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とても滞在できる状態ではないアルクリシュの屋敷から、ラジル邸に戻ってきたホタルの日々は一見平穏だった。

ホタルを心穏やかにさせてくれない人の命懸けの不在理由を考えれば、もちろん無事を祈らずにはいられない。サクラの不安げな様子を見れば、屋敷の主の早い帰還を望まずにはいられない。

しかし、罪悪感と背中合わせながらも、その人がいないことはホタルにとっては、いくらも物思いを減らしているのが事実だった。

そんな日々は2週間ほどだっただろうか。

終わりを予兆し始めた夏の花々を、どうしても寂しさを紛らわせないでいるサクラの慰めにと、庭師に腕いっぱいに切ってもらったホタルは、木々の合間にいるその存在に気がついて足を止めた。

「タオ?」

名を呼ぶ。

真っ白な、とても美しい魔獣は庭の片隅から上を見上げている。

「どうしたの?」

尋ねながらその穏やかな目線を追えば、サクラの部屋に行き着いた。

この子は、いつもサクラの傍らにいた。

破魔の剣が、サクラの内にない間は。

軍神がサクラの側にいない間だけ。

ああ、そうなのか。

ホタルは気が付いた。

剣が戻ったのだ。サクラの内に。

この度の魔獣狩りは、一応の決着が着いたのだろう。

だから。

「もうサクラ様の側にはいられないのね」

カイもまもなく戻るだろう。

サクラの元に。

シキも、戻るのだろうか。

誰の元に?

浮かぶ思いは、心の片隅に押しやって。

ホタルはしゃがみ込んで、タオに視線を合わせると慰めるように微笑んだ。

「また、来る?」

ホタルに負けないくらいサクラを大好きな獣。

また、来るとしたら。

それは、再び剣がサクラの元から、カイの手へと渡るとき。

サクラには辛い日々。

そんなときにしか側にいられないタオに、ホタルは心から同情した。

この白い獣の切なさに比べれば、ホタルの状況はいくらも悪くないと思える。

「…暇だったら…私にも会いにきてね。いくらでも、サクラ様の様子を教えてあげる」

そう言って耳の後ろを指先で撫でてやれば、タオはホタルの鼻先にちょこんと濡れた鼻を触れた。

そして、ふわりと舞い上がるように駈け出す。

今のは、同志の挨拶?

