その名は二号
うちの学校では夏休み中、予定のない日にプールを生徒達に開放している。
とはいえ、全校生徒が一斉に押しかけては収拾がつかない。
それでクラスごとに利用していい日が定められていて、今日はうちに順番が回ってきていた。
おかげで担任の先生も学校に顔を出すハメになっている。
仕事とはいえ、気の毒な話だ。
生徒が、勉強ならまだしも水遊びをする、そのために休みが潰れて、なにか問題が起きれば監督責任とか問われるんだろうし。
もっとも、個人的には非常にありがたい仕組みだ。
うちのクラス指定ってことは対象に清輝も含まれる。
来るかどうかわからない、むしろ可能性は低いくらいだと思っていたけど、賭けに勝ったら水着姿を拝めるという、莫大なリターンが約束されている。
俺が夏休みだっていうのに学校へ来たのはそれが目当てだ。
その賭けには勝ったと言っていいだろう。
清輝は来ていたし、学校指定の水着を想定していたのにまさかの私物、それも肌色成分多め。
少し距離はあったけど、ばっちり目に焼き付けた。
この夏の運を全て使い果たしてしまったかもしれない。
ただ、おかげで妙な話に巻きこまれてしまった。
まさか、「清輝がもう一人いる」なんて異常事態になっているとは夢にも思わなかったし、その解決のために協力することになるなんて予想外もいいところだ。
頬をつねれば痛いから、夢を見ているわけではなさそうだ。
毎年のように過去最高を更新する暑さに脳みそがやられてしまったのかもしれないが、一応自分では正気を保っているつもりでいる。
さっき目にした白ビキニ、あれは一体何者なんだろう。
見た目は清輝以外の何者でもない……、ように見えた。
だけど、その存在を俺に知らせ、助けを求めてきたのもやっぱり清輝で、俺の常識によれば同一人物が二人いるってのは普通ありえない。
混乱と緊張を覚えながら、校舎を出て渡り廊下を抜け、プールへ向かう。
心の準備をする暇もなかった。
「あら、ぺー」
プールへの通路に降りた途端、コードネーム「二号」とばったり出くわす。
白のブラウスにリボンタイ、チェックのプリーツスカートという制服に着替えていた。
ついさっきまで目にしていた格好なのに「女子の制服、こんなにかわいかったっけ」なんて改めて思ってしまうのは、肩に羽織ったタオルに緩やかなウェーブを描く金髪が広がっている様子がいかにも夏らしいアクセントを加えているからか。
「久しぶり」
手を振られたので慌てて振り返す。
「お、おぉ」
あいにくこっちに「久しぶり」という感覚はない。
清輝との再会は先ほど済ませたばかりだ。
「今からプール?」
「あぁ、まぁ……」
元々はプールへ遊びに来たんだけど、今の目的は違う。
清輝がプールにいるかどうか確かめようとしていたのに、アテが外れてしまった。
軽い失望を振り払い、言葉を継ぐ。
「清輝は? もう上がったのか?」
「えぇ。学校に来る用事があったから、ついでにちょっと寄っただけ」
それにしちゃ、ずいぶん気合いの入った水着だったけど。
それとも清輝にとってはあのくらい普通なんだろうか。
もちろん、そんなことを言えば俺が密かにプールをのぞいたことがバレるから、口には出せない。
それでもなにか言いたげな気配が伝わったのか、そしてそれをどう解釈したのか、清輝はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「私の水着姿、見たかった?」
見たかった。
と言うか、見た。
そもそも、そのためにのこのこやって来た。
でも、正直にそう打ち明けるのは、ささやかなプライドが許さない。
「べ、別にそんなの、体育の授業で見たし」
俺の言い逃れを清輝は巧みに突き崩す。
「見たくない、とは言わないのね」
「そりゃぁ、男なら誰だって……」
追撃は容赦なかった。
「一般論に逃げるのは卑怯だわ。あなたはどうなの?」
「……ノーコメントだ!」
事実上の無条件降伏を口にする俺に、清輝は別の方向から揺さぶりをかける。
「そう? あなたがどうしても見たいと言うなら、もう一度プールに戻ってあげてもいいかと思ったんだけど」
お願いします!
