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夏の魔法  作者: 九曜平祐
1/11

二人の会長

過ぎ去りし夏に捧ぐ


 誤解しないでくれ。

 俺は変質者なんかじゃないんだ。

 学校のプール脇、その繁みに身を潜めてなかをのぞこうとしているからって、欲望に負けたわけでも理性を失ったわけでもないと断言しよう。

 いや、わかってるよ。

 自分のやってることが、変態のそれとなんの違いもないってことくらい。

 さっきから心臓もバクバク言ってるし。

 どーかバレませんようにっ!

 信じてもいない神様仏様に祈りつつ、曲げた膝を慎重に伸ばす。

 視界が開けた。

 コンクリートの土台の上、金網との隙間から、プールの様子が見て取れる。

 すぐに俺の視線はプールサイドの一角に吸い寄せられた。

 天然の金髪を陽光に煌めかせ、抜群のプロポーションを誇る肢体を白のビキニで見せつける美少女。

 うおー! マジか! すげぇ大胆!

 授業で使う地味な水着でも、十分すぎるくらいの破壊力だったのに、そんなのレギュレーション違反だろ!

 思わずゴクリとツバを飲む。

 いや~、わかっちゃいたけど、デカいなぁ。

 そこまで強調しなくても十分に存在感あるのに、ビキニともなるともはや圧倒されるほどの迫力だ。

 それにしても、いくら服装自由だからって学校のプールで着るには布面積が少なすぎないか?

