクのおでこがはっきりと赤くなってきた。

「なにおー、オイラだって。墾田永年私財砲!」

「おお、ちょっと分かり難くかったが『砲』のところが好き。十点」

「やりーっ」

「ふふ、ボクの返し技を見てから吼えろよ。小倉抹茶スパゲティー大盛り!」

「ハイカロリーそうで怖い。十五点。カイの勝ち」

 カイは誇らしげに笑い、リクは恨めしそうにこちらを見ている。

― 四回戦 ―

 リクはおでこを摩りながら慨嘆する。

「ああ、オイラまだ一勝もできてない。これならどうだ。十七条憲法! 篤く三宝を敬え。ぐあっ」

「ふっ、自爆したな。とどめだ。GHQ! ギブミーお賽銭。おうっ」

 二人とも自爆し、仲良く倒れ込んでいる。

「聖徳太子も進駐軍も神社(われら)の敵ではない。味方と思わば味方なのだ。見方の問題よ」

「ははーっ」

 二人を平伏させ、満足したところで解散した。


 弟達はずっと学校を休んでいる。エリアでの生活に喜びはないそうだ。もっぱらリアルで本を読み、集まって遊んでいる。二十世紀後半頃の子供のあり方が、本来の自然な子供の姿なのだろう。州でもリアルに小中学校を作ろうとしている。あと数年もすれば一部の子供達はそこへ通う事になる。でも病院や施設から出られない子供達はどうなるのか。その子供達はもうクラスCの子達と会えなくなるのだろうか。

 二人とも成績は良いのだから飛び級する実力はあるのだけれど、年度初めに一年分のライセンスを取ってしまって、後の期間はリアルだけで過ごす生活をしている。近所の子達も巻き込んで、皆がなるべく早くライセンスを取れる様に、勉強会をしたり個人授業をしたりして仲間をどんどん増やしている。

 彼らは今、リアルで自分の身体を動かしたいのだ。喧嘩して泣いたり、無茶をして怪我をしたりしたいのだ。そんな事は幼い頃にしかできないし、エリアでは不可能である。彼らの願いは子供として当然の権利ともいえる。クラスAやBの子達の事を考えるのは、彼らの成長を待ってからでも遅くはない筈だ。僕は応援したい気持ちでいる。


 昼食である。食卓には冷えた出石蕎麦が山盛りになっている。頂きますの挨拶の前に、祖母が食べ始めながらぼやく。

「蕎麦は更級の方が好きだね。歯応えがあって」

「頂きます。いや、蕎麦は喉越しです。歯応えじゃありませんよ。それに田舎蕎麦の方が香り高いですし」と父。

「シロウトだねえ。八月の蕎麦に香りもへったくれもあるものかい」

 そういわれてしまうと、父は眉を吊り上げ、ただ黙々と咀嚼するばかりとなってしまった。山陰州の妖怪といわれる祖母と、丹後半島のアイスクリームの木の匙と家族から評されている父とでは格が違い過ぎたか。

 母が九条葱と烏賊下足のかき揚げを持ってきた。

「お祖母様、この蕎麦は氏子さんから頂いたご進物なのですよ」

「ウチの嫁は偉いね。蕎麦はアレでも、つゆも天麩羅も旨いよ」

「有難うございます」

 流石、祖母に気を遣わせるなんて母にしかできない。

 父は二人が仲良く笑っているのが少し気に喰わない様子だ。二人が反目し合ったら一番困るのは父自身であろうに。この人は何も分かっていない。

 尊重してくれといった眼差しで子供達を見詰める父。四人は揃って横を向いた。

 木匙はなくては困るが大切にはされない。そしていつも哀愁を帯びている・・・・


 午後から『児童研』に向かう。ナツに逢うためだ。七月七日にあの水槽から出て、丁度一ヶ月。ようやく面会が許されたのだ。身体をできるだけ清潔にし、爪も切って、今日という日に備えた。

 施設内は医師や看護師が入り、この前と打って変わって明るい雰囲気になっている。防菌スーツか白衣を着るものだと覚悟していたが「手の殺菌だけで良い」といわれて嬉しい誤算だ。白衣にマスクじゃ僕だと分からないかも知れない、と思っていたから。

 彼女は地上三階に新設された育児室にいる。大きな空間の中央に小さなベッドがぽつんとあるだけの部屋。確かに贅沢だがこれでは寂しい。

 ベッドを覗き込むとナツが微笑んでいた。青いパイル地の赤ちゃん着が涼しげで可愛い。しきりに何か喋ろうとしているが、よくは分からない。お腹の辺りを突くと、背中を海老反らせて喜んだ。

 後頭部を慎重に持って抱き抱える。予想以上に軽くて怖い。頬と頬を合わせて「これがギュッだよ」と囁いた。

 ナツは赤ん坊なのに、声を出さずに涙を流している。僕はもう一度、ゆっくりと抱き締めた。


 ベッドに戻し、人差し指を握らせながら話をする。医師の話では「喋る事はまだできないが、聞き取る能力は備わっている」との事だ。

「ここ二ヶ月の間、エリアでも君と逢っていなかったけれど、僕は変わりないよ。君の医師とは何度か話をして、君の状態もよく知っている。とても順調みたいだね」

 つかんだ指を離してくれそうにない。どうしたものか。

「予定より早く出られたのは、初めてのケースで医師としても予想が難しかったからだそうだよ。良い医者ならば予想される最悪のケースを告げる筈だから、信用できる人なんじゃないかな。まあ君の事だから、その辺は抜かりないと思うけれど」

 僕の話を理解している事が、何となく分かる。

「君がエリアにアクセスできるのは秋以降じゃないかな。最初は時間を短くした方が良いそうだよ。リアルでの感覚、五感がしっかりする事が第一だからね。まあ何事も焦らずに行こうよ」

 頷いているのだろうか。口を尖らせて何か発音しようとしている。

「あっちで変わった事といえば、そうだな、あれからアキ君が登校してこないんだ。デコイだけは置いているけれど。ちょっと心配だから近々逢いに行ってみるよ」

 彼女は目を細めて満足そうにしている。どうやらこの事が気掛かりだったらしい。そして静かに眠り出した。握られたままの指をそっと外して、しばらく小さな吐息を聴いていた。


