岐路
なにやってんだ、俺……。
自己嫌悪にまみれて図書室を後にする俺を、清輝が呼び止めた。
「ぺー、この後、暇?」
差し当たっては一号と再合流して善後策を協議しなきゃいけないだろう。
それが済んだら──なにを以て「済んだ」と言えるのかも難しいけど──家に帰って昼食。
午後は清輝のおかげで見通しが立った気がする自由研究にでも手を着けるくらいか。
やることがないわけじゃないけど、いくらでも融通は利く。
要するに、
「暇」
「じゃぁ、少し付き合ってくれない? もうちょっと時間を潰さなきゃいけないの」
「あぁ、なんか用事があるんだっけ。……呼び出しでも食らったのか?」
割と可能性が高そうな推測だったけど、清輝は少し気分を害したらしい。
唇を尖らせて聞き返した。
「そんなヘマを踏む私だと思う?」
「思わない」
何度も言うようだけど、清輝はいわゆる善人じゃない。
呼び出しを食らうような悪いことをするはずがない、という方向ではそこまで信用していいのかどうか微妙だ。
でも、仮に悪事を働いたとしてもそう易々とバレるような立ち回りはしないし、バレたとしてもうまくごまかせるような準備をしているはずだ、という意味ではガチガチに固い信頼を置いている。
「じゃぁ、用事って?」
「進路のことでちょっと、先生と相談するのよ」
進路。
その言葉に思わず眉間にしわが寄った。
今は三年生の夏休み。先のことだと目を逸らしていられる時期はもう終わっている。
友達も夏季講習だなんだと準備に追われていた。
俺の周囲は、見聞きする範囲では、全員が進学だ。
とはいえ志望校は無論まちまちで、あと半年かそこらで皆バラバラになってしまう。
清輝とも同じ高校に進めるかどうか、なんとも言えない。
避けられない、けれどあまり考えたくない現実だ。
「……北高へ行くんじゃないの?」
それは学区で一番偏差値が高い公立校の略称で、首席の清輝はそこへの進学が有力視されている。
ただ、本人は明言を避けていて、そのためにいろいろと憶測を呼んでいた。
学区外のもっとレベルの高い私立へ行くんじゃないかってもっともらしい説もあれば、海外留学という少し飛躍した話もあるし、なかには、芸能科のある高校に進んでアイドルデビューするんじゃないかなんてとんでもない噂まで含まれている。
清輝ならありえないとも言い切れないのが怖いところだ。
いずれにせよ、進路の話は三年生にとって一番切実で、同時に繊細な問題でもある。
他人にあれこれ詮索されるのは煩わしいし、それは清輝も同じだと思う。
あえて口にしない以上、聞かれたくない理由があるんだろうし、これまでは踏みこんで尋ねたりしなかった。
でも、関心がないわけじゃない。
もし清輝と同じ高校へ進めることになれば嬉しいし、別々の高校なら寂しい。
いずれわかることだから急ぐつもりはなかったが、相手から言い出すなら本人の意向を確かめるいい機会だ。
「ぺーは?」
他人に尋ねるならまず自分の事情を明かせというのはもっともな話だ。
けど、明かせるほどの事情はまだない。
「俺は……迷ってるよ」
成績的には北高を目指せる範囲になんとか引っかかっている。
先生達から頑張ってみろと勧めるような言葉をかけられたこともあった。
俺自身、考えないわけじゃない。
でも、自分の将来に関して、はっきりしたビジョンは描けていない。
とりあえず高校に進んで、その次はとりあえず大学に進んで、その間になにかやりたいことが見つかればいいけど見つからなければとりあえず就職して……と、流されるように生きていきそうな気がしている。
だから、「こういう勉強をしたい」「そのためにこういう学校へ行きたい」という明確な意識は持てないままで、わざわざ難関校に挑むモチベはない。