ホタルはクスリと小さな笑いを零す。

「元気でね…怪我なんてしないでね」

聞こえるか分からないけれど、そう呟いた。

ホタルはいつだって、こうして送り出す側だ。

そうしかできない者の務めとして、戻った時には笑顔で迎えよう。

「さて、と。いつお戻りになるのかしら」

サクラ様の想い人と、その側近は。

きっと、寄り道なんてしないで、まっすぐに戻ってくるだろうから。

戦いに疲れた軍神は、すぐにもサクラの元で癒されたい筈。

花束を抱え直して、ホタルは屋敷へと向かう。

カイが戻る。

シキが戻る。

平穏な日々の終わりかもしれない。

それでも、ホタルの心には一欠片の不満もなかった。


そして、竜が舞い降りる。

降り立った軍神を、サクラは優雅な礼で迎え入れる。

それに倣うように頭を下げながら、ホタルはそっとサクラを見やった。

剣が戻ってからのサクラは、どうしてか不安げだった。

明るい態度を表面に乗せてはいたが、ふとした時に表情が沈み込む。

どうしてだろう。

カイ様がお戻りになるのに。

今度こそ、サクラ様の想いは成就するだろうに。

なのに、どうして、こんなに不安な顔をなさるのだろう。

今もそう。

カイはサクラを求める気持ちを抑えきれないように口付けを一つ与えて屋敷へと戻っていく。

家人たちが驚きと、だが、明らかな好意でそれを受け入れて動き出す中、サクラだけが…サクラの不安を感じ取っているホタルだけが、動きを止めて戸惑っている。

「意外におとなしいな」

竜を降りて初めて聞こえた声は、いつものとおりのんびりとしたものだった。

サクラの緊張は、張りつめたまま。

ホタルの緊張は、スルリと落ちて。

「…てっきり、このまま寝室に直行かと…」

続く、いつもの軽口に。

「シキ様…やめてあげ下さい」

遮る余裕も出てくる。

シキは軽く肩を竦めて、言葉を止めた。

そして、これも以前と何も変わらない柔らかな…そして少し悪戯めいた笑みを、ホタルにくれる。

それが、安堵をもたらしたなどとは認めたくない。

認めたくないけれど…では、この胸に広がるものを何と呼べば良いのだろうか。

シキとタキが立ち去り、サクラとホタルが残される。

サクラは、途方にくれたようにその場に立ち尽くしている。

なんと声をかけるべきか。

多分、サクラの中には、ホタルには分からないたくさんの不安が溢れているのだろう。

カイが戻った以上。

そして、今のカイの態度からしてみても。

カイがサクラを欲していることは明らかだ。

いつかシキが言ったように、逃げ場はないように思える。

そもそも、逃げる理由もない筈だ。

サクラ様は、カイ様をお好きなのだから。

そして、カイ様も。

だから、結ばれるのは当たり前。

それでも。

もし、このまま、ここにいたら?

そうしたら、もしかして以前のように、無邪気に笑うだけの二人に戻れる?

