プールにて
清輝に言われた通り、プールへ向かう。
俺としてはプールへの通路で二号が出てくるのを待てばいいんじゃないかと思ったんだけど、ループと思われる状況では以前と違う行動をして変化を確かめるのがセオリーだと言われ、それもそうかと納得した。
いつ出くわしてもいいように精神的に身構えつつ、足を進める。
幸か不幸か、二号は現れなかった。
更衣室で着替えてプールサイドに出る扉を開けると、皆のはしゃぐ声がそれまでよりもはっきり聞こえる。
探すまでもなく、ちょうどラダーに手をかけ水から上がるところの二号と目が合った。
挨拶代わりに片手を挙げると、勢いよく身体を引き上げ、水を滴らせながら歩いてくる。
身につけているのは前回プール脇の繁みから盗み見た通り、大胆な白のビキニだ。
本人の性格通り自己主張の強烈な胸、そこからきゅっと引き締まる腰を経て、すらりと伸びた脚へと魅惑の曲線が続く。
透き通るような肌にまとわりつく水滴が、強い陽射しを反射して煌めいていた。
距離が近い分だけ、その破壊力も跳ね上がる。
平静を保つのさえ結構な精神力が必要だ。
「意外ね。あなたが来るとは思わなかったわ」
スイミングキャップを外すと鮮やかな金髪が溢れ出た。
一つ頭を振ると水しぶきが舞って光をばらまく。
「清輝こそプール開放日なんかに釣られるタイプじゃないだろ」
「ついでよ。学校へ来る用事があったから」
清輝の言動に変わった様子はない。
とすると、ループしたのは俺と一号だけ……?
「えい」
清輝はスイミングキャップを振って俺に水しぶきをかけた。
「うわっ、なんだよ、いきなり」
「失礼でしょ」
「なにが」
「女子が水着を着てるのよ? ぼんやりしてないで、お世辞の一つや二つ、言うのが礼儀じゃない?」
「あぁ、えぇと……。すげぇな、いろいろと」
当たり障りのない感想には、軽いため息が返ってくる。
「適当ね」
「しょうがないだろ。詳しくコメントしようとすると、気を使うんだよ」
「似合うよ、とか、かわいいね、とか言っておけばいいのよ」
「じゃぁ、似合うよ」
「『じゃぁ』は余計よ」
「似合ウヨ、カワイイネ」
「心がこもってない」
「こめてないからな」
水着姿を心をこめて褒めろとか、どんな罰ゲームだよ。
まぁ、率直な感想としては、大絶賛ってとこだけど。
ただ、ちょっと気になることもある。
いくら清輝がナルシストでも、そのビキニを着るのはなかなか勇気がいるんじゃないかと思う。
なにか考えがあるのか、それとも。
「それ、清輝の趣味?」
「ハズレ。叔母の家へ遊びに行ったとき、買ってくれたのよ。絶対似合うからって勧められて」
叔母さん、グッジョブ! めっちゃ似合ってます!