 帰路、気分が良かったので寄り道をする事にした。駅構内で『海洋高校バザー』のポスターを見て、覗いてみたくなったのだ。

 山陰州では先駆的に、リアルでの大学・専門高校の建設を推進している。新舞鶴の医科大学と海軍士官学校、宮津の海洋大学、豊岡の体育大学、鳥取の農業大学、出雲の神道大学である。そして各々に付属の専門高校がある。

 かつて、リアルにある海洋大学を見学に行った事がある。門の内側には、食堂と生協、後は校庭と桟橋があるだけ。何も面白くない。食堂も生協も近所の人々が使うだけで、学生を見掛ける事はなかった。グラウンドも無人。桟橋で釣りをするおじさんがいただけだ。海洋大学の学生は、実習のみならず座学も日常生活も船上で行うらしい。大学に寄港するのは年度初めだけだそうだ。

 付属の海洋高校の方が歴史は古く、二十世紀から存在している。洪波期においても海上に降り注ぐおびただしい有害放射線に屈せず、貴重な海洋資源を採取し続けた船乗り達、そんな職能者を育ててきた名門だ。

 海の男達は豪快で屈強で無頼で、彼らにいわせれば海軍の連中なんてただの兵器オタクなのだそうだ。同じ海に生きる者同士、いつも比較されてしまう両者である。


 シャトルバスに乗って海洋高校へ。

 校門を過ぎれば右手にグラウンド、左手には白い校舎がある。奥には松の防風林があって、その先は砂利の浜辺と桟橋になっている。停泊している白い船が実習船なのだろう。

 バザーはグラウンドを使って行われている。生徒数はそんなに多くない筈だが、かなりの賑わいだ。生徒達は揃ってセーラー服を着ているが、可愛い女子高生とは対照的な色黒のごつい連中ばかり。ジョッキでビールを飲んでいても誰も止めないだろう。

 長蛇の列ができているので僕も並んでみた。列があれば並ぶのが日本人である。

 列の先で売られていたのは缶詰であった。食品加工科の生徒が作った物らしい。開けるのに缶切りが必要な古いタイプで、しかもラベルがない。中身はオイルサーディン、鯖味噌煮、鯖水煮、イチゴジャムだと掲示してあるが、どれがどれなのかは明記されていない。

 前に並んでいた常連らしきおばさんに倣って、できるだけバラバラの位置から取る事にする。おばさん曰く「重さと振った時の感覚で中身を憶測する」のだそうだ。

 タコヤキなどの露店も出ているが、その手のモノは我が神社にもウンザリするほど揃っているので、もう見て回るものがなくなってしまった。

 浜辺が近く良い風が吹いてくる。松の根に腰掛け、汗が引くのを待つ事にした。


 先客が一人、隣の松の根に座って煙草を燻らしている。胡麻塩頭をした色の黒い老人である。数人から「校長」と呼ばれていたので、どうやら校長先生らしい。その優しそうな目に惹かれて声をかけた。

「海洋高校の校長先生でいらっしゃいますか」

「いや、かつての校長じゃよ。退任して一年になるかの」

「こちらの生徒さん達は元気なご様子ですから、ご苦労なさったでしょう」

 老人は垂れた細い目を更に細める。

「ははは、皆さんそうおっしゃるが、でもそれは間違いじゃ。それ、そこに集まっている生徒達をご覧なさい。我が校の生徒にしては華奢じゃろう。入学当初は誰もあんな感じで、ヒョロヒョロの、青っ白い顔をした者達ばかりなのじゃよ」

「そうなのですか?」

「ここにくる連中は、皆ネット社会に馴染めなかった、エリアから疎外された者達じゃ。ネットにつながる事が嫌で現実世界だけで生きて行きたい者、身体的理由でエリアに行けない者、そんな連中が集まる場所なんじゃよ」

「聞いた事はありますが、そんな方が沢山いらっしゃったとは驚きです」

「沢山ではないがの。そんな連中がここへくれば、もうネットにつながらなくても良い、エリアで勉強しなくても良い身分になる訳じゃから、ストレスがなくなって食欲と笑顔を取り戻し、心身共に健康になるのじゃて。そして海に鍛えられ、男らしい顔つきの生徒になる。おお、今は女の子もおるのう」

「適材適所ですか」

「そうともいえるが、実際はそんなに甘くない。海の仕事といっても簡単な作業は船舶ロボットがやってしまうんじゃ。彼らに回ってくるのは危険で困難な仕事ばかり。元々、彼らの望みはネットにつながりたくないという一心だった筈。自らを危険に晒しても国家や国民のために奉仕したいとか、そんな高邁な願望を持ってきている生徒はいないんじゃ。実は、儂もその一人だったのじゃよ」

「そうだったのですか。伺ってよろしければ、彼らが就く仕事とはどの様なものなのでしょう?」

「例えば外国のEEZ付近の調査、軍艦がひしめく海洋紛争地域での情報収集、多数の国家が狙う公海上の海底資源の試掘、未だに反対者が多い鯨・鮫・鮪などの海洋生物資源の捕獲、昔だったら赤道水域海上での放射線調査とかじゃな」

「凄い! でも、皆さんはそれを承知しているのですか?」

「知っていて、それでもネットにつながる事より遙かにマシだと思っているのじゃよ」

「どれも繊細な判断が必要な仕事ばかりですね」

「そこがロボットや遠隔操作ではできないところなのじゃ。難しい判断を、自分と仲間の生命を賭けて瞬時に行う。彼らは落ちこぼれで内気な子供だった者ばかりじゃから、相手の気持ちを察する能力に長けとるでの。繊細な判断には不可欠な能力じゃ。そう、後天的に獲得した新人類としての特徴ともいえるのう。しかし神経質なだけでは勤まらん。困難と直面しても、冗談を飛ばし笑いながらやり遂げる。そんな連中を育むのがこの学校なのじゃよ」