 ほら、周りの男子どもも落ち着かない様子でちらちら視線を送ってる。

 本当はしっかり目に焼き付けたい、だけどそれは失礼だし、周囲に気づかれたらなんと言ってからかわれるか……という心の声が聞こえてきそうだ。

 俺がテレパシーに目覚めかけた瞬間、脇腹がつつかれる。

 そうだ、女子の水着姿をのぞくためにこんなことをしているわけじゃない。

 危うく本物の変質者になってしまうところだった。

 我に返った俺は、素早く顔を引っこめ、同時に身体を反転させてコンクリートに背中をつける。

 気分は潜入任務の最中の敏腕スパイ。

「どう? 確認できた?」

 潜めた声に頷きを返し、そちらに目を向けた。

 金の髪に青い瞳、日本では珍しい組み合わせで彩られた端整な顔立ち。

 すらりと伸びた手脚と制服のブラウスを押し上げる豊かな胸。

 AIが作成した美少女画像も所詮、本物にはかなわないと評判の容姿を誇る同級生は、清輝(きよかがり)という変わった名字を持つ、うちの中学じゃ一番の有名人だ。

 日頃は余裕の笑みを絶やさない彼女が、珍しく真剣そのものの表情で俺の返事を待っている。

 白ビキニの破壊力に状況を一瞬忘れてしまったが、なるほど、これは異常事態だ。

「あれが、もう一人の清輝?」

「えぇ」

 小さく頷いて、清輝は俺を促す。

「まずはここを離れましょう。見つかったら、いろいろな意味で説明が面倒だわ」

 その提案に俺は心底ホッとした。

 プールをのぞいていたなんてことがバレたら大問題だ。

 元々大して評判のいい生徒ってわけじゃないが、特に目立つところのない「その他大勢」なら、褒められることはなくても貶されることもない。

 でも、痴漢同然の不祥事の犯人となれば、周囲の目も変わるだろう。

 親も呼び出しを食らうだろうし、内申にも響くかもしれない。

 卒業までの半年を白い目で見られ、後ろ指を指されながら送ることになるのは勘弁だ。

 なるべく物音を立てないよう気をつけながら、俺達はプール脇の植えこみを後にした。


 校舎に入るといくらか涼しい空気に包まれる。

 陽射しが遮られるだけで、屋外とは快適さが段違いだ。

 二人揃って安堵の息をつき、どちらからともなく生徒会室へ向かって足を進める。

 清輝は生徒会長、俺は副会長というポストに就いていることもあり、教室以外じゃ一番なじみ深い場所だ。

 夏休み中だから他の役員も来ないはずで、人目にもつきにくいだろう。

 秘密の相談にはいろいろ都合がいい。

 人気のない廊下で、それでも俺達は声を潜めて言葉を交わす。

「どうなってるんだ、一体?」

「びっくりしたでしょ? 私も自分の正気を疑ったわよ」

「いや、『びっくり』じゃ済まないだろ、普通。自分がもう一人いるんだぞ?」

 そう、俺がプールサイドで目撃した白ビキニも、目の錯覚でなければ清輝本人に見えた。

 これがマンガやラノベなら、天使だの悪魔だのが変身しているとか、実は幼い頃に生き別れになった双子がいたとかの展開もあるんだろう。

 でも、あいにくこの世界では天使や悪魔は空想の産物ということになっているし、清輝に双子の姉妹なんかいたら、もっと大騒ぎになっているはずだ。

「この目で見てなければ信じられないわね。『こんな美少女が世界に二人もいるわけない』って」

「このナルシストめ」

「事実に対して謙虚なだけよ」

「はいはい」

 まったく、口の減らないやつだ。

 なにも聖女であれとまでは言わない、もう少し言動がマイルドならさぞ人望を集めただろうに。

 まぁ、現状でも全校生徒の憧れの的と言ってもいいくらいの存在ではあるけど。

「でも、あれって明らかに超常現象だな。ファンタジーだったら、ドッペルゲンガーってモンスターがいたりするけど……」

 自分と全く同じ姿をした魔物で、目撃すると数日のうちに死に至る……なんて伝承で知られているはずだ。

 思い出してギョッとする。

 まさか清輝の身を変事が襲うのか。

 そんな不安を、意図してのことではないだろうが、彼女は否定した。

「どんな化け物だって私の姿を再現できるはずがないわ。あれは間違いなく、もう一人の私よ」