もう少し楽な学校、それは学力的な意味でもあるし、それ以上に通学にかかる時間の短い、家から近いところがいいなぁ、なんて先生に聞かれたら怒られそうなことを考えてもいる。
「北高へ行くんじゃないの?」
俺の質問がそのまま返ってきて、苦笑する。
「それも選択肢の一つだけど、まだ決められないでいるってのが正直なとこだな」
ありのままの考えを伝えると、清輝は小さく頷いた。
「私も迷ってるわ」
「え」
それは違う意味で思いがけない答えだった。
「てっきり清輝のことだから、将来についてもちゃんとした計画があるもんだと思ってたよ」
「いくつか考えはあるけど、どれを選ぶべきか判断が難しいわね」
「へぇ、そうなのか」
清輝でも俺と同じようなことで悩むのかと思うとちょっと親近感が増す。
「考えがまとまってたら、わざわざ夏休みに学校へ相談になんか来ないでしょ」
「そりゃそうだろうけど」
清輝にはどんな選択肢があって、どう迷っているんだろう。
わざわざ夏休み中に学校で相談なんて、そうあることじゃないはずだ。
少なくとも俺みたいに北高へ行くかそれとも西高にするかと悩むくらいのレベルなら、自分で考えて決めろと言われるだろうし、言われるまでもなくそのつもりでいる。
清輝の迷いは、もう少し難しかったり深刻だったりするんだと思う。
「どうするつもりなんだ?」
清輝は珍しく返事を躊躇ったみたいに見えた。
「……このまま立ち話っていうのもなんだし、生徒会室でも行きましょうか」
「そうだな」
生徒会室には電気ポットとティーバッグ、役員各自のカップ類が備えつけられている。
お茶くらいなら用意できるだろう。
端からは、なにをしているのかわからないと言われることも多い生徒会だけど、なんやかんやと忙しい。
結構遅い時間まで残ることもあるから、飲み物くらいは好きにしていいと顧問からお許しも出ている。
数少ない特権の一つと言っていい。
……と言っても、お茶くらい茶道部も飲んでいるし、家庭科部はお菓子を作って食べていたりするから、他より恵まれた待遇かどうかは微妙だ。
「ちょっと待ってくれ」
スマホを取り出す。
家では昼食が用意されているはずだから、帰りが遅れる旨、連絡しなきゃならない。
加えて、一号にも状況を伝えておく必要がある。
【図書室作戦失敗。二号と生徒会室でお茶を飲むことになった】
【チャンスね。いい雰囲気になったところで押し倒しちゃいなさい】
【そんなことできるわけないだろ!】
【そんなことってどんなこと? 私はただ、生徒手帳を奪うチャンスって言ってるだけよ?】
この野郎、人をおちょくりやがって。
憤慨を示すスタンプを送ってスマホをしまう。
「お待たせ」
言いながら顔を上げると清輝が意外そうな表情をしていた。
「あなたもそういう顔、するのね」
「そういう顔?」
「恋する乙女の顔」
「な、なに言ってんだよ。恋してないし、そもそも乙女じゃないだろ」
しどろもどろで言い返しながら、頭を抱えそうになる。
清輝とメッセージのやりとりをしているところを清輝にからかわれるってどういう状況だよ。
混乱がそのまま口をついた。
「なぁ、清輝って、清輝だよな?」
「……なんだかずいぶん哲学的な質問ね」
「……悪い、ちょっと俺の処理能力を超えてて」
「とりあえず、お茶でも飲んで落ち着きましょう」
「そうしよう」
会長だからって清輝はお茶くみを下っ端に押しつけたりしない。
いつもは当番制で、今日は公平にジャンケンで決めた。
「紅茶をお願い」
「……かしこまり」
負けた俺がポットを手に水をくみに行って、お湯が沸くのを待つ間に二人分のカップとティーバッグを用意する。