と言いたい本心を押し隠して、興味のない風を装った。
「からかうなよ。用事があるんだろ」
「そうだけど、まだ時間には余裕があるから」
スマホをのぞいて時間を確かめ、清輝は勝ち誇った笑みを浮かべる。
「参考までに付け加えておくと今日の水着は授業で使う地味なものじゃなくて、結構かわいいやつよ」
「……かわいいって便利な言葉だよな」
俺に言わせれば、清輝が着ていた白ビキニは、かわいいとは言わない。
ストレートに言えばエロい、遠回しに言っても大胆とか刺激的とかそういう表現がせいぜいだ。
でも、どれも褒め言葉としては微妙で、下手すればセクハラになりかねない。
そういう意味で「かわいい」は無難な言い回しと言える。
「そうね。どんな服装でも、とりあえず『かわいい』って言っておけば角が立たないし」
清輝はひとまず頷いておいて、それからまだ乾ききっていない髪を思わせぶりにかき上げる。
「でも、あの水着はぺーも気に入ると思うわよ」
そりゃぁもう。
控え目に言って最高だった。
と言うかむしろ、あれが嫌いな男がいたらお目にかかりたい。
が、それはそれとして、今の発言は俺の趣味嗜好を把握しているという趣旨じゃなかったりする。
「どうせ、清輝ならどんな水着だって似合うって言うんだろ」
「さすがね。私の意図をあなたより早く正確に読み取れる人はなかなかいないわ」
満足げな笑みを浮かべて、清輝は片目をつむった。
思わず頭を抱えそうになる。
こいつ、清輝だ。
さっきまで生徒会室で打ち合わせをしていた一号も確かに清輝だったが、目の前にいる二号も間違いなく清輝だ。
どっちかが偽者っぽかったりすれば、少しは話も違ってくるのに。
一体なにがどうなっているのかと混乱していると、不意に清輝は表情を改めた。
「どうかしたの? なんだかひどく深刻そうな顔をしてるけど」
ギクッとして、ごまかすためについ憎まれ口を叩く。
「こんなナルシストが生徒会長をやってる母校の未来を憂えてるんだよ」
「常識と分別を弁えた副会長が補佐してくれてるから心配ないわよ」
クッ、褒め殺しで返してきたか。
絶対本心じゃないけど、こっちが一方的に清輝をいじる構図は避けるほうが無難だ。
どこからどんな反撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。
渋々ながら軌道修正を図った。
「……別に俺はどうもしてないよ。ただ、友達がちょっとトラブルに巻きこまれちゃって、どうしたもんかなって」
ウソはついてない、でも具体的な事情は丸ごと伏せた説明に清輝は「そう」とあっさり頷く。
「私で相談に乗れることがあれば言って。この後しばらくは学校にいるから」
「あぁ」
短く応じて、それとなく彼女の姿を確かめた。
胸ポケットに透ける紺色は、生徒手帳のカバーで間違いないだろう。
飛びかかって強引に奪う……うん、無理だ。
俺がなにをしようとしているかわからなくても、あるいはわからないからこそ抵抗するだろうし、それをパワー勝負で押し切れるほど腕力にも差はない。
仮に成功したとしても、悲鳴の一つも上げられれば俺は社会的に死ぬ。
加えて、そんなことをして清輝に嫌われたら、精神的にも死ねる。
「ぺー、見過ぎ」
苦笑されて、俺は自分の失敗に気づいた。
慌てて手を振って否定する。
「わ、悪い! 胸を見てたわけじゃなくて、その……」
「欲求不満?」
「違うって!」
俺は懸命に言い訳をした。
「ほら、今言った、友達のトラブルの件! そのことでどうしようかなってついボーッとして……」
「まぁ、そういうことにしておいてあげてもいいけど」
クスクス笑ってくれたから、本気で視線の行方を咎めたわけじゃないんだろう。
そもそも清輝のスタイルの良さは周知の事実だ。
遠慮のない生徒が下品なジョークを飛ばす光景も時折見かける。
「それじゃね。水着だからって女子の胸ばかり見てちゃダメよ」
「そんなことしねぇよ!」
ウソです、ごめんなさい。
清輝がプールにいたら、間違いなくそっちばかり見てしまいます。
さらにごめんなさい、他の女子でも露出度の高い水着だったら、ついチラ見しちゃうと思います。
そんな本音くらい余裕で見透かしているのかもしれない。
微笑みを口元に刻んで清輝はひらりと手を振り、歩いていく。
軽やかに足を運ぶ後ろ姿から目を離せなくてそのままぼんやり見送っていると、清輝は角を曲がる前に振り返り、もう一度手を振った。
小さく手を挙げて応える。
清輝の姿が視界から消えるや、俺はスマホを取り出した。
実はこのスマホも清輝の功績だったりする。
うちの学校は清輝が会長に就任するまでスマホの持ち込みが禁止されていた。
こっそりゲームをやったり友達とメッセージをやりとりしたりして、授業の妨げになるというのが学校側の言い分だった。
まぁ、正直それもわからなくはない。
今でも時々、見つかって怒られるバカはいるし。
それでも、あると便利……と言うか、ないと不便だ。
そこで清輝は生徒会長選でスマホ解禁を公約に掲げ、実際にそれを達成してみせた。
おかげでこうして堂々とスマホをいじることができる。
目的は言うまでもなく、清輝……一号のほうへの連絡だ。
【今、二号に会った。もうプールから出たらしい。どうする?】
返事はすぐに来た。
【じゃぁ、更衣室潜入作戦は没ね。屋上前の階段で待ってるわ】