 一体その自信はどこから来るんだか。

 とはいえ、俺の目にもアレは何者かが化けているようには見えなかった。

 不自然なところがまるでなくて、あれが清輝じゃないなんて誰も思わないだろう。

「まぁ、正体がなんであれ、とんでもない状況ってことに変わりはないな」

「そうね」

 清輝も表情を改めて頷く。

「さすがの私も一人じゃどうしようもないわ。それで、あなたに力を貸してほしいの」

「そう言われてもな」

「お願い、助けて」

 清輝は足を止めて振り向き、すがるような目で俺を見つめて訴えた。

 クッ、卑怯な。

 自分の見た目がいいって自覚があって、それを利用することに慣れている人間のやり口だ。

 とはいえ清輝はかなりの長身で、角度的には俺がやや見下ろされる格好だ。

 その分だけ威力にデバフがかかっている。

 これで上目遣いに見上げられていたら、その攻撃力たるや、さらに凶悪だっただろう。

 それでも、男なら女の子に頼られて悪い気はしない。

 まして相手が美少女ならなおさらだ。

 俺もこいつの「お願い」には今まで散々、振り回されてきた。

 今もつい条件反射的に頷きそうになってしまう。

 でも、今回は内容が特殊だ。

 俺は平凡な中学生で特別な能力に恵まれているわけじゃないから「自分がもう一人いる」なんて異常事態、どう解決すればいいのかさっぱりだ。

「そりゃ、俺にできることがあるなら協力してもいいけど、あんなのどうすればいいのかわからないぞ」

「あんなの」で俺はプールのほうを指さす。

「なにか心当たりはないのか? こんなおかしなことになった理由」

「ないわ」

 清輝はひょいと肩をすくめた。

 気取った仕草だが、こいつがやると様になる。

 結局、人間って見た目なのかなぁ。

 だとしたら、俺の人生はこの先、それほど高望みはできそうにない。

 清輝は再び歩き出し、ただね、と付け加える。

「断片的な記憶はあるのよ」

「断片的な記憶?」

 オウム返しに問う俺に、清輝は視線を返さずに頷いた。

「もう一人の私がいるはずだとか、あなたに助けを求めようとか」

「なんだそりゃ。余計わけわからんぞ」

「ごめんなさい。私にも説明できないわ」

 そう言って今度は振り向く。

「ただ、そういう記憶があって、実際にプールをのぞいたら『もう一人の私』は実在したでしょ? だから、その記憶にもある程度の信頼性はあるんだと思うの」

 確かに、なんの証拠もなければ、与太話だと決めつけただろう。

 こんな荒唐無稽な話に耳を傾けるのは、実際にこの目で清輝がもう一人いるという普通ならあり得ない事実を確かめたからだ。

 そういう意味で、まず最初に俺をプールに連れて行って、それを見せた清輝の判断は正しい。

「……一種の記憶喪失みたいな感じか?」

 うーん、と清輝は頬に手を当てて首を傾げた。

「もしかしたら、そうなのかも。自分がどこの誰でこれまでどんな人生を歩んできたか、そういうことは覚えてるつもりなんだけど」

「じゃぁ、俺のことは?」

 俺が自分を指さすと、清輝は極めて簡潔に答える。

「ぺー」

「ぺーって言うな」

「あら、懐かしい。久しぶりね、そのセリフ」

「……そう言えばそうだな」

 それは小学校からのあだ名で、親しい友人は皆そう呼ぶ。

 で、それを聞いた清輝もマネするようになった。

 最初はなんだかカチンと来て、人を勝手にあだ名で呼ぶなと抗議していたけど、一向に改める気配がなく、気がつけば慣らされてしまっている。

 清輝は淀みなく説明を加えた。

「私とは生徒会の会長、副会長の仲。一年のとき同じクラスで出席番号が一つ違いだったのが知り合ったきっかけ」

「ご名答」

 中学の入学式、その新入生代表として壇上に上がり、見事なスピーチを披露したのが、清輝だった。

 金髪、青い目、すらりとした長身。

 式場がその姿を目にしてざわめいたのを、今も鮮明に覚えている。

 外見でついたどたどしい挨拶を予想してしまったりもしたけど、そこらのアナウンサーよりよほど流暢な語り口、耳に心地よい涼やかな声で、退屈なはずの式典が鮮やかな印象を帯びた。