「やっぱ、清輝くらいになると、選択肢も多いんだろうな」
お茶の準備をしながら俺が切り出すと、清輝は肩をすくめた。
「ぺーとそんなに変わらないわよ。まぁ、あなたは女子校へは行けないでしょうけど」
「それを言うなら清輝も男子校へは進めないだろ。……女子校、行くの?」
「たとえばの話よ。担任には勧められたけど」
帰国子女、しかも成績優秀、眉目秀麗。
お嬢様女子校に通う清輝というのはイメージ的には似合いそうだ。
でも、「けど」と結ぶなら、本人にその気はないんだろう。
「……進学だよな?」
そうね、と頷いて清輝は破顔する。
「まさかアイドルになるとかいう噂を信じてるわけじゃないでしょ?」
「まさか」
俺も笑って、でも、と付け加えた。
「できるできないで言えばできそうだなとは思う」
「あいにくああいう世界には興味ないのよ」
性格的にないだろうと思っていたけど、やっぱガセだったらしい。
残念なような、安心したような。
清輝ならすぐ有名になれるだろう。
将来、中学のとき同級生だったんだ、なんて自慢することはできそうだ。
でも、手の届かないところへ行ってしまうという意味では、別々の高校に進学するよりずっと隔たりが大きくなる。
「それはいいけど、わざわざ相談に来るってことは、普通に進学するわけじゃない……?」
清輝はわずかに目を伏せる。
「帰国しようかと考えてるの」
キコクという日常生活ではあまり耳にしない言葉に、一瞬、理解が追いつかない。
その意味を悟った瞬間、俺は呆然とした。
「えっ……、それって、その……」
「えぇ。自分の生まれた国に帰るという意味よ」
「マジで?」
「冗談でこんなこと言えるわけないでしょ。……まだ先生以外には言ってないから、内緒にしておいてね」
「もちろん。でも、まだまだ大変そうだって言ってただろ?」
「そりゃもう」
頷いて清輝は苦笑する。
「半分、廃墟よ」
清輝が日本へ来たのは、まだ物心もつかない頃だそうだ。
原因は、戦争だ。
隣国の侵略を受け、幼い娘を危険から遠ざけるため、母が子供を連れて帰国したという事情だと聞いている。
その戦争は、ちょうど俺達が中学に入学した頃、ひとまず区切りを迎えた。
しかし、長年の戦火で国土は荒廃し、立て直しには相当な時間を要するだろう。
不要不急の渡航が認められるくらいの落ち着きを取り戻したのも割と最近で、この夏、父を訪ねて渡欧すると聞いたときにはなにかトラブルに巻きこまれやしないかと心配したもんだ。
「元々、考えてはいたの。この国は現状、豊かだわ。私がいなくても困らない」
「清輝の代わりが務まる大物がそうそういるとも思えないけどな」
「それはそうよ。でも、切実さで言えば向こうのほうが遥かに深刻でしょ? それこそ、お茶をくむだけの人手すら足りないくらいだし」
「そうだろうな」
曲がりなりにも平和が保たれている国と、軍事的な紛争から解放されたばかりの国。
どちらがより切実な状況かなんて、ネットでニュースを眺めるだけの中学生にだって、容易に想像がつく。
「実際、父は戦争が終わってすぐに帰国して、復興のために忙しく働いてるわ。やっぱり自分が生まれた国っていうのは特別なんでしょうね」
「その親父さんの姿を見て、自分も……って感じ?」
清輝は青い目を煌めかせてにやりと笑う。
「きっかけは、そうね。でも、実際にこの目で現地を見て思ったのよ。こんな荒れ果てた土地を再生させるには並じゃダメだ、私みたいに才能溢れる人間の力が必要だって」
俺は絶句した。
いや、まぁ、清輝が人並み外れた才能に恵まれていることは確かだ。
その才能を復旧、復興という分野に向ければ、相当な結果を出すだろう。
下手すればと言うか上手くやればと言うか、偉業と称えられるような功績を残したって納得こそすれ驚きはしない。