そんな、在りえない馬鹿みたいな考えを振り払い、ホタルは心がけて、明るい声を出した。

「サクラ様、部屋に帰りません?」

サクラは聞こえているのかいないのか。

ただ、物憂げに宙を見ている。

ホタルはサクラの手を引いて、歩き出した。

ホタルにとっても、それはとても覚悟のいる一歩だった。


ホタルは誰もいない庭の隅にいた。

自分でも呆れるのだが。

辛いことや、哀しいことがあったとき。

誰とも顔を会わせたくない時。

そんなときの逃げ場所はいつも隅っこだ。

庭の隅だったり。お屋敷の隅の部屋の、そのまた隅だったり。

とにかく隅っこ。

そして、耳を塞いで、目を閉じて。

何かを待つ。

それはホタルの感情の嵐が遠ざかることだったり、聞こえそうな喧騒が止むことことだったり。

様々。

今夜は。

ただ、時が過ぎるのを待てば良い。

それだけ。

今夜、サクラ様はカイ様に召されるだろう。

その夜に、ホタルはマアサに全てを任せて、サクラから離れていることを選んだ。

ホタルでは、ダメだ。

もし、サクラが少しでも望まない素振りを見せれば、あの不安げな表情を見せれば、それに同調してしまうだろう。

宥めて、カイの元へと背中を押すことなんてできないから。

離れたところで、こうしてサクラを案じている。

案じながら…ただ。

ほんの少し。

寂しさが増してしまう。

小さな嫉妬にも似た感情が沸き上がる。

仕方がない。

だって。

ホタルにはサクラだけだから。

だから、この感情を完全に消し去ることなんて無理。

ホタルは一本の大木の下にしゃがみ込んだ。

春になると華やかなピンクに染まる樹木は、今は青々とした葉を繁らせている。

幹に額を当てる。

その内を流れる音に集中する。

何も聞かない。

何も考えない。

言い聞かす。

だけど。

こうしていると。

ホタルが泣きたい気分でしゃがみ込んでいると。

最近は必ず現れて、頼んでもいないのに相手をしてくれる方がいたことを思い出した。

でも、今夜は現れないだろう。

カイがサクラを求めるように。

あの方も、例えそれがかりそめであっても、一時の温もりと癒しを求めている筈だ。

浮かぶ考えを振り払う。

ホタルを癒す樹木の内を流れる水と、僅かに吹く風の音だけに、集中しようとするのに。

寂しさに負けて力が暴走しそうになる。

必死に耳を閉ざす。

何も聞かない。

聞いてはいけない。

サクラ様の声も。

あの人の声も。

何も。

「誰かいるのか?」

ホタルは息を飲んだ。

聞くまいとしていた筈の声。

力が暴走して、声を探ったのかと疑う。

だが、振り返れば、現実にシキはそこに立っていた。

「…ここにいたのか…」

何かにホッとしたような声だった。

ホッとしたのはホタルの方こそなのに。

「大丈夫か?」

しゃがみこむホタルの前にひざまずき、尋ねてくる顔は真剣だ。

「…何がですか?」

素直な問いだった。

なのに、シキの眉間に皺が寄る。

「まったく…この子は…」

言うなり抱き寄せられた。

「…っシキ様…」

驚いて身を引こうとするのを、力で押さえつけられる。

力では絶対敵わない。そんなのは、承知している。

それでも、もがくホタルをシキの一言がおとなしくさせた。

「泣いてしまえ」

そんなこと。

できる筈ない。

どうして、泣くことがあるだろうか。

「泣きません」

答える。

しかし、抱きしめる体を自ら遠ざけるには、あまりにそこは心地好い。

「泣けば良い」

そう言って、促すように。

抱く力が強まる。

「…どうしてですか?…」

サクラ様は幸せなのに。

それは私をも幸せに導く筈なのに。

「寂しいんだろう」

寂しくなんて。

強がるには、この状況は優しすぎる。

いつかは、慰め合うことを拒んだ。

だけど、今のシキの慰めを拒むことなんて。

「泣いてしまえ」

背中を撫でる手のひらから、逃げだすなんて無理だ。

それでも、涙を堪える。

「…奥方には内緒にしておく」

その言い方が少しおかしくて。

笑おうとした筈なのに。

突然、涙が溢れ出た。

「…サクラ様には内緒にして下さるのですか?」

言って、シキの胸元に顔を埋めた。

泣いて良い、とは言ってくれていても。

泣き顔を晒すことは、躊躇われた。

「内緒にしておくよ」

ホタルの心を見透かすようにシキは、隠した顔を胸にしまいこんで腕に包んだ。

ホタルは諦めて、シキに甘えることを自らに許した。

別に、サクラと離れ離れになる訳でもないのに。

なのに、寂しくて。

遠くに行ってしまう訳ではないのに。

それでも、手が届かない気がする。

痛くて痛くて…どこもかしも痛くて、どうしようもない。

「…君の奥方への想いは…まるで恋だな…」

揶揄する響きを持たないそれに、素直に頷く。

そうなのかもしれない。

恋なんて感情は知らないけれど。

きっと、そうなのだ。

だって。

「サクラ様は特別なんです」

ぽつり、と呟いていた。

「うん」

慰めの抱擁を続けながら、シキが頷く。

止められない涙を、受け入れてくれるそこに落とし続けながら、ホタルは続けた。

「私、サクラ様がいなかったらどうなってたんだろう」

シキに話そうとしているのか。

それとも独白?

こんな話…誰にもしたことはない。

先を促すように、シキの手のひらがホタルの背を柔らかく叩く。

「…サクラ様がいなかったら…私…」

サクラと出会った日のことを。

初めてオードル家を訪れた日のことを。

ホタルははっきりと覚えている。

あの日は、ホタルが生まれ変わった日だから。

両親を相次いで亡くしたホタルは、それまで一度として会った事のない父方の祖父に引き取られることになった。父の部下だという男に連れられて、オードル家の裏門を潜ったのは6つの時。

立派なお屋敷に気後れするほどの気力もなかった。

広がる庭の美しさも目に入らなかった。

自ら動くことができるだけで、あとは何も感じられない少女は、照りつける真夏の日差しの中、黙々と庭の手入れをしている男の元へと連れて行かれた。

それが祖父だった。

父の父だから、当然のように初老の年齢に達していた。

だが、労働で鍛えられた体はたるみを感じさせず、よく日焼けした肌の色艶も見事だった。

もっとも、その時のホタルには、それらも認識できていなかった。

だが。

「…ホタルか?」

祖父の最初の言葉はそれだった。

その声を聞いた途端、ホタルの体は凍りついた。

誰もが汗ばむ暑い季節にも係わらず、足が震えて立てなくなり、その場にしゃがみ込んだ。

祖父の声は、そっくりだったのだ。

あの男に。

ホタルに無情なまでに、声を聞くことを求めた男…世間では父と呼ばれるその存在。

もう、いない筈なのに。

なのに。

今まで、閉ざしていた耳が一気に爆発した。

ありとあらゆる声が、知らない言語が、洪水のようにホタルの頭の中に流れ込む。

ホタルは耳を塞いで聞くまいとするのに。

止まない。

それは、止まらない。

助けて!