 その後、各クラスに分かれたとき、同じ教室に新入生代表の美少女が、それも自分の席のすぐ近くにいた幸運を、俺はめちゃくちゃ喜んだ。

 これから始まる中学生活、バラ色だとまで勘違いした。

 清輝が単に綺麗なだけのお姫様なんかじゃなくて、一癖も二癖もある変わり者だと判明するまでの、短い間のことだったけど。

 それからいくつか質疑応答を繰り返したが、いわゆる記憶喪失ではなさそうだ。

 専門家じゃないから詳しいことはわからないけど、俺と共通の思い出に食い違いはない。

「でも、念のため医者に行ったほうがいいんじゃないか。脳に関わる異常だと大事になるかもしれないし」

「心配してくれるの? 優しいわね」

 頬に手を当て、照れた素振りを見せるけど、今さらそんなことで動揺したりしない。

 そうやって人をからかうのは清輝の悪癖と言っていい。

 最初のうちは散々ドキドキさせられたが、今じゃすっかり慣れっこだ。

「茶化すなよ。超常現象に巻きこまれてるんだ、なにか原因があるはずだろ」

「そうね。状況が落ち着いたら考えるわ」

 清輝は真面目な顔に戻って頷き、でも、と苦笑を浮かべた。

「多分これ、お医者様の守備範囲じゃないでしょ」

 その見解には頷くしかない。

「もう一人の自分がいる」なんて常識外の事件を解決できるのは、超能力者とか、マッドサイエンティストとか、常識外の能力を持っている人種だろう。

 そんなの現実にはいないはずだ。

 少なくとも俺は今まで会ったことがない。

 で、話が戻る。

 ごく常識的な中学生に過ぎない俺がそういう事態に対処できるかと言うと、残念ながら難しい。

「俺の守備範囲も超えてるだろ」

「だいじょうぶよ」

 自信ありげに清輝は微笑んで、右手の扉に歩み寄り、ノブに手をかけた。

 渡り廊下の出入り口脇にある一室、それが生徒会の拠点として与えられた部屋だ。

 俺と清輝は一年の秋から出入りしている。

 決して広くはない、必ずしも快適でもない、でもいつの間にか愛着を覚えるようになった場所。

 俺と清輝の共通の思い出の多くは、この部屋に関連している。

 清輝はドアを開け放つと、颯爽と部屋の奥、「生徒会長」という役職標が置かれた席へ向かった。

 続いて入室し、後ろ手にドアを閉めた俺に向かって、凜とした声が飛んできた。

「それじゃ、私がもう一人いる件について、対策会議を始めましょうか」

 会長席に着いた清輝は、それだけで頼もしさが増して見える。

 だけど、気分的にはともかく、状況的になにかが変わったわけじゃない。

 俺は自分の認識を繰り返す。

「会議はいいけど、なにをどうするんだよ。さっきも言った通り俺にどうにかできるとは思えないぞ」

「できるわ」

「根拠は?」

「私が状況を打開する方法を知っているから」

「なんだ、知ってるなら教えてくれよ。どうすればいいんだ?」

 さらりと、だけどとんでもない返事が飛んできた。

「キスして」

 思わず目が点になる。

「……は?」

「彼女にキスをしてくれればいいの」

 あぁ、びっくりした。

 今、ここで清輝にキスをしろと要求されたのかと思った。

 いや待てよ?

 清輝にキスをしろと要求されていることに変わりはないのか?

 相手がプールにいるほうってだけで。

 なんにせよ、やれと言われて「はい、そうですか」と頷ける内容じゃない。

「無茶言わないでくれ。そんなことできるわけないだろ」

「それほど無茶を言ってるつもりはないんだけど」

「かなり無茶だよ!」

 そりゃ、俺と清輝が恋人同士だったりすれば、キスくらいしてもいいかもしれない。

でも、あいにく俺達はただの会長と副会長、極めて事務的な間柄だ。

 まぁ、俺は清輝のことは嫌いじゃない。

 理想的なお姫様という幻想を一度は打ち砕かれたけど、時間を重ねるうち、そのままの清輝も悪くないと思い直した。

 美人でスタイルが良いのは事実だし、なにより話しやすい。

 気を使わず言いたいことを言って平気だ。

清輝のほうでも同じようなことを思ってくれているみたいで、俺とは話していて楽だと言われたことがある。

 気が合うと言っていいのかもしれない。

 ただ、俺は「女子とつきあう」ということに、あまり現実感がない。

 カノジョができたらいいなぁ、とぼんやりした憧れみたいな気持ちはあるけど、実際につきあうとなったらなにをすればいいんだろう。

 同性の友達なら何人かいて、互いの家で遊んだりするけど、それと同じ?

 それとも、なにか特別なことをしなきゃいけないの?

 デートとか?

 でもあえて女子と一緒に行きたい場所ってのもないし、俺の小遣いじゃ交通費でさえ結構バカにならない。

 あとはやっぱりエッチなこと?

