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 翌朝、シキはラジルの屋敷に向かっていた。

 ホタルを探し出し無事に連れ帰ったからには、早々にそれを主君とその妃に報告すべきだろう。

 しかも許しを得たとは言え、随分と長い暇を過ごしたのだ。

 しばらくは激務を覚悟しての出仕だった。

 しかし、そんな状況とは裏腹に、いつもならば馬を駆って数分の道のりを、シキは馬車でゆっくりと進んでいた。

 一人ではない。隣にはホタルがいる。

「お会いして、直接お詫びとご報告がしたいのです」

 出掛けようとしたシキに、ホタルはそう願い出た。

 その気持ちは当然のものだろう。

 しかし、だ。

 迷うシキだったが

「ホタルさんの主人はサクラ様なのですもの。早々にご挨拶しなくては礼に反しますよ」

 母からもきっぱりと言われてしまった。

 二人に強く請われれば、否とは言える筈がない。

 だが。

 しかし。

 正直な心情を吐露すれば、ホタルをサクラに会わせるのは、もう少し先延ばしにしたいところだった。

 身も心も、ようやく手に入れたばかりなのだ。

 ホタルの心を疑う気は毛頭ない。

 ないが、あの妃は特別だ。

 今ここで、あの強敵に引き合わせたら、ホタルの心は再びサクラの側に寄り添い、離れたくないと望むかもしれない。

 そうなったら、どうやってホタルを取り戻せば良いのか。

 などと、考えて。

 一体、己はいつからこんな弱気な男になったのかと呆れ、自らを奮い立たせて馬車へと乗り込んだのが、数分前のこと。

 馬車は一定の速度で動いている。

 だが、スタートンとラジルはさほど離れてはいない。

 あともう少し揺られていれば、到着してしまうだろう。

 ちらりと隣のホタルを見遣れば、そんなシキの心中などまるきり知らぬげに、サクラに会えるのが嬉しいと上機嫌だ。

 その様子は常にも増して愛らしく、シキとしては嬉しいやら腹立たしいやら。

「シキ様?」

 馬車に乗り込んでからずっと黙りこくっていたシキを、ようやくのようにいぶかしんだらしいホタルが、覗き込むようにして声をかけてくる。

 昨夜から涙腺が緩みっぱなしの古参の侍女が、『シキ様の婚約者様の装いをお手伝いすることができるなんて』と、またも感涙にむせびながら結いあげたホタルの髪は今までにない華やかさで、ホタルの細い項や首筋を際立たせている。

 明るい萌黄色のドレスから覗く肩と鎖骨に色香を漂わせながらシキを見上げてくる様は、無邪気なだけにタチの悪い誘惑だった。

 このドレスの選択は母だろう。

 さすがだ。敵か味方は知れぬが、母は母。

 シキの好みをしっかり把握した上での、今日のホタルの装いだろう。

 しかし、宣言通りに自らの部屋の隣に婚約者の部屋を用意させ、がっちりとガードを固めておきながら、シキを煽るようにホタルを着飾らせて目の前にちらつかせるとは随分と意地の悪いことだ。