「それは相当難しいでしょうね」

「生徒達には困難な道だろうの。しかし教える側は楽なもんじゃ。儂らは何もしなくとも、海が全てを教えてくれるんじゃよ」

 その優しい目をした人は、重たい話ばかりになった事を謝罪して、代わりに学校に伝わる笑い話や、僕が山と抱える缶詰の見分け方を教えてくれた。

 汗は一向に退く気配を見せなかったが、頃合いを見計らってその場を辞した。


 家に帰着すると、母が珍しく暗い顔をしている。

「母上、どうかなさいましたか?」

「食べ物がありません」

「我が家の経済状況はそんなに深刻だったのですか? それともお祖母様が何もかも食べ尽くしてしまったのですか?」

「違います。むしろ逆です。お金のご寄進は多くなっています。でも、食べ物を頂けなくなってしまって」

「では買えば良いではありませんか」

「それは私の主義に反します」

 そんな都合の良い主義があるものかと思うが、母の郷里を考えれば分からないでもない。母は兼業農家出身で、食べ物は自作するか分けて貰うかしていた。それでも肉や魚は購入していたのだが、神社に嫁いで、その多種多様な喜捨物を見て、もう何も買うまいと心に誓ってしまったのだ。結婚当初はそれでも良かったのかも知れないが、氏子の皆さんも最近では豊かになり、食べ物のご進物は減って、代わりにお金をご寄進頂いているという事らしい。

「ハル! その持っている物は何?」

「ああ、これはお土産です。全部は供出できませんが、数個を残して、あとは我が家の今晩のおかずとして使って下さい」

「幾つ残せば良いの?」

「三つばかり。記念品として残しておきたいので」

「お前は何て良い子なのでしょう。母は今程お前を産んで良かったと思った事はありません」

 ご無体な言い草だ。


 食卓に銀色の山を拵え、ご飯とお新香、それに缶切りを人数分並べて夕餉の支度が整った。

 家族が食卓に揃う。まず父が口を開いた。

「これは何だ」

「缶詰です。父上」

「そんな事は分かる」

「夕餉のおかずです。父上」

「それも分かっておる。だから何なのだ」

「ハルが買ってきてくれた海洋高校名物のシークレット缶詰ですよ、貴方。今晩唯一のおかずです。説明はハルがしてくれるでしょう」

「では聞こうか」

「説明致します。そも海洋高校はこの山陰州にあって歴史の古い・・・・」

「ええい、そんな説明はいらん。缶詰の説明をしなさい」

 祖母はもう缶詰を開いて食べ始めている。しかもポケットに数個確保したりして、卑しい事この上ない。ピラミッドを作れるぐらいあるのだから、そんな事はしなくても良いのに。

「まず、缶詰の中身について説明致します。この平らな缶詰はオイルサーディンです。そして丸い缶詰は鯖の味噌煮か水煮、そしてイチゴジャムです。ラベルはありませんが持った時の感触で判断して下さい。尚、ここからが肝心なのですが、一度開いた缶詰は食べ切ってから次に取り掛かって下さい。自分の嫌いな物だからとか、そんな理由は認められません」

「イチゴジャムはどうするのだ」

「どう仕様もありません」  

 弟妹達は緊張を隠せないでいる。父もまだ動かない。オイルサーディンなら判別可能だが、ご飯のおかずとしては弱い。それでも分葱と醤油があれば何とかなるのだが、分葱がない。そして最も問題なのがイチゴジャムである。これは何をどう足掻いてもおかずにする事は不可能だ。それが最初に出てしまえば全てが終わる。それだけは・・・・

 祖母に続いて母が動いた。

「では頂きます。キコキコキコ」

 皆の視線が手元に集中する。

「あら、美味しそうな鯖の味噌煮ねぇ」

「おお」

 父と四人の子供達がユニゾンで唸った。

 祖母はどうせ人智を超えた妖怪みたいなものだから、開けずとも中身が分かるのだろう。さっきから立て続けに鯖の味噌煮と水煮缶を開けている。空の缶の置き場所が手狭になる勢いだ。のんびりしていたらイチゴジャムしか残らなくなる。

「頂きます。キコキコキコ」

 弟妹達が一斉に取り掛かった。しかも各々が数個の缶詰を確保している。全て平らな缶詰だ。やられた。安全策に出たのだ。賢明な判断といえる。この状況判断の的確さは僕の教育の賜物だろう。

 ピラミッドを調べてみれば、もう平らな缶詰は残っていない。

 父が僕を凝視している。彼が参考にできるのは母の様な幸運の塊でも、ましてや妖怪でもない。平凡な僕だけなのだ。

 父にヒントを与えるのは癪だが、致し方ない。僕はゆっくりと缶を振り出した。

「ぺちゃぺちゃ。ぺちゃぺちゃ」

 重さでいえばイチゴが最も重い筈。そして中身が詰まった感じがする筈なのだ。

 父がニヤリとしている。缶を両手に持って重さを比べている。どうやら気付かれたらしい。

「おや、珍しいね。煮貝の缶詰があるよ」

 祖母がそういうと、ピラミッドの中から缶を一つ取り出し、開け始めた。果たして赤貝の煮付け缶であった。

「あら、これは鮭の中骨缶ね。サクサクしていて美味しいわ」

 母が宝くじに当たっている。

 校長先生がこう教えてくれた。

「百個に一個の確率で鮭缶があり、その鮭缶五十個に一個の確率で中骨缶がある」

「中骨缶に当たった人はその日のうちに交通事故に遭うか、一生お金に困らずに長生きするだろう」と。

 煮貝の話は聞いていない。きっと知ってはいけない存在だったのだろう。

 父が唸っている。こうも種類があるとすれば重い軽いでは判断できない。詰まった感じがするのはイチゴも中骨も同じだ。

 缶詰の残りは五つとなった。女共は満足げな表情を浮かべて食事を終えている。弟達は母の残した中骨をも平らげ、食事を終えた。弟達よ、それをやっちゃあお終いよ。獲物は自分の力で得るものなのだ。


 そして今、父と僕との、男と男の勝負が始まろうとしている。


 父は目を瞑り、小声で祝詞を唱え始めた。

 僕は缶をそっと持ち、校長先生から教わった判別方法を実践しようとしている。

 曰く「イチゴ缶の製造器はちと古い。よって角が綺麗な(アール)を描けていない可能性が高い。そこを突くのだ!」

 校長先生有難う。僕は最も美しい造形の缶を選び抜いた。

 父は祝詞を終え、神々の力を得て缶をつかんだ。そして勝負の時来たる!