とはいえ、意外と言えば意外だ。
「いくら勧められたからって、清輝が気に入らないものを着るとも思えないんだけど」
「気に入らないわけじゃないわよ。デザインそのものはとても素敵だと思うわ。ただ……ちょっと、その、ね?」
「大人っぽすぎる?」
超絶遠回しな評価に、清輝はちょっと照れの混じった苦笑を浮かべ、頷いた。
「さすがの私もこれを着て平然としていられるほど神経太くないわ」
「だったら無理に着なくてもいいのに」
「そうなんだけど」
清輝はしかめ面で腕を組む。
「証拠写真を送れって言うのよ。スタイルに自信がないなら無理にとは言わないけど……って」
あー、叔母さんって清輝の性格、しっかり把握してるなぁ。
挑発とわかっていても、いや、わかっているからこそ受けて立つタイプだ。
「しかも、自分の家とかでただ着るだけじゃダメで、ちゃんと人前で使ってるところじゃないと認めないって言うんだから。性格悪いったら」
「清輝に性格悪いって言われるのは相当だなぁ」
思わずこぼれた本音に、清輝はじろりと俺を睨んだ。
「どういう意味?」
「自覚はあるだろ?」
「……そうね、私は心の広い人間だから、人の人格を否定することなんて滅多にないわね。身内が相手だからつい遠慮のない言葉を使っちゃったわ」
なんて都合のいい解釈。
ただ、清輝が人の悪口を言っているのが記憶にない、それもまた事実だ。
心が広いと言うよりは、礼儀と言うか処世術と言うか、そういう方向で解釈すべきだろうけど。
「もしかして、そのためにプールに来たのか?」
「言ったでしょ。ついでよ。放っておくと叔母がうるさいし、学校のプールならそれほど人目も多くないから、ちょうどいいと思って」
どうやら前回清輝が短時間でプールから上がったのは、そういう事情なんかもあってのことだったらしい。
「叔母さんによろしく言っといてくれ。姪っ子さんの水着姿、とっても素敵でしたって」
「……やればできるじゃない」
「は?」
「なんでもないわ」
清輝は首を振って、表情を改めた。
「それより、ちょうど良かった。そういうわけで写真を撮らなきゃいけないのよ。スマホ取ってくるから、撮影をお願いしてもいい?」
「いいけど……」
マジか。
写真撮影ってことは、合法的に清輝の水着姿を凝視するチャンスなわけで。
なにもしてないのにそんなご褒美もらっちゃっていいのか。
ひょっとしてなにかの罠?
それともドッキリ?
でも清輝にそんな意識はないようで、引き受けたことに「ありがとう」とお礼さえ言われてしまう。
「ちょっと待ってて」
ひらりと手を振って清輝は更衣室へ向かう。
その後ろ姿は絶景の一言。
あぁ、世界はなんて素晴らしい。
清輝の姿がドアの向こうに消えたので、改めて周囲の様子を確認する。
プールに来た暇人は、クラスの三分の一から四分の一ってところか。
男女比はほぼ半々。
水に浸かって泳いだり友達とじゃれ合っていたりするほうが多いけど、プールサイドで日向ぼっこやおしゃべりを楽しんでいる者もちらほら。
聞こえる範囲では、やはりと言うか清輝の艶姿が話題になっているようだ。
服装は自由という建前だけど、八割方は授業で使う水着を身につけている。
学校の施設を利用する手前、そのほうが無難だと思うんだろう。
実は俺もその一人だったりする。
清輝にも言ったように、普段クラスでよく言葉を交わす生徒は見当たらない。
誰か誘おうかとも思ったけど、動機が不純だし、俺自身来ようかどうしようかぎりぎりまで迷っていたこともあって結局一人で来ることになった。
清輝がいなければ早々に退散するつもりだったから、そのほうが気楽だし。
軽くストレッチをしている間に、清輝が更衣室から戻ってきた。
「よろしく」
手にしたスマホを渡される。
「ここで撮ればいいのか? それとも泳いでるところ?」
「そうね……。ちょっと待って」
清輝は日陰で話をしていた女子のところに歩いて行って短く言葉を交わす。
すぐに交渉成立したようで、手招きされた。
「それじゃ、撮るわよ」
清輝を中心に三人の女子が並んでポーズを取る。
「行くよー」
画面を見ながら、シャッターを押す。
動作音を待って撮影した写真を確かめ、清輝にスマホを示した。
「どう?」
清輝は寄ってきて画面をのぞきこんだ。
いや、ちょっと近いから! しかも角度的に、谷間が! 谷間が!
俺の動揺をよそに清輝は頷いて微笑む。
「うん、いいじゃない。ありがとう」
続いて一緒にフレームに収まってくれた二人にも礼を言って、その場で両者に写真を送信した。
と、その一方が俺と清輝でも撮ったらどうかと言い出す。
せっかく会長、副会長が揃っているのだから、と。
なにその素敵な提案。いいの? 本当にいいの? 今度こそドッキリだったりしない?