「シキ様、どうかなさいましたか?」

 黙って、じっと見つめていると、ホタルは居心地悪げに身を引いた。

「……嬉しそうだな」

 嫌みっぽい口調になってしまった。

 しかし、ホタルは首を傾げて。

「嬉しいです、けど」

 何がシキの機嫌を損なっているのか、本当に分からないようだ。

 シキはプイっとホタルから視線を逸らした。

 まっすぐにホタルを見て発言するには、あまりに大人げない言葉だと自覚がある。

「会わせたくない」

 それでも、言わずにはいられない。

「はい?」

 ホタルはきょとんとシキを見つめた。

 それを逸らした視線の隅で確認しながら。

「君をサクラ様に会わせたら……離れられなくなりそうじゃないか」

 ここで、すぐさまにこれを否定してくれたなら、シキの機嫌もいくらかは上昇したかもしれない。

 が、しかし、残念ながらホタルは失敗した。

「……そんなこと……ありません」

 ぼそりと返ってきた返事はかなり精彩にかける。

 その正直さに笑いたいような、やはり本人もサクラから離れられないかもしれないと幾らかは思っているのだという事実に泣きたいような。

「……今の間は何かな?」

 ひとまずは、そんな風で機嫌直滑降をアピール。

 そして、これではあまりに大人げないと、深呼吸をひとつしてから、大人の自分自身を呼び起こす。

「俺はサクラ様がどれくらい君の中で大きな存在か知っているよ」

 穏やかな口調を心がけて。

「君が今どれだけサクラ様に話をしたい思いでいっぱいかも理解している、つもりだ」

 そうだ。

 分かっている。

 何もかも承知して、ずっと傍らにいたのはあの方だ。

 ホタルを救おうという意思ではなく、ホタルの力を利用しようという意図もなく。

 ただ、極々自然体でホタルの側にいてくれた存在。

 それはホタルにとって何よりの救いだっただろう。

 今、ホタルが自分自身の解放を誰よりも伝えたいと願う相手はサクラに違いないし、ホタルの変化を何より喜ぶのはサクラであろう。

 だが、しかし、分かるからこその、この行き場のない嫉妬心だ。

 流した浮き名は数知れず。嫉妬されることに慣れてはいても、元来の執着心のなさから、嫉妬することにはとんと無縁な色恋沙汰をこなしてきた。

 よもや、今になってこんな感情を、しかも女性相手に持つことになろうとは思いもしなかった。

 とはいえ、会わせない訳にもいかないことも、理性が承知している。

「せめて、もう少し時間を置きたかったな」

 少しばかりの足掻きで、そう締めくくれば、ホタルはじっとシキを見つめてきた。

 そういえば、昨日スタートン家に到着して以降、キス一つしていない。

 珍しくも淡いピンクの紅を引いた唇に口付けたい衝動に駆られた時、それが声を紡いだ。

「それはどれくらいですか?」

 それが『もう少しの時間』を尋ねているのだと気が付き、そこを突くのかとホタルの妙な生真面目さがおかしい。

 少々ずれているようにも思える問いに、幾らかの不機嫌を取り払いながらシキは適当な時期を挙げる。

「結婚式のとき、とか?」

 昨夜、母との話し合いの結果、それは次の春にと決まった。

 シキとしてはさっさとホタルを妻とし、新婚生活を堪能したいところではある。

 だが、婚約時期はある程度持つべきという母の常識的意見に、あちらこちらにホタルを披露しなければいけないという父の政略的意図も加わり、これはなかなかに覆しがたいと判断して、強固な反抗は止めた。

