表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

卒業式の第2ボタンー「ミスティクは夢ではなく、人生と宇宙のレゾンドエーテルである」ー

1 還暦クラス会のお知らせ


 LINEのメッセージが来た音がした。

 武志はバイト先からの連絡かと思いメッセージを見た。

 高田和博からだった。高田は武志の高校生のときのクラスメイトだった。数年前偶然、警備員のバイトで守衛として夜間にビルの受付をしていた時に高田に再会した。卒業してから何十年も経ち、守衛の制服を着ていたにもかかわらず、高田は武志のことを覚えていた。その時に高田は半ば強引に武志とLINEの連絡先を交換した。だが、その後、高田からは何の連絡もなく、武志もすぐにそのビルの夜警のバイトは辞め、それきりになっていた。

(クラス会だと?)

 メッセージには、今年でちょうど還暦をみんな迎えるから還暦記念のクラス会を開催するとあった。

 そして出欠のアプリのURLも貼り付けてあった。

(クラス会なんて行くものか)

 武志は即座に思った。

 クラス会は、平穏無事で幸せな人生を送ってきた奴が昔を懐かしんだり、出世した奴が自慢をする場所だ。武志のように大学もでておらず、仕事を転々とし、一時期は生活保護まで受けた人間が行くような場所ではない。それに還暦というと、娘や息子どころか、孫の話まで出てくるかもしれない。武志は独身だった。家族はいない。

 互いに見せ合う家族の写真など一枚もない。

 だが誰が来るのかだけは少し気になり、出欠アプリを開いた。

 真っ先に目に飛び込んできたのが千愛ちえの名だった。


2 卒業式と第2ボタン


「佐藤さん」

 武志は校門の少し前で登校してきた佐藤千愛に後ろから声をかけた。

 きょとんとした顔をした千愛が振り向いた。

「卒業式が終わったら、体育館の裏に来て」

 そう早口で言うと、そのまま駆け出した。

 顔が熱く、心臓が飛び出そうだった。

 返事も聞かずに、教室に逃げ込むようにして入った。

 卒業式が終わった後、武志は体育館の裏で千愛を待った。

 だが、待てど姿を現さない。

(そうだよな。3年間ろくに口をきいたことも無い相手から、突然言われても来るはずないよな)

 諦めて帰りかけたときだ。

 向こうから息をはずませて小走りで来る千愛の姿があった。

「鈴木くん、ごめん、遅くなって」

 千愛は笑顔だった。

 武志は千愛が来るとは思っていなかったので動揺した。

「あのう……」

 武志は学ランの第2ボタンを引きちぎった。

「これ、もらって下さい」

 いきなりの愛の告白だった。

 二人の間に沈黙が流れた。

 武志はものすごく気まずくなり、死んでしまいたいくらい恥ずかしかった。

「ありがとう」

 武志の手をつつむようにして千愛が第2ボタンを受け取った。

 その後、二人で下校したが、武志は緊張のあまり何を話したのかも覚えていない。

 それだけだった。

 普通はそこから、春休みにデートをしたり、お互い大学生になって自由な時間が増えるので、付き合ったりするのだろう。

 だが、武志にとってはそれが最初で最後だった。

 それには事情があった。武志の父は高校2年の秋に、多額の借金を残して愛人と何処かに行ってしまった。父は個人商店を自宅で営んでいたので、債権者が自宅に殺到してきた。さらに母は元々病弱で、武志を産んでからは、床についていることが多かった。

 結局、武志は大学進学は諦め、高卒で就職して、病弱な母を養わなくてはならなかった。

 そんな状況だから、千愛に連絡を取ることもできず、もちろん会う時間も、デートするお金も、武志には無かった。それでも卒業式の後、第2ボタンを渡したのは、たった一つの青春の思い出作りのつもりだった。好きな子に告白もしないまま、社会での苦労に埋没してしまうのが耐えきれないから、ダメ元でやったのだ。

 それからは今でいうところのブラック企業で過酷な労働をした。30手前で母が亡くなった。それまでの緊張感が緩み、拍子抜けして、武志も体調を崩してしまった。病院に行くと体も心も既にボロボロだった。だが母の療養介護の費用と父親の借金で貯金はなく自分の医療費も払えない。武志が生活保護まで落ちるのはすぐだった。