 そりゃ大いに興味はあるけど、あまりにも未知の領域で、いざとなったらビビってなにもできないんじゃないかって気がする。

 一方、清輝は清輝で誰ともつきあうつもりはないと公言していて、実際に野球部のエースもサッカー部のキャプテンも門前払いしたそうだ。

 そういうハイスペックな連中で無理なら俺みたいな平凡な男にチャンスはないだろうと、早々に見切りをつけてしまった。

 幸いと言うか校内では清輝と比較的親しい男子というポジションではあるので、それで十分という意識もある。

 変に高望みして全部失うより、今あるものを大切にすればいい。

「だいたい、そんなので本当に解決できるのか?」

「あら、知らないの?」

 清輝は大げさに目を丸くしてみせた。

「古今東西、お姫様を救うのは王子様のキスなのよ」

 まぁ、清輝には「お姫様」って言葉も似合うだろう。

 しかし、自分で言うのもなんだけど、

「俺は王子様ってガラじゃないだろ」

「それはそうね」

 あっさり頷かれて、俺はがっくりうなだれる。

 否定してほしかったわけじゃないけど、話の流れってものがある。

「少しは気を使うとかさ……。とりあえず協力者扱いなんだし」

「でも、あなたは『王子様みたいね』って言われて喜ぶタイプの人間じゃないでしょ?」

「それはそうだけど」

 清輝は小首を傾げて軽くため息をつく。

「仕方ないわね。キスがイヤなら、別の方法にしましょうか」

「別の方法って?」

 つい疑わしげな声が出てしまったが、不可抗力ってもんだろう。

 清輝は苦笑して手を振った。

「そんな警戒しないで。なにも服を脱がせとか押し倒せとか言うつもりはないから」

「言われてたまるか。協力するとは言ったけど、犯罪者になるつもりはないぞ」

 きっぱりと断言する俺に、清輝はテレビショッピングで見かけるような胡散臭い笑みを浮かべる。

「ご心配なく。あなたが無理なく実行できるプランを用意してるわ」

 清輝の「無理なく」は、割と無理がある。

 同級生として、生徒会役員としての付き合いで、そのことはよくわかっていた。

 俺は警戒を緩めず先を促す。

「聞くだけ聞く」

「彼女の生徒手帳を奪ってもらえる?」

「生徒手帳……?」

 思わず首を傾げる。

 あれってそんな特殊効果のあるアイテムだったっけ?

 どうでもいいようなことが書かれているだけで、入学以来、役に立った覚えがないけど。

「どう? 無理のないプランでしょ?」

 得意げな清輝に、ひとまず頷きを返した。

「まぁな。そのくらいなら俺にもできそうだ」

 と言うか、そっちを先に言ってくれ。

 わざわざ「キスして」なんて突拍子もないことを言う必要、なかっただろ。

 どうせ、ちょっとからかっただけなんだろうけど。

 それにしても、それがどんな意味を持つのか、その点も大いに疑問だ。

「でも、そんなんで本当に解決するのか?」

「そのはずよ」

「それも、断片的な記憶ってやつ?」

「えぇ。不確かな情報で申し訳ないけど、他にアテにできるものがないのよ」

 まぁ、不確かではあるけど、今のところそれに頼るしかなさそうだ。

 他に代案もないわけだし。

 それに「キスしろ」に比べればずいぶんハードルは下がった。

 バレても「ちょっとした悪ふざけ」で済まされる範囲だろう。

「で、生徒手帳を取ったらどうなるんだ?」

「あいにく、そこまでは。解決するはずだ、という結果に対する認識があるだけよ」

 俺は渋い顔で唸る。

「微妙に頼りない情報だなぁ」

「そこで頼れる副会長の出番というわけね」

「うまいこと言ったつもりかよ」

「あなたへの信頼を表明したつもりよ」

 清輝はにっこり微笑んだ。

「協力してくれるんでしょ?」

 断られるとは微塵も思っていない笑顔。

 まぁ、実際、断るつもりはないんだけど。

 清輝が困っていて、俺に助けを求めている。

 そんで頼まれた内容も、それほど無理でも無茶でもない。

 だったら、力になりたい。

「一つ貸しだぞ」

「えぇ。ちゃんとお礼はするわ。私にできることならなんでも」

 出たな、「なんでも」。

 女の子にそんな風に言われたら、中学生男子が想像することなんてエッチな内容に決まっている。

 だけど、その望みはまずかなわない。

 なんやかんやでごまかされて、ちょっといい話っぽいオチがついて「つづく」というのがラブコメの定番だ。

 わかってるんだよ、そのくらい。

 現に清輝も「自分にできることなら」と、ちゃんと逃げ道を用意している。

 無駄な期待に胸を躍らせるなんて意味のないことはせず、俺はクエストの解決に向けて話を進めた。

「でも、生徒手帳、持ってきてるかな? 夏休みだし、持ってくる必要ないかも」

「私の性格を考えれば、持ってきてると思うわ」

「それもそうか」

 本人とはかけ離れた性格かもしれない……と言うか普通の人間ですらない可能性も考慮しなくちゃいけない相手だけど、見た目通り「もう一人の清輝」だとすれば、生徒手帳を持っていないという心配はないだろう。