今まではクラスの女子のワンオブゼムだったけど、その娘の好感度が爆上がりだ。
飛び上がりそうになる喜びを抑えて、清輝に目を向ける。
「俺はいいけど……」
「私も構わないわよ」
それなら、ということで立ち位置を入れ替わった。
間に一人分くらいの距離を空けて清輝の隣に立つと、ぴしゃりと背中を叩かれる。
「よそよそしいわね」
「いや、別に……」
俺の言葉には耳を貸さず、清輝は肩に手をかけ顔を並べるようにしてスマホに向かってピースを出す。
だから、近いって! てゆーか、肘になんか、かすってるような気がするんですけど!?
「ほら、あなたも」
こっちの動揺に気づいているのかいないのか、素知らぬ風で清輝はポーズを取るように促した。
なんとかスマホに向けた笑顔が盛大に引きつっているのは自覚していた。
撮影終了後、清輝がスマホを片づけている間に、俺も更衣室に戻って持参した浮き輪に息を吹きこむ。
せっかくプールに来るのに、授業のときと同様ひたすら泳ぐだけじゃ味気ないと思って用意しておいたアイテムだ。
いつもはコースロープが張られているから遊具なんか持ちこんでも使えないが、今日は障害になるものもない。
水面に浮き輪を下ろし穴に尻を落とす体勢でぷかぷか浮いていると、戻ってきた清輝が目を輝かせた。
「あら、いいもの持ってるじゃない。私にもちょっと貸してよ」
「後でな」
「それは貸してほしければ腕ずくで奪えって意味よね」
「はぁ!? どこをどう解釈すればそうなるんだよ! 今は俺が使ってるから、空くまで待てって言ってるだけだろ!」
俺の抗議には耳を貸さず、清輝は軽やかにプールに飛びこむ。
あまり激しい動きをすると水着がずれたりするんじゃないかなんて他人事ながら心配になってしまうけど、凡人の懸念など麗しの生徒会長様には無用の長物らしい。
水に潜ったまま一直線にこっちへ向かって泳いできた。
俺は手脚をばたつかせて不格好に回避を図ったが、元々機動性に欠ける体勢だ、狙いを定めたハンターから逃れるのは難しい。
「うわっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ……!」
下から力が加わったと感じた次の瞬間には、見事にひっくり返されてしまう。
水中で手足をかいて浮上し、水面に顔を出したときには、清輝はしっかり浮き輪を確保して勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「ダメよ、ぺー。あんな不安定な格好で浮いてちゃ。ひっくり返してくれって言ってるようなものでしょ」
「のどかに水遊びを楽しんでいた同級生をプールに沈めておいて言うことがそれか」
「沈んでないじゃない」
「そりゃ、沈んでたら息ができないからな」
「無事に浮いてこられて良かったわね。おめでとう」
「清輝が俺を沈めたりしなきゃ、わざわざ浮かぶ必要もなかったんだけどな」
「だって、あんなに隙だらけなんだもの。ついいたずら心を起こしてしまった私を、誰が責められると言うの?」
まるで悲劇のヒロインのような表情、口ぶりで清輝は嘆いてみせる。
しかし、俺に言わせれば盗人猛々しいの類だ。
「俺! 被害者である俺には、抗議する権利がある!」
「被害者だなんて大げさね。むしろ、こんな美少女と水遊びができたなんて、素敵な夏の思い出じゃない? 感謝してほしいくらいよ」
「一方的にひっくり返すのは遊びじゃなくていじめって言うんだ」
「やり返せばいいでしょ。反撃されたからって『ぺーのくせに生意気だ』とかは言わないわよ?」
そうしたいのは山々だ。
でも清輝は水着、それもかなり露出度の高い格好だ。