 その後、なんとか健康を快復し、働き出したが、生活保護を受給して療養していた期間、職歴に長いブランクが生じた。そんな特にスキルも学歴も無い中高年に、有利な就職先などなく、結局、警備員やコンビ二やスーパのレジ打ちといったバイトで、60になろういうのに、その日暮らしをしていた。

 

3 再会


 結局クラス会に武志は来てしまった。

 出席者に千愛の名前を見つけ、どうしても一目でいいから会いたいという気持ちに負けてしまったのだ。

 スーツは持っていないし、おしゃれな服もない。手持ちの中でもできるだけ程度のよい服を着て、九段下にある会場のホテルに向かった。

 受付を済ませると、すぐに後悔した。

 高そうなスーツや、上品なセーターを着た昔のクラスメートは満ち足りた顔をしていた。貧相な格好をした自分が嫌になった。

「おお、鈴木、来てくれたか」

 高田が武志を見つけて手を差し出した。高田は今回のクラス会の幹事をしていた。

「誘ってくれてありがとう」

「当たり前だろう」

 話をしたら、高田は、あの夜警をしていたビルの管理をしている会社の役員だった。たまたま夜勤の警備員の履歴書をチェックしている時に鈴木武志の名前と出身高校を見て思い出し、あの日は意図的に武志に会いに来たのだという。だが、LINEの連絡先を交換した後、武志が仕事を辞めてしまったので、その後、連絡する機会がなかったのだという。何十年ぶりなのに武志を一瞬で識別した謎はそれで解けた。

 ほどなくして、高田の司会で、還暦クラス会が始まった。

 43人のクラスメイトのうち、22人が参加してくれたと高田が嬉しそうに報告をした。

 会場を見渡したが千愛の姿は無かった。

 乾杯の後は歓談となった。

 武志はさりげなく受付に行くと、参加者の出欠リストを覗きみた。来た人には名前の横に◯がついていた。だが千愛の名前の横には◯はついていなかった。

(欠席か……)

 今更、千愛に会ったところで、どうにもならないのに、何かを期待してこんなところに来たのだろう。自分は馬鹿だと思った。

 会が始まってまだ30分ほどしか経っていなかったが、武志は帰ることにした。

(ここは自分のいる場所ではない)

 ホテルを出ると九段下の駅に向かった。

 すると、爆音で軍歌を鳴らす街宣車の一団が横を通り過ぎてゆく。

(うるさいな)

 大音量の軍歌のせいなのか、耳鳴りがして少し目眩がしてきた。

 だが、街宣車は交差点付近で徐行して止まった。

 見るとその向こうに靖国神社の鳥居が見えた。

 早くこの場から離れようと早足で九段下の駅に向かおうとしたところ、前から女性が走ってきた。

 避ける間もなく、正面からぶつかってしまった。

 武志は思わず尻もちをついた。

 同時に目の前がぐるぐる周り始めた。


4 千愛の憂鬱


「なんだか、何もやる気がおきないの」

「ねぇ、まだ老け込むには早いよ」

「でも、息子は結婚して家を出たし、主人は亡くなったし、家には私一人しかいないの。そうすると何もする気がおきなくて」

「ぜいたくな悩みよ。息子さんがちゃんと就職して結婚して、夫に先立たれたと言ってもマンションと生命保険をたっぷり残してくれて、生活には何不自由無いんでしょ。羨ましい限りよ」

「でも……」

「ウチなんかマイホームのローンがまだ残っているし、下の子が大学院に行きたいなんて言っているし、やりくりが大変で最悪よ」

 千愛は高校時代からの親友の京子とお茶をしていた。自宅が近くにあり、スポーツクラブの帰りにこうして、お茶を飲んでは互いのぐちを聞いてもらっていた。

「そうそう、クラス会のお知らせ千愛のところにも来た?」

「クラス会?」

「そう。還暦記念だって。やだ、もう60なんて信じられない」

「みんなに会うのって何年ぶり?」

「ちゃんとしたクラス会やるのは初めてだから、中には42年ぶりに会う人もいるかもね」

「42年か……」

 千愛には気になる人がいた。

 42年前の卒業式の日に突然、学ランの第2ボタンをくれた鈴木武志だ。もちろん第2ボタンの意味は知っていた。でも受け取ることに迷いは無かった。実は千愛も武志のことを意識していた。武志はクラスの中で一人だけ、憂いのある大人びた表情をしていた。同年代の精神年齢の低い男子にはない影のある雰囲気に惹かれていたのだ。

