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プロローグ

この世界は、どんな世界なのか。

第一巻 灯火の夜


プロローグ


中輪大陸。

私たちが生きるこの地の記録は、常に完成が遅れる。

出来事が過ぎ去ってから文書が整理され、選択が終わった後になって、ようやく意味が与えられる。

その過程で、無数の空白が生まれる。

記録官たちは、その空白を誤りとは呼ばない。

ただ’確認不可‘という印を押すだけである。


灯火暦以前末期の『環海年代記』第七章には、次の一文が残されている。


「世界は、常に完成した形で記憶されるわけではない。」


この一文は、その後いくつもの文書に引用されたが、

その意味を正面から解釈しようとする試みは、ほとんど行われなかった。

記録は残り、解釈は各々に委ねられたからである。


中輪大陸の歴史は、数多の戦争と再編の連なりのように見える。

しかし実際に文書を追っていくと、大半の変化は戦争の結果ではなく、

その以前に存在していた選択から生じていることが分かる。

戦闘は記録されるが、戦闘に至るまでの判断は、

多くの場合、要約されるか省略される。

記録の目的が、結果の整理にあるためである。


識に関する最初の体系的記録も、同様の過程を辿った。

灯火暦四年の『幽脈識論初解』第一章では、

識を「力ではなく、判断を補助する技術」と定義している。

識は大きく五系統に分類され、いずれも識ごとの残響を残すとされた。

当時の学者たちは、識を道具として分類しようと試みたが、

ほどなく限界に突き当たる。

同じ識を用いても結果が異なり、

同じ状況であっても、人によって支払う代価が違ったからである。

最終的に識は、整理された体系ではなく、

危険を伴う使用記録の集積として残された。


灯火暦以前末期の文書には、

特に「記憶損失」という表現が頻出する。

それは病でも呪いでもない状態として分類されている。

識を反復的かつ過剰に使用した者が経験する、

認識の摩耗と判断の遅延。

年代不詳『書辺夜録』の筆者は、これをこう記している。


「強くなったのではない。長く残れなくなっただけだ」


都市の記録は、常に個人の人生よりも大きい。

特に交易路の要衝に築かれた都市ほど、その傾向は顕著である。

中輪中央を横断する交易路‘無血路’に連なる都市群についての初期文書は、

これらの都市を’安定した中継地‘と評価している。

複数の道が交差する地点、

夜でも消えない灯、

そして事件を迅速に処理する行政体制。

だが、同じ文書の余白には短い注解が残されている。


「記録されない者は、保護の対象ではない」


この文は法ではなく、宣言でもない。

ただの観測結果に近い記述である。

これらの都市では、記録が信頼であり、信頼が尊厳となる。

名が文書に残らない者は、都市の秩序から一段後ろへ押し出される。

彼らの死は統計にならず、

彼らの選択は事例として分類されない。


上位記録者たちの記録では、

この現象を’都市型記憶希釈‘と呼んでいる。

毎夜灯る数百、数千の灯は、単なる照明ではなく、

識の反応を弱める装置でもある。

それは暴力を減らし、災害を抑制する効果をもたらしたが、

同時に出来事の輪郭を曖昧にした。

何があったかは残っても、

なぜ起きたのかは急速に失われていく。


記録は、いつも十分に存在しているように見える。

年代記、報告書、実験記録、判決文に至るまで、

文書は溢れるほど残されている。

しかしその間には、説明されない空隙がある。

それを運命と呼ぶ者もいれば、偶然と呼ぶ者もいた。

灯火暦十八年の『記録観測要覧』の編纂者は、

そのどちらも否定し、この空隙をこう定義している。


「この空隙は、選択が残した重さである」


中輪大陸の記録は、知性を持つ存在を単一の種として扱わない。

代わりに、五つの種族分類を用いる。


沙那、律世、架傳、亞硏、世來固。


この区分は、優劣や階級を示すものではない。

少なくとも、記録上においては。


年代不詳の『中輪種族分類草案』には、次の一文が残されている。


「種族が異なるとは、同一の状況において、異なる選択を下す確率が高いということである。」


沙那は判断と均衡を重んじ、

律世は識の反応に対して極めて敏感である。

架傳は肉体の限界を押し広げ、

世來固は環境への適応に優れる。

亞硏は記録と理論を残すことに強く執着する。


しかし、これらはすべて傾向にすぎず、

絶対的な規則ではない。


記録者たちは、同一の文書内において

互いに矛盾する事例を幾度も発見してきた。

沙那が最も無謀な選択を行い、

架傳が最も慎重な判断を下す例も存在する。


そのため、上位記録者たちは

この分類を「説明」ではなく、

あくまで「参考」としてのみ扱った。


重要なのは種族ではない。

その瞬間に、何を選んだのかである。


この一文は、長らく注目されなかった。

選択は常に個人の問題とされ、

個人の判断は、歴史に記される題材ではないと考えられていたからである。

だが時が経つにつれ、学者たちは気づき始める。

同じ場所で繰り返し起こる事件、

同じ条件下で食い違う結果、

そして説明されない生存者の存在が、

偶然として片づけるにはあまりに多すぎるという事実に。


その後、一部の記録者たちは、余白だけを集め始めた。

失敗した報告書、完結しない実験記録、削除された名前。

それらは正式な文書にはならなかったが、密かに共有された。

彼らはそれを「序の残響」と呼んだ。

運命と呼ぶには弱く、

偶然とするには執拗すぎる方向性の残滓。


この世界には、英雄の叙事は多くない。

代わりに、生き残った者たちの断片的な記録が積み重なっているだけだ。

名を残した者も、残せなかった者も、

同じように消えていく。

違いがあるとすれば、

誰かは文書の表紙となり、

誰かは余白として残るという点だけである。


そして、この不完全さは欠陥ではない。