迂闊にやり返して手が滑ったりすれば一大事。
本人は、やり返せと煽っているくらいだから無闇に騒いだりしないだろうが、周囲には少なくない同級生の目がある。
俺がなにかやらかせば、たちどころにブーイングの嵐だろう。
とはいえ、このまますごすごと引き下がるのもシャクに障る。
「だったら……これでも食らえっ!」
俺は丸めた両手を組み、そこに溜めた水を勢いよく飛ばした。
「あら危ない」
かざした手で水鉄砲を防ぐと、清輝は片手で浮き輪を抱えて足をこっちに向け、バタ足で大量の水を跳ね上げる。
「ちょっ、おい、卑怯だぞ!」
なにしろこっちは丸腰だ。
攻撃にせよ防御にせよ、立ち泳ぎをしながらやらなきゃならない。
でも清輝は浮き輪をキープしている分、攻撃なり防御なりに全力を注げる。
圧倒的に不利だ。
「やり返すのはいいけど、ちゃんと状況を把握してからのほうがいいわよ」
「クッ……!」
「さて、と」
清輝は先ほどまでの俺と同じように、浮き輪にすっぽりハマると人差し指で俺を差し招いた。
「……なんだよ」
「押して」
「は?」
「この状態だと移動できないでしょ。ただ浮いてるだけじゃ面白みに欠けるから、あなたが泳いで浮き輪を押してとお願いしてるの」
「浮き輪を奪っただけじゃ飽き足らず、人をスクリュー扱いしようってのか」
清輝にこき使われることには慣れている。
それに、間近で水着姿を鑑賞できるチャンスだ。
けど、言いなりになるのも悔しいから、一応は抗議してみせた。
すかさず交換条件が提示される。
「一周したら交代。どう?」
「……まぁ、それなら」
多少不本意って顔をしつつ、そっちへ近づいた。
清輝を乗せた浮き輪に手をかけ、平泳ぎの要領で水をかく。
あまりスピードは出ないが、予想よりはスムーズに浮き輪は水面を滑る。
「フフ、なかなかいい気分ね。ほら、ぺー、もっとしっかり泳ぎなさい」
「この暴君め……!」
周囲から、はやし立てるような声が上がった。
恋愛的な意味での冷やかしではなく、また会長の横暴に副会長が振り回されているというような、バラエティ番組的な雰囲気のそれだ。
ありがたいことに、俺への激励の声も、ちらほら聞こえる。
なにしろ二人分の体重を運ぶわけだからそれなりに体力は必要だ。
それでも楽しそうに笑っている清輝を見ていると、水をかく脚にも力がこもる。
なんとかプール一周、泳ぎ切った。
「こ、今度は、俺の番だぞ……!」
「うーん、この方法は効率が悪いわね。ねぇ、あれをやらない?」
「あれ?」
「休み前のプールで最後にやったでしょ」
あぁ、と俺は頷く。
体育教師の指示でクラス全員で同じ方向にグルグル泳いだら、プールの水が回転して、浮いているだけで流されるようになった。
確かに、同じことができれば、わざわざ浮き輪を押して泳ぐ必要はなくなるだろう。
「でも、この人数でできるかな?」
「物は試しよ」
清輝は自信ありげに微笑んで、水から上がる。
まずは女子に声をかけて協力を求め、賛同してくれた娘達を連れて野郎どもに話を持ちかけた。
水着の女子のお願いを断れる男子はなかなかいない。
あっと言う間に話はまとまった。
さすがの人望、手際の良さと言うべきか。
「それじゃ、よろしく!」
先頭に立って清輝はプールに飛びこみ、綺麗な抜き手を切って泳ぎ出す。
皆もそれに続いた。
しばらく泳ぐうちに、水が回転し始める。
おぉ、できたできたと喜んでいると、弾むような声が俺を呼ぶ。
「ぺー!」
いつの間にか水から上がっていた清輝が、浮き輪を投げて寄越した。
受け取って掴まると、なるほど、いい感じに流される。
「一周したら交代ね!」
得意満面の笑みに向かって、俺は了解のハンドサインを返した。