でも、仮に俺に同等の才能があり、それを自覚していたとしても、そういう発想は出てこないだろう。
「それは……またなんと言うか、気宇壮大な……」
辛うじてひねり出したコメントに、清輝はクスッと笑う。
「冗談よ」
「……どこまで?」
今度は軽くため息が返ってきた。
「なにかしたいと思ったのは本当。できるかどうかは、やってみなきゃわからないわね」
「そのために帰国?」
「えぇ。なにをするにしても、まず言葉がしゃべれなくちゃ文字通り話にならないでしょ。だから向こうに移住して、現地の学校に通って。勉強しながらなにが必要か、なにができるか考えて、そのために力を尽くせれば……ってところよ」
清輝自身が来日したのはまだ幼い頃で、ずっと日本で育ったから中身はほぼ日本人だと言う。
父方の言葉もしゃべれるが、それは普通の中学生が使う英語より少しネイティブに近い程度のレベルだとか。
つまり清輝にとってはほぼ外国、それも世界的に見ても恵まれているとは言い難い環境だ。
そこに飛びこもうという勇気が、俺ならまず出ない。
「親は、なんて?」
そう尋ねた瞬間、清輝は珍しく怒りを表に出す。
「なんて言ったと思う?」
「その顔からして、賛成はしなかったみたいだな」
「そうよ。バカなこと言うなって怒られたわ」
その気持ちはわからなくもない。
戦争も終わって、少しずつ以前の姿を取り戻しつつあるとはいえ、その国が豊かだとはお世辞にも言えない。
報道で聞く限り政情も不安定だし、治安だってまだまだ悪いはずだ。
そんなところへかわいい娘を行かせたくないというのは親として自然な感情だろう。
俺だって同じだ。
仲の良い友人が危険な境遇に身を投じようとしていると聞いて、心配しないではいられない。
ただ、同時に清輝らしいとも思ったし、応援したい、力になりたいとも思った。
「母の反対は織り込み済みだったけど、父が、それも母より強固に反対するのは予想外よ。俺の娘はなんていい子なんだって感涙にむせぶかと楽しみにしてたのに」
「それだけ娘がかわいいんじゃないか」
そう言って宥めると、これまた珍しく、歯切れの悪い答えが返る。
「……わかってるわ、そのくらい」
ちょうどいいタイミングでお湯が沸いたと知らせる電子音が鳴った。
俺はことさらに軽い調子を装ってカップにお湯を注い、ティーバッグを放りこんで差し出した。
「ティーバッグのダージリンでございます。お好みのタイミングで引き上げてお召し上がりください」
「ありがとう」
頷いて、清輝はカップのなかを見つめた。
ややあって、ぽつりと問う。
「あなたは、どう思う?」
「そうだなぁ……」
俺は椅子に腰を下ろして少し考え、自分なりに答えをまとめた。
「まず一言で言えば、すげぇ」
「すごい?」
「だってそうだろ。俺はまだ将来のことなんて全然決めてないのに、今の段階でそこまで具体的に考えてるってだけで大したもんだと思うよ」
清輝には珍しく、褒め言葉を自分でも肯定することはしない。
「まだ決めたわけじゃないのよ。具体的でもないわ。久しぶりに生まれ故郷を目にして、湧き上がった衝動だし……。単なる思いつきって言われれば否定できないわね」
「それでもだよ。とりあえず目標を見つけたわけだろ? そのためになにをどうするか、具体的なことはこれからいろいろ勉強していくなかで考えればいいんだし。さすがは清輝って思ったよ」
「さすが、ね。あなたのなかで私がどういうイメージなのか問いただしたいわ」
「褒めてるんだよ、一応」
「その『一応』っていうのはなに?」
「諸手を挙げて賛成、とは言えないから」
「理由は?」
