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そろそろ吹く風に冷たいものを感じ始めたある日、秋向けの調度品を整えようとホタルは屋敷の片隅にある小部屋を訪れた。

いわゆる物置だ。

しかしながら、そこは大国の皇子のおわす場所というだけのことはあって、しまい込むには惜しい一級品が整然と並べられている。ここにあるものは自由にして良いとマアサから許しを得ているホタルは、何度か訪れては、その時の気候やサクラの気分に合わせた調度品を調達していた。

ホタルの主は、物欲というものがあまりない。

ドレスや装飾品のような身を飾るものから、部屋の様式や調度品に至るまで。

細かい要求をすることは、まずない。

そうは言っても好みがない訳ではないことを、長年仕えてきて心得ている。

濃い色彩よりは、淡いものを。

硬さを感じさせるものよりも、柔らかなものを。

身につけていて、側において、サクラが穏やかに過ごせるものを。

そんな風に思いながら、ホタルはいつも選ぶのだ。

今回の目的は、サクラの好みそうな暖色系のラグ、カーテン…それから、と必要なものを頭の中に箇条書にしながら、一応ノックをしてから物置に入る。

ラグはあの辺にあったはず、と部屋の奥へと向かいかけ、しかしながら、頭に箇条書きにした物品リストは一瞬にして白紙に戻ってしまった。

溢れる物に埋もれるようにして部屋の隅に置かれているソファに、シキが横たわっていた。

すぐに回れ右をして扉に向かったのは、一人ではないように見えたからだ。

華やかな布地が、シキに覆いかぶさって。

誰かと一緒?

そう見えた。

嫌な場面に出くわした。

身体の中の血液が急に存在を誇示して、ホタルの中を駆け巡る。

早くここから立ち去ろう。

それしか、思いつかない。

「ホタル?」

だが、扉に手をかけたところで、背後から聞き慣れたのんびりとした声がかかった。

このまま立ち去ってしまう?

それはあまりに無礼だろう。

深呼吸を一つしてから、振り返った。

ホタルの視界にはシキ。

一人でソファに座っている。

その膝には、ショール。女性ものの、華やかな色彩が目を引く、大判のものだ。

シキは、たまたまここにあったのだろうショールを上掛けがわりに、ソファに横になっていたようだ。

その華やかな色彩が、ホタルに幻覚を抱かせたのか。

かっと頬が熱くなる。

なんて勘違いをしたのか。

間抜けだし、いくらシキの噂の数々を耳にしているからとは言え、さすがに失礼かもしれない。

ここのところのこの側近の忙しさは、漏れ聞いている。

僅かな合間をぬって、ここで休息を取っていたのだろうに。

「申し訳ありません」

何を詫びているのかよく分からないまま、頭を下げて部屋を出ようとする。

しかし、それをシキが止めた。

「ホタル、仕事だろう?」

そうだが、差し迫っている訳ではない。

迷うホタルに、シキは「私はさぼっているだけだから、気にせずやってくれ」

と言って、乱れた髪を指で乱暴に梳いた。

口調は柔らかく、表情も普段とあまり変わりなく見える。

だが、見慣れない荒っぽい所作が、その心身の疲れを隠し切れずにいるように思えて。

「大丈夫ですか?」

いつもは彼からかけられる言葉が、つい口から零れた。

貴公子は一瞬動きを止めて、そして、いつもどおりに見える微笑みをくれる。

「大丈夫だよ」

ホタルよりよほど大人で、よほど修羅場を潜ってきているのであろう男に、それ以上を尋ねる気はない。

ホタルは「では、少しお騒がせ致しますが…」と、なくしてしまった物品リストを再度頭に描きながら、見合ったものを探し始めた。

「…ホタル」

目的のラグを見つけたところで呼ばれる。

ホタルは手を止めて、シキの前に戻った。

「はい」

座るシキの前に立ち、見上げてくる男という珍しい構図の、その顔だちの端正さに思わず見入る。

「ホタル」

再び名を呼ばれて、己の無礼な行為に気がつき、慌てて膝をついた。

いけない。

「…いや…別に見下ろしてもらって構わないが…」

シキはそう言うが、ホタルはもう一度言い聞かせた。

いけない。

「いえ、申し訳ありません」

馴染んでしまっては。

気を緩ませては。

この方は、親しげに話しかけて下さるが身分が違う。

それは、シキに感じる苦手意識が脅威に変わった時に、ホタルが彼と一線引くために見つけた最も己が納得する理由だった。

「ホタル、ケイカが見つかったようだ」

シキがホタルの態度をどう思ったかは、その声からは推し量ることはできなかった。

その声音は、何一つ今までと変わらないように親しげで柔らかい。

ホタルは俯いていた顔を上げた。

「迎えに行きたいが…どういう訳かここのところ、魔獣がえらく騒がしい」

シキは笑みに苦いものを含ませて、ため息に近い呼吸を一つ。

確かに、シキの忙しさは尋常ではないようだ。

ここに来たばかりの頃は、カイやタキと執務室にいることも少なくなかったが、最近は屋敷内にいることの方が少ないのではないかと思われた。

「せっかく君が見つけてくれたのにな」

ホタルは、シキの言葉に首を振りながらも、自分の力がこんな風に人の役に立つことが嬉しかった。

「母も随分と落ち着いてきていて…ケイカの今の状況を認め始めている」

ホタルはシキによく似た面立ちの夫人を思い浮かべた。

壊れてしまった者特有の笑みを浮かべていたあの女性が、穏やかな母の笑みで娘を迎え入れる瞬間が来たとしたら。それを、シキやタキや、その父である公爵が幸せで心を満たしながら見守ることができたなら。