「キコキコキコ」

「・・・・・・・・・・・・」

 二人ともイチゴであった。

 刹那、父の瞳孔が開き、大切な何かが四散した。そして奇声と共に禁じ手を繰り出す。

「南無三。オンバサラダドバン、ナウマクサマンダボダナンバク・・・・」

 手を袖に隠して印を結んでいる。父よ、それは宗教が違う。真言密教だ。

「キコキコキコ」

「・・・・・・・・・・・・」

 やはりというべきか、イチゴであった。

 僕はお新香で美味しくご飯を頂く事にした。そう決めればそんなに不幸な事でもない。

 父は自分の開けた二つの缶詰を前に茫然自失。母はその缶詰と父には触れず、他の物は全て綺麗に片付けてしまった。

 そして解散となった。

 父を一人残して。


 その夜、書斎で聖書を読み耽る父を見た。彼は救いの手を欲しているのだろうか。

 父よ、どの宗教でも『救いの道はあると思えばあるし、ないと思えばない』と説いている。今の貴方は誰にも救えない。


 翌日、アキ君に逢うために新舞鶴へと向かう。この街は今も昔も海軍の城下町として存在している。良い点を上げるとするなら、大病院が幾つもある事、繁華街が碁盤目状になっていて構造を憶え易いところであろう。

 彼の元へ行く前に、折角なので海軍基地を見に行く。基地といえば大砲が並んでいるイメージだが、実際はがらんとしていて、緑の芝生が広がったりしている。士官学校が併設されているからだろうか。基地らしいと思えるとすれば、建物に隠れる様に軍用ヘリが何機か留まっている事ぐらいである。桟橋に軍艦は一隻も見当たらなかった。近頃の軍艦は潜水型が主流だからなのかも知れないし、単に出払っているだけなのかも知れない。何れにせよ陸海空どの兵器も小型化・無人化が進み、船舶といえどもどんな形をしているのか想像もできない。

 兵士達の仕事も様変わりし、事務職や機械工の様な仕事が増えているそうだ。それに世界のどの国家も国民を喰わせる事に精一杯で、大々的に他国を侵略してやろうとか、そんな余裕がない。現在での軍の仕事は災害救助や防災工事、あとは国境監視が主たるものになっている。

 自然の猛威が人類に平和をもたらすなんて、人類の矮小さと愚かさを表していて、新憲法の前文に推薦したい事例だ。


 さて、アキ君のいる州立医科大学付属病院の小児科棟へ向かわねばならない。彼の居場所は彼から聞いたものではないし、突然の訪問に怒り出すかも知れない。それはそれで楽しみだが。

 小児科棟は病院というより、医者や看護師付きの学校といった風情だ。白い四階建ての病棟の横には中庭があり、青々とした芝生があって、小さな噴水や遊水施設がある。そこで遊ぶ人達の年齢はまちまちで、幼い子供からどう見ても成人であろう人までいる。学校に通っているかどうかで小児科と一般を区別しているのだろうか。とにかく大勢いて賑やかだし、皆陽気に過ごしている。

 十二歳ぐらいの少年を見付け、アキ君がどこにいるか聞いてみると、流石は有名人、すぐに判明した。

 棟内の情報通信室へ行くと、各ブースの予約者氏名が掲示されている。彼は午後一時から予約していて、予定が守られるなら間もなく現れる筈だ。

 廊下の向こうから、ポケットに手を突っ込んだ少年が歩いてくる。少し伏し目がちで生意気そうな。部屋の入り口に立っている僕をちらと見て、中へ入って行った。

「アキ君かな?」

「そうだけど、あんた誰」

 僕はエリアでも現実通りの姿をしていて、声すら変えていないのに、酷い言い草だ。

「ハルですけど・・・・」

「ええっ、そう言えば見た事のある顔だ。何をしにここへ?」

「つれない反応ですね。君に逢いにきました」

 約束なしにきた事で驚かせてしまったが、彼の緊張もすぐに解け、場所を談話室に換えて接見を楽しむ事となった。

「俺が十二歳だって皆気付いていたのかな」

「どうだろう。僕は気付いたけど」

 少し曖昧な表現をした。僕とて自然に気付いた訳ではなく、調べて知ったのである。 一般的な方法だが、情報を持っていそうな人から話を聞き、別の人を紹介して貰う事を数回重ねる。そして真の情報を持っている人に辿り着き、ようやく確かな彼の個人情報を得たのだ。僕がケイコ先生の居場所を突き止めたのと同じ手法である。

「俺がずっと休んでいたから来てくれたのか」

「うん。何かあったのかなと思ってね。僕が渡したケイコ先生の情報のせいかと、責任を感じていたんだ」

「あれは衝撃的だったよ。ケイコ先生と担任のテツタ先生や他の先生達が全部同一人物だったなんて酷いと思うよ。しかも実物は禿げ親父だし」

 そんなところだろう、と最初は思っていた。ケイコ先生の正体を知った彼が失恋にも似た感情を抱いて、その心痛のあまり学校を休んでいるのだろうと。しかし、彼が休み続けて一週間も過ぎた頃、何となく違和感を憶えて考え直す事にしたのだ。

 彼は十二歳で高校に飛び級する程の頭脳を持っている。それなのに、僕でも気付いていたケイコ先生達の秘密に、彼は翻弄され続けていた。

 エリアで我々の学級の全教科を担当してくれている先生、名前を沢山使っていたが本名はテツタであるその先生は、自分達が実は同一人物であるヒントを所々に出していた。例えば美人教師の代名詞である『ケイコ先生』というありがちな名前、板書の癖、雑談した際に感じる趣味嗜好の近さ等である。

 同一人物であると分かれば、僕がいつも人を探す方法で探るのみである。架空人物であるケイコ先生の知り合いなんて存在しないが、テツタ先生の知り合いなら探せる。もっとも先生のハッキング対策は完璧だったので、通信経路を辿る方法では難しかっただろう。

 ここまで考えが至れば、たとえ彼が十二歳だったとしても、失恋即長期欠席は甘い考えに思える。それに彼はいわゆる天才児なのだ。何か特別な事情があるのではないか。

 とにかく、もっと話がしたい。

「君が早退した日、僕とナツ君が一緒にいたけれど・・・・」

 僕はナツとの関係を話し始めた。彼女の身体の事、その成し遂げた仕事、婚約した話全てを。彼はその話を興味深く聴いてくれて、逆に自らの生い立ちを話し始めた。

「俺、ここにくるまではかなり寂しくってさ。母ちゃんは死んでいないし、父ちゃんは仕事が忙しかったし、祖母ちゃんも俺も身体が悪かったから、家から一歩も出ない様な生活だったんだ」