「いろいろリスクがあるのはわかってるだろ。不確定要素が多すぎて、なにがどうなるか全然見通しが立たない」
「それはそうね」
「あと、これは極めて個人的で身勝手な感情なんだけど」
「なに?」
「知り合いがどっか遠くへ行っちゃって会えなくなるのは寂しい」
清輝は大きな目をさらに大きく見張る。
「なんだよ、その意外そうな顔」
「まさか、寂しいなんて言葉が出てくるとは思わなかったわ」
「ちょっと待て」
俺は渋面を作った。
「それこそ、俺にどういうイメージを持ってるんだよ。そんな血も涙もないやつだとでも思ってるのか?」
「違うけど……。あまりそういう感情を表に出さないほうでしょ? 二年でクラスが分かれたときもずいぶんあっさりしてたじゃない」
「そりゃ、クラス替え程度で寂しいとかないだろ。同じクラスになれるやつのほうが少ないくらいなんだし」
「私は寂しかったわよ」
「海外移住と同列に語るほど?」
「日常の風景からいなくなるという意味では同じでしょ」
理屈としてはわからなくもないけど、やっぱり同じ扱いをするのは無理があると思う。
単純に物理的な距離だけでも、廊下を数十メートル歩けば済む別のクラスと、飛行機に乗って数千キロを旅する必要がある外国とでは文字通り桁が違う。
「これからは一体、誰に雑用を押しつけ……忙しいとき頼ればいいのかと、胸にぽっかり穴が開いたような気持ちだったわ」
「その感情は『寂しい』って言葉の定義から外れてると思う……」
苦笑しつつ、もし俺の学校生活に清輝がいなかったらと想像してみる。
それだけで、中学時代の印象がだいぶ変わりそうだ。
そう考えてふと気づいた。
「もしかして、誰ともつきあう気はないって言うのは……」
「えぇ。ずっとこの国に留まるかどうかさえ、わからない。それなのに交際の申しこみを受けるのは不誠実でしょ?」
「かもな」
堅苦しく考えすぎとも思えるけど、それだけ相手の思いと真摯に向き合おうとしたんだとも言える。
清輝の難攻不落、その理由についてはいろいろ言われていた。
普通の中学生なんて眼中にないんだとか、親の決めた婚約者がいるんだとか。
実は同性愛者なのではないかという説もあったが、それならと告白した女子が玉砕したそうで、否定されている。
ともあれ、
「ようやく謎が解けたよ」
「説明しても良かったんだけど、そうしたら『日本にいる間だけでも』と食い下がられるのが目に見えてるし、そもそも自分でもまだどうするかわからない曖昧な気持ちについて話すのは気が進まなくて」
「わかる気がする」
俺が頷くと清輝は、はにかみがちに微笑んだ。
「そもそも、名前も知らないような相手とつきあうなんて、私には無理よ。好きか嫌いか判断することもできないのに」
それは清輝らしくもなく内気な発言で、でも同時にこいつも同じ中学生なんだとシンパシーを感じもする。
つきあってみて相手の人柄を知るという考え方もあるんだろうし、それを否定するつもりはないけど、俺はやっぱりある程度は相手のことを知った上で仲を深めることを考えたい。
その共感を俺は冗談めかしつつも発言の肯定という形で口にした。
「それ判断できてるんじゃないか? 名前も知らない相手に交際を申しこむようなやつはお断り、って意味で」
俺の指摘に清輝は目を丸くし、それから噴き出す。
「そう言えばそうね」
ちらりと意識の端を無謀な考えがかすめた。
俺のことなら、清輝はそれなりに知っているはずだ。もし勇気を出せていたら、清輝はどんな返事をくれただろう。
多分、野球部のエースやサッカー部のキャプテンみたいに、門前払いはされなかったと思う。「遠からず日本を離れるかもしれないから」と打ち明けて、その上で「ごめんなさい」と頭を下げる……くらいか。
うん、結局ダメだっただろうな。
