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 夏の盛りもとうに過ぎ、短い秋はそうと気づけばあっという間で、早くも季節は冬を迎えようとしていた。

 今日のサクラの装いは、秋の名残を惜しむように、色付いた葉を思わせる紅のドレス。あまり派手な彩りを好まないサクラらしく、それを薄手の白い紗で包み込んで、色合いを柔らかくしている。

 相変わらず長い髪は結われておらず、少し冷たさを含み始めた風にフワフワと揺らされていた。

 その傍らには、マツリが寄り添っていて、それが今のこのお屋敷では当たり前の光景なのだと分かってはいても、ふと寂しさを覚えてしまう。

 なんとなく声をかけそびれて、門から中庭へと続く敷石の上に佇むホタルの背中を、横に立っていたシキがポンと押してくれる。

 頼りがいのあるそれに促されて一歩踏み出すと同時に、サクラがホタルに気が付いた。

「ホタル!」

 嬉しそうに微笑んで駆け寄ってくる姿に、つられるように駆け足になってサクラの元に辿りつく。

「サクラ様!」

 ホタルの方の本日の装いは、これもまた、秋の葉を彷彿とさせる黄色。濃淡の違う糸と生地が複雑に組み合わされたもので、もちろん秋色のサクラに合わせた訳ではなく、義母となる方と侍女頭が選んで着せてくれたものだ。

 衣装を扱い慣れた二人に言わせると、ホタルの髪や目鼻立ちには少しばかり華やかな衣装の方が合うのだそうだ。

 ずっと地味なものばかり身につけてきたホタルにとっては、着慣れないものばかりで戸惑いや気恥ずかしさも少なくはないが、これも花嫁修業の一つだと言われてしまえば粛々と受け入れるしかない。

 世間的に見れば「今をときめく」と冠のつく娘二人は、少々肌寒さを感じる庭で、ひしと抱き合い再会を喜んだ。

 その姿は、名だたる方々を伴侶に持つ身とは思えない無邪気さで、とかく作法に厳しいオードル夫人の目に止まりでもしようものならばお小言の一つや二つも飛び出しただろう。

 しかし、幸いなことに、ここには二人を咎める者は誰もいない。

「会いたかった!」

「私もです! シキ様が意地悪で連れて来てくれないのです!」

 ホタルの言い分に、どこか憧れにも似た視線で二人を見つめていたマツリがぷっと吹き出し、慌てて笑いを引っ込める。

 ホタルの後ろを歩いて来たシキが、眉間に皺を刻んでそれを聞いていたからだ。

「……三日前に会っただろう? あれは?」

 シキが挟みこんできた問いに、ホタルは、むっとして見せながら答えた。

「あれは、会ったとは言えません」

 シキの言うあれ、とは、キリングシーク皇帝の一の姫であられるツバキ様の、お誕生日会のことだ。

 サクラはカイの正妃として。

 ホタルは、シキの婚約者として。

 それぞれの立場で出向いたそこで、はしゃげる筈もなく。

 形式ばった挨拶を交わした後は、ただ時折目線でお互いを労うことしかできなかったあれが、どうして会ったと言えるだろうか。

 しかも、主役のツバキ様はにこやかにホタルを迎え入れて下さったが、例のアヤメ様といえば、それはそれは敵意に満ち溢れた視線でホタルとサクラとを交互に睨みつけて下さって、これで二人揃って楽しげにしていたらあの姫君はどうなるのかと思うと、易々とサクラに近付くことさえ憚れる様子だった。