「お父さんの仕事は何なの?」

「船乗りだよ」

 海洋高校出身者だろうか。

「それで俺はエリアに頻繁に行って、エリアで遊んで、単位も取りまくっていたんだけれど、ある日『お祖母さんと一緒に新しい治療を受けてみませんか』って誘われたんだ」

「どんな治療?」

「豚とヒトのキメラを作って、俺の調子の悪い臓器を複製させるんだ。そして移植する治療だって」

 動物愛護の観点から実施されなかった古い手法だ。国際条約上、違法の可能性があるといわれて永らく封印されていたけれども、海外では半ば公然と実施されていて、日本の変な生真面目さをもどかしく思っていた。

「それで俺も祖母ちゃんも元気になって、ここで暮らす様になったんだ」

「お祖母さんもここに?」

「一般病棟の老人生活支援施設にいる。たまには逢いに行っているよ」

「ここでの生活は楽しい?」

「めっちゃ楽しい。リアルでこんなに人と知り合えるなんて思わなかったよ。皆俺と話したがるんだ。俺の話が面白いって」

 確かに彼の話術には面白さがある。エリアで年上の連中と会話を重ね、鍛えた冗談口だ。エリアでは会話が全てだから、エリアにいた時間に比して、面白い言い回しとかの練度が上がって行く。

「ここでの生活に何の不満もないけれど、エリアしかなかった頃の事をよく思い出すんだ。エリアはなくしちゃ駄目なんだ。むしろ大きくしなくちゃ。クラッシィもクラスAもBも、あそこなら友達になれる。友達を何人でも作れるんだ」

「僕もそう思うよ。エリアの大切さは理解しているつもりだ」

「そうか! ハルの立場ならそうだよね。エリアじゃなきゃ彼女と話しもできないだろうし」

「それはそうだね」

「じゃあ、最近の州の教育政策をどう思う? ここみたいな専科大学がリアルにあるのは納得するよ。エリアに外科医がいても無価値だから。でも小学校や中学校が必要か? 健康な奴らだけで楽しくやろうっていうのか。俺達を仲間外れにするつもりなのか」

「そうだね。別の方法がある筈だ」

「別の方法があるんだよ。即効性のある方法が」

 彼はポケットに忍ばせていたデバイスを表示端末に入れて、中身を空中表示した。

 可愛い丸文字に動物イラストが添えられたテキスト。題は『みんなで実感! エリアの大切さ』とある。

「これは何?」

「これはテツタ先生のレンタルサーバーに残っていたものだよ。先生がエリアの中学校で教えていた時に作った配布物らしいよ」

 内容を読み進める。エリアが如何に大切かが説かれていて、その後こう続く。

『エリアの大切さをみんなが実感するにはひとりひとりの行動が必要です』

『リアルで起こっているいろんな問題を、エリアのちからで解決しましょう』

『小さなことから始めてみよう! まずは身のまわりの問題から』

『みんなのちからを合わせて、大きな問題にチャレンジ』


 勿体振って見せてくれたわりには、普通の学校配布物に思える。

「正論だし、賛成だな。しかし即効性はどうだろう」

 彼はニヤリと笑って、次のテキストを表示した。

「これは俺と俺のグループが作ったアクションプランさ。さっきの丸文字紙媒体とは違って、毒があるぜ」

 新種の細菌とそれに有効な抗体を作っておいて、菌をばら撒き、パニックになったところで特効薬を発表する。その薬はエリアで短時間に開発した様に見せかける。

 軍の兵器を支配(クラツク)して暴走させる。そしてエリアの有志が集まって再クラックして暴走を止める。

 麻薬中毒患者を使って事件を起こさせ、これもエリアで集まった有志が犯人を調べ上げて、解決する。

 マッチポンプ大会だ。内容はかなりの具体性を帯び、実施者・日時も書かれている。

「これをやればエリアの評価はうなぎ登りさ。そして政治家は世間で何が人気なのかに敏感だから、リアルで学校を増やすより、予算的にも安くて済むエリアの充実を優先する事になる」

「成る程ね」

「どうだ、参加しないか」

「その前に、どうしてテツタ先生に近づこうとしたのかな?」

「先生の噂を聞いたんだ。クラスAの面白い先生がいるって。話をしてくれた奴は中学の時に先生に教わったらしいけど、先生はいつも『エリアの大切さ』を説いていて、今じゃ州のエリア専任教職員組合の役員もやってるって。先生達の労働組合ってのは、いつの時代も行政の政策に反対じゃん。何か過激な事でも計画しているんじゃないかなって興味があったんだ」

「リアルで先生に逢った?」

「逢った逢った。近くじゃんか。この病院の一般病棟。若い頃から寝たきりみたいだけれど、明るい冗談好きな先生だった。一遍で好きになったよ。でも、この人は過激な事はしないなって、すぐに分かったけれどね」

「僕も逢えるかな」

「逢いに行ってごらんよ。場所はハルが先に知っていたんだから、俺より早く先生に逢えたんだぜ」

 彼は先生に心酔しているらしい。


 彼と一旦別れて、単身テツタ先生のところへ面会に行く事にする。

 しかしこれは難問だ。このままでは彼は犯罪者になってしまう。今の時代、テロリストには重罰が約束されている。計画しただけでも実刑は免れない。迅速に、しかも秘密裏に解決する方法なんてあるのだろうか。


 渡り廊下を進み一般病棟へ。その四階がクラスA区画になっている。

 廊下の両側に個室が並んでいる。まるでビジネスホテルの様だ。扉が開け放たれているので、失礼かと思うが、それぞれの部屋を覗きながら進む。どの個室も個性的な内装を施していて、とても病室には見えない。彼らは一生の殆どをここで過ごすのだろうから、パイプベッドに白一色の部屋という訳にも行かないのだろう。

 目的の個室に着いた。暖色系の壁一面に子供達の写真や絵が飾られている。窓際に向日葵の鉢が飾られ、その横に木目調のベッドがある。部屋の主はベッドの背もたれを起こし、窓から入る日差しも気にせずに座っている。すだれ頭に四角い顔。確かにテツタ先生だ。夏休みだけあって仕事もなく、今は本を読んでいる。