それは、きっとホタルの救いになる。

嫌いな力だけれど、こんな風に誰かを幸せにするために使えるならば、と。

「もし…少しでもお役に立てたなら…」

「少しじゃない…すごく、だよ」

シキの言葉に笑みが零れた。

「何か礼がしたいが」

ホタルはとんでもないと首を振った。

こんな力が、役に立つと知ったそれだけで十分だ。

「奥方といい、君といい欲がないな」

ホタルの引っ張り出してきたラグを眺めながら、シキが呟いた。

「カイ様も苦労なさる訳だ」

「そうでしょうか?サクラ様が欲しいのは…」

カイ様だけです。

そう、言いかけてホタルは止めた。

シキの言動を思うと、妙な方に流れそうな言葉だったから。

「…サクラ様が欲しいのは…カイ様だけ?」

だが、シキがそれを続ける。

やっぱり。

なんだか。

その声音は微妙。

しかし、シキはそれを追求しはしなかった。

代りに「だから…カイ様をサクラ様から引き離す…なんてのはなしな」と続けて、ホタルに首を傾げさせる。

「君への礼…君が求めるなら、可能な限り応えるけどね」

ホタルはぱちくりと目を見開いた。

そして、シキの言う意味が分かって、微笑んだ。

「そんなことお願いしません」

以前ほど、あの二人のお姿に心が騒ぐことはない。

こうやって、慣れるものなのだ。

時間が解決することは、世の中になんて多いのか。

「無期限だから…何か欲しいものができたら言いにおいで」

シキの話はこれでひと段落のようだ。

「はい」

ホタルは頷いて、頭を下げると立ちあがった。

作業を続けようと思ったのだが、すぐにシキに呼ばれて手を止める。

「…それ、どれくらいかかる?」

問い掛けに再びひざまずこうとすれば、それを手で止められる。

その場に立ったまま「30分くらいだと思います…やはりお邪魔ですか?」

尋ねれば、シキは首を振った。

「いや…音には鈍いから眠れる」

違うだろう。

鈍いのではない。今、この場所が平和だと、神経が感じ取っているから眠れるのだろう。

少しでも不穏な気配を察すれば、それが無音であっても騎士は目を覚ますに違いない。

「終わったら起こしてくれ」

シキは、先ほどと同じようにショールを上掛け代わりにして、ソファに横たわった。

「承知致しました」

疲れを隠しきれないまぶたに瞳が覆われたのを見届けて、ホタルは時計を見た。

30分。

時間を確認してから、なるべく静かにと気をつけながら作業に取りかかる。

ふと耳を傾ければ、シキの穏やかな呼吸が届いて、彼が本当に眠りに就いていることを教えてくれた。

何故か、ひどく満たされた気分で、ホタルはそっと笑みを零した。



名を呼ばれ、シキはまぶたを上げた。

「シキ様」

目の前にホタルがいる。

一瞬、夢を見ているのかと思った。

夢ならば、引き寄せて口づけるところだが。

「30分経ちました」

それが、現実を思い起こさせた。

そうだ、ここで仮眠をとっていたのだ。

シキは体を起こした。

思いがけず、熟睡してしまったようだ。

「私、失礼致します」

立ち上がるホタルに視線を合わせながら、チラリと備えられた時計を見れば、まぶたを伏せる寸前に確認した時間から、きっかり30分後を示している。

「こちらにお茶をご用意しておきましたので、よろしければどうぞ」

それはつまり、少なくともホタルの仕事は既に終わっていて。

シキが言った30分に合わせてお茶を準備してから、声をかけたと。

そういうことだろう。

「…ありがとう」

この気遣いがシキを癒す。

だが、もっと違う癒しを欲している。

心も体も。

「いえ…失礼します」

ホタルは立ちあがって、一礼した。

やはり、この娘が欲しい。

どんな理由があろうと、手を引くことなどできない。

シキの言葉の一つ一つに、戸惑っている。

シキとの距離を一定に保とうとしている。

気が付きながら、言葉は止まらない。想いは消え失せない。

この娘が、どうしても欲しい。

今この時も。

立ち去ろうとする腕を捕らえて、このソファに横たわらせて。

いつか見た白い肌で、この疲れと…独特の飢えを癒したい。

そんな欲望をなんとか抑えて、シキはホタルを笑顔で見送った。

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