 その場で京子はクラス会のグループLINEに千愛を招待し、参加表明をさせられた。

 だが、家に帰り一人になると、着飾って外に出るのが億劫になった。クラス会となれば、美容室に行ったり、化粧をしたり、服を選んだりしなければならない。そんなルーティンが楽しく思えた年齢はとっくに過ぎた。かと言って、すっぴんで、ボサボサの髪をして、普段着のまま行くわけにもいかない。

 参加表明はしたけど、いくのはやめようと思った。でも今、取り消すと、きっと京子がうるさいだろう。当日、体調が悪くなったとか言って休み、会費は後で幹事に振込めばいいと、千愛は思った。

 当日になり、なにげにグループLINEの参加者リストを見て、千愛は驚いた。

 武志の名前があったからだ。武志は卒業後連絡先が不明になっていた。クラスメイトの誰も武志のその後を知らなかった。今回のLINEのリストにも千愛が前に見た時は名前はなかった。

(どうしよう)

 一瞬迷ったが、千愛は参加することにした。

 急遽近くの美容院に行き、化粧をし、なんとかギリギリに家を出た。会場のある九段下に着いた時はクラス会の開始の時間を過ぎていた。

 改札を出ると千愛は走った。

(武志くんに会える)

 その思いが、待ちきれずに走らせたのだ。

 そして、走りながら、右翼の街宣車がうるさくて、つい横を見てしまい歩行者に衝突してしまった。

 千愛は転びながら、目の前がぐるぐる回るのを感じた。

(あれ、頭を打っちゃったのかしら?)

 だが、まだ頭は打っていない。

 ころびかけているところだからだ。

(いったいどうしちゃったの……)


5 学徒出陣(昭和19年秋から昭和20年3月10日)


 本郷で吉満義彦先生の倫理学の講義を受けた後、家に帰ると、両親が玄関で正座をして待っていた。

「武志、これ」

 母が差し出したのは赤い紙、召集令状だった。

 大学生などの高等教育を受けている者は徴兵が猶予されていたが、戦局が厳しくなり文系の大学生は学徒出陣ということで戦場に駆り出されていた。東京帝国大学文学部の学生である武志にも学徒出陣の召集令状が来たのだ。

「おめでとう」

 父が重々しく言った。


 出征前に隅田川の辺で、武志は幼馴染の千愛に会った。

「千愛、征くことになった」

 千愛は顔を武志の胸に埋めて泣いた。

 幼馴染の千愛とは将来を約束した仲だった。

「これ」

 武志は学生服の第2ボタンをちぎった。

「戻って来るまで、お守り代わりにこれを持っていて。大丈夫だよ、必ず帰ってくるから。帰ってきたら結婚しよう」

 千愛は第2ボタンを握りしめると頷いた。


「突撃!」

 後ろから軍曹が叫ぶ。

 昭和20年3月10日、南方の最前線に武志はいた。

 手に持っている小銃に弾薬は無かった。銃口の先の銃剣で戦うのだ。

(この戦争は負ける)

 武志はそう思った。武志は東京帝国大学文学部で歴史学を研究していた。歴史学で扱うのは政治史であり、それは戦争の歴史だ。過去の歴史を見れば兵站で失敗した軍隊が敗走するのは明らかだ。

 食料どころか弾薬の補給もままならないのに勝てるわけがない。

「突撃!」

 その声に前進する。進まなければ後ろから将官に「貴様それでも帝国軍人か!」と怒鳴られて拳銃で撃たれる。

 毎朝、「生きて虜囚の辱めを受けず」と陸訓一号を唱えさせられ、「死して護国の柱とならん」と唱和させられた。弾が尽きたからと言って降伏することは許されない。

「バンザイ」

 米軍の艦隊からの艦砲射撃の砲弾をかいくぐりながら、玉砕覚悟のバンザイ突撃が敢行された。

「靖国で会おう」

 横にいた森田一等兵がそう言うと倒れた。

 貫通した銃弾の出血で背中が赤く染まっていた。

 次は武志の番であることは明らかだった。この南方の最前線で散華するのだ。

 死ぬ前に武志のまぶたに浮かんだのは、靖国での再会を誓った戦友の勇姿でも、皇国の象徴である日章旗でもない。千愛の笑顔だった。


6 東京大空襲(昭和20年3月10日)