 やがて僕に気付く。

「おお、ハル君かな? わざわざ来てくれたのか」

 先生は突然の訪問に驚きもせず、ごく普通に椅子を勧めてくれた。

「君はいつか来るんじゃないかと思っていたんだよ。長年教師をやっていると感じるものなんだ。ところで、数学のホームワークは進んでいるかな? 君は今ひとつ数学が苦手だからな」

「数学も現代史も終わらせてありますよ。ケイコ先生」

 先生は破顔一笑し、少し顔を赤らめた。

「私に変な趣味があると思わんでくれ。私はノーマルだからな! ただ、現代史というどうしても暗くなりがちな教科は、何か特別なサービスでもしなきゃと長年悩んで思い付いたアイデアなんだよ。女の子が多い学級ではハンサムな若者、男が多い学級ではケイコ先生のキャラクターにしているんだ。効果はかなりのもので、我ながらノーベル教育賞ものだと思っているんだが」

「ええ。誰にも喋りませんよ」

 先生は感謝の意を示し、更に話を進める。

「私は生来、下半身が不自由でね。それで子も成していない。勿論、人工授精なら可能だっただろうが、不自然な感じがして、その方法を選択しなかった。それでなのかも知れないが子供達が好きでねぇ。教師の道を選んだ訳だよ」

 授業を受けていて先生が子供好きなのはよく分かる。生徒にとっては優しくて厳しい理想的な先生だ。

「エリアの教員資格を取って教職に就いたんだが、経験を積むうちに自分の特徴に気付いたんだ。子供に限ってだが、心の内が手に取るように分かる。言葉に出していなくても、気持ちが伝わってくるんだ」

 先生の顔に笑みが浮かぶ。

「それが誇らしくって、定年を迎えた今でも現場を担当しているという訳だ。子供達に教える事が私の存在理由なんだよ」

 熱意が伝わってくる。こんな先生に出逢えたのは幸運に違いない。エリアがなければ出逢えなかった個性・・・・

「先生、何か読んでらっしゃいましたが、何の本ですか?」

「これかね。『リアルにおける教育論』だよ。実は、今度手術を受ける事になってね。胚性幹細胞の接ぎ木技術(クローニング)を使った手術なんだが、上手く行けば立てる様になるそうだ。そうすればリアルにある大学か高校で教鞭が執れる。夢の様な話だよ。船に乗って海洋高校の生徒達と共に過ごす事ができるかも知れない。あそこに校長をしていた幼馴染みがいたが、そいつはネットにつながる事ができなくて、一緒の学校で学ぶ事も教鞭を執る事もできなかった。その悔いが晴らせるんだ」

「胡麻塩頭で目の細い先生ですか?」

「そう角刈りのね。君はヘーハチに会った事があるのか!」

 ヘーハチという名前までは知らなかったが、出会った経緯を話す。

「いい奴だろう? 今では彼もネットにつながる事ができる。彼がエリアに行けるなら、私もリアルでやってみたい、そう思い立ったんだよ」

 この二人が知り合いなら、アキ君の問題も解決の糸口が見付かるかも知れない。思い切って打ち明ける事にした。

 先生の表情が一変する。

「そうか・・・・」

 そう呟いて、しばらく黙り込んでしまった。そして破裂する様に叫ぶ。

「あの馬鹿もんが! 身体が治っていれば殴りつけてやれるのに」

「計画実行まであまり時間がありません。やはり官憲の手を借りるしかないのでしょうか?」

「いやそれは駄目だ。彼が傷付き過ぎる。私が話をして、彼を改心させるのが第一だ」

 僕は彼を捜した。夜遅くまで探し回ったが、彼は忽然と姿を消していた。


 ―場所をエリアに移す―


 三人がエリアの文殊堂に集まっている。天の橋立にあるお堂で、観光客を弊社と取り合うライバルでもある。屋根板に見事な地獄極楽之図が描かれており、中央では文殊菩薩がアルカイックスマイルを見せている。その前で、僕とテツタ先生と海洋高校のヘーハチ校長が車座になって『三人寄れば文殊の知恵』の実践を試みているのだ。

 両先生は幼馴染みだけあって、忌憚のない、というか喧嘩腰の議論を交わしている。

 ヘーハチ校長は興奮を隠せない。

「海じゃ。海に連れ出すんじゃ。そうすれば何もかも解決できる」

「馬鹿かお前は! ウミウミと煩いぞ」とテツタ先生。

「何をいうか。海は全ての源じゃ。お前は沖に出た事がないから分からんのじゃ」

「まあまあお二人とも、建設的な会話をしましょうよ」

「そうだ、時間がないのだ」

「時間はなくとも煙草ぐらいは吸えるじゃろ。アレ、煙草がない。誰じゃ、儂の煙草を盗んだのは!」

「ここはエリアですよ。どうやって喫煙するのですか」と僕。

「そうだ馬鹿め」

「不便じゃのうエリアは。一服もできんのか」

 これでは話が進まない。どうしたものか・・・・


 僕の焦りが新たな不安を運んできた。窓格子の向こう側に小さく人影が現れたのだ。こっちに近づいてくる。

「もう官憲が気付きおったか。皆隠れるんじゃ」

 ヘーハチ校長の言葉が空しく響く。

 エリアに作ったプライベート空間に無許可で訪れる者がいるとすれば、それはこちら側を完全にクラックしている存在であり、騒ごうが逃げようが無駄な努力なのだ。官憲だとすればリアルに残した身体ごと押さえられている可能性が高い。