選択が介入できる唯一の隙間であり、

世界が完全に閉じてしまわないために残された余地だ。

誰かはその隙間で消え、

誰かは残る。


以後に語られる物語は、

その余白から始まる。

文書に残らなかった判断、

分類されなかった選択、

そして記録されなかったにもかかわらず生き残った存在について。


記録者たちは、しばしば次のような問いを残す。

なぜ、ある事件は繰り返し記録されるのに、

ある事件は毎回異なる名前で散っていくのか。


灯火暦元年の『中輪文書分類基準書』には、

事件を三つに分ける項目がある。

再現可能事件、条件付き事件、そして非再現事件。

その最後の項目には、短い注解が添えられている。


「判断介入度が高く、基準設定不能」


この分類は学術的には便利だったが、

現実を説明するにはあまりに無味乾燥だった。

なぜなら、非再現事件の多くは、

常に同じ場所、似た条件で発生していたからである。

違いは一つだけだった。

その場にいた人間。


中輪大陸の記録は、人を変数として扱う。

名前、種族、境地、識の使用履歴。

それらはすべて数値化でき、文書上で整列可能である。

しかし、その人の選択は数値にならない。

だから記録は常に結果だけを残し、

過程は要約されるか、省かれる。


識使用後の記憶損失に関する報告書でも、同じ問題が繰り返される。

灯火暦五十二年の『識残余反応観測集』では、

使用者の認識変化が段階的に整理されている。

だが、いつから‘別の選択‘をするようになったのかは記されていない。

その時点は個人差があり、

多くの場合、記録以前に通り過ぎてしまうからである。


そのため、ある記録者たちは、

意図的に不完全な文書を残した。

事件の結論を書かず、

主体の名前を空欄にする。

それは規定違反だったが、

同時に、唯一の誠実さでもあった。


主に交易路周辺都市の資料を見ていくと、

こうした空白は特に多い。

外城区域の記録では、

時間帯だけが残り、

人名が抜け落ちている例が頻発する。

報告書は、次のようにまとめられる。


「夜間騒擾発生。被害軽微。原因不明」


だが、外縁区域における’軽微‘とは、

多くの場合、記録されない死を意味する。

この都市において、記録は保護装置であると同時に、分離装置でもある。

名が文書に載った瞬間、その存在は管理対象となる。

逆に、名が抜け落ちた瞬間、

その選択は世界から一段押し下げられる。


上位記録者たちの内部文書では、

この現象を別の言葉で呼んでいる。


「選択の自然消滅」


これは意図的な表現である。

強制的に消されたのではなく、

誰にも掴まれなかったという意味だからだ。


この世界には、選択を必ず記録しなければならない義務はない。

誰かの判断が正しかったのか、誤っていたのかは、

多くの場合、結果が決める。

しかし、結果が残らない選択も存在する。

生き残ったが、何も変えなかった選択である。


記録されない選択は、歴史を作らない。

王朝を築くこともなく、

戦争を終わらせることもない。

ただ、その選択をした人間だけを、

わずかに別の方向へ押し出すだけだ。


だから、ある人物たちは強くなっても、

英雄や伝説にはならなかった。

彼らは限界を越えず、

越えようともしなかった。

その代わり、

越えてはならない線を、何度も認識し続けた。


年代不詳の『未定地観測報告』の一節は、

そうした存在を次のようにまとめている。


「彼らは世界を変えなかったが、

世界もまた、彼らを完全に呑み込むことはできなかった」


この文は、その後も多くの記録で引用されたが、

常に文書の末尾にのみ登場する。

注解のように、付け足しのように、

核心ではない場所で。


だが、記録の縁に残された文章は、

時に最も長く生き残る。

完成した結論よりも、

未完の叙述のほうが、多くの問いを残すからだ。


ある学者は、これを「選択の残響」と呼んだ。

事件が終わった後も、

選択の方向性だけが残り、

後世の認識を微かに揺らす現象。

それは識の残響とは異なり、

いかなる系統にも分類されない。


その残響は測定できず、遮断もできず、

時間とともに薄れていくこともある。

だが、完全に消えることはない。

記録されなかったがゆえに、

かえって摩耗しにくいのだ。


だから、この世界の記録は完結を目指さない。

常に余白を残し、

判断の余地を保存する。

その余白は、失敗でも無能の証でもない。

人は完全には説明できない、

という前提の上に築かれた構造である。


その余白の中で、物語は静かに次の章へ進む。

誰にも注目されない選択が交差し、

まだ名のない軌跡を描き始める。


その軌跡は直線でもなく、

円を描いて閉じることもない。

ただ誰かの足取りのように、

止まり、そしてまた続いていく痕跡だ。


この痕跡は、

誰かの意志を証明するものではない。

ただ、その者がそこにいたという事実だけを、

かすかに残すだけである。


そのかすかさゆえに、

これらの選択は容易に忘れられる。

だが同時に、

完全に否定することも難しい。

世界は常に、

そうした矛盾の上に成り立ってきた。


この矛盾は解決されない。

ただ、繰り返されるだけだ。

そしてその反復の中で、

次の選択が生まれる。


この物語は、世界を救う記録ではない。

また、世界を理解しようとするものでもない。

おそらくこの物語は、

選択が生まれるその瞬間を、

極めて近い距離から見つめる記録なのだ。


これは、記録されなかったにもかかわらず、

最後まで消えなかった選択たちの物語である。


そしてその選択は、

多くの場合、静かに始まる。

灯火の届かない場所で、

誰にも見られない判断として、

ただ生き残ってしまう、そんな形で。



しんどい…

そして、よろしくお願いします!(„><„)

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