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第11話「空いている側」

記録は結果を残す。

だが、判断はいつも、それより先に動いている。


この街は、選択を強要しない。

ただ、選ばれなかったものから、

静かに整理していくだけだ。

第1巻 灯火の夜


第11話「空いている側」


外城の夜は深まっていたが、完全に眠ってはいなかった。

灯火の届かない区画ごとに、人々の息遣いが低く続き、その合間に理由のない沈黙が挟まっている。

譚然と俺は、その隙間をなぞるように歩いていた。

前日よりもさらに内側、しかし人の往来が完全に途絶えるわけではない地点。

外城の中でも、境界に近い位置だった。


この時間帯の外城は、妙なほど正直だ。

隠しきれないものだけが残り、そもそも隠す必要のないものだけが動いている。

昼間は埋もれていた動線や視線が、夜になると露骨に浮かび上がる。

だからここでは、判断を誤れば即座に結果が出る。


「ここは、長くいる場所じゃない。」


譚然が先に口を開いた。

警告というより、予定確認に近い口調だった。

外城で夜を過ごすには、独特の順序がある。

日が完全に落ちた直後は騒ぎが多く、しばらくすると逆に整理されていく。

今は、そのちょうど中間あたりだった。


さらに一本、路地を曲がった。

壁面には古い標が幾重にも残り、その上から新しい引っかき傷が重ねられている。

記録されなかった争いの痕跡。

外城では、こうしたものが日常のように積み重なっていく。

誰も片付けないが、完全に消えることもない。


「それでも、ここを通らないと。」


譚然が付け加えた。

その言葉には、理由が含まれていた。

外城で安全な道は、いつも遠回りだ。

そして遠回りの道は、たいてい一度、目的地と逆方向を通らなければならない。


頷いた。

前日の出来事以来、無理に説明を求める気にはなれなかった。

身体はすでに、この時間帯の外城に順応していたが、思考はそれより少し遅れている。

この街では、その程度のズレのほうがかえって安全だ。

考えが先行すると、判断を誤りやすい。


灯火の届かない路地の入口で、空気が一度折れた。

気配は唐突に現れた。

風でも音でもない種類の違和感。

誰かが入り込んだというより、すでにあった何かが姿を現した感覚だった。


譚然が手を上げた。

俺はそのまま立ち止まった。

もう、その合図を説明なしに受け取れる。

止まるという選択が、逃げよりも先に来る瞬間だった。


前方で影が動いた。

数は多くない。

二人、多くて四人。

だが動きが軽い。

長く生き残ってきた者の歩幅だった。

訓練された兵士でも、無闇に暴れるならず者でもない。


「道を間違えたみたいだな。」


低い声が聞こえた。

脅しでも冗談でもない、その中間。

外城では、こういう言い方が一番危険だ。

相手の反応を見ようとしている証だからだ。


譚然が一歩前に出た。

だが、俺は彼女より先に動いていた。

意識的な判断ではない。

ただ、その位置が空いていた。

前に出なければ、誰かが代わりに出る気がした。


心拍が静まった。

周囲の音が薄れ、路地の構造がくっきりと浮かび上がる。

足元の石、壁の凹凸、相手の視線が同時に流れ込んできた。

思考が空になる感覚。

すでに馴染んでしまった反応だった。


識が、再び応えていた。


今回は、さらに短い。

身体が自動的に動き出すまでの間隔が。

相手の腕が伸びる角度を読み、半拍早く内側へ潜り込む。

手が相手の手首を押し流し、肩で重心を崩した。

相手の息が一度、詰まる。


背後から誰かが突っ込んできた。

譚然がそれを遮った。

黒風の軌跡が短く走り、空気が裂ける。

外城の争いは長引かない。

互いに、それを望まないからだ。

勝てない戦いは始めず、終えられる時は即座に終える。


相手はそれ以上粘らなかった。

短い罵声とともに散っていく。

追撃はなかった。

ここで勝つとは、相手を倒すことではなく、生き残ることだ。

外城の基準は、いつも単純だ。


息を整えながら、壁に手をついた。

今回も震えはない。

だが、はっきりと分かった。

前日よりも、識の反応が早くなっている。

思考を経ず、即座に動きへと繋がっていた。


「…あんた。」


譚然が俺を見て言った。


「もう、自分から入っていくようになってる。」


指摘でも称賛でもない。

事実確認に近い言い方だった。

答えなかった。

否定できなかったからだ。


代わりに、さきほど通った路地を振り返った。

ここは、最初に目を覚ました場所とは少し違う。

だが、感触はよく似ている。

判断する暇がなく、選択が身体から先に出る場所。

外城は、そういう人間を隠さない。


「今夜は、」


譚然が言った。


「これ以上、深くは入らない。

外城の内側で、あんたがどこまで反応するかは、もう十分見た。」


期限を区切る言葉だった。

同時に、次を予告する言葉でもある。

今日は観察で、次は判断だという意味。


頷いた。

何をすべきかは、まだ分からない。

だが、何を避けるべきかは、少しずつ輪郭を帯びてきていた。

闇雲に前へ出る選択は、外城では最も早く死ぬ選択だ。


外城の夜は、まだ続いていた。

灯火の下と、その間の闇の中で、人々はそれぞれの判断を消費している。

その中で俺は、少しずつ違う拍子で歩いていた。

中城の基準でも、外城の基準でもない状態で。


まだ外城に留まる必要があった。

中城へ戻るには、判断が乾ききっていない。

そしてその事実が、今夜を越える理由になっていた。


外城の夜気は、戦いが終わってもすぐには落ち着かなかった。

人が消えた路地には、動きが抜けた跡だけが残る。

騒ぎもなく、血の痕もほとんどない。

外城では、この程度の衝突は事件と見なされない。

だからこそ、長く残る。