 侵入者が近づいてくる。僕は顔を伏せて懸命に言い訳を考えていた。


「これはフユさんじゃないですか!」

「そうじゃ、儂らのフユ大明神じゃ」

 我が目を疑った。眼前に仁王立ちの祖母がいる。

「ハル、帰りが遅いのできてみれば何だい。こんな爺さん達と密会かい」

 胡座を急いで正座にして、平伏モードに切り替えた。

 祖母は踵を着けた蹲踞の姿勢、つまりうんこ座りで僕達を見詰め出した。こうなったら蛇に睨まれた蛙だ。尋常でない量の冷や汗が出てくる。

「成る程ね。困った話だ」

 祖母には事情説明が不要なので助かる。嬉しくはないが。

「その少年ならウチの神社にきていたよ。お賽銭を投げて懸命にお参りしてた」

 どこへ行ったのかと思えば、そんなところだったとは。

「あれは我が社への挑戦だね」

「お祖母様、お参りを『挑戦』と解釈するのは如何かと」

「民間神道は現世利益がモットーなんだ。ちゃんとお参りしたのにご利益の欠片もないとか思われちゃ癪だ。違うかい?」

 僕は同意を求められているのだろうか。

「きっと神様もお忙しいのだろうな、と思ってくれるかも知れませんよ」

「神がやらなきゃ人がやるしかないさ」

「彼が祈っていたのはテロの成功ではありませんか」

「本人にとって真に良い事をしてやるのがご利益ってもんだ。それが神社の仕事なんだよ。止めてやれば良い」

 神社にそんな仕事があるとは露にも思わなかった。祖母以外にはこの世で知る者のいない常識、つまり勝手な言い草はいつも聞かされているので驚くに値しない。しかし商売としては割に合わないのではないだろうか。

「ちなみに彼のお賽銭は幾らだったのでしょう?」

「四十五円だよ。始終ご縁があります様にってね。可愛いじゃないか」

 弊社の賽銭箱にはカウンターが付いていて、千円未満だと「ジャン」千円以上だと「ドンドン」一万円以上だと「タッタカター」とファンファーレが鳴る。小切手や手形の場合は判別に時間が掛かるので、その間ドラムロールが流れる。祖母が鬼籍に入るや否や廃棄する物リストの筆頭を飾る、当社にしかない自慢の一品だ。その風変わりなPOSシステムで誰が幾ら喜捨したかを管理している。顧客管理は商売の基本だ。

 四十五円を対価として危険な橋を渡るべきとする祖母の理論にはついて行けないが、元より彼の行動を止めるつもりである。


 よって、ここに二恍惚一若造一妖怪の対テロ特殊部隊が結成された。


 記録しておいた彼らのアクションプランを真ん中に置いて、四人で議論を進める。当然ながら議事進行役は祖母である。

「まず彼らのグループを分けるよ。細菌ばら撒き犯をA、兵器乗っ取り犯をB、麻薬犯をCとしよう。Aは三人、Bは二人、Cも二人か。合計で六人やっつければ終わりだね」

「フユ大明神様、ABCじゃと分からんのでイロハにして下さらんかの」

「おだまりハチ」

「そうだ馬鹿者め」

「お前もおだまり、テツ」

 祖母は二人と初対面ではないらしい。どう知り合ったか聴きたいが、今はそんな時ではない。恍惚の二人には『そんな時』でもなさそうだが。

「それに紙が見辛いのう。儂の位置からじゃと逆様じゃから」

「馬鹿め。こうしてコピー&ペーストして、自分の目の前に拡げるんだ」

「お前はそんな事しとらんじゃろ」

「その姿を表示しない場合はこうする。小学校で習うだろ」

「どうせ儂はエリアの小学校には行けなかったわい」

 祖母の目が光り「ゴンゴン」と鈍い音が二回した。両先生は頭を押さえ低く唸っている。

 二人も僕に倣って、無言で拝聴する事にした様だ。議事進行がスムースになった。

 結果、最も危険を伴うA班を祖母が、実行者が高校生らしきB班を両先生が、そしてアキ君を含むC班の二人を僕が担当する事になった。

 夜も遅いので一旦解散し、明日に備える事にした。


 ―リアルへ―


 リアルに戻ると、そこはテツタ先生の病室にあるソファーの上である。先生も戻っており、リクライニングベッドを起こしている最中であった。

「先生、僕の担当するC班はアキ君とヒコジョーとされる人物なのですが、このヒコジョーさんって誰だか分かりませんか?」

「おお、ヒコジョー君なら知っているぞ。小児科病棟の患者組合長だよ。まあいってみれば生徒会長みたいなもんだな。世話係だよ」

「今から会えますかね」

「そりゃ彼がまだ起きていればね。病院の案内図と患者名簿を渡しておこう」

 先生から情報を受け取り、外部記憶装置(ストレージデバイス)に写した。

「小児科棟に面会者用の宿泊部屋がありますね」

「そっちに泊まっても良いが、もう十二時だし、今日はここで寝れば良いんじゃないか?」

「有難うございます。でも行ってみますね」

 先生の部屋を離れ、急ぎ小児科病棟へと移動する。急がなければヒコジョー氏にも会えなくなるかも知れない。


 深夜の病院。

 昼間の喧騒とは一変して、しんと静まり、コツコツと自分の足音だけが聞こえている。

 廊下は常夜灯と非常口案内だけがぼんやり灯っている。

 床のタイルがうねりを打って斑に光る。

 しばらくしてヒコジョー氏の部屋の前まできた。そこは個室である。

 眠っているなら引き返すつもりだ。わざわざ起こしてみても、相手を怒らせるだけで何も進展しないだろう。

 小児科の入院患者の部屋はどれも扉がないので、入り易くて助かると思いながら侵入する。

 ベッドを隠すカーテンは開け放たれており、中に人はいない。

 読みかけの本が開かれたまま置かれている。まだ病院内にいると思って間違いなさそうだ。とにかく部屋を出よう。この状況で彼が戻ってきたら、間違いなく泥棒だと思われてしまう。