「千愛ちゃん、花ちゃんは?」

 防空壕の中で母が心配そうに訊いた。

「母さんと一緒じゃなかったの?」

「私は千愛と一緒だと思っていた」

「じゃあ、まだ花は外にいるの?」

「わからない」

 千愛は足元が冷たくなるような感覚になった。

 幼い妹の花がまだ外にいる。

 千愛は、閉じかけた防空豪の出口に駆けた。

「すいません、出ます」

「出ちゃだめだ。危険だ」

「妹が外にいるんです」

「だめだ」

 千愛は制止を振り切るようにして防空壕の外に出た。

 空襲を知らせるサイレンが鳴り響き、通りは避難しようとする人が慌ただしく駆けていた。

「ハナ!」

 大きな声で叫んだが、サイレンと上空のB29の爆音で声が通らない。

 ヒュルルという笛を吹くような嫌な音がした。

 爆音とともに顔が熱くなる。

 あたりが昼間のように明るくなる。

 墨田の町が燃えていた。

「ハナー! ハナー!」

 必死に妹の名前を叫んで探す。

 でも見つからない。

 お祭りの篝火のように、あたりが炎で照らし出される。

「何をしている。早く防空壕へ」

 今晩の爆撃はいつもと違っていた。空を飛ぶB29の姿が絶えない。

次々を火炎を生み出す爆弾を落としてゆく。

(これでは、防空壕の中にいても蒸し焼きにされる)

 母のことが気になり戻ろうとするが、火炎とパニックになり逃げ惑う人々に阻まれて、どこにも行けない。

 千愛は、タコ糸を通して首からぶら下げていたお守りを取り出し、握りしめた。

 武志からもらった第2ボタンだ。

(武志。助けて)

 ボタンを握りしめたまま、千愛は火炎に飲み込まれて行った。


7 再会


(何だったのだ今のは)

 武志はふらふらしながら立ち上がった。自分が学徒出陣し、南方で玉砕し、千愛が東京大空襲で焼死するのを白昼夢で見た。

 幻覚というにはありえないようなリアルさだった。

 自分にぶつかってきた歩行者も立ち上がった。

 そして武志を見ると大きな瞳を見開いた。

「武志くん?」

「千愛?」

 年齢は相応にとっていたが一目で千愛だと分かった。

「でもなぜ」

 千愛が動揺したように言った。

「なぜって?」

「どうして武志くんが戦争で死ぬの?」

「千愛も見たのか?」

「えっ? 武志くんもなの?」

「ああ、君が空襲で死ぬところまで」

「私もよ」

「どういうことなんだ」

 その時武志の足元に何かが落ちていた。

 それは制服のボタンだ。

「あっ、それ、私の」

 慌てて千愛が拾う。

「ぶっかった時に落としたのかしら」

「まだ、もっていたのか」

「うん」

「どうしてそれがここに」

「武志くんに会えるようにと思ってお守り代わりに持ってきたの」

「見てもいいかい」

 千愛が手のひらに乗せたボタンを示した。

 それは都立高校のものでなかった。

 大という漢字の下に花の模様がある金ボタンだ。しかも煤けていた。

「これ俺達の高校のじゃない」

 スマホで検索してみた。

「これは旧帝大の学ランのものだよ」

「まさか」

 武志は急にまた目眩がした。

 そして、それがおさまった時、はっきりと思い出した。

 武志は、戦死した後、それから20年後の昭和40年に今度こそ千愛と幸せになるために生まれ変わって戻ってきたのだ。

「千愛、僕達は……」

「私も今わかった」

 もう言葉での説明はいらなかった。今度こそ二人は結ばれる運命なのだと悟った。



「ミスティクは夢ではなく、人生と宇宙のレゾンドエーテルである。」

             吉満義彦(詩人哲学者 没年昭和20年)

 なろうでは流行らない作風の作品ですが、読んで面白いと思われましたら下記の★★★★★評価・ブックマークをしていただけると幸いです。

 作者の励みとなり、作品作りへのモチベーションにもなります。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