譚然は、もう先を歩かなかった。

意図的に、俺と同じ歩幅に合わせている。

今は誰かを導く時間ではなく、起きた反応を整理する時間だというように。

外城では、戦い直後の沈黙が、最も多くを語る。


身体はすでに平常に戻っていた。

呼吸も、鼓動も普段通りだ。

それでも、内側のどこかが空いている。

確かに何かが働いたはずなのに、結果だけが残り、過程が抜け落ちた感覚。

拳を握り、開く。

感覚は正確だ。

だからこそ、奇妙だった。


「残ってる。」


譚然が低く言った。

俺ではなく、路地の地面を見ながら。


そのとき、ようやく気づいた。

ごく薄く、しかし確かに。

空気が、もう一度整理された痕跡。

俺たちの戦い方とは異なる質感。

意図的に残さないようにして、失敗した残響。

誰かがここを通り、

何かを確かめたあとで消えた証拠だった。


「俺たち以外に、

誰かが見ていった場所だ。」


譚然の言葉には、確信があった。

視線ではなく、判断の痕。

争いの結果ではなく、

争いが起こり得るかを観察した形跡。

外城では、こうした痕が最も遅く消える。


長くは見なかった。

見たくなかったからではない。

見続ければ、何かが整理されてしまいそうだったからだ。

外城では、そういう直感がだいたい当たる。

整理された判断は、

ほとんど戻ってこない。


歩き出した。

今度は譚然が半歩前に出る。

意識的な庇護ではなく、

視線の角度を変えるための位置調整。

外城では、そうした僅かな差が生死を分ける。

誰が前で誰が後ろかは重要じゃない。

どこから、何を見るかがすべてだ。


「さっき感じたもの。」


譚然が言った。


「空いてる感覚のこと。」


頷いた。

否定できなかった。

怒りも、興奮もなかった。

戦いが終わったという実感すら、遅れて届いている。

まるで、すでに終わった判断を、

後から確認しているような感覚だった。


「それ自体は、問題じゃない。」


彼女は続けた。


「問題なのは、

そのまま動き続けられるってこと。」


外城では、感情が残るほうが危険だ。

怒りは音を生み、

恐怖は動線を乱す。

何も感じていない状態は、

少なくともここでは、最も長く生き残る。


だが、俺には分かっていた。

この空虚さは、安全とは別のものだ。

空いているという事実そのものが、

何かを引き寄せる状態だということ。

何かで満たされる前の空間は、

いつも真っ先に見つかる。


路地を抜けると、

灯火が淡く見える一帯に出た。

光と闇の境目。

人が一時的に集まり、また散っていく場所。

外城では、こうした所が仮の休息地になる。

だが、長居すれば、

すぐに印が付く。


譚然は、そこで足を止めた。


「ここまで。」


そう言った。


「今夜は、

これ以上あんたの内側を、

これ以上刺激しないほうがいい。」


頷いた。

身体はすでに十分に反応していて、

その残響もまだ整理されていない。

ここでさらに動けば、

さっきの選択が癖として固まってしまうかもしれない。


その瞬間、

ほんの一瞬、視線がかすめた。


正確には、

視線があった可能性。

闇が一度折れた感覚。

誰かがいたとしても、

すでに消えた後のタイミング。

外城では、

それだけで十分な意味を持つ。


心臓が半拍遅れて反応した。

だが身体は動かなかった。

今、追う選択は、

外城で最も愚かな判断だ。

確認より、

位置を保つほうが長く生きる。


譚然も同じものを感じたようだった。

彼女は何も言わず、

壁と壁の角度をもう一度確かめた。

危険そのものではなく、

危険が過ぎ去った形を見る目だった。


「何を見た?」


俺が訊くと、

譚然はしばらく沈黙してから答えた。


「見たんじゃない。

整理されたのを、感じただけ。」


それで十分だった。

これは脅しでも警告でもない。

誰かが、

俺たちの動きを最後まで見なかったという事実。

そして、それこそがより危険だという意味。


「連角。」


譚然が俺の名を呼んだ。


「お前の識は、

隠そうとするほど、余計に残るタイプだ。」


その言葉を、頭では理解できなかった。

だが身体は、

すでに意味を知っているようだった。

先ほどの動きが、

完全には消えず、

極薄い層として残っていたからだ。


「だから、

中城に戻る前に、

外城でもう一度確かめる必要がある。」


予告だった。

今夜が終わりではないという意味。

外城で、まだ済ませていない判断があるという宣言。


灯火の下に、人々が再び集まり始めた。

笑い声や取引の言葉が混じり、

さきほどの空白を覆い隠す。

外城はいつもこうして、

出来事を飲み込む。

飲み込み、

何もなかったかのように流していく。


最後に、路地のほうを振り返った。

もう、何の痕跡も残っていない。

それでも確信できた。

誰かが、

この空白を確かに見ていったということ。

そしてその誰かは、

今すぐ姿を現すつもりがないということも。


不思議と、

それが怖くはなかった。


怒りもなく、

追いかけたい衝動もない。

ただ、

この空いている感覚が、

いつか同じ方向へ再び動かすだろうという、

曖昧な予感だけが残っていた。


外城の夜は、まだ続いていた。

灯火と闇のあいだで、

人々は再び生きるほうを選ぶ。

そしてその夜は、

何事もなかったかのように、

静かに次の判断を準備していた。

なんだか…

更新お休みしても、ちゃんと見に来てくれる人がいるみたいで、

ちょっと元気出ました〜!


定期的に読んでくれてる人がいるってことですよね、これ!

もちろん!更新サボっちゃダメなんですけどっ…!


でもでも!

ちゃんと続けますので!

これからもよろしくなのですっ!

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