内心で苦笑して話を戻す。
「で、その辺りのことを先生に相談?」
「えぇ。午後からなら空いてるって言うから」
正直、相談されても困るんじゃないかと思う。
うちの担任はまだ若くて、それは年齢が近い分だけ親しみやすい一方、どうしても経験不足と言うか頼りないと言うかそういう一面も持つ。
まして大学で教職課程を取って教師になるという一般的な人生を送ってきた人が、海外へ移住して復興のため尽力したいという規格外の生徒にどんなアドバイスができるのか。
「そんな顔しちゃ悪いわよ」
どうやら顔に出ていたらしい。
苦笑する清輝に同じ表情を返し、お茶で唇を湿して天井を見上げ、嘆息した。
「なるほどなぁ。そりゃぁ清輝でも迷うだろうし、学校へ相談にも来るか」
それはそれで重大な問題だ。
自分がもう一人いるなんて超常現象とは方向性がだいぶ違うから単純な比較はできないけど、同じ受験生としてはむしろ進路に関する悩みのほうが身近に感じられる。
そう思って気づいた。
一号も同じ悩みを抱えているはずだ。向こうはその件に関して、どう考えているんだろう。
だけど、その先の思考を遮るようにチャイムが鳴った。
「お昼ね」
清輝は鞄を開けてコンビニのビニール袋を取り出す。
なかからはいくつかのサンドイッチが出てきた。
女の子の昼食にしては結構な量だ。
「好きなの取っていいわよ」
「いや、清輝の昼飯だろ。俺は家に帰ってから食うし、いいよ」
「でも、お腹空いてるでしょ? 自分だけ食べて、ぺーは見てるって、居心地悪いわ」
言いながら清輝は机に並んだサンドイッチをまとめてこちらに押し出す。
それは「まだ帰るな」という意味でもあるんだろうし、好意で言ってくれているのに重ねて断るのも気が引ける。
腹が減っているのも確かだ。
「じゃぁ、一つだけ」
タマゴサンドの封を切って二つ並んでいるうちの片方を摘まみ、もう一つは返す。
清輝は「いただきます」と手を合わせてタマゴサンドをかじり、飲み下してから俺に目を向けた。
「そう言えば、あなたの友達が巻きこまれたトラブルって?」
「あ、えーと、それは……」
なんと説明したもんか。
正直に話すのはまずい気がするし、かと言ってうまくごまかせる気もしない。
そもそも「清輝が二人いる」という事態なんだから、目の前にいる二号のほうも当事者の一人と考えていい。
それを「巻きこまれた」と表現していいのかどうか。
考えあぐねた末、俺は端的な真実を告げて話を打ち切ることにした。
「……悪い、俺の一存じゃ話すことはできない」
「あら、珍しい。あなたがそういう面倒そうな話に首を突っこむなんて」
「いや、実は俺も巻きこまれた側なんだ」
「下手を打ったわけね」
「清輝がそれを言うのかよ」
「私?」
「生徒会役員に立候補するからって俺を巻きこんだ張本人が」
「そうだったわね」
クスクスと笑い、清輝はサラダサンドの封を切る。
「お詫びにサンドイッチをもう一つあげるわ」
「……どうも」
その後、夏休み明けの予定や共通の知人などをネタに茶飲み話をしているうち、授業のある日なら昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
キーンコーンカーンコーン。
耳慣れた音を耳にして清輝は視線を上げる。
そのままこちらに目を転じて微笑んだ。
「そろそろ時間だわ。付き合ってくれてありがとう」
「いや、こっちこそサンドイッチ分けてもらっちゃって……。ごちそうさま」
互いに荷物をまとめながら挨拶を交わして席を立つ。
さて、これからどうしようか。まずは一号に連絡を取らないと。
そんなことを考えるうちにチャイムが鳴り終わる。
キーンコーンカーンコーン。