「まあ……確かにね。でも、一週間前にも来たばかりだ」

 それは、前にここを訪れた時のこと。

 でも、そんなのは。

「一週間なんて、すごい前のことです」

 ほんの少し前まで、サクラと毎日一緒に過ごしていたのだから。

 もちろん、シキのことは好き。愛している。

 でも、それとは別にサクラが側にいない日々は、やはり寂しい。

 これは、シキの機嫌を損ねようとも、どうしようもないホタルの気持ちだった。

「はいはい」

 シキは呆れたように軽く肩を竦めると、一足先に屋敷へと入っていく。

 その背中を見送ってから傍らの人に目を戻せば、同じようにシキを見送っていた。

 そして、何故かクスリと笑う。

「サクラ様?」

「……睨まれなかった」

 ホタルの問いの混じった呼びかけに、サクラはそう答えた。

 意味が分からず首を傾げる。

 サクラはちらりとホタルを見てから、一歩踏み出した。

 ホタルは、その横に並んで歩き、その少し後ろをマツリが付いてくる。

「以前はよく睨まれたの」

 クスクスと笑い声の混じったかつての主の言葉は、ホタルには全く意味不明。

「はい?」

「最初はね、遠くからよく見ていらっしゃるなあって。それが、どうやらホタルと一緒にいる時だけらしいって気がついて」

 シキがスタスタと歩いて行った道のりを、サクラはゆったりと進んでいく。

 その隣でホタルは話の続きを待った。

「何なのかしら、なんて思っていたら……いつの間にか、私が睨まれるようになって。今度は何故かしら、って思ってたんだけど」

 いったい、それはいつのことなのだろう。

 そんなこと、ホタルは全然知らない。

 気がつかなかった。

 この方の、おっとりした空気に紛れがちな鋭さに、改めて感心してしまう。

 幼い頃から、妙に人の機微に聡い方ではあった。

 それは、ホタルの聞こえない声を聞く耳を持っているのではないかと思う程だ。

 だからこそ、過去には美貌の姉妹の狭間で、とても辛い思いをされた。

 でも、そのくせ、色恋沙汰には、変に疎くって。

 特にご自身のことについては、まるで、その手の話が自分の周りで起こり得ることはないと言わんばかりの鈍感さで、どれほどオードル夫人やホタルが苦労したことか……。

 もう少し、その身に向けられる不埒な方々の心にも鋭いと助かるのに、と何度となく思ったものだ。

「シキ様って」

 サクラがピタリと歩みを止めた。

 そして、過去を振り返っていたホタルに向き直る。

「やきもち焼きさん、よね」

 半歩下がったところで、またもマツリが吹き出す。

 サクラの口調は、からかう風ではなかったが、かあっと頬が熱くなる。

 サクラはホタルの様子に笑みを深め、続いて、背後のマツリに目を向けた。

「ね?」

 マツリがどんな表情をサクラに見せたのか。

 ホタルには、振り返って確かめる勇気はなかった。

 ただ、心の中で言い返すのが精いっぱい。

 いえいえ、カイ様だって相当独占欲が強くていらっしゃいますよ。

 公の場で見る機会が増えたあの主の牽制ときたら、軍神と呼ばれるその片鱗を垣間見る思いだったりするのだ。

 でも、きっと今は何を言っても勝てない気がするから、黙ってサクラに付いて行く。

「ホタル、大変」

 大変?

 そうだろうか。

 サクラ様は、大変?

 カイ様の束縛は、サクラ様を困らせている?

 いいえ、この方のしなやかさはカイ様を受け入れて、なお、強張ることも縮こまることもない。

 ホタルから見れば、むしろ大変なのは。

「あ……大変なのは……シキ様? かも」

 思わず、今度は、ホタルがプッと笑いを飛ばす。

 そう、今まさにホタルだって思っていた。

 大変なのはカイ様の方? かも。

 サクラはいきなり笑いだしたホタルを不思議そうに見つめている。

「カイ様、大変」

 先ほどのサクラの口真似で、その不思議に答える。

 サクラは、尚更に怪訝な顔をしたが、どうやらマツリはホタルの言いたいことが分かったらしく、止められない笑いに肩を震わせている。

「カイ様? 大変? どうして?」

 それは。

「サクラ様が……相変わらず、サクラ様だから、です」

 愛されて。

 美しくなって。

 この方は変わられた。

 でも、やはり、変わらない。

 だから、カイ様は惹かれて、そして、大変。

 ホタルも。

 どこかが変わっても、それでも変わらないからこそ、サクラに救われ続けてきた。

 ドクン、と不意に心臓が躍った。

 ずっと、サクラの側にいた。

 この暖かさに、過去の傷を癒され続けてきた。

 サクラから離れたくない。

 離れられるの?