誰か助けて!

ホタルは心で叫んだ。

今まで誰かが助けてくれたことなどないのに。

いつだって、自分自身で抑え込むしかなかったのに。

なのに、その時。

「ホタル」

いきなり、耳元で聞いたことのない声がした。

幼い少女の声だった。

「ホタル?」

必死に顔を上げると、驚くほど間近に同い年くらいの少女がいた。

「…大丈夫」

彼女はにっこりと笑った。

そして、ホタルの手のひらの上に、自分の小さな手のひらを重ねた。

「聞こえない…何も聞こえないから、もう大丈夫」

ホタルが遠耳であることを知っているのか。

少女はそう言って、しばらくの間、ホタルの耳をふさぎ続けてくれた。

すると、本当に止んだのだ。

声という声。音という音。

それらがすべて消えた。

ホタルが驚いたように少女を見やると

「ね?」

と彼女は微笑んだ。

そして、立ち上がり呆然と成り行きを見ている男に笑いかけた。

「ジン!」

ホタルと同じくらい小さな体で、大きな祖父を呼ぶ。

祖父は微笑みを返しながら、ホタルと彼女に近付いた。

「ホタル?」

今度の声は、父とは全く違って聞こえた。

とても穏やかで、優しい声だった。

何故、父と間違えたかと思うほど。

ホタルは頷いた。

すると、祖父はホタルを軽々と片手で抱き上げた。

思えば、あれは生まれて初めての…ただ、むずがる子供をあやすための、優しさに溢れた抱擁だった。

「ここで、私と暮らすことになるんだよ…大丈夫かな?」

ホタルは、もう一度頷いた。

父と少しだけ似た面立ちの祖父は、それでも、もうホタルにどんな不安も与えなかった。

「ありがたいことに、サクラお嬢さまのお相手をさせてもらえるそうだ」

言いながらジンは、もう片方の腕に、求めて手を伸ばす少女を抱いた。

「サクラよ。よろしくね、ホタル」

祖父の腕の中で。

サクラの笑顔に溢れて。

ホタルは頷いた。

「ホタルです…サクラ様」


あれから。

あの時から、ホタルにとってサクラは絶対になった。

「あの日から…サクラ様は特別なんです」

シキは何も言わない。

ただ、ホタルを抱きしめたまま。

ただ、ホタルの背を宥めてくれていた。

いつの間にか、ホタルの涙は止まっていた。

だから、ホタルは、そっとシキの胸元から顔を上げた。

これ以上は甘えていられない。

「…明日から、また、笑ってお仕えするんだろう?」

シキの手のひらが、ホタルの頬に残る涙の跡を拭う。

「はい」

答えて、ホタルはシキから離れた。

そして、見下ろしてくる視線に、大丈夫だと微笑んで見せた。

「ありがとうございます」

シキの腕は、ホタルを追いかけては来なかった。

「もう大丈夫です」

シキに告げながら、自分自身に言い聞かせる。

大丈夫。

こんなに泣いてしまったのだから、しばらくは涙なんて出ない筈。

だがら、サクラ様にも笑ってお仕えできる。

だから、シキ様にも微笑んでお礼が言える。

「おやすみなさいませ」

シキは頷いた。

「…ああ…」

一瞬だけ、ホタルの頬にもう一度シキの手のひらが触れる。

何か言いたげにも見えるシキだったが、結局出た言葉は「おやすみ」の一言だった。

先日の出征の時といい、何か言葉を飲み込むことが多くなった気がする。

この饒舌な騎士が?