 それに、他の理由もあった。

 この秋には、キキョウ・オードルの結婚式が執り行われる予定になっている。

 そして、これは内々の話ではあるのだが、近くアオイの輿入れ先も決まる可能性が高い。

 何かと騒がしい主達の周りに、シキとホタルの結婚という大事を加えるのはあまりに酷だと判断したのだ。

 時期的には、不満はあれど無難な線だと納得してはいた。

「そんなに待てません!」

 それは、ほとんど反射的な答えだったろう。

 故に、かちん、ときた。

 何故なら。

「……日を決めたときはそんなこと言わなかったな」

 シキと両親が顔を突き合わせて話をしている間中、ホタルは、その時期について何ら自らの意志を口にせず、ただただ従う意思を見せていた。

 日が決まった後も、不満げな様子を見せることなく、両親に礼を述べるばかりだった。

 シキにしてみれば、母の妨害が半年以上も続くという、拷問の始まりを意味しているというのに。

「やっぱり、会わせたくない」

 再び気分は最悪だ。

「シキ様!」

 どうやら、自らの失言に気がついたようだ。

 ホタルは、座席から腰を浮かさんばかりに身を乗り出して、シキの胸元に手を添えて訴えてくる。

「あの! だって!」

 言葉がうまく見つからないのだろう。

 多分、何を言ってもサクラ大事、サクラに会いたい、という思いばかりが溢れてしまうから。

 それを分かっていて、黙って待つ自分も、母に負けず意地が悪い。

「……ごめんなさい」

 とうとう、ホタルはそう言って俯いてしまう。

 これは、いじめ過ぎた。

 シキは胸元のホタルの小さな手を、手のひらで包み込んだ。

「悪かった。 ちょっとした大人げない嫉妬だ」

 顔を上げないホタルの頬に手を添える。

 ホタルの手がきゅっとシキの衣を握り、ふわりと身体が揺れたかと思うと胸元に滑り込んでくる。

「……これから、ただでさえ母の妨害で君に触れられないだろうに」

 本人にはそうだという意志がないのは重々承知している。

 だが、密閉された空間で、こうも素直に身を委ねられては、誘われていると判断しても仕方がないのではないか。

「これでサクラ様が君を抱きしめたら……俺はどうやって応戦すれば良いのかな?」

 シキは寄せられた身を、腰に手を回してさらに引き寄せた。

 そして、柔らかな頬に唇を触れる。

「……シキ様?」

 多分、その手のことに疎いホタルにとってみれば、馬車の中でシキが何らかの行動を起こすなどとは思ってもみないことなのだろう。

 だが、シキにしてみれば場所など、どうでも良い。

 ホタルが身を強張らせながら、離れようと身じろぐ。

 しかしながら、そんなことを、許す訳がない。

 ホタルから近づいて来たのだから。

 そんな気はなかったなんて。そんなつもりではない、なんて言い訳は知らない。

「ホタル」

 唇を寄せると、シキの意図を正確に察知したホタルの手のひらが自らの口元を隠して覆う。

「だめ、です」

 僅かに頬を染める様が、既に幾度と抱き合ったとは思えないほどに初々しい。

 しかし、物慣れた男にとって、その制止は誘いにも等しい。

 シキは、口元のホタルの手のひらに口付ける。

「だめ?」

 やんわりと手のひらを退けて、更に求めて近付けば、触れる寸前で

「紅が取れるからだめだとボタンさんが……」

 忠告されているのだと告白する。

 古参の侍女は、このホタルの姿を見て、シキが大人しくしている筈がないと読んでいたらしい。

 しっかりと、ホタルに御進言下さったようだ。

 それにどんな顔でホタルは返事をしたのか。

 少し見てみたかったと思いつつ、ここはシキを幼い頃から世話してくれているボタンへの敬意を込めて、唇へのキスを諦める。

「分かった」

 そうは言っても、抱き寄せた愛しいばかりの娘をこのまま離せる筈もない。

 少し前までは少女と見間違えられることも少なくなかったとは到底思えない、鮮やかな女性に変貌した想い人。

「これで我慢しておくから……おとなしくしておいで」

 シキは呟きながら、惜しげもなく晒され、惑わす色香を零れ落とし続けているホタルの首筋と肩に唇を這わせ始めた。


 馬車が止まったことに気がつく。

 到着してしまったのか。

 ホタルにサクラを会わせたくない故に、道のりを短く感じていた筈なのだが。

 途中から確実に理由は変わった。

 馬車の外の御者から、到着しましたと声がかかる。

 分かったと答えを返しながら、名残惜しさに手離し難いのを、これが最後と言い聞かせ、ホタルの耳元に口付けた。

「……っも、や」

 か細い声が、腕の中でぐったりとしてしまったホタルから零れる。

 ホタルが本当に大人しくしていたのを良いことに、少々、調子に乗りすぎたしい。

 唇以外なら良いだろうとばかりに、晒す肌の至る場所に執拗な程のキスを降らせてしまった。

 途中から、ホタルから甘い吐息が漏れ始めて。

 止めて欲しいと懇願する声が混じって、でも、それが誘いにしか聞こえなくて。

 気がつけば、膝の上にホタルを乗せて、まるで情事の如く色付く肌を慈しんでいた。

「シキ様の馬鹿」

 口付けが途絶えて少し。

 ようやく落ち着いて来たホタルの、しかしながら潤んだ瞳が、それでも必死にシキを非難している。

「大丈夫。痕はつけてない」

 ついでにドレスも、己の衣も乱れていない。

 我ながら、よく脱がさずに堪えたものだと感心するのに。

「そういうことじゃないです!」

 涙目のホタルからは、厳しく叱責を受ける。

 それを得意の笑みで交わし、

「悪かったよ。ほら、サクラ様に会うんだろう」

 かなり惜しいが、膝から降ろして、少しだけ髪とドレスを整えてやってから馬車の扉を開ける。

 これも古くから仕えている御者がほっとしように恭しく頭を下げるのを、何をしていたかばれているのだろうと思いつつ、それはホタルには内緒だと心に決めた。

 手を貸して、多少おぼつかない足取りのホタルを馬車から降ろしながら、ふと頭上に気配を感じ、シキは顔を上げた。

 大きな羽を広げた黒い影が旋回している。

 グル。

 イトの遣い魔だ。

 何かあったのか。

 妙に胸がざわめいた。

「シキ様?」

 シキの様子に気がついたホタルが、その視線を追って空を見上げる。

「……鳥、ですか?」

 遠目には鳥にしか見えないだろう。

 勇壮にも見える、だが、決して歓迎できるものではない姿。

「いや、イトの遣い魔だ」

 隠しても意味はない。

 この胸騒ぎが予兆だとするならば、シキはホタルとの穏やかな一時をしばらく手離すことになるだろう。

 答えを聞いて、ぎくりとホタルの身が強張った。

「おいで」

 シキはホタルの手を取り、自らの肘に導く。

 何かあったとしたら。

 シキ自身が、再び血に塗れる場所に向かわねばならない状況ならば。

 今この時に、ここへとホタルを連れてきたのは、正解だったかもしれない。

 そんな風に思いながら、久しぶりとなる屋敷へと足を踏み入れた。

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