 同じ階にあるお手洗いを調べる。無人だ。

 談話室を調べる。施錠されている。通信室も同じ。

 自動販売機のコーナーを見る。やはり無人。売られている食品類を見て立ち去るのを逡巡してしまう。

 廊下の窓から庭を見ても無人。

 もう彼がいそうな場所が思い付かない。仕方なく面会者用の宿泊部屋に行く事にした。


 宿泊部屋の入り口には注意書きが掲示されており、宿泊者は端末に氏名住所を入力の事、十時以降消灯の事、ここでの飲食禁止、喫煙禁止、鼾厳禁とある。

 広い部屋に二段ベッドが敷き詰められ、既に誰かいるベッドはカーテンが閉められている。全て埋まれば十八人泊まれる部屋だが、今日の宿泊者は少なそうだ。

 複数の寝息が微かに聞こえる。

 近くに誰もいないベッドを選んで潜り込んだ。

 今日は疲れた。

 横になってしまえばすぐに眠れそうだったのに、枕が換わったからか、寝返りばかり打っている。

 窓からは中庭が見える。

 外灯に羽虫が集って、ストロボ効果で羽をちらつかせている。

 月齢が若いせいか、灯りが届かない場所は暗い。

 部屋が暑い。じっとりと汗ばむ。


「あああああ」


 突然唸り声が聞こえた。

 同室の誰かが飛び出して行く。

 パタパタと複数の人が行き交う足音。

 緊急を要する何かが起きているらしい。少し気が引けるが、そっと見に行く。

 近くの病室に医師や看護師が出たり入ったりしている。医療機器をガラガラと搬入させて、また足早にどこへ向かう。

 中年の女性が、部屋の外から不安そうに中を覗っている。

 僕と同様に遠くから眺めている青年を見付ける。痩せた青白い青年。知的な顔つきで大人びている。しばらくして彼は立ち去ってしまった。追いかけて声を掛ける。

 彼こそがヒコジョー氏だった。


 自販機コーナーの脇にあるソファーに座り、アイスコーヒーを飲みながら話す。

「興味本位みたいで聞き難いけれど、さっきのは何なのだろう」

 ヒコジョー氏も何か飲んでいる。

「ああアレかい。彼は毎晩の様に呻くんだ」

「どうして」

「苦痛なのさ、苦痛」

「病気かな」

「病気というより、先天的なものだね」

 彼は生まれてから今まで、ずっと悲鳴を上げているのか。

「辛いだろうね」

「そりゃ辛いさ。彼の様にずっと麻酔薬にかかっていると、どうしても効きが悪くなる。医者も何を処方したものか悩んでいるだろうね」

「根本的な治療はないのかな」

「あればやっているだろう」

「そうか」

「彼も起きている内は平気なんだが」

「何故?」

「エリアに行って麻薬を買うのさ。ケミカル系のプログラム。君だって聞いた事ぐらいあるだろう? それなら各種の脳内麻薬を大量に誘発させて、全くの無痛状態になれる」

 エリアに行って、そこで眠ってしまえば徐々にリアルに戻ってしまう。彼は安楽を得られても眠る事ができないのか。

「彼は眠れないのさ。でももうすぐ楽になれるかも知れない」

「どうして?」

「誰が作ったかは知らないが、リアルに戻っても効いたままのヤツが流れ初めている」

「それは危険じゃないのかな」

「そりゃ危険さ。実際の麻薬と変わらない。麻薬はどんな物であってもヒトを狂わせる。エリアなら犯罪防止プログラムが異常行動を抑制してくれるし、人前に出なくて済むプライベート空間なら何をしようが勝手だがね」

「さっき女の人が見ていたよね」

「母親だろうね。彼女はずっと夜中に起きて彼を看病している。彼を産んでからずっと」

 何か食べようかと思っていたが、もう食欲は消え失せていた。

「彼の様な患者は多いのかな」

「多くはない。でも皆、多かれ少なかれ苦痛に耐えている。君は面会客だろう? 君には分からないだろうね」

 確かに分からない。

「想像もできないよ。僕には」

「幸せだね。感謝すべきだよ。君の両親と、君の代わりに苦痛に喘いでいる彼に」

「僕の代わり?」

「そうさ。どんな肉体を持って生まれるのかは確率でしかない。今は全てのヒトが異常因子を持っているのだから、発現するかどうかは確率なのさ。彼が当たって、君が外れた。それだけだ」

 そうなのかも知れない。

「彼に何かしてやれる事なんて、僕にはないだろうね」

「あるとも」

 意外な応えだ。

「彼も私も、そしてこの病院にいる全ての患者にとって、エリアが心の拠り所なんだ。君達クラッシィがエリアを大切に想い、エリアを支持するなら、それが彼のためになる」

 成る程、そうやってグループに引きずり込む手口か。ならば・・・・

「でも君達のプランは感心しないな」

 彼は少し驚いた表情を見せる。しかし平静を装って会話を続けてきた。

「そうか、君が見舞ったのはアキだね。彼は私達の班にもう一人二人仲間を欲しがっていた。私が計画のリーダーだから、私達の班の仕事は殆ど彼がやらなきゃならないからね」

 こいつが主犯だったのか。

 自販機で何か見繕う事にした。腹が減っては戦ができない。

 コインを入れながら、真意を悟られない様に気を付けて会話を進める。

「僕は君達の計画に乗るつもりはなかったんだよ。もっとも警察に届けるつもりもないけどね。でも、さっきの患者さんを知って、君の話を聞いたら何かしなくちゃと思えてきたよ」

「そうか・・・・有難う。この計画に参加するしないに関わらず、そう思って貰えるだけで嬉しいよ」

 彼は悪人ではなさそうだ。むしろ善人の類だろう。善人が悪事を行うとすれば、それは正義感からだろうか。彼の真意が知りたい。

「確かに州の政策は急進的過ぎる嫌いがあるし、弱者を軽視しているのかも知れないね」

「役人共は利権が大事、政治家は人気取りに必死で目新しい事ばかりやりたがる。誰も国民を見ていないだろう? そんな政治じゃ駄目なんだ」

「民主的手法で政治を変える方法もあるよね」

「そう、確かにある。票を集めて我らの支持する政策を実施させればいい。でも今の政権はリベラルな政党が執っているのだし、他の連中は更に悪い。我々の中から候補者を選出して、そいつに政治を担わせたとしても、そんな頃には世の中が変わった後だよ。遅過ぎるんだ」

「政治には時間が掛かる。だからこそ良いって面もあるだろう?」

「そうだな。あるだろうさ。でも我々の問題にはその『良い面』は逆効果だ。役人や政治家達は箱物を作りたくてウズウズしている。よっぽどリベートが欲しいんだな。金は使えばなくなる。リアルで小中学校を作れば莫大な予算を使ってしまう。ランニングコストも巨額だ。エリアに回す金は減り、次第にゼロになる。そうさせてたまるか」

「僕もそう思うよ」

「君は見所がありそうだ。是非、アキの手助けを頼めないだろうか」

 しめた!

「彼とはもう一度話をしたいと思っていたんだ。今、どこにいるのかな?」

「彼は京都市にいるよ」

 これは、とんだ夏の危険な旅アバンチュールになりそうだ。

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