 清輝は堅物ってわけじゃない。

 むしろ生徒会長なんて肩書きの割りには、フリーダムな性格だと思う。

 けど、とにかく負けん気が強い。

 生徒手帳なんて、持っていてもなんの意味もない。

 今までの学校生活でなにかに使った覚えはほとんどない。

 せいぜい、他に手頃なものがない場面でのメモ帳代わりだ。

 でも、校則で「生徒手帳は常に携帯していること」と定められている。

 意味はなくても規則は規則だ、違反していれば注意されることもある。

 そして、意味のないことにケチをつける嫌味な先生も、何人かは心当たりがある。

 清輝はそういうのをすごく嫌う。

 だから極力隙を見せない。

 そのことを考えれば、たとえ夏休みのプール開放日だとしても、登校するときは一通りの用意はしているはずだ。

「生徒手帳くらいなら、ちょっと貸してくれって頼めばゲットできそうだけど……」

 言いながら清輝のリアクションをうかがう。

 案の定、彼女はかぶりを振った。

「それじゃダメ。同意を得て借りるだけじゃ条件を満たさないわ。本人の意志によらず、携帯していないという状態にする必要があるのよ」

 それも恐らく「断片的な記憶」による情報なんだろう。

 わざわざ「奪う」という言葉を使うんだから、平和的に借り受ける想定ではないと予想はできた。

 予想できてはいたけど……。

「面倒くさいな」

「そうでもないわ。今、絶好のチャンスよ」

「チャンス?」

 俺は思わず聞き返す。

 生徒手帳を奪え、なんてレアミッションに、チャンスもピンチもなさそうなもんだけど。

 怪訝そうな俺に、清輝はドヤ顔で人差し指を立てた。

「向こうはプールで泳いでいる最中。当然、生徒手帳は更衣室に置きっ放しと考えられるでしょ?」

「おいおい」

 思わず顔をしかめる。

「まさか、それを取ってこいって?」

「もちろん、あなた一人で行かせたりしないわ」

 頼もしさすら覚える笑顔で清輝は請け合った。

「一緒に行って、まず私が女子更衣室のなかに入り、使ってるロッカーの場所を確かめる。それから人のいない隙を狙ってあなたを呼びこめば、話は簡単よ」

「いや、そんな回りくどいことしなくても、ロッカーの場所がわかった時点で清輝が生徒手帳を取っちゃえばいいんじゃ……?」

 ごく当然の指摘と思えたが、清輝はまたもかぶりを振った。

「『私』が『私』の生徒手帳を取っても意味がないの。物理的な場所は移動しても所有権は引き続き『私』のままよ」

 理屈としてはわからなくもない。

 ただ、清輝からそういう言葉が出てくるというのは、少し意外な感じがある。

 魔術とか呪術とか、そういう類のネタを扱うフィクションでなら、考えられる設定だと思うけど。

「へぇ……。清輝もその手のマンガとか読むのか?」

「その手、って?」

「オカルト系って言うか、そんな感じの」

「嫌いじゃないわよ。この前、友達に『呪術大戦』を借りて読んだし」

「アレは途中からただの殴り合いになっちゃうやつだろ」

「そうね。結果、サブキャラのエピソードのほうが面白いって、どうかと思うわ」

「それな!」

 思わず身を乗り出してしまい、清輝の目が笑っていることに気づいて咳払いをした。

 マンガ談義で盛り上がるのは、また別の機会に譲るとして。

「なるほど、それで『自分一人じゃどうしようもない』とか『俺の助けがいる』って発言につながるわけだ」

 いつも自信満々の清輝にしては弱気な台詞だと思ったけど、物理的にどうしようもない事情があるらしい。

「それだけじゃないわよ。こんなこと初めてだもの。不安だわ」