 そんな心が湧きあがって来て。

「ホタル?」

「サクラ様……私」

 何が言いたいのか。

 何を言ってしまう気なのか。

「お願いがあるの」

 だが、サクラは、ホタルが先を続けるのを遮った。

 サクラが人の話に割って入るなんて普段ならばあり得ない。

 ホタルの言葉を故意に止めたのだと気が付いて、ほっとしながらサクラの会話へと頭を切り替える。

「お願いですか?」

 サクラから、ホタルに『お願い』とは、これも珍しいことだ。

 そんな考えが顔に浮かんだのか。

「ホタルはもう私の侍女ではないから、これは『お願い』」

 ビクンと身体が強張った。

 もう既に、それは分かっていること。

 ホタルはサクラの元を辞し、シキの元に嫁ぐことを決めたのだから。

 だが、改めて、サクラからはっきりと「侍女ではない」と言われたことに、ホタルは想像以上にショックを受けた。

 サクラはホタルの手を取った。

 今の一言で一気に指先まで冷え切ってしまったようなホタルの手のひらを、小さいけれど、誰よりも大きく思われるサクラの手のひらが包み込んでくれる。

 きゅっと指先と指先を絡めて、お互いに力を込めた。

「髪をね、切って欲しいの」

 サクラの声は、意識してだろう、いつもに増して穏やかに柔らかだった。

 しかし、それでも、絡め合った指先が大きく揺れた。

 揺らしたのは、ホタル。

 宥めるように、サクラが重なる手をきゅっきゅと握る。

「これからはずっと……マツリや他の者に結ってもらわないといけないから」

 名の出たマツリを見やると、どうやら彼女も初耳らしく目を見開いている。

「だからね……ホタルに髪を切って欲しいの……これが最後」

 ぎゅっと胸が痛くなった。

 あの日、夏のオードル家で出会った小さな主。

 ホタルの耳を塞いでくれた。

 もう、大丈夫。

 そう囁いてくれた。

 小さな手を繋いで、太陽の元に連れ出してくれた。

 こんな日々があるのだと。

 こんな風に過ごすことが許されるのだと。

 それを教えてくれた方。

 一生、お側にいると思っていたのだ。

 大きな決心も誓いもなかったけれど、ついこの間までは、疑うこともなくそれを確信していた。

「サクラ様のお側にいたいです」

 気がつけば、そんな風に呟いていた。

 先ほど、せっかくサクラが途切れさせてくれたのに。

 結局、言ってしまった。

 繋がる手を引き寄せて、そこに額を押し当てて。

「……離れたくありません」

 これは、本当の気持ちだ。

 シキの側にいたい、というそれも本当。

 サクラの側にいたい、というこれも。

 いつから、こんなに欲張りになってしまったのだろう。

 ただ、ただ、サクラの傍らに寄り添っていれば良かった自分は、どこに行ってしまったのだろう。

「ホタル」

 サクラがこつんと、ホタルの頭に額を当てた。

「どうしよう」

 ああ、サクラ様を困らせている。

 そう思ったけど。

「嬉しいかも」

 サクラの言葉。

 そっと顔を上げると、サクラは、微笑んでいた。

「でも、シキ様のところにいきなさいって言わないといけないのよね?」

 サクラはホタルの手を引いて、再び歩き始めた。

「サクラ様」

 サクラは振り返らない。

「……ホタル、大好きよ」

 握られた手に力を感じる。

「今まで、ずっと側にいてくれてありがとう」

 ホタルは首を振った。

 それは、ホタルが言うべきこと。

 ずっと、側においてくれて。

 何も強いることなく。

 ただ、ホタルをホタルとして受け入れて、傍らに寄り添うことを許してくれて。

「私は大丈夫。 ホタルも、大丈夫」

「はい」

 大丈夫です。

 今は、ほんの少し感傷的になってしまったけれど。

「大丈夫です」

 ホタルはもう一度力強く答えた。

「……あの」

 背後から声がかかる。

 マツリが真剣な顔で二人を見ている。

「私、頑張りますから」

 何のことか分からずに、サクラを見遣る。

 サクラもまた首を傾げて、マツリに先を促すように見ている。

「もっと、頑張りますから」

 マツリは、一生懸命にそう話した。

 先を歩いていた二人よりよほど大人びた容姿の少女の手は、だが、落ち着くかなげにスカートを握ったり離したりしている。

 言いたいことが先走ってしまって、うまく言葉にできないらしい。

 サクラは、マツリに近付いて、その手を取るとポンポンと優しく触れた。

「マツリ、落ち着いて……続けて。ね?」

 サクラの優しい催促に、少女は幾度か唇を開いたり閉じたりして。

「今はホタルさんみたいに上手に結えませんけど、もっと練習して上手になります」

 ホタルは微笑んだ。

 マツリの言いたいことが分かった。

「サクラ様の髪、切らない訳にはいきませんか?」

 ホタルは僅かな距離を飛ぶようにしてマツリに近付くなり、その身を思い切り抱きしめた。

「ありがとう!」

 もう何度も何度もいろいろな人に告げた言葉を今日もまた一つ言えることができた。

 小さな頃は存在さえ知らなかった小さな言葉だ。

 サクラ様が救い上げてくれて、そこから進むことはできなかったけれど、私は幸せだった。

 その言葉もたくさん言えるようになった。

 そして、シキ様が手を引いてくれて。

 一歩を踏み出して。

 もしかしたら、それは、サクラ様の元に留まっている時よりもいろいろあって、その中には辛いことも少なくないのかもしれない。

 でも、だからこそ、その小さな一言は、今までよりもずっと重くて深いものになる。

 その言葉を持っていることを誇りにして。

 全てのものに感謝しながら、進み続けようと。

 シキ様と共に。

 そう決めた。

 だから、大丈夫。

「……マツリ、ありがとう」

 サクラも、またその言葉を口にしながら、マツリを抱きしめる。

 小さな女性二人に抱きつかれた、少し背の高めな少女は恥ずかしげに頬を染めながら。

「あの……カイ様とシキ様に睨まれるのは嫌なので……」

 ぼそぼそ。

「えーと……できれば、離して欲しい……」

 言いかけて、マツリは止めて。

 そして、ギュッと二人に抱きついて来た。

「睨まれてもいいです! ありがとうございます!……お二人とも、大好きです!」

 ホタルとサクラは破顔して、更に強くマツリを抱きしめた。

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