まさか。

ホタルは自分の考えに心で失笑し、一礼をしてシキに背を向けた。

屋敷に戻るホタルの耳にシキの呟きが届く。

「…強敵過ぎる」

意味は分からなかった。



明日からまた笑顔でお仕えしよう、と心に決めたのに。

泣いたおかげで、ひどくすっきりした気分なのに。

「お仕えできないじゃないですか!」

今朝、サクラの寝室に向かおうとしたら、マアサに止められた。

苦笑いを零しながら、今日はサクラの部屋に近付かない方が良いと言われて。

持って行き場のない気持ちを、はっきりこれが八つ当たりだと分かっていても、たまたまなのかタイミング良く現れた目の前の方にぶつけるしかない。

出会い頭に、朝の挨拶もそこそこに訴えられたにも関わらず、シキは穏やかな笑みを浮かべながら、ホタルの怒りを受け止めた。

「まあまあ…その様子だと暇だろう?私も暇なんだ。こっちおいで」

連れて行かれたのは厨房横にある小さな小部屋。

料理長のレンが、軽やかに挨拶をして、シキにお茶を渡した。

「邪魔するな…と、それはそれは厳しく命じられていてね」

誰に、と問うまでもない。

むうっと膨れる怒りは収まらない。

「あのね、ホタル」

シキが指差すまま、椅子の一つに腰掛けた。

「いつからその気だったのかは知らないけどね。アイリに取り上げられる、魔獣狩にかりだされる、ではカイ様もさすがに限界だろう?」

と言う言葉は容赦なくあからさま。

だが、動作は子供をあやすかのように。

手のひらに焼き菓子を乗せてくれる。

こんなものじゃ誤魔化されない。

思いつつ、手に乗せてもらったものは礼を述べて頂戴する。

「ようやく手に入れたとなれば…寝室に籠りたくもなるだろう?」

どうして、こういうもの言いをするのか。

反論する気が萎えて、代りにそれが意味することに顔が熱くなる。

「まあ、せいぜい3日だと思うよ。それ以上は多分タキが音を上げるだろうから」

ホタルはため息をついた。

3日も?

新婚さんって…そういうもの?

その間、ホタルは何をすれば良いのか。

「それとも…アイリみたいに、突入してみる?」

面白そうにシキは言うが、とんでもない。そんなこと、できる筈がない。

ホタルはぶんぶんと首を振った。

「賢明だ」

ぽんぽんとホタルの頭を軽くはたき、シキが今度はカップを手渡してくれる。

ここでシキと暢気にお茶をしている状況。

これはいったい何なのか。

「シキ様…お疲れでは?」

頂いたお茶に口をつけて、ホタルはぼそりと尋ねた。

カイが狩りから帰って、サクラの元で癒しているならば、シキだってそうしたいところだろう。

どなたか。

癒してくれる人の元で、ゆっくりとしたいだろうに。

昨夜は、ホタルの相手をさせてしまった訳だし。

暇だという今も、ホタルを慰めている。

「お休みになられた方が…」

どこかで。

どなたかと。

何故か、更に気分が沈んだ気がする。

だが、本当にそうした方が良いと思っているから。

「一人にしたくないな」

それは?

ホタルは眺めていたお茶から目線を上げた。

思いがけなく、真面目な顔をした騎士に当たる。

「君を、だよ」

ホタルは俯いて、もう一度お茶に口をつけた。

「どこかでこっそり泣いているんじゃないかと思うと落ち着かない」

一体、どんなつもりで、こんなことを言うのだろうか。

ただの同じお屋敷にお仕えする者としての、気遣いだと思えば良いのだろうか。

「君を放っておけない」

ドクンと心臓が波打った。

苦手だ。

この方は苦手だ。

この言葉には、どれほど意味があるのか。

分からない。

聞こえるもの全てを真実だと思って良い筈がない。

言葉をたくさん紡ぐ方は、どれが本当なのか分からない。

分からないから…とても苦手だ。

久しく感じていなかったものが、急激に膨れ上がる。

いたたまれない。

「もう…大丈夫です」

お茶をテーブルに戻した。

「…どうだろうね」

もう一度大丈夫だと告げるために顔を上げたのに。

ぶつかる瞳に負けて、すぐに俯く。

「マアサさんに仕事頂いて、キリキリ働きます」

ホタルは勢いよく立ち上がった。

ひとまず逃げよう。

それしかない。

「頑張っておいで」

シキがヒラヒラと手を振る。

ホタルは一礼して部屋を出た。

苦手。とても苦手。

違う。

もはや、苦手を通り越して。

怖い。

あの方が怖い。

多分、それが一番相応しい。

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[一言] ホタルも受け入れられるのか?どうかしあわせを
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