「あのな……不安って言葉を不敵な笑みを浮かべながら言うの、やめとけ? 迫力あって逆に怖いから」

 頼もしいとも言えるが、不安なときは不安な顔をしてくれたほうが、こっちもなけなしの勇気を奮い立たせようかって気にもなる。

 そこでニヤリと笑われちゃ、自分の出番の必要性に疑問を抱かずにいられない。

 清輝は軽く頬を膨らませた。

「あら、か弱い乙女に失礼なことを言うのね」

「清輝と比べたら、俺のほうがよっぽどか弱いよ」

 少なくとも精神的には、清輝のほうが何十倍、何百倍もたくましいだろう。

 そして多分、物理的にも。

 体育祭で運動部のエース達を相手に互角以上に渡り合う清輝だ、たとえば腕相撲で勝負するとして、勝てるかと言われると自信がない。

「で、か弱い俺としては、女子更衣室に忍びこめって言われるとビビるんだけど」

「もちろん、使用中だったら出直すしかないわね」

「それは当然。あと、ロッカーを漁ってる最中に誰かが入ってきたら言い訳できないぞ」

「そのために私がいるのよ。たとえば……そうね、ゴキブリが出て、たまたま近くにいたあなたに助けを求めた、とか」

「うーん」

 ちょっと苦しい言い訳に聞こえるけど、通らなくはないかもしれない。

 俺が口にしても悪あがきとしか取ってもらえないだろうが、発言者が清輝なら話は別だ。

 もっとも普通の女子ならともかく、我らの頼れる生徒会長様がゴキブリごときに恐れを為すか、疑問ではある。

「まぁ、とりあえず様子を見に行ってみるか」

「そうしましょう。潜入作戦を決行できるかどうか、まずは状況を確かめないと」

「潜入作戦なんて言うとカッコいいけど、やることはプールの女子更衣室に忍びこんで、女の子のロッカーを漁るっていう……」

 混ぜっ返す俺を、清輝は冷ややかに見下した。

「変質者ね。見損ったわ、ぺー」

「自分が言い出したんだろ! ……って言うか、その冷たい目、やめて。マジでへこむ」

 俺が胸を押さえると、清輝はなんだか嬉しそうに微笑んだ。

 サディストか、こいつ。

 女王様とか似合いすぎるから勘弁しろ。

「じゃぁ、手筈通りに」

 席を立とうとする清輝を、軽く手を挙げて止める。

「いや、俺が先行するほうがいいと思う。いきなり、もう一人の清輝……長いな、コードネームを決めよう」

 俺の提案に清掛は小首を傾げ、パチンと指を鳴らした。

「二号でどう?」

「……まぁいいや、それで」

 安直極まりない呼び名だけど、通じればなんでもいい。

「一号と二号が鉢合わせってのは避けるほうがいいだろ?」

「そうね。二号は私の存在を知らないはず。作戦を成功に導くためにそれはとても大きなアドバンテージだわ。なるべく維持しておきたいわね」

 自分が「一号」呼ばわりされたことにはケチをつけず、清輝は頷く。

 俺としては、二人が一緒にいるところを他の誰かに見られたら騒ぎになりそうだとか、杞憂かもしれないけどドッペルゲンガーだったら清輝の生命に関わるかもしれないとか、そういう方向で懸念を抱いての発言だったけど、本人は全然違う思考回路で判断しているようだ。

 まぁ、方針は一致したから問題ないということにしとこう。

「だったら、清輝は俺を見失わない程度に距離を置いてついてくるってことでどうだ?」

「やっぱり、あなたを頼って正解ね」

 清輝は艶やかな笑みを浮かべた。

 一瞬、見惚れたことがバレないように、素っ気なさを装う。

「解決するまで正解かどうかわからないだろ」



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